みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

困難よ、かかってきなさい!

2021年06月07日 11時01分35秒 | 日記
最後尾をトボトボついていく私が途中でいなくなったことに気が付くも、意地でも遠回りをするストーンズがどんな行動をするのか期待しつつ、計画通り、三岐鉄道三岐線丹生川駅の手前200m、私の背中をはるか先に見つけた負けず嫌いが、ブツブツ叫びながら走って追い越す。線路わきに39号蒸気機関車(1898年明治31年英国製)、日本最古の貨車タンク(1893年明治31年製台車輪部は無く復元予定)など、地味なものばかりだが、自由にSL運転台や貨車の荷台に乗り込むことができ(名のある鉄道博物館ではできない)、それぞれが自由な時間を満喫する。
私は今回2枚目のスケッチを始めながら、西桑名駅での切符無し乗車のことがあったのでストーンズには先に駅まで行って切符を購入しておくように伝える。券売機も自動改札でもなく、駅員さん(嘱託のおっちゃん)が硬券切符に日付器でカシャン!ハサミをパチン!もうすぐ見られなくなるであろう良き駅窓口の光景を思い出にしてもらえたら、鉄ちゃん先輩として嬉しい。かっちゃんから「あと5分で電車到着!」と号令がかかる。島式ホームの構内踏切が下りてくる。急げ!ひとりがトイレのため取り残される。あぁ、ここで脱落か!遮断機の向こうで不安顔(?!)が、、、。駅員さんの配慮で難を逃れる。近鉄富田駅では硬券に無効印をもらうために一旦、地下道をくぐり改札の外へ、改めて階段をくだりのぼり同じホームへ戻る(肩が、、、!)近鉄急行名古屋行きに乗車、しばしのコックリタイム。近鉄名古屋駅ではJR連絡改札口が待ち構えている。改札する前にJRの大高駅までの切符を購入、近鉄とJRの2枚の切符を重ねて改札機に入れることを伝える。「ヒゲ先生、切符が一枚出てこない!」(伝えることを忘れてごめん!)さあ、最後の登り階段だ。この旅で一番つらく、苦痛に顔が歪んでいたことを知る子は誰もいない。(だって最後尾だもの)なぜだか予定時間通り、大高駅に到着。最初で最後の集合写真を。出発時より一歩だけ自信に満ちた男の顔になっていたことは間違いない。
これでもかというトラブルの連続も笑ってクリアしたストーンズ、君たちはスゴイ!大したもんだ。ヒゲ先生は確信している「困難が子を育てる」ことを。ある教育者が「子供をダメな大人にする、だれにもできる簡単な方法は、子供の欲望(親が良かれと思ってする物事)を何でもすぐに手に入れさせれば(お膳立てすれば)よい」と。
~完
*困難さん、かかってきなさい!ヒゲ先生、調子に乗って次回旅企画立案中!「ローカル線で行く信長、夢のつづき(仮)」恐れを知らない挑戦者たちよ!しばし、待たれよ。


ローリングストーンズ 心の旅は終わりを知らない

2021年06月04日 10時29分50秒 | 日記
タクシー運転手さんの「いなべ市を知ろう学習の時間」も盛り上がったところで目的の青川河川敷に到着。西は滋賀県境にそびえたつ標高1,100mの竜ヶ岳、東は岐阜県境の養老山系を望む。石灰岩地のため、明るい河原は白色のなかに緑色の火成岩(流紋岩)がポツポツと顔を出している。中州にベースキャンプを置き、「草むらのダニ、防砂堰堤の深渕」注意事項伝達も聞く耳持たず、走り出す。自然をナメテはいけない。「ひとりが叫ぶ、川の流れを変えちゃおう!」皆で大小の岩を運び、堤やらダム、流れを迂回させ、滝をつくる。しかしながら水の流れは思いのほか強い、隙間があれば決壊する。上から下への高低差は変えられない。大きい岩だけでは流れをコントロールできない。私も含め全員が熱中して、弁当を食べることを忘れるほど格闘した。ひろくん、たっちゃん兄弟は自分で弁当を作ったという。(Good job! でも、お箸を忘れた。この絶妙なバランスがイイね!)知ってるだけの知識、指先だけのゲームがどれほど虚しいことなのかと思い知る(この子たちがそう感じてくれたら嬉しい)各自が思い思いの収穫物(岩石、流木、水の冷たさなどなど。ちなみに私は5㎏の石ころと日焼け)
思うところがあり、河原での予定を30分早く切り上げて(ストーンズからは大ブーイング、ヒゲ先生だけ先に行って!)後ろ髪をひかれながら三岐鉄道三岐線丹生川駅を目指す。出発時に渡した地図を見る子、見ない子(駅までたどり着けるのか、それとも後をついていくのか、、、?)周りの山川や橋を見渡して自分の位置を確認できている。初夏のまだ優しさのある太陽に輝く一面の麦畑、そば畑を一列になって進む。映画「スタンドバイミー」のあの光景そのものが目の前で繰り広げられる。思わず「かっこいい!」ひとりが遅れ始めた、重いお土産が肩に食い込んでいる。思わず声をかけるも「自分のことはできる限り自分で何とかする!」カッコイイ!そうだ、それでいいのだ!
最後尾の私は途中で地図にある畑のあぜ道に入りショートカットを選択(さすがに5㎏がキツイ!)不安は残るが、しばらくはストーンズだけで行進させる。ナビゲーションシステムに頼りっきりになってしまい、自分が今どこに立っているのかがわからない。サバイバルじゃないけれど、いざというときに、生きて帰れるのか!?なんてことのないように、ストーンズには今から自分の体に東西南北を読み取れる本能を組み込ませることをしてほしい。
~最終章へ続く~

