AIに限らず図鑑や動画によって子どもたちは必要不必要に関わらず、半強制的に思考分野に投げ入れられた情報を疑いもなく、これを正しいものと錯誤している。これにより他人の作った情報や言葉を借りなければ、何事も表現できない思考の弱体化を多く見てきている。具体的には、昆虫や花を描き始めるも、すぐに手が止まり、充電切れのような情報切れをおこしてしまう。ライオンは横向きポーズで図鑑そのもの。花は真正面、葉はどれも同じ形。お決まりの描画の記号化が強く表れている。
自分の目で観察して(可能なら触って)、心でも感じ取り(感動や共感)、頭で分析(貪欲に)、手指脚を働かせなければ(情報収集だって待っているだけでは何も得られない)、自分らしい表現は広げられない。
以前、コラムにも掲載したものをあらためて。教室の西向きの大きな窓から見える夕焼け空。時間の経過とともにその何とも言えない不思議な色の変化に30年間四季折々に、何度も子どもたちに声をかけている。声をあげてそのスカイショー(古い言い方だな~)に見入る子。全く見ようともしない子(本人が選択した行動なので無理押しはしないが)。この差が感受性の発育に多大な影響を与えるのは言わずもがなである。夕焼け空の街並みはオレンジ色に染まる。これを理解するには年齢的に幅があるが、「見たことないから描けない」と答える子には空の色は空色、夜空は黒色以外に選択肢はないのでしよう。指導者として子どもの凝り固まった既成概念を破壊するには、それなりの覚悟が必要になってくる。
