今まで俺は逆立ちしていた。
実は自我こそが、エスの召使いなんだ。
そして自我が、エスの要求が、その時代のエトスに合っているかどうか判断して、あることをやるかやらないか決めるべきなんだ。
別段ικμτは、反社会的なことや反道徳的なことをしたいわけではない。
むしろ、社会的に有用なことをなそうとしていたし、道徳的なことをなそうとしていた。
だとしたら、ικμτのエスと自我の葛藤は何だったんだろう?
そこに、人生の経験によって得られた超自我ではなく、エスの要求を何でも却下する、鬼のような、超自我もどきがいて、それとエスが葛藤していたんだ。
そう、
ここで私が言いたかったのは、
自我はエスの召使いであり、
私の超自我は、私の人生の経験によって得た超自我なのか、それとも、周りにいい顔をしたい、超自我もどきなのか?
ということである。
この二つの文章を書いたら、なんかすーっとした。
心が楽になった。
やっぱり逆立ちは疲れます。
以上、ικμτ。