カッケー!みんなスッゲーなぁ~!

2021年06月01日 10時00分39秒 | 日記
「旅の始まりが静かなのは、途中の出来事を盛り上げる演出に過ぎない」なんて、思いを巡らせている出発前の教室玄関、その時、携帯のベルが鳴る。(もしや、、、。)ふたりと名古屋駅で待ち合わせ時刻の一時間前である「ヒゲ先生~いまどこ?僕たちもうホームにいるよ!」その後も、各駅停車ごとに携帯のベルが鳴る。「旅が始まったようだ、、、。」
快速みえはディーゼルエンジンを唸らせて入線。(電車ではない。軽油で走るのだ。いつもの乗り心地とは少し違うことを感じているようだ)ボックス席ふたつに座る。
「この列車は快速みえ、次は桑名、桑名、お降りのかたは、、、。」「えっ!もう降りるの?」「地下鉄じゃないから、まだ時間があるよ。」
みんな、切符を用意して「検札ってなに?お巡りさんが来るんじゃないの?」
「トイレどこ?1号車と3号車にあるんじゃない?」ワイワイガヤガヤ木曽三川の鉄橋を渡る音よりも騒がしい(他の乗客は少ないので許される)
JR関西本線桑名駅、乗換のためには右か左か、だれが案内サインに気付くのだろうか、後ろから様子をうかがう。しかしながら3本目の出発時間が刻々と迫っていることに、誰も焦る様子はない、かっちゃんが「左!」と誘導するあとをついてゆく他4名。三岐鉄道三岐線西桑名駅でのこと、行き先はどこ?運賃はいくら?切符購入機は一台、しかも鉄道各社すべて異なるタッチパネル、(ひろくん、たっちゃんはマナカが使えないことを事前に調べてある)出発ベルが長く鳴り響く、だめかな?乗り遅れるのはまちがいない。(駅員さんに許可をもらって)2名は切符なしで車両に滑り込む。「ヒゲ先生!切符持ってないけど大丈夫かな?」不安顔が車窓の景色どころではないことを強く訴えている。ひさくんが「ぼくたちこの電車に借金しているんだよな!」さすが、教室一二を争う楽天家。みんなで運転手さんの後ろに陣取って大丈夫!大丈夫と笑って過ごす。JR快速みえから遠くに小さく見えた藤原岳が、ナローゲージ先頭車両の小さな正面ガラスから、はみ出すほどに大きく迫ってくる。終点の阿下喜駅では、かっちゃんが駅員さんに無効印を押してもらい、大事そうに財布にしまった。(さすが鉄ちゃん)
駅のわきには古いナローゲージ車両が保存展示されているも、かっちゃん以外は、早く河原に行きたい顔。駅前のタクシーに乗り込む。運転手さんから「定員オーバーだな~」知ってはいたけど、そこは笑って。乗っている途中でお巡りさんを見かけたら、誰かが首を引っ込めるように伝えると、運転手さんが「今日は日曜日だからお巡りさんも休みかもね!この山(藤原岳)は何が取れるのか知っている?(セメントの原材料の石灰岩)向こうの尖っている山は三重県最高峰の御在所岳だよ。」ひさくんが「日本カモシカが捕れるんだ。焼いて食べよう」(天然記念物ですから!)
~後半へ続く~

