天沼熊野神社
鎮座地 天沼2-40
祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 世尊寺
例大祭 8月2日
解説
天沼村宝光坊地区の鎮守。
伝説によると、神護景雲2年(768)東海道巡察使が武蔵国に来た際に氏神を勧請したという。
また、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉を責め当地に宿陣して社殿を建てたともいう。
応永2年(1395)朝倉三河守という人物が当地に土着して社殿を再建、
宝光坊十二社権現と称するようになった。
明治時代に社名を熊野神社に改めた。
天沼村には本村の稲荷神社・中谷戸の八幡神社・宝光坊の熊野神社と計3社の鎮守があるため、
明治5年(1872)3社を合祀して地名の頭文字をとり、
本中宝神社とする動きがあったが、
各神社の氏子の強い反発にあって実現しなかった。
かつてのご神木「出世杉」の根

新田義貞が当社に立ち寄った際に、戦勝を祈願して植樹したものという。
義貞はその後、鎌倉幕府を滅ぼして大願成就を果たした事から
「心願成就の杉」「出世杉」などと言われていた。
かつては参道をはさんで2本あったが、昭和21年(1946)枯死してしまった。
鎮座地 天沼2-40
祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 世尊寺
例大祭 8月2日
解説
天沼村宝光坊地区の鎮守。
伝説によると、神護景雲2年(768)東海道巡察使が武蔵国に来た際に氏神を勧請したという。
また、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉を責め当地に宿陣して社殿を建てたともいう。
応永2年(1395)朝倉三河守という人物が当地に土着して社殿を再建、
宝光坊十二社権現と称するようになった。
明治時代に社名を熊野神社に改めた。
天沼村には本村の稲荷神社・中谷戸の八幡神社・宝光坊の熊野神社と計3社の鎮守があるため、
明治5年(1872)3社を合祀して地名の頭文字をとり、
本中宝神社とする動きがあったが、
各神社の氏子の強い反発にあって実現しなかった。
かつてのご神木「出世杉」の根

新田義貞が当社に立ち寄った際に、戦勝を祈願して植樹したものという。
義貞はその後、鎌倉幕府を滅ぼして大願成就を果たした事から
「心願成就の杉」「出世杉」などと言われていた。
かつては参道をはさんで2本あったが、昭和21年(1946)枯死してしまった。