私が本当に欲しかったものは、私が私らしさを捨てれば、容易く手に入ったものなのだろうなあ。
だが、悪意を持って人と接しているわけでもなく、犯罪を犯しているわけでもないのに、私が私であることをやめて、なんのメリットがあるのだろう?
実際問題、私は欲しいものを手に入れようとして、偽りの適応をしたが、欲しいものが手に入るどころか、さらに加速して人に嫌われるようになり、生きづらさもピークに達して、とうとうメンタルを病んでしまった。
いや、本当に病んでいるのかどうかすら、私にはわからない。
だからこそ、イエスも自分を裏切ろうとしているユダに「あなたのしたいことをしなさい」と言った訳だし、異論はあるだろうがイエス自身生きたいように生きたはずだ。
いま、私はその反省から、自分の生きたいように生きている。
そこにはなんの葛藤もないし、生きづらさもない。
なぜなら私のうちなら道徳律は峻厳極まりないものであるから、それに反さない限り、葛藤を持たないのが当たり前だからだ。
やはり私は私の道行きを歩もう。
それが一番だ。