今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 6 (小説)

2015-12-03 14:00:27 | 小説、残酷な歳月(1話~15話話)


残酷な歳月
 (六)

ふつう、登山や岩のぼりをしない人間には理解出来ない、過酷過ぎる状況に自分の身を置く事を、ジュノは知りたくないが、その裏側ではなんとなく分かる気もする、不可解な気持ちがある!
長野県警からの依頼されたこの患者を診るたび!
否応なく、自分の家族の運命を変えてしまった、あの事故を思い出していた。

やはり、もう一度、大杉さんに会って、話を聞いておく事が、必要だとジュノは切実に感じた。

ジュノはソウルの養父から聞いていた、大杉さんの住まいを強引に訪ねた。
大杉さんの態度から、訪ねる許しを貰えるとは思えなかった!。

たとえ真実を話してくれなくても、もう一度、大杉さんの言葉であの事故のいきさつが聞きたかった。

大杉さんの住まいは、古い、ワンルームのマンションだった。
大杉さんもやはり、生活して行く為の最低限の物しかない!
狭く、あまりにも粗末な、大杉さんの生活!

ただ、寝起きしているだけの部屋、布団を丸めて奥に押しやって、ふたりが座る場所を作った。
たぶん、さっきまで、大杉さんは体調が悪く、寝ていたのだろう!

もう何日も、寝込んでいたようで、髪の毛が棒状によれている姿が、ジュノには、なぜか、哀れに思えた。
けれど、大杉さんは、覚悟していたように、話し始めた。
「あの時、夢中だった!」
「ふたりを何とか助けたくて!」

ジュノと伸一郎が落ちた場所へ急がなくてはと思い、お母さんと樹里ちゃんが、ショックのあまり、放心状態で動けない二人だったけれど、私は、一刻も早く、落ちた二人を助けに行く事が何よりも大事だった!
「お母さんと樹里ちゃんに、この場所から!」
「絶対に動かないように言いおいて!」

だれか、すぐに、助けを呼んでくるからと言いおいて、大杉さんは、岳沢の岳沢小屋へ向かったと、ジュノに話した。

あの事故の時は、夏の登山時期も過ぎていて、又、下山の時間も遅かったことで、大杉さんは、母と妹のふたりを連れての下山する事を諦めて、落ちた二人を助ける事だけを最優先に考えての行動だったのだ。
「母と妹を、あの場所に残して!」

動かずにいてくれたほうが、どちらも助けられる可能性があると、大杉さんは、とっさに判断した。
「大杉さんの、取った行動は正しかったと思う!」

ジュノにも、理解できる行動だが、なぜ、母と妹のその後の姿が消えてしまったのか!

又しても、ジュノには、あの時の、大杉さんの、父に詰め寄る姿が、鮮やかに、思い出された!。

実の父とこの大杉さんとは、郷里が、同じで、中学校、高校、大学までも同じ、父は医学を、大杉さんはドイツ文学を、東京大学で、学んだ、今のソウルの父は、東京大学の医学部で、父と同窓であり、あまり詳しく話されてはいないが、大杉さんの紹介で、父と母が、親しくなり、五人が一時期は、とても仲の良い友としての付き合いがあって、実の両親と、今の両親の二組のカップルが誕生した。

元々は、実の母は、大杉さんの知り合いであって、母の、もう一つの役割である、ソウルの祖父母の手助けの仕事に、大杉さんも、大きく関わりがあったのだと、ジュノは、はじめて知った事だった。

大杉さんの、どこか、ぎこちない、話の中で、いくつもの疑問が、新たに、出てきてしまったジュノは、父や母、そして、ソウルの両親の、関係の複雑さを、すぐに、理解することは出来ない!、
「いや、理解したくない!」
たかぶる感情と共にそんな思いがおきて来た。

いまだに、妹の行方が分からない事も、気がかりで、心配でたまらないが、大杉さんにも、妹の行方は、分らないのだと言った。

気がつけば、父の亡くなったという日、八月二十三日が、もうすぐ、だった!

ジュノは、昨年は、ただ、自分の心に起きた、不思議な感情から、せきたてられるような思いから穂高に登った。

あの事故以来、あまり、好んで登山や、岩登りをしなかったが、何処かで、穂高への思いはつねにあって、特に、加奈子との付き合いの中で、登山やロッククライミングをする事も時にはあったが、心から楽しいと思う事ではなかった。

昨年の穂高、滝谷を登ったあと、あまりにも、次々と、起きた出来事は、ジュノには、まるで、ながい夢の中の事のように、思えるときもある。
今年の父の命日に、吊尾根の、あの場所へ行こうと思った!

六十七歳の年齢とは思えないほど、年老いた、大杉さん、私の幼かった日、ほとんど毎日のように、我が家に来ていて、私と妹は、競い合うように、おんぶや、肩車をして、遊んでくれる、優しいおじさんであった。

物心がつくや付かずの頃から、つねに、そばにいた人だ!

そして、奥多摩や、丹沢へ家族と大杉さんはつねに一緒にハイキングや登山をした。
夏の時期は、たいていは、八ヶ岳の山々を、一緒に楽しんだ、初夏の頃の八ヶ岳、稜線を彩る「オヤマノエンドウ」の咲く、風景の美しさを教えてくれたのも、大杉さんだった!

