今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

逢いたくて<永遠> 8 (小説)

2013-10-20 10:11:55 | 逢いたくて<永遠> (小説)


★運命,記憶の中の海★

私はもう、すべて、検査は済んでいて、手術日は三日後に決まっていたが自分の運命がどんどん私の望まぬ方へ進んでしまいそうで怖い!!!

今、純ちゃんのいる遥かに遠い地、アラスカがまるで、宇宙の彼方にあるような気がして、もう、電話さえ出来ないのだと思い悲しかった。

眠れない夜が幾日もつづき、手術日の前々日夜明け前に、私は、誰にも言わずに、病室を出て、ただ、ぼんやりと、行き先も決めてなく、無意識に電車に乗った・・・

ふと気がつくと、何処かの海の見える場所を歩いていた、この前、純ちゃんが来てくれた時に見た夢のつづき?今まで訪れたことのない場所?けれど記憶されてる心の中の風景のようだった。

ぼんやりとして、たださ迷い歩く、突然母の顔を思い出して、又、母に心配をかけてしまった事に、申し訳ない気持ちとは裏腹に、ただ私を知る人のいない場所、何処かに行ってしまたい、消えてしまいたい思いになっていた。

でも、もう一方の私がいて、やはり、まだ、まだ生きていたい!

こんな形での別れは両親も純ちゃんも許してはくれないと囁いていた、私と言う存在は私だけの意志で終りにしてはいけないのだと気づいた。

「ママ、ごめんなさい!」
「心配しないで、直ぐに戻るから・・・」
「たぶん、今、湘南の海辺にいると思うけれど!」
「もう少し、海を見たら、帰るから・・・」
「ママ、今朝のご飯は何を食べたの?」
「ママの作ってくれるオムレツが食べたい!」
「私、とても、おなかすいたわ~」
「今からここで、何か食べたら、帰るね!」

不思議な事に、自分の心の中で母に語りかけていた、思ってもいなかった言葉が、すらすらと出て来て、自分でも驚いていたが、見ている海の風景は、夢の中で見た!記憶の中にある場所だと思った。

入院前に突然アラスカから戻ってきてくれて、純ちゃんが私を寝ずに看病してくれていた時に見た夢の中の海が今、目の前に広がっていて、エメラルド色の美しい波が揺れていた。

海べの波打ち際を、私はひとりで歩く、初秋の海べは、少し肌寒い!

まだ、朝早い時間だからか、朝焼けの青黒い海につづく広い海岸には人影は無く、誰もいない遠浅の砂浜がつづいていた、私は裸足になりひとりでゆっくりと歩いて、海水に足をつけて立ち止まる!

私を支えていた砂を、すこし緩やかな波が次々と打ち寄せるたびに削られて採られていく、それは、あの夢の中で見た風景そのものだった!!!

「まるで、私の命を削り取るかのように怖さを感じた。」

海水の冷たさと青黒く、深い緑色の波が私の身体中を染めて行くように、ぞくぞくした悪寒を感じて我に返った気がした。

正気を取り戻した私の足元の砂はすっかり波に削り取られて、海にのみこまれて、いつのまにか海水はひざ上にまで来ていた。

気づかぬままに私はいつしか海の中へ誰かに置き去りにされたように茫然として立っていたのだった!

ふと、私はなぜ!、何を求めて、そして誰かにしがみつきたい、そんな思いでここまで来たのだろうかと、自分の心に問いかけてみた!

明日の手術が不安だったのかもしれない、孤独さに負けそうな自分を振るい立つ気力が欲しかったのかもしれない、そんな答えの無い心の葛藤が、ただ、寂しさや悔しさと悲しみをごちゃ混ぜになって、心の中で、純ちゃんを呼び続けていたのかもしれない!!!

★ ★ ★

私は現実をしっかりと受け止めようと決心して、病院に戻った、やはり、体温が三十九度もあり、血圧も異常に高く、私の体調は最悪になっていた!

私は平熱が三十五度くらいだし、血圧も低い方で高いくても100~60が普通だったが、今、手術の前だというのに、血圧が150もあり、担当医は、明日の手術は難しいと、告げに来て、投げやりな言葉を発した!