走る鉄と転がる石の一日旅~後編

2021年05月04日 16時44分16秒 | 日記
この旅にはもうひとつの目的がある。教室の庭に転がっている方解石の大きな結晶(大垣市金生山産)や大理石の塊(さすがにアメジストの結晶は教室内に)に興味を持った子と鉱石採集の話で盛り上がった。1500万年前、日本列島誕生から始まり、地表にその姿を現すまでの過程で、鉱石たちはそれぞれの生い立ちをその形や色に表している。なんとも壮大なロマンではないかと、この子たちと同じ小学生の時分から今も、ずーっと持ち続けてきた。日曜日のたびにハンマーとタガネをリュックサックに入れ、電車賃を握りしめ、帰路は肩に食い込む石ころを背負い、鉱石や化石採集に没頭した少年時代のあのワクワクした気持ちが共鳴して今回の旅が始まった。
そうは言うものの、立入禁止措置が厳しくなり、最近では水晶などの人気物は簡単には出会えない。今回は三重県いなべ市の青川河川敷で変成岩を探すことにする。江戸時代には銀や銅の鉱山があり、運が良ければ、、、!?期待させてはいけないが、それでも自分で見つけた唯一無二の石ころに愛着を持って、地球の偉大さ、地球の一員としての自分の存在を感じ取ってくれることを願っている。なんて、カッコイイことをいうヒゲ先生は「温泉に入りたかった~!」
5月30日日曜日決行! 鉄路のその先にある景色に何を見るのか。ローリングストーンズたちの旅が始まる。


走る鉄と転がる石の一日旅

2021年04月28日 10時18分05秒 | 日記・エッセイ・コラム
「明日は遠足で新海池公園に行くんだけど、雨が降ったら教室の机の上でお弁当なんだよね」楽しみにしている多くの子に天気予報は無情の知らせを告げる。ニュースでは外出自粛を連呼しながらのおススメ行楽情報を無責任に流している。本当に子どもたちがかわいそうだ。(当日の朝、庭が微かに濡れている。お天道様に祈るばかりである)
ある塾生から、庭に転がっている石ころをどこで拾ったのかと聞かれる。その子は何にでも興味を示す子で、創作物にもそのボリュームが強く表現されている。
またある子は、庭に敷かれている枕木と線路(総全長234mm)を撫でながら、何かを思い出そうとしている。「何で犬釘って言うのか知ってる?それはね、、」
本物の姿を見ることでしか本物の感動は伝わってこない。図鑑やユーチューブを見て、わかったつもり、知ってるつもりになることは現実としては致し方ないとは思うが、できる限り本物に接してもらうことで空想力やリアリティーの表現力に凄味が加わってくる。「百聞は一見に如かず」
鉄道に乗って石ころを探しに行く旅に行かないかと、子供たちにそれとなく声をかけた。塾生として、もちろんではあるが自分で判断行動できなければ参加資格はないと伝える。自分で行先までの切符を買うことができる。危険を回避する判断力と困難対処力を有する高学年生に限る。(ただいま参加者を募っています。ヒゲ先生まで)~後半に続く


スケッチ、ステーション、スパークリング

2021年03月31日 10時31分06秒 | 日記
虫が土中から這い上がるように、私のスケッチ虫がウズウズしてきた今日この頃。そうだ、海にいこう!ついでに地元の造り酒蔵へ。三河湾幡豆はのんびり走る名鉄蒲郡線の東幡豆駅に車を停めて、いざ、駅舎を前に構える。かすかに潮の香りがするように感じた。大正時代に建てられたという小さな駅舎は今風のレトロな感じと呼ぶには少しおこがましい、どちらかといえば、時間に置いてきぼりをくったとでもいったほうがよいような、、、。タッチ式改札機はない、券売機はあるが釣銭が切れていて、乗車証明券を手にすることはできた。「乗って残そう蒲郡線」の看板も、もうだいぶ疲れてきている。レールバスやバス交通転換など行政負担も難しいようであるが、湾岸を東西に結ぶ幹線(浜松・豊橋とセントレアのアクセス鉄道)として、将来を見据えて何とか鉄道を維持してもらいたいと、鉄ちゃんのひとりとして思う。
スケッチに話を戻そう。じっくりと雰囲気を観察するも、どうも「鉄味」が薄いと感じる。赤い車輌は見えるものの、信号、標示、ホームが正面から見えない。あきらめかけてベンチに座り、ふと見上げると駅名表示板、ここ東幡豆駅の上り隣は「西幡豆駅」ちなみに下り隣は「こどもの国駅」そうだ、隣にいこう!というわけで、西幡豆駅に。東幡豆駅よりさらに小さな駅舎が愛らしく、これまたポツンと建っている。鉄味はそろっている。残念なのは駅舎前のポストが新しいタイプの形であることと、立派な「乗って残そうハイキングコース看板」がミスマッチしていること。
もしデジタルカメラであれば、不要なものは後から机上でソフトを使い簡単に削除するところである。スケッチは当たり前ではあるがとてもアナログな表現行為である。頭の中で視野角や遠近感、強調省略をして感覚でひとつにまとめ上げることができる。もちろん、常に感覚を磨く必要はあるが、写実であろうが抽象であろうが自己主張は自由、だからこそ、スケッチの線一本に感覚を全集中して引くことが要求される。それがクセになるもの。
描き終えて、駅近くの造り酒蔵へ、直売所の冷蔵庫にはお目当ての酒はなかったが、発泡にごり酒を蔵まで探しに行ってくれるという。これがホントの蔵出し酒、なんちゃって。




