港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『11月26日』

2019-11-25 17:53:15 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フランシスコ・カナロ Francisco Canaro (1888.11.26~1961.12.14)



アルゼンチン・タンゴ界最大の巨匠で「タンゴの王様」と称されたヴァイオリニスト、作曲家、楽団指揮者です。
貧しいイタリア人移民の両親の10人兄弟の次男坊としてウルグアイのサン・ホセ・デマジョで生まれました。助産師がその髪の
形を見て「ピリンチョ (ククリ科の鳥の一種) のように見える!」と叫んだので、それ以来ピリンチョの愛称で呼ばれました。
10才の頃アルゼンチンのブエノスアイレスに移住し、勤めていた工場の油缶を加工したヴァイオリンを作って独学で奏法を習得し
1906年にタンゴ界入りました。ビセンテ・グレコなどのオルケスタに籍を置いたのち、弱冠二十歳になったばかりの1908年に
処女作のカナロ兄弟の強い絆を意味する『ラ・バーラ・フェルテ』を作曲して注目を集め、以後もオルケスタを率いる一方で
数多くの曲を作り、1910年代半ばにオデオンと終身専属契約を結び、タンゴ黄金期を支えた五大楽団の一つと呼ばれ、1924年には
第一回タンゴ・コンクールに自作の "Sentimiento Gaucho" (ガウチョの嘆き)で優勝を果たしました。
1925年にはパリ公演を実施、この成功によりアルゼンチン・タンゴはヨーロッパはもとより世界に認識される音楽となりました。
その後も数他の海外公演を繰り返し、1932年以降は音楽劇や映画の製作など精力的に活動の幅を広げ、また、1937年には通常の
オルケスタと併行してドン・パンチョ五重奏団(のちのキンテート・ピリンチョ)を組織して古典曲を古典風に演奏するスタイルで
さらなる人気を集め、タンゴ黄金期を支える大黒柱となりました。
簡単明瞭で親しみやすい踊れるタンゴを重きにおいて、自称ではありますが約700曲を作曲、録音の総数は7000曲にのぼり
まさに「生きるタンゴ史」と言われ、「タンゴの王様」にふさわしい活動を続けました。
1961年には日本公演も行なったのですが、残念ながらその三年後に輝ける生涯を閉じてしまいました。しかし、カナロ楽団は
オスカル・バシル、ホルヘ・ドラゴーネによって順次引き継がれて現在でも演奏活動を続けています。

【主要作曲作品】
『ラ・バーラ・フェルテ』(強い仲間) La Barra Fuerte 1908年 視聴
『エル・アラクラン』 (サソリ) El alacran 視聴
『エル・インテルナード』(インターン医学生) El internado 1914年 視聴
『エル・ポジート』(ひよこ) El Pollito 1915年 視聴
『ラ・タブラーダ』La tablada 1915年 視聴
『ガウチョの嘆き』Sentimiento Gaucho 1924年【YOUTUBEより】

『最後の盃』La ultima copa 1925年 視聴
『アラバレーラ』(下町娘) Arrabalera 視聴
『黄金の心』Corazon De Oro 1928年【YOUTUBEより】

『マドレセルヴァ』(すいかづら) Madreselva 1938年 視聴
『ブエノスアイレスのミロンガ』La milonga de Buenos Aires 視聴
『さらば草原よ』 Adios Pampa Mia 1945年 (マリアノ・モレスとの合作)【YOUTUBEより】


【主要演奏曲】
『デレーチョ・ヴィエホ』 Derecho Viejo 視聴
『デ・ミ・バリオ』(私の街では) De Mi Barrio 視聴
『酒宴の一夜』 Una Noche De Garufal 視聴
『ホテル・ビクトリア』Gran Hotel Victoria 視聴
『アディオス・アルヘンティーナ』 Adiós Argentina【YOUTUBEより】

『インスピラシオン』Inspiracion 視聴
『ある恋の物語』 Historia De Un Amor 視聴
『ラ・モローチャ』La morocha 視聴
『エル・ジョロン』(泣き虫) El Lloron【YOUTUBEより】

