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みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

良い失敗と悪い失敗

2011年10月18日 19時15分48秒 | インポート

「先生、この課題は前に学校でやったことがあるんですけど」

 

ダ・ヴィンチでの課題が学校での予習復習になるなどという次元のお話ではありません。確かに一度経験したことを再度することは無駄に思えるのでしょう大好きなケーキも同じものを毎日食べ続けたらイヤになるでしょう。算数の計算式も一度覚えてしまえば、同じ問題を解くことはないでしょう。でも、創作活動においてはどうでしょうか。もし描画で最高得点の評価をもらった子が、それでもう同じ絵を描かないとしたら。子どもたちの心にそのような考えが生まれたら、とても心配になります。

 

人間と他の動物との違いの一つに「人間は創作する」と、児童心理学書にも載っています。「子どもから創作活動の機会を奪うと、人でなくなる」とも書いてあります。同じ課題の創作活動は無意味な繰り返しになるものではないと考えます。

 

仮に学校と同じ課題をダ・ヴィンチでもしたとします。学校で上手くいかなかったと思っている子には二通りあります。充分満足した子にも二通りあります。上手くいかなかったところを、今度は工夫をする子と、そうでない子。もっともっとこうしたらどうなるだろうと工夫を繰り返す子と、そうでない子。前者のこの子たちはダ・ヴィンチで「ひらめき」を覚えることになります。

 

成長とともにこの「ひらめき」が大切になってきます。「ひらめき」とは何でしょうか。私的な言葉ですが「知的危機対応への瞬発力」ではないかと思います。幼年期に失敗の経験が少ない子は、困った時にどうするのか。「センセイ!発泡スチロールが折れちゃった!」 「さて、どうしたら元に戻るかなぁ~。考えて~!」 

もうやらない!と制作を放棄する子から失敗を活かす子まで、子どもの対応は千差万別です。その瞬間のこの子たちの「ひらめき」が沸騰するのを期待します。

親御様におかれては、課題の出来栄えよりも失敗の痕跡からどう対処したのかを観察していただき、そこを励ましてあげると、子どもは自分の努力を認めてくれた嬉しさから自信となります。課題作品から伝わる難作業・失敗・挽回・努力の跡をほめてあげてください。

 

(つづく)


ゴミにする子、宝にする子

2011年10月16日 20時13分17秒 | インポート
教室では後片付けをさせる時間も大切に考えています。自分の使ったものはもちろんのこと、自分の手の届く範囲まで率先して手伝ってもらうように、年齢に関係なく手伝ってもらっています。「ボクのじゃないもん!」問答無用です。「みんなで一緒にきれいにすると気持ちいいよ~」
 
一所懸命に制作に打ち込むほどに、後片付けをしっかりとできるようになります。後片付けができる子は優れた創作活動をします。このことは理想ではなく、これまでの私の卒業生が実証しています。(食後の皿洗いが苦手中の苦手なので、偉そうに言えない私ではありますが
 
先日もあるクラスでの後片付けでの出来事を紹介します。なんでもかんでもゴミ袋へ捨てようとする子がいたので「まだ使える大きな板は部品袋の中にしまってね!ゴミはゴミ袋に捨ててね!」発泡スチロールの破片が散乱している状態の中、終了の時間も迫っていた中、明らかに切り取った後の小さな破片も部品袋に入れている子がいましたので声をかけました。「ゴミはこっちのゴミ袋だよ」
 
すぐに私は叱られました。「ゴミじゃない!」よく見るとその破片は、切り取った後のカタチが意外なおもしろさをしているものでした。
 
ダ・ヴィンチは技能や知識を指導するためだけではないことを、あらためて思い知らされた出来事でした。 先生を叱ってくれてありがとう。

創作活動が楽しいばかり、それはウソです。

2011年10月12日 13時16分12秒 | インポート

 真剣に考察した結果、伝えることにしました。次回の課題制作ではカッターナイフを使うことを指導します。もちろん多くの批判があるのは承知していますが、では、すべての子が安心して使えると判断することはできません。またこのことからダ・ヴィンチ教室が避けてはいけないと考えます。親御さんにご心配をおかけするつもりはありませんが、創作活動には危険、注意が伴うものであることを幼少期から経験させるのも生きる力には必要だからです。
 
