クラヴィコード徒然草ーLife with Clavichord

チェンバロ、クラヴィコード製作家 高橋靖志のブログ
製作にまつわるあれこれや猫との暮らし、趣味のオーディオについて

オリジナルとコピー

2016-06-18 11:30:44 | 日記
オリジナル楽器とは?コピー楽器とは?いろいろな考え方があるので一概に答えることは難しい問題だが,16日のコンサートは普段あまり意識しないこのテーマを改めて考えるきっかけになった.
私がコピー楽器を作り始めたのは比較的最近のことで,それまではむしろown designにこだわっていた.きっかけは今回の演奏会で紹介したショートオクターブのイタリアンクラヴィコード.過去のブログでも紹介しているが,ベルギーのクラヴィコード製作家ジャン・トゥルネイさんに頂いた図面を元にしたC/E-c3,45キー,長さが1mちょっとという簡素で小さな楽器.オリジナルはベルギーの博物館にあるが展示はされていない.2013年に訪ねた時に見せて欲しいとお願いしたが,鍵盤楽器の担当者が不在とのことで,残念ながらその時は見ることができなかった.トゥルネイさんから送っていただいた写真では,現在は弦は張られていないので音を聴くことはできない.しかもタンジェントの先に皮を巻いてあるので,さらにオリジナルの音はどうだったのだろうと想像力をかきたてる.
オリジナルの音に惚れ込んで作るというのがコピー楽器製作の大きな動機と思うが,音を聴くことができる保存状態の楽器は多くはないだろう.たまたまコンディションが良くてしかも楽器として大きな魅力のある楽器がこれまで数多くコピーされて来た.けれども音を聴くことができなくても興味深いオリジナル楽器というものも当然あるわけで,そうすると聴いたことのない楽器の音を再現するという摩訶不思議な行為におよぶ.16日のコンサートでのトークで,想像力と言ったのはこの辺りの事情が念頭にあった.
楽器製作者は音そのものを作るのではなく,音を作るのは演奏者の役割.製作者は素材としての木を楽器という形にして形のない音との間に入る存在.形をあるものと形のないものとの境界は果てしなく広くて深いので,そこで呻吟するのが仕事ということだろう.図面を描き起こしている間にも,先人たちと対話しながらその意図を探り当てようとする.その中から少しずつ音のイメージが浮かんでくるのかと問われると,確かにそうだとも言えない.けれども一種の発酵のような時間の経過があるのは確か.言い訳に聞こえるかもしれないが,その過程が早く進むのかゆっくりなのかは自然の流れにまかせるしかない.そういう意味でまさに発酵なのだと思う.今回のコンサートの前後にも楽器製作者たちの数々の「奇行」の話を耳にしたが,それもむべなるかな,工業製品のようにホイホイと作る訳にはいかず,発酵の時間と向き合う中でつい逃げてしまう弱さも,人間としては当然のことなのだと思う.
今回のコンサートでオリジナルSchmahlの隣に並べて置いていただくという栄誉に与ったイタリアンクラヴィコードは,幸いなことに自分の存在をちゃんと主張してくれた.200年以上の時を刻んだ楽器と並ぶと,作って3年の楽器は当然ながらまだ出来たてホヤホヤ.けれども同じく時を刻んだ建物の中にあると,連綿と続く楽器の歴史の新入りとして「初めまして」と挨拶させてもらったような感覚があって,それがなんだか嬉しかった.

オリジナルクラヴィコードのコンサート

2016-06-18 10:29:15 | 日記
一昨日,池袋の明日館でこんなコンサートがありました.

有田正広 レクチャーコンサート
オリジナル・クラヴィコードとオリジナル・フルートを巡る
名手・有田正広がオリジナル楽器の魅力と謎を演奏と共に解き明かす
http://www.h3.dion.ne.jp/~bergheil/clavichord/original/2016.html

このコンサートで使うオリジナルクラヴィコードの調整を今年の3月から数回にわたってさせていただき,その過程で無銘の楽器の作者を特定するというエキサイティングな経験をすることができたのですが,これはまた別の機会に紹介したいと思います.

コンサートですが,前半の8本のオリジナルフルートでの有田さんは鬼気迫るかのような演奏で,まさに時空を超えた一期一会の音楽でした.後で伺ったところでは,1回の演奏会でオリジナルフルートを何本も吹き分けるのは初めてだったそうです.その後「オリジナル楽器とは?」というテーマで有田さんと短いトークをしてから,コピー楽器の例として私の楽器を少し音を出してみるという大役を仰せつかっていたので緊張しました^^;
トークでは有田さんのが若い頃に初めて作ったコピーフルートとオリジナルフルートとを吹き比べて,ご自分で楽器を作るに至った思いを話されました.それは一言でいうと素晴らしいオリジナルフルートの秘密を解き明かしたいということだったと思います.それを受けて私は,コピー楽器の製作はオリジナルの製作者との対話だと思うこと,コピーといっても楽器の変形もありどうしても製作者の解釈が入るので想像力が必要,というようなことを話した気がします^^; 自分の楽器ではフレスコバルディのCento Partiteを少しだけ弾くつもりでしたが,ほんの数小節で止めました^^; 終演後に何人かの方からもっと聴きたかったと言っていただいたのはとてもうれしかったのですが,あの場面ではあれが限界でした...
後半のオリジナルSchmahlでの有田さんのクラヴィコード演奏は,クラヴィコードへの思いのこもった暖かいものでした.1790年から94年の間に作られたと推定される楽器の方もなんとかその思いに応えようとがんばっていたように思えて,コンサートが無事終わった時はホッとしました.


主催の梅岡俊彦さんのブログはこちら