『ジーラ・ジーラ』Yira Yira 視聴
『ソーロ・グリス』Zorro Gris 視聴
『ロドリゲス・ペーニャ』Rodriguez Peña 視聴
『バンドネオンの嘆き』Quejas de Bandoneon 視聴
『ミロンガが泣くとき』Cuando Llora la Milonga 視聴
『パリのカナロ』Canaro En Paris【YOUTUBEより】

『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita 視聴
『ポエマ』Poema 視聴
『カミニート』Caminito 視聴
『エル・チョクロ』El Choclo 視聴
『アディオス・ムチャーチョス』Adios Muchachos 視聴
『ミロンギータ』Milonguita 視聴
『七月九日』9 de julio 視聴
『街角』El Esquinazo【YOUTUBEより】

『ラ・プニャラーダ』La puñalada 視聴
『黄昏のオルガニート』Organito De La Tarde 視聴
『大きな人形』A La Gran Muñeca 視聴
『エル・オンセ』El Once 視聴
『ア・メディア・ルス』A Media Luz 視聴
『エクスポジション酒場』Bar Exposicion 視聴
『フェリシア』 Felicia (演奏=キンテート・ピリンチョ)【YOUTUBEより】


(こうして並べてみますと、まさに「生きるタンゴ史」そのものですね)


【ご命日】

★マルセル・レルビエ Marcel L'Herbier (1888.4.23~1979.11.26)



サイレント時代に美術的過ぎるフォトジェニー映像で映画芸術を極めたフランスの映画監督。
主な監督作品として『海の人』『エル・ドラドオ』『人でなしの女』『生けるパスカル』などがある。


★トミー・ドーシー Tommy Dorsey (1905.11.19~1956.11.26)



トロンボーンとトランペットの奏者で、世界的なビッグ・バンド「トミー・ドーシー楽団」のリーダー。
主な演奏曲として『明るい表通りで』『スターダスト』『二人でお茶をチャチャ』などがある。




『11月25日』

2019-11-24 16:48:44 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ロザンナ・スキャフィーノ Rosanna Schiaffino (1939.11.25~2009.10.17)



美人コンテストで優勝するなど神秘的な美貌とプロポーションで人気を集めたイタリアの女優です。
ジェノヴァの裕福な家庭に生まれ、幼い頃から女優を志し演劇学校ピッコロ・テアトルに入って演技を学びました。1955年に
写真雑誌のモデルとなり、さらにミス・ジェノヴァ、ミス・サンレモなどの美人コンテストで優勝し、女神を思わせる神秘的な
容姿で人気を集めました。その後ローマに移りモデルをしていたときにコメディ映画 "Totò lascia o raddoppia?" (一か八か)の
端役として映画デビューし、以後活劇・史劇など幅広いジャンルで国際的にも活躍を続けました。
イタリア国内では高い人気を保ち映画出演も40本を超えていますが、日本ではそれほど話題にものぼらず、殆どがB級作品で
1963年の『堕落』による一時的な輝きにとどまりました。

【主要出演作品】
1957年『大進軍』Orlando ei Paladini di Francia
1958年『挑戦』La Sfida

1959年『狂った夜』La Notte Brava

1960年『勇者テシアス』Teseo contro il Minotauro
1960年『サビーヌの掠奪』IL Ratto delle Sabine
1962年『明日になれば他人』2 Weeks in another Town

1962年『悪い女』Le crime ne paie Pas
1963年『堕落』La Corruzione

1963年『勝利者』The Victors

1964年『長い船団』The Long Ships

1967年『残虐の掟』L'Avventuriero


【ご命日】

★カレル・ライス Karel Reisz (1926.7.21~2002.11.25)



「怒れる若者たち」文学に誘発されてフリーシネマ運動の旗頭となったイギリスの映画監督、製作者。
主な監督作品として『ママは許さない』『土曜の夜と日曜の朝』『裸足のイサドラ』などがある。


