小学校に入学したばかりの息子が川崎病になって、入院するまで院内学級なるものの存在など知る由もなく。
川崎病だとわかる前、入学して最初の大事な時期だから一日休むことさえ嫌だなあと思ったのに、こうなってみると、学校を何日休もうが、そんなことはどうでもいいことに思えた。
川崎病は解熱後もトイレさえベット上で絶対安静な日が三日は続いた。熱が下がると退屈との戦いだそうだが、心臓に瘤が出来ないように安静を保つ必要があるそうで、やっと病棟を歩けるようになった時は嬉しかった。
月曜日から院内学級に通うことになった。
行く前は、学校という言葉に消極的になっていた息子も、そこへ行ってみて、すぐにそこが大好きになった。
巨大な大学病院の中にあるその一室は、まるで映画に出てくるおもちゃ屋さん。夢のような空間だった。先生は、いわゆるクラウンドクターとして映画にもなったような赤鼻先生。去年大泉洋がやったドラマのモデルになった先生で、息子はすぐに大好きになった。私も少しだけその学校にお邪魔させてもらい、作った初めてのアイロンビーズは、今では唯一の私の宝物と呼べるものになった。
この学校で私が一番に思ったのは、「こんな世界があったんだ」ということ。その驚きと何とも言えぬ感動と。
病院は、好きじゃない。そこに入院している誰もが家に帰りたくてたまらない。
小児病棟は、もっとだ。切ない。今、家のパソコンに向かってこれを打ってる今も、あの病棟に誰もいないといいと本気で願う。
でも、院内学級があったり、息子がいた病室のように3人部屋でそれぞれに違う病気で入院している小学生の男の子たち。熱が下がってからは、涙もあったけど、それ以上に笑いの絶えない病室だった。
人生、いろいろなことがあるけれど、こんな世界があったんだと言うことを改めて知った。忘れられない春、気が付けば4月も終わっていた。