現実、そのご、手術日がどの位の期間、先送りになるか、予想がつかなかった。
「とにかく、血圧を下げて、体温を下げて、それからの事です!」

手術予定日前日に逃げ出したと思った担当医師は、きつい口調で言った!今は私が悪いのだから、何も言えない!

私はただ担当医師の指示に従うしかないのだと思い、父も母も、オロオロとして、何も手につかぬ様子だった。

私は高い熱のために、ベットから見える目の前の誰かの姿、純ちゃんの幻をみる、そんな錯覚をしながら、何度も、何度も、苦しさと胸の痛さで、失神しては目覚めての繰り返しだった。

そして、たくさんの夢を見ていたが、その殆どは、覚えていなかった。
なぜか、山登りなど、体験も記憶もないのに、何度も何度も、何処かの谷底へ、体が、一瞬に落ちて行く!その感覚だけは、不思議に覚えていた。

やっと体調も快復して、いよいよ、私の手術の計画が本決まりとなり、体調は万全とは言えない状態だけれど、もう、これ以上、先へは伸ばす事が出来ないのだった。

微熱が中々下がらずに、手術をのばせるだけのばしたが、担当医の決断を信じるしかないと、両親も改めて承諾書にサインをした。
「右乳房の全摘出手術だ!」

私は手術の最中の事は何も分からなかった、全身麻酔によるものだったから、幼い頃から、病弱ではあったが、私の体にメスが入るのはやはり、緊張と恐怖感を無くす事は出来なかった。
五時間以上の大手術は、両親も予想していなかった。

手術室から、集中治療室に入っても、私は気づかない、眠ったままだった。
だが、両親は、手術の結果の報告を受けて、あまりの残酷なことを告げられて愕然として、言葉も出なかったようだった。

「がん細胞が、肺と胃へ転移していた事を告げられた!」

その病状は、もう、手術は出来ないほどのがん細胞の広がりだと、伝えられた。
「肺の組織検査をしたけれど、悪性のがん細胞が確認されました!」
「けれど今回の手術では肺のがん細胞を取り除く事はしていない!」
「又、数日後に、胃や脊髄の検査が必要な事を伝えられた。」

あまりの残酷な結果報告に、母は、気絶して倒れてしまい、そのまましばらくの間寝付いてしまった事を、父から、だいぶ後になってから、自分の病気の事、母が倒れた事を聞かされた。

カコは自分が生まれて来たことを恨みたくなるほど、何処までも、両親を苦しめて、悲しませて、親不孝ばかりしか出来ない娘だと思う!

つくづく嫌になる悲しみと苦しみの中で、私は両親に対して申し訳なさと自分自身の不安感で心も体も混乱して、ただ、ベットに寝ているしか、今は、何も出来ない絶望的な思いが募るばかりだった。

その頃、遠く離れたアラスカの地にいる純ちゃんの身にも、大変な事態が起きようとしていたけれど、この惨劇を誰が予測できようか、そんなことは神さえも予測できない事だろう・・・

アラスカでの映像取材も、チームが一丸となって努力した事でとても良い物が出来あがる予感でチーム全体が浮き足立った状態で、興奮気味だった。

仕事も殆ど終わりに近く、取材チームも、気持ちが楽になり、安堵感が大きくなって、その日の取材予定が終わると夜は連日の酒盛り宴会が続いた。

純輔はカコの病気の事が気になる現実もあり、どちらかと言えば、高津さんも、純輔もアルコールには弱かったし、宴会の雰囲気の騒がしさが連日続いて、すこし気疲れしていた時期だった。

残りの取材は、他のプロデューサーでも、大丈夫だと、高津さんも純輔の苦悩を察した事と、純輔のもう一度お会いしたい思いもあって、ふたりで三島さんの所に行く事なった。

あの女性「三島美佐子さん」の姿を見ているだけで純輔は勇気をもらえるような気がしていたので、彼女の家を訪ねて行く事なった。

次の日、出発前に純輔は、カコに何度電話しても繋がらない事がとても気になりながらも、セスナ機に乗り、アラスカの深い森の中へ飛んで行った。

カコの両親は、娘の非常事態を受け止めることが出来ずに、毎日、不安と混乱する思いで虚しく、落胆し、どうする事も出来ない怒りがこみあげて来る、両親の心をずたずたにしてせめつづける、拷問のような胸の痛さに耐えながら、時間だけが過ぎて行った。