★ジェラール・フィリップ Gérard Philipe (1922.12.04~1959.11.25)



数多くの名作に出演し、大戦後から1960年にかけてのフランス映画を代表的する二枚目俳優。
主な出演作品として『肉体の悪魔』『悪魔の美しさ』『夜ごとの美女』『花咲ける騎士道』『狂熱の孤独』などがある。


★ローレンス・ハーヴェイ Laurence Harvey (1928.10.01~1973.11.25)



端正な二枚目で知的な魅力を備えて国際的に活躍したイギリス国籍の俳優。
主な出演作品として『ロミオとジュリエット』『年上の女』『バタフィールド8』『肉体のすきま風』などがある。


『11月24日』

2019-11-23 17:37:20 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フランシスコ・ロムート Francisco Lomuto  (1893.11.24~1950.12.23) 註・1893年4月14日誕生説あり



五大楽団のひとつとしてアルゼンチン・タンゴの黄金期を支えたピアニスト、作曲家、そして楽団指揮者です。
音楽教師の子息としてブエノスアイレスの パルケパトリシオ地区で生まれました。子供の頃からピアノを習い、サンタ・セシリア
音楽院に通い、タンゴやジャズのピアニストとして活躍を始めました。1911年には『606』を作曲し、1914年には出世作となる
『ラ・レソンゴナ』で作曲家として注目を集めました。ロムート=ケサーダのオルケスタを作った後、一時ロベルト・フィルポの
楽団で編曲の仕事にも携わりました。1923年には独自のフランシスコ・ロムート楽団を設立してオデオンの専属となり、タンゴ
黄金期においてオデオン五大楽団のひとつとして人気を集めました。1930年代になってヴィクトルに移籍し、この頃からモダンな
ハーモニーとリズム・アクセントを取り入れ、小味のきいた新感覚のスタイルでタンゴ黄金時代を支えました。
(参考・オデオン五大楽団=フィルポ、カナロ、ミゲル・カロ、ロムート、フレセド)

【主要演奏曲】
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita【YOUTUBEより】

『魅せられし心』Lo Han Visto Con Otra 視聴
『ムチャチータ・デル・カンポ』Muchachita del campo 視聴
『ノスタルヒアス』Nostalgias【YOUTUBEより】

『今ひとたびの』Quiero verte una vez mas 視聴
『カミニート』Caminito 視聴
『ソーロ・グリス』Zorro gris【YOUTUBEより】

『君を待つ間』Fumando Espero 視聴
『マノ・ア・マノ』Mano a mano 視聴
『ミロンガが泣くとき』Cuando Llora La Milonga【YOUTUBEより】 

『ガウチョの嘆き』Sentimiento gaucho 視聴


☆リベルタ・ラマルケ Libertad Lamarque  (1908.11.24~2000.12.12)


 
「タンゴの女王」と呼ばれ絶大な人気を誇ったアルゼンチンの歌手・女優です。
ロサリオで生まれ、愛らしい容貌により7歳の頃から子役として映画などに出演していました。17歳の時に歌手としてデビューし、
1926年にはヴィクト・レコードの専属となり、1935年のテアトロ・コロンのコンクールで優勝して「タンゴの女王」の称号を
授けられてその名を不動のものにしました。
また、一方で女優としても活躍していましたが、映画の撮影に遅刻してきた新人女優のエヴァ・ドゥアルテを叱ったことで彼女
との確執が生じ、そのエヴァ(通称エヴィータ)が後にフアン・ペロン大統領と結婚してリベルタをアルゼンチンの芸能界から追放
するよう影響力を行使したことでメキシコに移ることを余儀なくされました。
その後はメキシコで歌手兼女優として活躍し、ペロン大統領の失脚を期に1955年にアルゼンチンに戻り、ファン・ダリエンソと
共演するなどで復活しましたが、フロリダやメキシコに滞在し、最後はメキシコ市で人生を終えています。

