MOCKING MONKEY BOOTH

野に咲かず、山に咲かず、愛する人の庭に咲く。

景気

2011-03-28 | 日々
地震の被害の大きい宮城県知事がこんなこと言ってた。


「被災者の身になって各地の人たちが哀悼の意を表してくれることはうれしいが、日本全体が元気になることで東北も元気になれる。被災地以外の人たちは後ろめたさを感じずに、経済活動や行事を遠慮せずにおこなってほしい。」


立場的に勇気あるコメントだなって思った。


これが被災者全員の総意だとは思えないけど。


でも知事じゃないと言えないことでもある。


全部が下を向いて、被災者に合わせた生活を送ることが正義ではない。


むしろ金がある人は金を使い、イベントもやって、どんどん経済を活性化させることが日本全体のためになる。


被災者以外の人は、被災者のことを思うならば一生懸命師とをすることだ。


どんどん経済を回して景気をよくしないと。


じゃないとホントに日本は沈んでしまう。


と、近頃経営者とか学者が言ってるのを見たり聞いたり。


うけうり。


だけどホントにそうだよなって俺も思うんだ最近。


小学生

2011-03-27 | うた
うたの小学生の準備が大詰め。

ランドセルはずいぶん前に買ったけど、今は小物。

筆箱とか鉛筆とかね。

運動着も靴もそろえた。


カッパも買って。

雨の日こうやって歩いて帰るんだね。

今ママは一生懸命にうたの運動着入れとか作成中。

もう入学式まで二週間。

早いなぁ。


うたの卒園式

2011-03-27 | うた
うた。

卒園おめでとう。

ホント、お姉ちゃんになった。

入園式の時は心配だった。

地域の違う保育園に通わせること、はたしてホントにうたのためになるのだろうかってママとも話をしたこともあった。

友達はできるだろうか。

別の小学校に行くことになるのに。


でも正解だったね。


親の判断が正解だったっていうよりは、うたが正解にしてくれた。


自分で自分の道を作った。


いい先生と、いい友達に恵まれてとても充実した3年間を過ごしたね。


親から見てもうらやましいくらい。


ここで得たことはずっとうたの財産。


子供の順応力には驚かされる。


この3年間があるから、


だから


みんなと違う小学校に行くことに不安があるけど、うたならきっと大丈夫だろうなって思える。


うたはきっとまた楽しい6年間を自ら築き上げるんだろうね。


パパとママは見守ることでその手助けをしたいと思う。


親って漢字は「木」の上に「立」って「見」るって書く。


難しいこと。



うたには、

あいさつの出来る子、自分のことは自分で出来る子、人を助けることが出来る子

になってほしい。


って贅沢か。


いい。健康で笑って生きてくれ。それだけでいい。


うた


井上雄彦

2011-03-27 | アート
い

アートだな。


この人は。


スラムダンクで多くの人にいろんな影響を与えた人。


三井寿を目指して3Pの練習をがんばったな。


宮城リョータになりたくてリストバンド2つしたよ。



今日Yahoo!ニュースに出てた。


親鸞を描いたと。



絵ってすごいな。


山木さん

2011-03-27 | 日々
山木さん


亡くなって3週間になりましたが。


日本では未曾有の大震災でみんなが心身ともに病んでいます。


どうかみんなをお見守り下さい。



お通夜で昔のチームメイトと会って寂しい思いも懐かしさと相まって分散されました。


集まったのはみんな後輩。


同級生はみんな地元を離れてるから通夜や告別式に参列することは許されませんでした。


部長として、代表という気持ちで参列させていただきました。



ただ、山木さんの死をきっかけに同い年のチームメイトがみんな電話をくれました。


やっぱりみんなショックを受けていました。


俺が病気のことを知っていたから、なんで教えてくれなかったって言うやつもいました。


俺だって、ホントに死んじゃうとは思っていなかったし、思いたくもなかった。



電話では山木さんの思い出話から始まり、やっぱなつかしい記憶がどんどん出てきて。


まだみんな仲間だ。


そりゃそうだよね。


山木さんの指導の元、あんだけ本気で戦ったんだ。


みんな山木さんのこと、ずっと恩師だと思っているし、山木さんはうちのチームに愛をくれたし、本気で褒めて本気で怒ってくれて、本気で遊んでくれた。


だから強くなったって思っている。



楽しかった。



チームとして強くなるのが実感できたし、成績にも現れた。



悔しいなあ。


死ぬ前に、当時のみんなでバスケして、山木さんを囲んで酒でも飲みながら思い出話したかった。



みんなと話せば話するほどそんな思いが強くなった。


山木さんの奥さんに言われた言葉がうれしかった。


「君たちにはじめて男子に指導して...それがとってもおもしろかったみたいだよ」って。



みんなと話をして決めました。


追悼の意を込めて、当時の部員できるだけ集めて、バスケ、やります。


そして飲みます。


天国から見ていてください。


というか、ヘタクソになったみんなの姿を見て、あのでっかい声で笑っててください。


よろしく。


早すぎる別れ

2011-03-19 | 日々
高校時代のバスケ部のコーチがなくなった。


早すぎるものだった。


オレは、本人と会って、病気で療養中だったことを知っていた。


あるバスケ会場。

ニットキャップを深く被り、マスクをした人が近づいてきて、

「おい、オレ誰かわるか?」

感じ悪いなーと思いながらもホントにわからず、

「・・・はぁ」

マスクを取ると誰だかわかった。