カコは、手術後の経過が悪く、快復が思うように進まずに、油断の出来ない状態が続いていた。
意識も精神状態もはっきりと快復しない状態がつづいていた・・・

もちろん、そのような状態であることをアラスカにいる、純輔へ知らせる事など、出来るはずも無く、お互いの連絡が途絶えてしまった。

そして、純輔はカコの事が気なって仕方なかったが、まだ、仕事は終りではなかったけれど、どうしても、あの素敵な生き方の「三島美佐子」さんに、純輔は不思議に、母のような、姉のような親しみを感じていて、もう一度お会いして、話を聞いてみたかった。

無線で三島さんの所へ連絡しても、どうやら外に出ているようで、夏の時期は、とにかく忙しい!アラスカのダイナミックな、フィッシングを楽しむお客さんが日本など外の世界から来る事で、三島さんは自然なかたちで釣り宿の役目を担う事になって、今では、皮肉にも三島さんの生活を支える大きな資金になっていた。

元々ご自分から望んではじめた事ではないが、どうしても断れない、知り合いの旅行社から頼まれて、釣りのポイントへ案内した事がきっかけだった!

言葉の面でやはり日本語や英語をフランス語を話せる事で、フィッシング客を託されて、釣り舟を出し、少数の人の宿泊を引き受けた事で自然に今の状態になってしまったと、三島さんが豪快に笑って話していた姿を純輔は思い出していた。

★ ★ ★

ほとんど自給自足のアラスカの深い森の中での事、時には、三島さん自身がボートを動かしてお客さんを案内して、フィッシングポイントまで行くもある!

アラスカは魚や動植物の保護基準がとても厳しく制限されていて、ワンシーズンに現地の人でさえ、ひとりが釣れる魚の数が決まっている。

たとえば、キングサーモンなどは、ワンシーズンに確か、2本までと決められていて(もちろん漁業を生活の糧としている人は、捕れる数量は違うけれど)、でも、そうたやすくつれるわけでもなく、確か、つりの出来る日程も厳しく決められていたように聞いていた。

だから、日本から来て、ここに何日か滞在しても、キングサーモンを釣りあげる事がたやすく出来る事ではなく・・・

三島さんは、わざわざ、遠いところに来てくれるのだからと、心からのもてなしをして歓迎してくれる、何も、お金を儲けようなどとは、到底考える事もなく!!!

だから、評判の良い事が新たに人を呼び寄せて、お断りするのにも難しいほどの人気の場所になってしまった。

高津さんと純輔は、三島さんとの連絡がつかぬままに、セスナ機を飛ばして、あの懐かしい場所へ着いた!相変わらず、丸太を並べただけの桟橋は今にもくずれそうに見えるが、どっこい、セスナ機が巻きおこす大波にもびくともせずに、しっかりと建っていた。

ふたりがセスナ機を降りると、家の扉が開き、三島さんが私たちに駆け寄って来た。

「お待していましたよ!」
「もう、そろそろ、着くかしらと思ってね!」
「今日は、もう、どなたも、来ませんから~」
「もう、嫌になってね、ちょっとずるしたのよ私!」

そう言いながら、にこにこと笑顔で私たちを迎えてくれた。
「今年は、夏から、秋になっても、困った事に!」
「天候が不順で、サーモンが全くのぼってこないの!」
「他のお魚も殆ど遡上してこなくてぜんぜん釣れないのよ!」
「秋が過ぎて、もう直ぐ冬が来てしまうのに・・・」
「だから、お客さんの機嫌が悪くてね、気が休まらないのよ!」

そう言って、頭をかしげて、手を大きく広げた仕草をしてみせた。
「今日から一週間ほど、私は病気になるつもり!」
「だから、気を使わずに、ここで過ごしてちょうだいな!」
「もしなんでしたら、お熱も出してもいいわ~~~」
「自分のやりたい事がたくさん溜まってしまっていてね!」
「何もおかまい出来ないけれど、その辺にある物を食べてくださいなぁ~」

そういいながらも、美味しい日本茶と、どら焼きを手早く出してくれた。
「お客さんのお土産ですけれど、食べてみて!」
「李さんは、そろそろ、こんなのが恋しい頃でしょう・・・」

そういいながらいつの間にか、本当に、三島さんは、何処かに消えていなくなった!