【主要歌唱曲】
『ガウチョの嘆き』Sentimiento Gaucho【YOUTUBEより】

『マドレセルバ』 Madreselva 視聴
『今ひとたびの』Quiero verte una vez mas 視聴
『ラ・モローチャ』 La Morocha 視聴
『ノスタルヒアス』Nostalgias 視聴
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita 視聴
『カミニート』Caminito【YOUTUBEより】

『さらば草原よ』Adiós pampa mía 視聴
『ア・メディア・ルス』A Media Luz 視聴
『アディオス・ムチャーチョス』Adios Muchachos 視聴
『エル・チョクロ』El Choclo【YOUTUBEより】



☆ソフィー・ドーミェ Sophie Daumier  (1934.11.24~2004.1.01)



1960年代のフランス映画界に現れたダンサー出身の一瞬輝いた新星です。
父親は作曲家ジョルジュ・フゴンで母親は声楽家という音楽一家にブローニュ・シュル・メールに生まれました。12歳の頃から
演技を学び、やがてシャトレ座のダンサーとなって16歳の時にカンカン・バレエ団で海外ツアーにも参加しました。しかし舞台
女優への夢を諦めず17歳の時にサラ・ベルナール座で初舞台を踏みました。その後TVなどに出演していましたが1955年頃から
端役や傍役として映画にも出演するようになりました。1964年にジャン・ポール・ベルモンドと競演した『ある晴れた朝突然に』で
新進スターとして脚光を浴びたのですが、1965年に俳優兼プロデューサーのギー・ブドスと結婚して映画出演は少なくなってしまい
日本では殆ど見かけなくなってしまいました。

【主要出演作品】
1961年『ミス・アメリカ パリを駆ける』La Belle Americaine
1964年『ある晴れた朝突然に』Par un Beau Matin Dete【YOUTUBEより】

1966年『さいはての用心棒』Fort Yuma Gold


『11月23日』

2019-11-22 16:36:04 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ペレス・プラード Perez Prado (1918.11.23~1989.9.14)   註・生誕日は諸説あって定かではありません



マンボ・ブームを巻き起こし「マンボの王様」の異名をとったキューバ出身の作曲家、楽団指揮者です。
キューバ中西部のマタンザスに生まれ、幼少時からクラシックピアノを学んだ後にポピュラーに転向、ルンバにジャズを取入れて
考案した新しいリズムのマンボを積極的に演奏しましたがキューバ国内では不発に終わりました。1948年にメキシコに移住して
自らのバンドを結成し、1949年にはマンボ第一作『エル・マンボ』を発表して注目を集め、さらに海外での活動を開始しました。
やがてマンボは一大ブームとなり、1955年の『セレソローサ』は10週連続全米第1位を記録、1958年にはマンボとロックを融合
させて考案された新しいサウンド「ロカンボ」による『パトリシア』も全米第1位になるなどのヒット・メーカーになりました。
1960年にはローズマリー・クルーニーとのコラボでラテンの名曲をリリースするなど世界的な活躍で大成功を収めました。
わが国でも『エル・マンボ』はS盤アワーのオープニング・テーマとなり、ラジオ関西の音楽番組【電話リクエスト】においては
『闘牛士のマンボ』が定盤曲となるなどで大いに人気を集め、来日したステージでも指揮そっちのけで舞台を右往左往しながら
「アーッ、ウーッ」の掛け声でファンを魅了しました。
1989年にメキシコシティの自宅で帰らぬ人となりましたが、ペレス・プラード楽団は二代目、三代目と引き継がれ、現在でも
世界ツアーをするなど活動を続けています。

【主要演奏曲】(一部リリースした年代が不明です)
『エル・マンボ』 El Mambo 1949年【YOUTUBEより】

『マンボ・No.5』 Mambo No.5 1950年  視聴
『マンボ・No.8』 Mambo No.8 1950年  視聴
『花火』Fireworks 1950年  視聴
『セレソ・ローサ』 Cerezo Rosa 1955年【YOUTUBEより】