桜満開、新年度、先輩訪問

2021年03月31日 09時17分01秒 | 日記
教室の窓から桜色が優しく目に飛び込んでくる。住宅造成のために近所で大樹が切り倒されて、今年は少し桜色が淡くなったみたいだ。落ち葉が、枝が邪魔だから切り倒すという。なんともさみしい余裕のない心の持ち主なんだろうと哀れにも思う。
そんな日差しの中で4月を迎える準備をしていると、窓の外をうろうろする人物を発見。ノックとともに教室へ入り込む、マスクで顔がわからないその大柄な少年。オイオイ、今週は休講週だが、間違えてきてしまったのか?「○○です」高校1年生になる彼は、ガオー教室の一期生。何かと思い入れのある子であった記憶が鮮やかによみがえる。高校生活の話や将来の夢をたくさん話してくれた。その頑張っている今の姿を想像し、あの頃の彼との出来事を重ね合わせる。「夢の実現には多くの困難が待ち受けてはいるけど、君にしかできないものを発想し、創りなさい。」彼の成長には到底及ばないが、指導者としての役割を改めて自覚できた。嬉しい時間を持てたことに感謝した。
「また、来るよ。授業を手伝うよ。」
嬉しいことを言ってくれるじゃないか。Good luck!

*見出し写真は北区41号線沿いに立つ、現代美術作家ヤノベケンジ作の子ども像です。

さあ、どんな子と素晴らしい出会いがはじまるのか、ワクワクします!

2021年02月28日 11時19分17秒 | 日記
 あと残すところ一か月、今期もたくさんの思い出を残して卒業する子たち。毎年、決して「やりつくした」とは言えないことが心残りである。今期も一言でいえば、「一人ひとりの思いを大きく受け止めることができなかった」ことが悔やまれる。指導者であれば細かな配慮と寛大な理解を持って、その子に寄り添うことが大切であることを経験から体得してゆくものであるが。正直な気持ち、その経験が活かし切れていない毎日がある。
 「この場合はこうするとこうなる」が全く通用しないのです。あたりまえですが。子どもは常に成長しています。しかしながら退行することも自我の一つとして、指導者に投げ返してきます。まさかと思いたいのですが、指導者の実力を試してくることも事実あります。「ヒゲ先生はどのくらいできる大人なのか。他の子にはこうしたけど、ぼく(わたし)にはどうするつもりなのか。」そこで私がブレたら遠慮なくナメテかかってきます。
「一人ひとりの思いを大きく受け止めることができなかった」と言いましたが、大きくとは、強くでも広くでもありません。あの手この手と言ったほうが適当かもしれません。この子にはもっとほかの手はなかったのだろうか。
 教室内での普段からの会話の中で、困ったときはすぐに先生!すぐに答えを言わない先生に徹しています。「あなたのためにならないから」の意味が分かるには時間がかかりますが。6年生なりに考えさせることが指導者としての最後の一言にしたいと思います。「簡単にあきらめないこと Good luck!」
さあ、この春、どんな子と出会えるかな。ヒゲ先生に思いっきりかかってきなさい!手加減はなしです。

*ヒゲ先生は荒海でも駆けつけます。顔が似ているUS-1A救難飛行艇(岐阜かかみがはら航空宇宙博物館)

子どもたちは振り回されている(夏休みの課題について)