外は気がつかないうちに、稲妻が走り、途轍もなく大きい雷が鳴って、この家が揺れ動くほどのすさましい爆音のように響き渡っていた。

窓から外を見ると純輔が今まで見たことの無い、物凄い大雨が降っていた!
三島さんはどうしたのかと思っていたら、雨に濡れて戻って来て・・・

「もう少しで、ボートが流されるところだったわ~」
「間にあって良かった、今日はいきなり来たわね!」
「おふたりが着いてからで、カミナリと大雨に出あわなかった事!」
「幸運だったわね・・・」
「ここのところ、毎日、こんな感じなの、天候が予測できないのよ!」
「突然、嵐になったり、吹雪になったり!」
「そうかと思えば、とても、暑くて、一時的に、真夏になったりするのよ!」
「確かに昔から、アラスカは一日のうちに四季があると言われているけれど!」
「なにか、変なのね!最近のアラスカは!」
「だから、サーモンもここまでのぼってこられずにいるのかしら~~~」
「もう秋も過ぎて、冬が来るという時期なのに~」

三島さんは濡れた体や衣服を手馴れたようすでふきながら、そんな事を言っていた。

そんな、ふと、思いついた事を誰かに聞かせるでもなく、お互いに話しながら、時に、ふいっと、いなくなる三島さんの不思議な姿や行動を見ていて、高津さんは、純輔に、何気なくつぶやくように・・・

「ここは気兼ねと時間は必要ないところなんだ!」
「自分が過ごしやすいようにしていれば!」
「何かが分かって来て、気分が良くなる場所だろう!」

確かに、そうだと、純輔も少しずつ感じてはいたが!
この二日ほど、何もせずに、寝て起きて、食べて、話をして、森を少し歩き、河を眺めて、ゆったりとした時間が過ぎて行ったけれど、純輔には心からこの自然とゆったりとした世界には浸りきれずにいた!

どうしてもふとした瞬間に「カコ」を想い、恋しさと不安な気持ちになって来る事を抑えられなかった。

「三島さんが、突然、声をかけて来た!」

「どうやら、やっと今頃に、サーモンが上がって来たから!」
「釣りをしてみては、いかがかしら?」そう言ってすすめてくれた。

以前から、純輔も、サーモン釣りをしてみたいと思っていた事で、さっそく実行する事になって・・・九月の終りになる今頃になって、ほんの数匹、、サーモンが河を遡上している姿を確か
にみられた。

生まれ故郷を目指し、勢い良く、力づよく、ただ、サーモンの姿は小さめで数も少ない、いつもの年よりも、かなりおそい遡上だった。

サーモンの姿が、小さく、数が少ないとぼやきながらも、ボートを操る、若いひげ面のたくましい青年「ジョージ」君は、得意げに、ボートを右へ左へと、巧みにあやつり、フィッシングポイントへ案内してくれた。

エンジン音を響かせ、どのくらい、河をさかのぼったのだろうか、河幅は海のように広くなったり、又、大きなボートでは通り抜けられないほどの狭い場所を次々と走って行く・・・

少し寒さが気になるけれど、気持ちの良い、川風を受けて、時には、波しぶきをかぶる事もあり、突然驚かせては、ジョージは、にやりと薄笑いして、でも、その表情が少しも嫌味には感じないおおらかさがある青年だ!

ジョージ君は、まだ、ハタチ前だとか?三島さんの息子で、アラスカ大学の学生だった。

だが、誰も、三島さんの本当の子供か、養子なのか、分からないが、そんなことは誰も気にしてはいない、ここではどうでもよい事、小さな事だ!

                        次回につづく



最新の画像もっと見る