忘れる事が出来ない、いくつもの大切な思い出が、今は、切なく、悲しみの思い出になってしまった。

時には、大杉さんとジュノ(寛之)のふたりだけで、山へ出かける事もあった、そんなときは、必ず、大杉さんは私を、肩車をするのが決まりのように、自然に、気がつくと、私は、大杉さんよりも高い世界を見ては自慢出来る幸せで、とても楽しく、嬉しい時間を大杉さんは私に与えてくれた。

あの頃の、おもかげなど、どこをさがしても、見る事が出来ないほど、大杉さんは、老いて、弱々しく病む人、今、目の前にいるのは、
「ただの老人!」
薄汚れた、顔色の悪い、一人の老人だった。

だが、どうしても、父の命日には、大杉さんもあの場所へ行って、私にあの時の事をはなしてほしいと思う。

新たなる思い
幼き日に見た姿を
ただ懐かしむのには
もう時間があまりにもながく
いくつもの思い出が
消えてしまった
あの太陽を背に
大きく描いてくれた日
美しき人の心が壊れて
もう時は戻らないのです

(父の命日)
八月に入り、ジュノは気がせいた!
まるで、何かに追い立てられるような、常に、ジュノは焦りを感じている不安感!
ジュノ自身の心の中の汚濁してしまったものを取り除きたいような気持ちの悪さがある!

ジュノ自身の自浄能力の無さが、変容した行為として現す事!
父の命日には、どうしても、大杉さんをあの事故現場、吊尾根で立ち会ってほしい、そうれば、すこしはジュノ自身が、このどうしようもない思いから、抜け出せるのではないかと考える。

あの、母がいた古アパートでの、気まずい雰囲気が、ふと、一瞬、ジュノの気持ちを躊躇させた。
そして、ジュノが、一方的に、強引に尋ねた、大杉さんの住まいでの姿は、たぶん病気だったようで、ジュノは気になってはいるが、それでも、父の命日には、大杉さんに、あの場所に立って欲しいと、意味もなく思ってしまう。

何ひとつ考えのまとまりがない、もやもやした気持ちと怖いような、緊張感が、なお、落ち着かない!

私のこうした状態から抜け出せるのは、大杉さんに、父の命日に、あの、場所!
父と私が、あの深い谷底へ落ちて行った場所!

吊尾根の岩場に、いったいどんな顔で立つ事が出来るのか!
ジュノの心の片すみに、「なんと、残酷な仕打ち!」をさせるのかと、囁く声がする。
だが、別の声もする!

「私たち家族に対して、何をしたのか、罪を犯したのなら、償いが必要なのだ!」
「あの母の無念の死を!」
「私が絶望から逃れる苦しみの日々を!」

ジュノは、大杉さんを恨みきれない、もどかしさと、あの優しかった大杉さんの笑顔を消す事が出来ない、反目する思いを持ち、心の闇を深くして行った。

そんな時、加奈子が、連絡もせずに、いきなり、ジュノの病院を訪ねてきた。
たった今、着いたばかりのようで、旅行支度のままだった。
いつもなら、ジュノの部屋に、直接行く、加奈子なのだったが、今のジュノは、仕事を優先に考えて、大学病院の近くのマンションに越したのだった。

もちろん、前の住まいはそのままにしていた、今のジュノには、自ら設けた、戒律を守る聖職者のような、自分では気づかない、異性に触れる事など、今は、極端に拒否したい気持ちだった。

あの部屋で、加奈子とジュノの濃密に過ごした後の空気さえ、今のジュノの心と体が受け入れることが出来なかった。

加奈子へは、越した事だけは知らせていたが、いつものように、加奈子へ渡す、スペアーキーは作ってはいなかった。

その事が、プライドの高い加奈子のショックは大きく、心に深い傷をつけていた。
すこし痩せていて、顔色も良くないのは、ジュノもすぐに分かって、心の中では気になってはいたが、ジュノは、なぜか、加奈子に優しい言葉をかける事が出来なかった。
「元気だった!」
「すこし、顔色が良くないけど!」
「疲れているようだけど!」
「大丈夫!」

こんな、簡単な言葉さえ、かけてやれない事が、ジュノの気持ちを暗くした。
父の命日に、加奈子は、ジュノと一緒に、事故現場へ、お参りさせて欲しいと、言った事でなお、不機嫌さがつのるジュノの我儘な思いがむき出しになった。

まだ、なんの、予定も立てられずにいる、ジュノは、その言葉を、加奈子から聞いたとき、不快で堪らなくなった。

その、すぐあとで、ジュノは、自分がまだ何も決められずにいる事への苛立ちなのだと、すぐに、反省してはみたが、素直に、加奈子の同行を喜べず、むしろ、気が重い事を、ジュノは、加奈子に、今の状況を話し、出来れば、ロスへ、帰ってほしいと、冷たすぎるほど、冷静な言葉で、伝えた。

何処で、ジュノと加奈子の、お互いを信じ、愛し合う心がすれ違ってしまったのだろうか。


                    つづく












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