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『箱根ろくろ細工』 “箱根十二たまご” その②

2008年07月01日 14時31分27秒 | 神奈川のこと
            「箱根十二たまご」のルーツと発展
「十二たまご」には、更に発展した「三十六たまご」「七福神」「七福だるま」などのバリエーションがあり、箱根湯本の郷土資料館には、ロシアから昭和59年、平成2年に贈られた二体のマトリョーシカと共に展示されています。

           
※箱根登山鉄道・湯本駅の「郷土資料館」宣伝展示されている「無彩色の十二たまご」     

                
            ※ロシアン雑貨「マリンカ」さんのマトリョーシカ
          
                  ※田中一幸さん作の「七福神」

                  
「十二たまご」から「七福神」がうまれ、それが箱根を訪れたロシア人によりロシアに持ち込まれ、「マトリョーシカ人形」が生まれる…なんとも壮大な歴史ロマンです♪
現代ではマトリョーシカはロシアを代表する民芸品、それに比べて「十二たまご」は忘れられつつある民芸品のように思え、神奈川県民としてはちょっと寂しいです。

                
         やはり、ロシアにもあるんですね~「たまごマトリョーシカ」

          
こちらは、横浜・馬車道「県立歴史博物館」に展示されている田中さん作の「三十六たまご」の画像です。博物館2階の郷土資料のコーナーに展示されています。一番大きなたまごは18センチほどあり、ダチョウの卵のようです!!

箱根十二たまご その①は→コチラ




この記事を書くにあたり、田中一幸 様に工房内で写真を撮らせていただき、掲載許可をいただきました。
またロシアン雑貨マリンカ 様より、マトリョーシカの画像をご提供いただきました。
ここに厚く御礼申し上げます。



「箱根十二たまご」のルーツと発展
信州松代出身の渡り木地師であった「亀吉」が湯本に移り住み、天保15年(1844年)に「十二たまご」が生み出されました。寺院で僧侶が使用した「応量器」、東北・信州の「入れ子弁当箱」などの入れ子技術と、箱根にあった、薄く挽く、細かく挽くという挽物技術と、新しい亀吉のアイディアが融合して生み出されたものであろうと言われています。
箱根にはロシア正教会の流れを汲む日本正教会があったこと、交通の便の良い箱根に多くの外国人が病気治療やリゾートで箱根を訪れていた事から、その中のロシア人が本国に持ち帰ったものと推測されています。
記録によれば、ロシアにおけるマトリョーシカ第1号は、1890年(明治23年)・ロシアの画家セルゲイ・マリョーチン(1859~1937)のスケッチを上絵に、ろくろ師スビョーズドチキンによって作られたのだそうです。 

以上の解説は、『箱根細工物語』(かなしんブックス22)岩崎宗純・著 神奈川新聞社
を短くまとめたものです。
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