『ある恋の物語』 Historia De Un Amor 1956年  視聴
『闘牛士のマンボ』 La Macarena 1956年【YOUTUBEより】

『タブー』 Taboo 1957年  視聴
『パトリシア』 Patrici 1958年【YOUTUBEより】

『キェン・セラ』 Quien Sera 1960年  視聴
『ククルクク・パロマ』 Cucurucucu Paloma 1960年  視聴
『メロンの気持ち』 Corazón de Melón 1960年  視聴
『カプリ島』 Isle of Capri  視聴
『ピーナッツ・ベンダー』 Peanut Vendor  視聴
『グリーン・アイズ』Green Eyes  視聴
『ジプシーの嘆き』Gypsy Lament【YOUTUBEより】

『ソラメンテ・ウナ・ヴェス』Solamente Una Vez  視聴 
『フレネシー』Frenesi  視聴
『キサス・キサス』Quizás Quizás  視聴
『シボネー』Siboney  視聴
『ティコ・ティコ』Tico-Tico  視聴
『パーフィディア』Perfidia  視聴


☆ジョニー・マンデル Johnny Mandel  (1925.11.23~ )



映画主題歌『いそしぎ』のヒットで一躍脚光を浴びたアメリカのトロンボーン奏者・映画音楽家・編曲家です。
ニューヨーク市に生まれ、5歳の頃からピアノのレッスンを受けた後にトランペットやトロンボーンに切り替え、マンハッタン
音楽院及びジュリアード音楽院を経てジャズ・ミュージシャンとして活動を始めました。1944年にはジミー・ドーシー楽団で、
1953年にはカウント・ベイシー楽団でトロンボーン演奏をする傍ら編曲にも携わりました。1958年の映画『私は死にたくない』で
映画音楽家として再出発したもののなかなか芽が出ませんでしたが、1965年の『いそしぎ』の主題歌 "The Shadow of Your Smile" が
大ヒットして一躍脚光を浴びました。その後は大ヒットこそありませんが『M★A★S★H』などで安定した作曲家として活動を
続けました。

【主要映画音楽作品】
1958年『私は死にたくない』I Want To Live!
1965年『いそしぎ』The Sandpiper

1966年『アメリカ上陸作戦』The Russians Are Coming
1966年『動く標的』The Moving Target
1967年『殺しの分け前/ポイント・ブランク』Point Blank
1968年『かわいい毒草』Pretty Poison
1970年『M★A★S★H/マッシュ』Mash


【ご命日】

★ルイ・マル Louis Malle (1932.10.30~1995.11.23)



派閥に属することなくヌーヴェルヴァーグ理論を先駆けて実践したフランスの映画監督。
主な監督作品として『死刑台のエレベーター』『恋人たち』『私生活』『鬼火』『ビバ!マリア』などがある。

『11月22日』

2019-11-21 22:22:23 | 明日は誰の日

【ご命日】

★マランド Malando (1908.5.26~1980.11.22)



オランダのアコーデオン奏者でコンチネンタル・タンゴのマランド楽団の指揮者。
主な演奏曲として『オレグァッパ』『碧空』『奥様お手をどうぞ』『小雨降る経』『マドンナの宝石』などがある。


★ジョルジュ・ロートネル Georges Lautner (1926.1.24~2013.11.22)



女優ルネ・サン・シールの息子としてコミカルな作品を手がけたフランスの映画監督。
主な監督作品として『恋するガリア』『太陽のサレーヌ』『パリ大捜査網』などがある。


★クリスチャン・マルカン Christian Marquand (1927.3.15~2000.11.22)



知性と野生的な魅力を備えた新しいタイプの二枚目として広くヨーロッパ映画で活躍したフランスの俳優。
主な出演作品として『素直な悪女』『大運河』『墓にツバをかけろ』『十七歳よさようなら』などがある。


★マリア・カザレス Maria Casares (1922.11.21~1996.11.22)



スペイン出身で映画『オルフェ』などにも出演して重厚な演技を見せてくれたフランスの演劇界を代表する舞台女優。
主な映画出演作品として『天井桟敷の人々』『ブローニュの森の貴婦人たち』『オルフェ』『オルフェの遺言』などがある。