最近は道端に絵を描く子どもたちを見かけなくなりました。私の時代は土の道なら古釘で、アスファルトなら滑石でオバケのQ太郎などを道幅いっぱいに描いたものです。近所の大人はそれをほめてくれたし、絵を踏まないようにフラフラと避けて歩いてくれました。雨が降るまで街角に残っているような嬉しいそんな思い出が、表現することの楽しさの私の原点になったのだと思います。
先日、あるところでスマートフォンに夢中になって指をコシコシしている生徒をみかけました。のぞきこんでみると指先で絵を描いています。「このアイテムを使えば色鉛筆調にもできるよ。ホラね」出来上がりはともかく、私はひとことほめてあげましたが。「それでその絵はどうするの?誰かと見せ合うの?」生徒の返事は案の定「べつに~。消去するだけじゃん」
ここで多くを考えさせられました。
「道具は表現を助けることができたとしても、表現することは決してない」
「他人に表現(作品)を見てもらうことは勇気がいる。でも恐れることはないよ。表現を理解できる人(他人)は良いところだけを見てくれるから」
「作品は完成させたら終わり?それは社会生活の都合で区切っているだけのこと。仮の完成後にすることがあるんだよ。まずは充実感を喜びましょう。つぎに向上心を発芽させましょう。そうすると本当の完成となって、目の前の困難を乗り越えるチカラになるから」
今回の課題「タマゴ」 みんなひとりひとり感じ取ったものは異なるのかもしれませんが、私は信じたいのです。オバケのQ太郎は助けてくれているのだということを。