それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「新年の挨拶のあり方を定義する訴え」なのだ。

2021-01-23 18:29:53 | Weblog
 収まらない新型コロナウイルスの影響で、政府がまた緊急事態宣言を出したけど、出しても出さなくても文句をつけられるのだから難儀なモノです。また、これに関して「活動制限するなら金銭的保証を伴え!」って声も少なくない。政府も色々考えて考えて考え抜いた結果、国民のためを想っての行動をしているのだろうから、文句をつけてばかりなのはどうなのかと思ってしまう・・・と同時に、もう一個宣言を、いや制限、いや禁止命令を発布してもらいたいと思うのだ。それは、『新年の挨拶の「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。」は1月14日まで!以降、年内は基本禁止』という法律だ。
 公的な時でも私的な時でも、1月中旬を過ぎてから、なんなら2月3月過ぎたって、今年会うのが初めてだからと新年の挨拶をするのって、筆者は正直気が重い。気恥ずかしい。ってか、バカバカしいと思う。私的な場だと、相手は100%ニヤけながらボケ気分で発してきて、それに付き合わされるわけで、いやーウザい。ただただ苛つく。これから取引だか遊びが始まるってのに、なんでイヤな気持ちから始まらなきゃいけないのか。こんな気持ちになっているのは、絶対筆者だけじゃないはずだ。大勢の日本人がそう思っているはずだ。
 新年の挨拶をされてしまったら、きちんと返さないわけにはいかない。でも本当はしたくない。例えばこれをなくすためには、事前に相手一人一人に止めてと言っておかねばならなく、それの徹底は到底困難だ。で、こう思っている人が相当沢山いる。でも、慣習でなくせない。となると、政府の出番だよね。時代に合わせて古い余計な慣習を改めていく、それはお上が一言宣言すれば済むのだ。もちろん、政府にかみつきたいだけの人や、慣習にとらわれた人達は文句を言うだろう。でも、そういうのに耐えるのも政府の勤めなので、諦めて下さい。別に相手する必要はありません。無視すれば良いのです。
 これを来年から施行してもらうために、腰の重い政府をきちんと動かすために、ものすごく沢山の世の中の声を集めなければならないだろうから、その活動のために今日から寝ている暇なんてないのだ。
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