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いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 36 (小説)

2015-12-30 15:23:11 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)

残酷な歳月
(三十六)

君たちがこの真実をどう、受け止めるか、私が答えを出す事ではないと思う!
ふたつの国の不幸な時代に、朝鮮の人々は!

『民族の誇りである、朝鮮語を奪われた!』
『強制的に日本語を話さなくては、生きて行けない時代だった』
『人が生れて、はじめて話す、馴染んだ言葉!』
『たとえ、朝鮮の人間であっても!』

あの時代に、日本語で育った人間は、物事を考える時!
『民族の言葉ではなく!』
『考える人の、思考回路を!』
『日本語がすべて、先んじて、決めてしまう事の、悲しみを!』

少しでも良いから、心の片すみに留めておいてほしい!

君たちが、なにより、一番知りたい事は、なぜ!、穂高での事故が起きたのか?
『真実を知る事だろうね!』

私にも、今だ、どうして、あの忌まわしい事故が起きたのか、わからないけれど、お互いの誤解から、あんなむごい事故が起きて、その後の行き違いや、まちがった情報が伝わり、君たちや、お母さんに申し訳ない事になってしまった。

ジュノはもう知っているだろうが、君たちの実の両親は、両方の家から、結婚を認めてもらえなくて、特に、蒔枝の家では、父である
『蒔枝伸一郎』は結婚したと、同時に勘当された。

その事で、岡山の実家とは、まったくの音信不通の状態になってしまった。
ジュノ(寛之)と樹里が生れても、蒔枝の家からの許しがなく、一切の連絡さえ、出来なかったから、君たちが岡山の蒔枝の家の事を知らなかったのは当然なのだよ。

君たちの母『スジョン』は、私が、兄だと言う事を知らされずに!、たぶん、日本に留学する時に、韓国の両親からは、私は、日本での、在日韓国人の一人で、その頃には、反戦運動家として活躍していた。
『イ・ゴヌ』『キム・ソヨン』

ふたりの大切な、日本での支援者なのだと、聞かされていたようで、私は、一度も「妹、スジョン」からは、兄として接して、又、兄として、名前を呼んでくれた事がなかった。

だから、君たちの母は、死ぬまで、血を分けた、兄の存在を知る事なく、亡くなってしまった事が私にも悔しく、悲しい事だ。


私自身も又、隠された『存在』だったようで、辛い!

だか、今も、実の母や義父(イ・ゴヌ)の考えが、理解出来ないけれど、何か、真実を告げられない事情があったのだと、思う事で、私も、兄だとは告げずにかげながら、妹を、そして君たちを心から愛し続けていたのだよ!

当然の事だが、君たちの実の父「蒔枝伸一郎」にも、私が、「スジョン」の兄だとは知らせていない!

そして、韓国への支援者の在日韓国人の仲間のひとりとして、付き合い、同郷だった、親友の君たちの父である
『蒔枝伸一郎』へ、大切な妹『スジョン』を紹介したんだよ。

私は、君たちの家族と過ごす時間が、最高の贅沢であり、いつも、
『最高の幸せな時間だった!』

君たち家族に登山やハイキングを進めたのは、僕だからね!

朝鮮動乱の時は、とても苦労したが、朝鮮の親族の多くは、北朝鮮で、行方不明になったが、君たちの祖父母は韓国を選んだ。


(穂高でおきた事)

私の実の母と義父は韓国人として、韓国、いや、朝鮮半島が平和な地であって欲しいと真剣に考え、宗教者として常に祈り、その後も、表に立っての政治家ではなく「反戦運動」を続けていた人たちなのです。

韓国がベトナム戦争へ参戦する事になった時に、激しく抵抗して、おじいさんも、おばあさんも、しばらくの間、投獄された事もあるが、正しいと思う事を曲げずに、反戦運動を続けた人たちだ!

どんなに、辛い立場になっても
「平和への願い」
反戦の気持ちは変わらなかったが!

あの穂高での事故のあった頃に、韓国では、とても大変な
『悲劇的で物言えぬ時代』
になって、すべての運動が出来ない、独裁政治の武力に常に監視される状況になってしまった!

君たちの祖父母のふたりに暗殺の危機が迫っていて、身を隠す事になって、その時に問題が起きて、間違った情報が伝わった事で、韓国で同じ運動の仲間から、日本に住む、在日韓国人の方々からの支援金の横領の疑いをかけられてしまった。


  つづく



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韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。




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