「おいおい、何したの、めっちゃ痩せてるし。ダイエット?」

と小バカにしながら言うと、

笑いながら

「オレ、がんなんだ。今も病院から抜けて来て、これから戻るんだー。
 でって参ったでー。」って。

「あど3か月くれがな。」

反応に困る俺。

「ま、オレはオマエ達からいっぱい遊んでもらったし、もういいんだ。」

といいながら入院生活とか手術の様子、そしてバスケの話をしていた。


それから1年半。


闘病生活の末、コーチは天国へ旅立った。


楽しい人だったな。


適当な所もあって、ワルだし、でもバスケには本気で、ホントに愛を感じたものだ。

告別式には出れなかったけど、お通夜へ参列。


教え子たちと久々再会し、別れを偲んだ。


早すぎるわかれ。

それは無情にも突然やってきた。

合掌。


だいじゅくんのおわかれおゆうぎかい

2011-03-19 | 未分類
今年から保育園へ通い始めただいじゅ。

家ではやったらうるさくておこられてばっかなのに、いざ人前に出ると全くの人見知り。

頭に来るくらい。


運動会ではかろうじて競技に参加できたが、このおゆうぎかいだけは心配。

うたの時、ステージの幕が開くまではこんな大勢の中で踊れるわけないよ。

泣いても投げ出してもがんばったねって抱きしめてあげようと思った。

でもしっかり踊ったのをみて感動した。


今年のだいじゅくん。

ぶっちゃけ、うたの時より厳しい事態を想像していた。

絶対固まっちゃうはず。

9割は固まって何もできないだろう。
でもステージに立っただけで偉いよ。抱きしめてやろう。

ステージにも出てこなかったらどーしよーか。
みんなに迷惑がかかっちゃうな。

とかとか考えて。

半分あきらめつつもあきらめ。

すごいバクバクしてた。やたら緊張している。



幕がひらくとだいじゅはしっかり踊りの体制に入ってた。

そして歌がはじまるとなんと笑顔で楽しそうに踊っているではないか。
DSC1_0110



自然と涙がこぼれだす。

大丈夫だ。

だいじゅもしっかり成長している。

あのだいじゅが。

感無量であっと言う間の出来事になってしまった。


うれしかった。

非常に。


ありがとう。だいじゅ。

お姉ちゃんが卒園するんだから、次はお前の番だ。


よろしくな。


うたさんのお別れおゆうぎ会

2011-03-19 | うた
これが終わると保育園の1年間の行事がだいたい終わり。

うたはこれが最後のおゆうぎ会ということもあり、何だかさみしい気持ち。


うたのクラスはほんとに団結力が強い。と思う。

先生のおかげ。

子供たちを育てたそれぞれの家族のおかげ。

それから本人が持つもの。



おゆうぎ会は、おどりが得意なうたは楽しみな行事。

今年は南中ソーラン。

パパやママがおどったのを見ているし、家でもDVD見ながら遊んでた。

そんな甲斐もあり。

練習中からえらい上手。

これは全然心配いらない。


そして本番。

期待通り最高のパフォーマンスを見せてくれた。

今回はこれまで手持ちだったビデオカメラも三脚を使用。

すごく便利だった。


だいたい余裕があったよね。


年少の時の花の子ルンルン。
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ホントに踊ってくれるのだろうかと心配しながらも、あんな大勢の前でしっかり踊って感動させてくれた。


年中の時の親波・小波。
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落ち着きはらっていて、もうお姉ちゃんな姿。周りのじいさんが上手い過ぎておもしろくねぇっていうのが印象的。知らない子だったら当たり前の感想かもしれない。

そして年長。
DSC_0166.jpg

年少時代にみた年長さんはすごく大人で、うちの子はこんなになるんだろうかって思った。
全然なってた。


子は育つ。

大人の知らない所でどんどん育っていく。

そのスピードは親には想定できるものではないのかもしれない。


東北・関東大震災

2011-03-18 | 未分類
まずはこのたび3月11日に起きた大震災の被災者の方々へお見舞いを申し上げます。
そして被害に遭われて亡くなってしまった方のご冥福をお祈りいたします。

地震、雷、火事、親父

とはよく言ったもんで。

自然の怖さを身にしみて覚えた。

それは日に日に大きく深く自身に刻みこまれてゆく。

地震で起きた津波。

ものすごいスピードとパワーで村ごと飲み込む。

人々の生活や思い出を容赦なく無惨に切り裂いく。


世の中、金で買えないものはあるってことだ。

テレビのインタビューで、避難所で暮らす小さな女の子が言っていた。

「今までの生活がいかに幸せだったかと思います。家があって、家族がいて、食べ物があって、笑顔がある。今まではそれが普通のことだと思っていました。でも今はそれがすごく幸せなことだったのだと思います。」

だぶん小学生の中学年くらいかな。

いくら苦難を乗り越えて人は強くなるとはいえ、そんな子に身を持ってこんな道徳を教えるなんてあまりに酷なことではないか。


俺も家族を持つ。

海の近くに住む。

地震や津波は自然の摂理であって、人の力でやめさせることはできないが、備えることはできる。

今回備えていても犠牲になった人はいるかもしれない。

でも備えていたから助かった人もいるかもしれない。

家族を守るためにも、備えは父の義務であると思った。


そして、直接的な被害の少なかった我が地域。

しかしこの地震の影響は計り知れず、物流が滞り、燃料や食料が不足している。

風評被害もはなはだしい。

人々に安息の日々が戻るのはいつになるのだろうか。

そう思いながらも日々テレビを通して厳しい現実に目を向けている。