「上級に上がって、必要になってからで充分」「危険なことにあえて近づけなくても」その結果が引き起こしている多くの成長に関する子どもの言動の表れは、私も長年、中学校PTA会長経験者として、子どもたちを助けられなかったことへの悔しい思いをしてきました。
 
困難から簡単に回避することを覚えてしまい、内にこもってしまう子。そしてモノをヒトを傷つけ、自分を傷つける子。今回のカッターナイフと直結させるには大げさかもしれませんが、心理的につながってしまうことは多くの出来事が実証する確かなことです。
 
ダ・ヴィンチでは年齢に応じて正しい道具の取り扱い方を伝え、自分で道具を操る素晴らしさ楽しさ恐ろしさ危険性をすべて経験させたいと考えます。楽しい事ばかりでは決して本当の楽しさを味わうことはできません。
 
11月半期と12月3回で「動く絵、動くしくみを考える」を課題として、カッターナイフとハンマーをひとり一人使い「動き」を学びます。詳しくは次号ダ・ヴィンチノートをご確認ください。


遊びのような学び

2011年10月11日 20時27分09秒 | インポート
後片づけの早い子からホワイトボードに向かいます。マーカーも余分に用意して、終わりのあいさつまでは自由に描かせています。その時間だけをみるならば、ただただ時間を使って遊んでいるように映るので、心配する親御さんもおられるかもしれません。教室の厳しい(?)課題制作から解放され、イキイキした線で思い思いに描いては消してを繰り返している姿は、私の安心にもなっています。さらには「なぐりがき」や今の心境が表れている意味深な絵など、ホワイトボードに残していく子どもたちの絵から学びとることができています。
このときだけは私も同調して、「なぐりがき」を子どもたちの絵の上から重ねていきます。すると「なにそれ、先生ヘタ!ここはこうなっているんだよ!」目が輝いています。「へ~ぇ、そうなの、しらんかった~」 ゆっくりと成長してほしい。安心して描いてほしい。ここは家庭でも学校でもないのだから。ひとりひとりの居場所なんだから、そのままでいいんだよ。そのまま成長すればいいんだよ。上達は後から着いてくるもので、追い越してはいけない。先生はみんなの後ろをついて行くからね。みんなは前を見て歩いてゆけばいいんだよ。
発泡スチロールの扱いに手こずる子もいます。急きょ練習時間を多めに割いたために、今回の課題は3回で完成までがんばります。意外と小じんまりした作品になってしまう子が見受けられます。少しだけ火をつけに回るようにします。最初チョロチョロ、なかパッパ。




「出来ない」と「やらない」の厚い殻を破壊するために

2011年10月01日 19時35分22秒 | 日記・エッセイ・コラム
松下幸之助の言葉に「成功とはあきらめないこと」 30代だったと記憶しています。嫌なことを我慢するのなら、すぐにやめて新しいことをやり始めたらいいのだ。甘いささやきに惑わされ、大切なことを忘れ、楽な道に行こうとしたこともありました。しかし、多くの良き先輩方の導きによって、今でも同じ道を歩ませていただいていることは本当にお陰様です。
「出来ない!無理!」 はっきりしていることは、言う子に限って「やってもいない」のです。
少しでも困難に立ち向かってやってみた子は、たとえ思うようにならなかったとしても、決して出来ない、無理とは言いません。次に良くしようと思っていますから、言う暇がないのです。ここはその子の性格だからと済ませてはならないと考えます。大人なら仕方がありません。子どもたちには、悪い癖をつけさせてはならないのです。
我慢させるのではなく、辛抱することを今から鍛錬させるのです。我慢ができるからといって、ほめられた我慢にあまり価値は見当たりません。ある意味、わがままと変わりません。しかし辛抱は人間を強くするため、将来の人間関係を生き抜くすべての基礎となります。
だから、今から辛抱を身につけさせてあげたいのです。私に武道の素質があったのなら、絵筆に代わって、子どもたちに伝えていたでしょう。
ここだけの話になりますが、この教室を始めるにあたって、教室の名前を「ダ・ヴィンチ造形道場」としようとも考えていたくらいですから。この考えはこれからも変えるつもりはありません。あいさつ、後片付けは厳しく、やってもいないのに出来ないとは言わせません。親御様にはご理解いただけるものと信じています。
発泡スチロール、熱線カッター、接着剤、初めて触る子も多くいます。だからこそ。失敗してみたらいいのです。甘えたいのはわかっていますが私も辛抱します。