
緑区に新しい道路が開通しました。自宅から教室へは少し近くになりました。
私のクルマには載っていませんが目的地をセットすれば、途中のトイレまでご親切に表示、事故渋滞も全く気にしないで、音声の通りにハンドルを切れば他の情報は関係なく、ナビゲーションしてくれる便利なシステムがあります。

テレビで見ました。韓国の小学校では黒板の代わりに大型モニターに映る問題を、テレビゲームのようににぎやかに解答する授業ナビゲーションシステムを多く使っているという。ビックリです。

私は若いころ、単独での登山が好きでした。自由気ままと引き換えに、自己責任が問われる困難に対して、逃げることができないことへの緊張感が好きだったのかもしれません。有名ではない3,000メートル級の山の中、避難小屋があるだけで誰ひとりとして出会わない道、その道も先がつながっているとは限らない。携帯電話などあるわけでもない、滑落したら誰も見つけてはくれないであろう、ある意味無謀なアタックでした。そんな中で頼ることができるのは朽ちかけた道しるべ。地図と照らし合わせて、自分の位置を確認できた時の安心は、泣けてくるほどです。もうそれだけで目的達成したも同然なのです。あとは道程を楽しめばいいのだから。

目的目標に向かうには、余計なものは何もいらない。有り余る情報に惑わされない。目的目標意識と最小限の確かな道しるべがあれば、足らないモノはイザという時、自分の五感が助けてくれるように人間の脳は働いてくれる。そのために子どもたちは日々経験を吸収しています。

教室ではカリキュラムごとに手本サンプルを用意しているが、子どもたちにそれを注視、固執させないようにしている。かと言って何もない状態で手が止まってしまっては、これも問題がある。そのバランスが毎回、考えさせられるポイントです。ほんとうに一人ひとり違いますから、スタートのタイミングを計って、一人ひとりにポン!と肩をたたいてそれぞれの登山道へ送り出しています。後は道しるべを頼りに頂上を見落とさずに声を掛け合っています。

4月からのカリキュラムで私は3枚の手本となる絵を描いて用意しました。この3枚はナビゲーションではありません。ましてや頂上でもありません。あくまでも地図です。しゃべってはくれない地図なのかもしれませんが、子どもたちはその地図(手本)から、自分のほしい情報を聞き出そうとするはずです。

安易なナビに頼りきりになるようなことのないようにさせてあげたいものです。
自分の道は自分で切り開け
(もう少し大きくなったら理解してくれるはずですので、今は大きな声で吠えることは控えています)

