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この平穏退屈な日々にもそれなりに感動って在るもの。

「狂うひと 「死の棘」の妻、島尾ミホ」を読んで

2021-04-27 10:15:39 | 私の読書日記
この1ヶ月というもの、ずっと夢中になっていた本がある。
久しぶりに寝ても覚めてもものすごく熱中した。
読み出したらとまなかった。最後までずっととまらなかった。
「火宅の人」といい、つくづく私はこういう本が好きなんだなあと思う。

ある日、美容院で雑誌を読んでいたら、ブックレビューにでていて興味をもった。
作家 島尾敏雄も、「死の棘」も、同じく作家の妻 島尾ミホもその時の私はまるで知らなかった。


梯久美子が書いた「狂うひと 「死の棘」の妻、島尾ミホ」は順番的には、島尾敏雄の「死の棘」をまずは読んでから読みたい一冊ではあったが、図書館から先に届いたのは「狂うひと」の方だったので、しかも文庫の裏面のあらすじを読んだら、面白そうすぎて我慢出来なくてその日の夜寝る前にちょっとだけ読もうとページを捲ったら、その日から止まらなくなった。

本作は、作家の島尾敏雄(正直私は全く知らなかった、が、孫のしまおまほなら知っていた。オリーブ(雑誌)に出てたから)が描いた私小説「死の棘」(すごいタイトルだ!!!)と、そこに描かれた妻で、自身も後に作家になった島尾ミホ、この夫婦の過ごした修羅の日々の真相、夫婦愛に迫るノンフィクションだ。
そもそも、死の棘とは、夫である島尾敏雄が浮気をしていて、その日記を読んだ妻が発狂し、その日々を島尾の日記を基にこれまた「火宅の人」同様10年以上の歳月をかけて本にしたものだ。
島尾敏雄は、子供の頃から1日も欠かすことなく日記をつけていた、著者曰く、つけずにはいられなかった、正真正銘、物書きで、ミホの死後(敏雄はミホより20年も前に亡くなっている)に、その膨大な記録(日記や原稿やその他あらゆるメモ書き)が見つかる。本書はそこから引っ張り出され、また関係者を尋ね、考察を重ね、読んでみるとノンフィクション作家の凄さに圧倒された。

自分自身の夫婦のことはさておき、いつも映画や物語、こういったノンフィクションの話に触れるにつれ、「真実の愛」とは何ぞやなんてぼんやり考えてる私。
他人がそこにあれこれ言うのがそもそもおこがましいけど、私は、この2人(島尾敏雄とミホ)のような愛を他に知らない。
正直、夫婦愛だったのか、妻が熱烈に夫を愛していた?のだけはわかるが、果たして夫はどうだったのか、ただの身勝手な男で、最後は自己犠牲愛にでも酔いしれたか、観念したのか、ストーカーのような愛である。これを夫婦だけでやっていてくれたなら、おめでたいね〜って、それでもよかったけど、2人は2人の子供の親だった。そこが、残念でならない。
特に、小3で突然言葉を失った娘、マヤのことを思うと、2人の修羅の日々を至上の夫婦愛だったとはとてもじゃないけどそんな風には昇華できない。

そもそもミホは、他人の気持ちを思いやるといったことが少しでもあったのだろうか。
まず、少しでもその気持ちを持ち得ていたなら、そもそもこんな結末にはならなかったんじゃないか。

まがりなりにも、2人の子供の母親になって、その子供たちを最優先に大事に育てなければという責任感は皆無だったと思う。狂ってた期間は百歩譲って仕方ないとしても、回復した後でも、この人は一貫して他人の気持ちを1ミリも思いやれないままだ。
もちろん、そうさせたのは夫の罪であり、でも、すくすくと成長していたしっかり者の娘が、小3から急に原因不明に言葉を発せなくなったのは、(大人になっても、執拗に原因究明にあらゆる病院で検査させたらしいが結局わからなかった)この夫婦間の諍いを目の当たりに大事な大事な幼少期を過ごすことになったこと以外ないだろう。本来なら、児童養護施設に保護されるレベルだと思う。

人間関係って難しい。友達も、恋人も、夫婦も、みんな。

その関係を天秤にかけて、ちょうどよく同じ重さでいるって至難の技だ。
でも、とんでもなくバランスを欠いた人間関係は、良い結果を産むとは思えない。
独りよがりは嫌だ。


ミホは、養父母に大事に大事に育てられ、決して怒られることがなかった幸福な子供時代を過ごしたそうだ。でも、その決して怒られることがなかった、その環境がやっぱりこの人をこの人にせしめたのかなと思う。人に怒られて、自身を省みることがなかった
、それが生涯続き、他人の気持ちを思いやれず、また自身を省みることもしないまま、ただ自分の欲望のままに家族を支配したお姫様だったのだ。

島尾敏雄、特攻隊員の隊長としてミホの暮らす加計呂麻島(奄美群島の一つ)に派遣されて終戦の年、夜な夜な恋人の元に通う隊長って一体どうなんだろう・・・まず、そこ!!
そして戦争が終わると、あんなに通い詰めて愛を語りあった恋人をあっさり島に残したままに、自分はとっとと内地に戻って、裕福な親の元、敗戦後で多くの人が生きるのに精一杯だった日本中を親のお金で旅行したり、好きな本を買ったり。島に残してきた恋人を迎えに行くどころか、悠々自適、楽しんでいる。(そんな戦後もあったのね〜。しかも元特攻隊員で)正直、戦時下であんなに恋してたらしいミホに対しては、自分のもとに、来れるなら来れば〜くらいの気持ちだったのかなあ・・島尾の戦中と戦後はまるで別人だ。まさに愛が覚めた人がする行動だ。

さらに、吉本ばななの父である評論家 吉本隆明をはじめとする評論家たちの「死の棘」論。
これも随所に出てくるけど、うーん、いい加減・・・評論家ってなんとでも言えるよねーと思ってしまう・・妙に偉そうだったりするばっかりで、、

とここまでかなり好き勝手書いたけど、梯久美子さんのこの本は本当に素晴らしい。
最後の終わり方もなんて絶妙にいいんだろう!!感動してしまう。

最後、沢木耕太郎との対談で、梯さんは、書くことについてこう言っている。

「文章を書くということは、流れている小川の水を容器に掬いとるようなことだと思うんです。そこにはさっきまで小川だったものが確かにあるけれど、もう流れることのないものとして、固定されてしまう。」

ああ、本当にその通りだなあと思わず唸ってしまった。




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