横濱・櫻木町コティベーカリーぶろぐ

街のこと店のこと今昔物語

甘食

2006年06月30日 21時12分37秒 | 店のこと
これは、『甘食』というお菓子です。昭和中期ごろまでは、おやつのお菓子として大活躍していましたが、現在ではあまり作られなくなってしまったお菓子です。
ところが、当店では今も『シベリア』とならんで人気商品です!!

甘食は駄菓子なので材料もあまり注意をはらわれないで作られた為、いつの間にか忘れ去られてしまったものと思われます。甘食の記憶として「食べると歯にくっついてしまう」という感想をお持ちの方が多い事から、卵の量が極端に少なかったことが分かります。当店の甘食は卵をふんだんに使っておりますので、焼き色もこんがりキツネ色です♪


         『甘食伝説』
甘食が生まれたのは、明治時代の中ごろといわれています。天板の上に生地を絞り、中心にとかしバターやマーガリンで十文字の印をつけて焼きます。こうすることにより、形の良い山型になるとともに風味もより良いものになるからです。甘食のルーツをたどってみると、更に古く、安土桃山時代にスペイン・ポルトガル人がもたらした南蛮菓子にあると言えるでしょう。今は、日本のお菓子となったカステラ・こんぺい糖・カルメ焼き・ボーロ、これらは全て南蛮菓子が日本風に姿を変えたものです。

ボーロ(bo-lo)は、ポルトガル語で焼き菓子を意味する言葉で、小麦粉・水・砂糖で作られるものでしたが、それに卵が加えられて“おとし焼き”となり、全国に多くのお菓子を残しました。丸ボーロ(佐賀)、カステラボーロ(長崎)、そばボーロ(京都)、タンナファクルー・花ボーロ(沖縄)等です。
日本のお菓子として定着していたボーロに明治維新後、バターが加わり、いよいよ甘食が完成しました。バターが加わる事により、より柔らかく、なめらかになり、大正・昭和の時代にはおやつの定番になっていきます。

また、昭和30年代には、甘味のある食パン生地のロールパンを“甘食パン”、そして、お菓子の方を“しぼり甘食”と呼んで2種類の『甘食』を製造していた時代もありました。

当店ではハチミツを加え、素朴ながらも、味わいのある甘食を大正5年の創業以来、変わらぬ製法で作り続けております。

当店HP 『横浜桜木町シベリアのコテイベーカリー』 も是非ご覧下さい。
     

むせかえる世界

2006年06月29日 13時31分57秒 | 街のアート
        

横浜美術館のグランドギャラリーで6月16日~25日に、砂山典子さんのライブインスタレーション『むせかえる世界』が発表されました。この作品は1995年に水戸芸術館で発表された際、フランス人アーティストフィリップ・ラルー氏(現・横浜日仏学院院長)を魅了、これがきっかけとなりフランス5都市を巡回しました。バルセロナ、京都、広島を巡回したのち10年の眠りについていた作品ですが、砂山さんの故郷・横浜で甦りました!

        

これは正面から見たところです。全長20m重さ70~80kgの真っ赤なスカートの中に参加者が入ることにより、さまざまな感覚・思惑が生じます。参加者が乱暴な動きをすると作者が転落する危険さえ伴う作品です。

               

            横浜フランス月間・2006の参加企画


♪横浜美術館
http://www.yaf.or.jp/yma/
♪むせかえる世界基金
http://musekaeru.exblog.jp/
♪ART LAB OVA
http://www.angel.ne.jp/~ova/
♪ヘンかわおいしいお役立ち@ART LAB OVAのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/artlabovagoods/
♪横浜日仏学院
http://www.institut.jp/

                                     

☆この記事を書くにあたり会場で配布されたリーフレットを参考にさせていただき ました。ありがとうございました。
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『イサム・ノグチと遊ぼう』

2006年06月28日 13時04分24秒 | 街のアート
イサム・ノグチ遊具カタログ

横浜美術館のイサム・ノグチ展で、このような小冊子を購入いたしました。プレイグラウンドで実際に子供達に使われているイサム・ノグチ作の遊具が美しい写真で紹介されています。

小さな子供をこんな遊具で遊ばせてみたいものです。子供だけでなく大人の私でさえも遊んでみたくなります。見ているだけでは感じ取れない“何か”を得られそうな気がします。



♪横浜美術館
http://www.yaf.or.jp/yma/
♪イサムノグチ庭園美術館
http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm


上記の冊子 発行・財団法人イサム・ノグチ日本財団  定価¥315
 

☆掲載の写真は、横浜美術館『イサムノグチ展』にて販売されていたものを購入、自宅で撮影したものです。

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横浜美術館 イサムノグチ展

2006年06月27日 13時05分39秒 | 街のアート
4月15日(土)~6月25日(日)まで、開催されました。森羅万象のパワーが形をもって目の前に現れた…そんな印象を持ちました。
横浜美術館は近所なのでいつでも行かれると思ってしまい、美術展が開催されても結局最終日近くなってあわてて見に行く、という状況になってしまいます。今回も最終日前日になってしまいました。それでも閉館間際でしたので来場者も少なく、ゆったり作品を見ることができました。美術館を出ると、MM21の夜景がいっそう美しく感じられます。夏の夜は美術館へ!!


