梅の香庵~うめのかあん~

梅の香堂別館喫茶スペース*梅の香庵*
とりとめないことをとりとめなく・・・

国芳の残した謎

2016-08-27 15:24:34 | 読書
めっきり涼しくなった今日。
夏の終焉を感じずにはいられませんね。
ああ、自然の風が心地いいって本当に贅沢。

今年の夏を振り返ると、なんだかけっこう本を読みました。

その中で一番心に残ったのは、
風野真知雄著 『歌川国芳猫づくし』


本屋さんで見かけて面白そうだったのでひょいっと買った一冊です。
作家さんは初めて読んだ方ですが、有名ですよね。よく歴史小説コーナーでお見かけします。

国芳関連の本は何度か読んでいますが、こちらの小説は、
絵師・歌川国芳が遭遇するちょっとした事件をつづった短編が7つ。
事件と言っても手に汗握るチャンバラ活劇とか、息もつかせぬサスペンスとかではなく、
日常で起こるちょっとした事件に、国芳が思いを巡らせるという感じ。
いわゆるべらんめいな江戸っ子であったという国芳の、実に人間くさい描写に親しみが湧きます。
悩んだり嫉妬したりむらむらしたりする、人間的な国芳。
なんというか、しみじみ読んでふーむと考える、大人な雰囲気の小説でした。
かつ、時折登場する作品の中には、私の知ってる絵がちらほらあり、それもまた楽しい。

そして、もちろん国芳もお江戸の有名人ですが、
他にも北斎の娘のお栄さんとか、弟子の芳年、芳幾とか、ライバル歌川広重とか、
実在の有名絵師が登場してちょっと興奮しちゃいます。


中でも、私の大好きなお栄さん。画号でいえば応為さんの話は切なかった。

北斎亡き後のお栄さんが登場するのですが、
いわゆる二世の葛藤が切なかったです。
天才の親を持った悲劇といいますか。
特にお栄さんは、親の七光りなんぞなくても一流の腕を持っていたにも関わらず、
ついて回るとんでもなく輝かしい七光り。
それに翻弄される悲しさ。それでも憎みきれない、絵師として尊敬する父親。
作中で、北斎に絶賛されたという応為の絵、『吉原格子先之図』。
私、実物を見たことがあります。
本当にすごいの一言。美しい絵です。

史実として、北斎の死後、お栄さんの消息は不明と聞きました。
晩年のお栄さんはどこで何をしていたのか。
あんな美しい絵を描いてたのだから、どうか満たされた老後を送っていたと願いたい。


そして最後のお話もよかったー。

平成でも、お江戸でも、
女も男も年とっても、
家庭を持っても仕事で成功しても
人の中に存在する消えない寂しさはおんなじなんだなーって。

そしてそこを埋めてくれる、猫の存在。

いや、埋めるわけではないのかも。
温めてくれているのかも。

「猫がいなくなったときの寂しさは、愛猫家でなければわかりはしない」
というくだりの描写が、ほんとにね、猫飼ってる人ならば、うんうんそうそう、と深く頷いてしまうリアルさ。
無類の猫好きだった国芳ならば、きっとそう語っただろうと思わせられます。
江戸の世にもペットロスがあったのかもなあ。

考えてみたら、国芳の画室には常時何匹もの猫がいたそうですから、
どんだけ国芳を尊敬していても、猫がダメな人は弟子入り無理無理無理ですよね。
そこいくと、私はその点、弟子入りの条件を満たしているではないですか!
絵を学べて且つ、仕事部屋は猫カフェ状態。
お江戸に生まれていたのなら、ぜひとも一勇斎国芳に弟子入りしたかった。


自らの老いや恋に悩み怯え惑う国芳ではありますが、
読後はさわやかになれる一冊です。





さてさて、
つい感想が長くなってしまいましたが、
この小説に登場する国芳の絵に、あーあれね、見たことある、というものがいくつかありました。
その中の一つが、
『金魚づくし いかだのり』

小説の中で、この絵が好きだという人物が登場し、説明するのです、
川面に金魚が二匹いかだに乗って、
尾びれを尻っぱしょりみたいに紐で縛って、
向こうにはやはりいかだに乗ったカエル。
中州には鷺が二羽。

読んでいて、あれ、その絵、私知ってる、と確信。
というか、それ、持ってますよ。
そうかあれって、「いかだの里」って読むのか。

鷺は一羽だったけど、たぶん、編集されたからだと思う。
なぜなら私が持っているのは、その絵をデザインした手ぬぐいだから。



この手ぬぐい、東京は人形町のお店で買ったんですよ。一目ぼれで。
そしたら、国芳が晩年住んでいたのも人形町界隈だって知って、なんだか運命的。

それはさておき、小説を読み進めると、
なんとなんと、この絵に、お上を罵る隠し文字がしこまれているというではありませんか!!
ちょっとちょっと、それほんとの話?

かくされている文字は

「とりいのバカ」。

鳥居という名の町奉行が浮世絵などに対して厳しく取り締まったので、それを批判して、というか、悪口をこっそり仕掛けた、とのこと。
小説ではね。

しかし鳥居という人物は実在しており、
国芳がお上を批判した絵を何度も描いて目を付けらえていたのも事実。

思わずタンスから手ぬぐいを取り出しました。

さてもう一度見てみましょう。
小説の中では、二匹の金魚の尾びれのあたりに「とりいのバカ」の6文字がかくされているというが・・・・・。



あれ!
あれって「か」かも!?

左側の金魚の左胸びれ。「か」に見える・・・・。

そして、尾びれの、紐のすぐ下、「の」に見える。ていうか「の」にしか見えない。

はあああ!!
その「の」の上にあるの、「い」じゃない?

なんだかどきどきしてきた。
国芳のかくし文字、見破ったり?


でもほかの文字がよくわからない。

これが本当の話なら、インターネットで探せば答が載ってるのかもしれない。
でもなんだかそれは悔しい気もする。

そうためらいつつも「いかだのり」を検索すると、
出てきた画像を見て驚愕。

私の持ってる手ぬぐいと違う・・・・。



私が「か」に見えたひれの中の筋が違うし、二匹の尾びれの重なり方も違う。
私の手ぬぐいの方は、たぶん、手ぬぐいにするにあたって縦長にするために編集が加えられているから、もちろん正しいのはこっちだ。
ならば「か」は違うのか?
「い」も無いぞ。
でもでも二匹の重なり方が違うのは分かるとして、ひれのなかの筋が違うのはなぜ?
浮世絵は何度も刷られてたくさん出回っているし、版木が複数存在するという可能性はあるのでは?
でも商品になってる時点で手ぬぐいの方の信ぴょう性はすごく低いよなー・・・。
でも、それはともかく、
「の」は絶対だと思うのよ!



小説を読み終えても気になる国芳の謎。

みなさんも挑戦してみてはいかがですか。