2020年08月02日 16時33分31秒 | 日記・エッセイ・コラム
巷はコロナ禍でも、子どもたちにとって楽しい夏休みは無くしてはならないと思っている。夏休み=子どもらしさの開放時間 この事は、あとになってから、人間形成に非常に大切な経験として備蓄されることを、丁寧に子どもに伝えなくてはならない。
夏休みの短縮、学校プールの閉鎖など、これまでの学習時間の遅れを取り戻さなくてはならないことは充分に理解はできるのだが、つめ込みすぎを配慮してか、こんな話を子どもたちから耳にした。「夏の生活」(名古屋市教育委員会発行誌)を開いて。「図画工作はやらなくていいから、ページにバツを打って。ポスター課題は提出してもいいけど、成績にはのらないから、好きにしていい。」など、担任先生が言ったとのことです。事実、私も、ある子の図画工作のページに大きくバツ印が打ってあるのを見て、驚きと同時に悔しさ、なさけなさを強く感じました。本当に丁寧に子どもに説明したのだろうか、事務的にスルーするような先生でないことを願うばかりです。
ヒゲ先生が地球人だった頃(教室の子たちには私は宇宙人だと言いきかせている。ミッキーはミッキーであるように)小学生をやっていた時、新学期の始まりに学習移行要綱により、副読本が配られて、今日から教科書が二冊になると先生から言われ、これまでの教科書にバツ印を打った経験がある。さらにさかのぼって大東亜戦争敗戦後、占領国からの強制で民主主義教育の名のもと(同じように)教科書に墨で抹消させられた子どもたち。明るい未来のためにバツを打つ、コロナを乗り切るためにバツを打つ。でも、その代償はあまりにも大きすぎたのではないか。日本人の道徳観の抹消というと、大げさに思われるかもしれませんが、あえて言うなら、子どもらしさの抹消行為と言わざるを得ません。すべての教科はもちろんのこと大切です。もしも単元で省略(抹消)しやすいのが図画工作と考えているのなら大間違いです。大切な子どもらしさを抹消した代償は、もう取り戻すことが出来ないと考えるのは過激な思考でしょうか。
今、教室の木陰で蝉の声を聴きながら、あのころの夏休みを思い出しています。ふっと、夏休みの匂いがしてきました。いつまで続けなくてはいけないのかわかりませんが、マスクなして叫びたいです!「夏休みは子どものものだ!」
(岐阜かかみがはら航空宇宙博物館へスケッチいきました。途中、どしゃぶりの雨、YS-11の翼の下で雨宿り、プロペラがステキでしょ)


こんな時、ダ・ヴィンチさんは何をしてたのだろうか

2020年04月24日 12時49分36秒 | 日記
1452年4月15日イタリア・トスカーナにあるヴィンチ村で生まれたレオナルド。言わずと知れた絵画、造形、工学、建築、さらには音楽にその才能を発揮した天才。教室の子どもたちが持っている才能はレオナルドを超えてゆくと、期待を込めて教室の名前としました。そんなレオナルドの幼少期に絵を描くことをすすめたのがフランチェスコおじさんだった。村での生活の中で見るも触るもの、自然環境や現象をよく観察させ、興味を持たせたという。
「啐啄同時(そったつどうじ」 )」という禅語があります。雛鳥が生まれてこようとするとき、親鳥が卵の外からつついて殻を割ろうとすることを「啄」、雛鳥が内からつつくことを「啐」といいます。親も雛もどちらも、早くても遅くても命の危険があります。同じことが子どもの成長期にも言えます。
指導者の教えと子どもの自発が、時を一致させてこそ、良き方向へ導かれるもの。教える瞬間を少しでも逃してはいけない。教えが少しでも先であってもいけない。どんなに優れた話であっても、子どもの心に響かなくては何も残りません。間髪入れずに「打てば響く」タイミングが何よりも大切になります。
外出もままならないこんな時に、レオナルド・ダ・ヴィンチさんをリスペクトして「人が空を飛ぶ機械」を設計製作することにしました。このお話の続きはブログにアップしていきます。
「人が空を飛ぶ」と書きましたが、ダ・ヴィンチさんは「人力では空を飛ぶことはできない」とすぐに悟ります。ここがスゴイとこですね。諦めずに鳥の観察に戻ります。猛禽類(わし・たか)の観察から固定翼での滑空飛行であれば人は飛べると結論に達します。理想と実際を行き来して見つけ出す、この粘り強さがダ・ヴィンチさんなんですね。