♪横浜美術館
http://www.yaf.or.jp/yma/
♪イサムノグチ庭園美術館
http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm




☆掲載の写真は当日美術館で配布されていたリーフレットを自宅で撮影したものです。
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横浜市立・野毛山動物園 美しい孔雀

2006年06月22日 22時53分06秒 | 街のこと
         

野毛山動物園は、入場無料です♪季節ごとに発行される『ふぉーし-ずーん』というパンフレットにスタンプを押して集めると、ポストカード・しおり・下敷きなどのプレゼントがもらえます。しおり・下敷きには本物の孔雀の羽やニシキヘビの脱皮した皮が入っています!!スネーク・マニアの方にはたまらない逸品だと思います。

         

今が繁殖期で最も美しい孔雀。放し飼いなので園内あちこちで孔雀に出会うことができます。人に慣れているので園内を悠然と歩いています。鳩と一緒に道端の餌をつついているのは、不思議でほほえましい光景です。

         

       来園者のマナーが良いので、孔雀がゆうゆうとしています。

                 

周囲の木々の緑が鮮やかなので、あまり目立ちませんが少しだけ羽を広げています。この時期は羽を大きく全開した姿もよく見られるそうです。梅雨時のどんよりした空気の中では孔雀の美しさが際立ちます。


  
  ♪野毛山動物園
  http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/dousyoku/nogeyama/

横浜市立・野毛山動物園 子キリンの『キリリン』

2006年06月21日 21時17分52秒 | 街のこと
梅雨時の平日なので来園者も比較的少なく、ゆっくり動物を見る事ができました。

        
子キリンの『キリリン』の授乳時間に間に合いました。ラッキー♪♪
キリリンは2005年12月17日生まれ・生まれた時は体長180cm現在は2m50cmに育っています。ミルクは牛用のものを使用、1日3~4回の授乳、1回の量は1ℓなので1分ほどで終わってしまいます。草や木の葉も食べられるようになっている、とのことです。人間の赤ちゃんの離乳期のようですね。もう1人の飼育委員さんはケガをしている足の治療をしていました。ミルクを飲んでいる間に済ますのだそうです。

生まれた時から母親が育児をしないため、ずっと飼育委員さんがミルクで育てています。キリンの哺乳瓶がないので、“野毛山オリジナル哺乳瓶”を使用。
             
ボトル部分は焼酎のペットボトル、ニップルは人間用の物を取り付けいてあります。飼育委員さんがミルクを持って現れると、キリリンは大喜び!


この日はちょうど女優の奥菜恵さんが、ドラマか映画の撮影でいらしてました。撮影の合間にキリリンの授乳を見学。キリリンの授乳を
奥菜恵さんと一緒に見る、というWラッキー!平日の動物園ならではの楽しみでした♪



   ♪野毛山動物園   http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/dousyoku/nogeyama/

大正5年(1916年)

2006年06月20日 22時08分58秒 | 店のこと
市電の仕事を退職した初代が、当地にパン屋を開業いたしました。現在はなくなってしまいましたが、隣の吉田町にあった『日本堂』というパン屋で修行をしましたので、最初、当店も『日本堂』という屋号でした。当時パン屋は徒弟制度でしたので、修行をした店の名を名乗るのが習慣でした。

太平洋戦争から復員した2代目は、小麦が統制になっていてパン屋ができませんでしたので、喫茶店をしばらくの間営むことになります。

その際に付けた屋号が『喫茶・コテイ』でした。この名をパン屋を再開する時にそのまま使い『コテイベーカリー』となりました。


☆写真は、横浜市・野毛山動物園に保存されている当時の車両です。現在はレスト・スペースになっていて、多くの人に親しまれています。
   

   ♪野毛山動物園   http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/dousyoku/nogeyama/
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昭和30年代の紙袋

2006年06月19日 20時26分57秒 | 店のこと
倉庫の整理をしていると、古い紙袋が出てきました。当店で昭和30年頃使用していたものです。

当時はまだビニール袋・ポリ袋は一般的ではなく、紙袋の全盛期でした。袋の上端を指でつまみクルクルと回して、口をとめました。
それは、子供の目から見ると憧れのパフォーマンスでした♪

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シベリア

2006年06月18日 08時28分35秒 | 店のこと
このお菓子は『シベリア』という不思議な名前のお菓子です。
ご覧のように羊羹(当店は水羊羹)をカステラではさんだものです。

大正から昭和中頃の時代には、おやつの定番として活躍しましたが
時代の流れの中で次第に忘れられてしまったお菓子です。

ところが当店では、大正5年(1916年)創業以来変わらぬ製法で
未だに現役・主役で活躍中!!

全国のシベリア・ファン様に支えられて、毎日シベリアを作り続けることが出来ます事は私共にとりまして、何よりの幸せです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。


           『シベリア物語』
『シベリア』というお菓子がうまれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。

名前の由来

①夢のシベリア鉄道説
  ようかん部分が、大雪原を走るシベリア鉄道に見える。

②掘ってびっくり地層説
  断面がシベリアの凍土の状態に似ている。

③心あたたかオーバー説
  シベリアは極寒の地、ようかんに
  暖かいカステラのオーバーをきせた。

④ドッテテ ドッテテ シベリア出兵説
  大正7年にシベリア出兵事件があり、
  その頃作られたのでこの名前になった。

⑤思ひ出の喫茶店名説
  小樽の町で亡命ロシア人経営の
  『シベリア』という喫茶店で売られていたから。

⑥闘うお菓子屋さん説
  日露戦争(1904年に)従軍した菓子職人が発明したから。

⑦恋するお姫様説
  ロシア革命で、神戸に亡命した美しい貴族の姫君が、
  恋人の亡がらが埋まっているシベリアの凍土を
  想いながら作ったから。

当店HP 『横浜桜木町シベリアのコテイベーカリー』 も是非ご覧下さいm(__)m

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