私は心をものだと思っていた。
ここでいうものというのは、objectという意味でのものである。
objectであるから、操作可能だと思っていた。
が、心はものではなかった。
ものであるから、自由自在に操作可能であると思い、私は自分の心を支配しようと思っていた。
が、そうはいかなかった。
心は心で、それ自体が生き物である。
意識の力で操作できるものではない。
我が心でさえ、そうである。
まして人の心など操作できるわけがないのだ。
もう一度いう。
心は意識。
すなわち目覚めた心で操作可能なものではない。
生半可な心理学で人の心を左右しようとするのは傲慢である。
私はその生半可な心理学で、人の心を左右しようとする人たちと人間関係を持っていた。
科学である心理学でさえ、人の心は操作できないのであるから、ましてや怪しげなおまじないで、人の心など操作できるわけがない。
そう観念したικμτであった。