港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『11月8日』

2019-11-07 17:36:56 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆パティ・ペイジ Patti Page  (1927.11.08~2013.1.01)



『テネシー・ワルツ』のヒットによりワルツの女王と称された1950年代を代表する女性歌手。
オクラホマ州マクレアモーの貧しい大家族の家庭に生まれました。タルサの町で育ち、唄うのが好きで教会の聖歌隊などを経て
週末にはアート・クラウザーのバンドで唄っていたところ、18歳の時に芸名の由来となるペイジ・ミルク社がスポンサーをしている
オクラホマのラジオ番組に出演するようになりました。そんな時にジミー・ジョーイ楽団のマネージャー兼サックス奏者であった
ジャック・ラエルに認められてマーキュリー・レコードと契約し、1948年には『コンフェス』『ソー・イン・ラヴ』などがヒット
して人気歌手の階段を昇り始めました。1950年には『オール・マイ・ラヴ』で全米1位に輝くと、同年の『テネシー・ワルツ』が
13週間にわたってベスト・ワンを独走する爆発的なメガ・ヒットとなり不動の女王の地位を確立しました。
その後も一連のワルツ・ソングでヒットを飛ばし、一時の低迷期を乗り越えて、1965年の映画『ふるえて眠れ』の主題歌で復活し
一流歌手を維持して積極的にツアーを続けていましたが、2012年に健康上の理由から引退を発表しました。

【主要歌唱曲】
1948年『コンフェス』 Confess 視聴
1948年『ソー・イン・ラヴ』 So In Love 視聴
1950年『オール・マイ・ラヴ』 All My Love 全米1位 視聴
1950年『テネシー・ワルツ』 Tennessee Waltz 全米1位【YOUTUBEより】

1951年『モッキン・バード・ヒル』 Mockingbird Hill 全米3位 視聴
1952年『涙のワルツ』 I Went To Your Wedding 全米1位【YOUTUBEより】

1953年『ワン・ワン・ワルツ』That Doggie In The Window 全米1位 視聴
1954年『チェンジング・パートナーズ』Changing Partners  全米4位【YOUTUBEより】

1954年『ママ人形の唄』The Mama Doll Song 視聴
1955年『嘘は罪』It's a Sin to Tell a Lie【YOUTUBEより】

1962年『お嫁に行きたい』Most People Got Married 視聴
1962年『ムーン・リヴァー』Moon River 視聴
1964年『この世は果てても』The End Of The World 視聴
1965年『ふるえて眠れ』Hush. Hush. Sweet Charlotte 全米8位【YOUTUBEより】


時期不明ですが下のレコーディングもありました。
『セプテンバー・ソング』September Song 視聴
『恋人よ我に帰れ』Lover Come Back To Me 視聴
『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』Fly Me To The Moon 視聴 


☆アラン・ドロン Alain Delon (1935.11.08~ )



1960年代にジャン・ポール・ベルモンドと人気を二分した問題の多いフランスの二枚目映画俳優です。
パリ郊外のオー-ド-セーヌ県ソーで生まれました。4歳のときに両親が離婚し、里親によって寄宿学校に送られました。しかし、
手に負えない振る舞いや女生徒とたびたび問題を起こし、いくつかの寄宿学校を転々とし、感化院や鉄格子をも経験する問題児
あったようです。14歳で学校を追放され。職業を転々とした後に、17歳の時にフランス海軍に入隊して第一次インドシナ戦争で
海兵隊となったものの、4年間の兵役のうち11か月を軍の刑務所で過ごしたといわれています。
1956年に軍隊から解任されフランスに戻り、女優のブリジット・オーベルと友達になってカンヌ映画祭を見学していたときに
イヴ・アレグレ監督に認められて "Quand la femme s'enmêle" で端役として映画デビューを果たしました。
1958年には当時西ドイツで人気絶頂だったロミー・シュナイダーと『恋ひとすじに』で共演してやがて婚約を発表しました。
翌年には『お嬢さんお手やわらかに』で甘い二枚目俳優としてフランスでも人気を集め、1960年のルネ・クレマン監督による
『太陽がいっぱい』で一躍トップスターの仲間入りを果たしました。また、ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』『山猫』、
アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』などのイタリア映画の名作に出演してさらに名声を高めましたが、1964年には
アメリカ制覇の野望に燃えてハリウッドに渡ったもののB級作品に終始して傷心のまま帰国、フランスでも良質の作品に恵まれる
こともなくなりました。1968年にはフランスの政界を巻き込む一大スキャンダルとなったマルコビッチ事件で殺人教唆容疑で
逮捕されて俳優生命の危機に陥りましたが、強運にも事件未解決のまま無罪放免となり俳優活動を続けることができました。
二枚目の人気スターでしたが、マフィアとの親交、マルコビッチ事件など、何かと問題の多い俳優でした。

【主要出演作品】
1957年『黙って抱いて』Sois belle et tais-toi
1958年『恋ひとすじに』Christine
1959年『お嬢さん、お手やわらかに』Faibles Femmes
1959年『学生たちの道』Le Chemin des écoliers
1960年『太陽がいっぱい』Plein soleil【YOUTUBEより】

1960年『若者のすべて』Rocco e i suoi fratelli

1961年『生きる歓び』Che gioia vivere

1961年『素晴らしき恋人たち』Amours célèbres
1962年『太陽はひとりぼっち』L'Eclisse

1962年『フランス式十戒』Le Diable et les dix commandements
1963年『地下室のメロディー』Mélodie en sous-sol

1963年『山猫』Il Gattopardo

1964年『黒いチューリップ』La Tulipe noire
1964年『危険がいっぱい』Les Félins
1964年『黄色いロールス・ロイス』The Yellow Rolls-Royce
1965年『泥棒を消せ』Once a Thief
1966年『名誉と栄光のためでなく』Lost Command
1966年『パリは燃えているか』Paris brûle-t-il?
1966年『テキサス』Texas Across the River
1967年『冒険者たち』Les Aventuriers

1967年『サムライ』Le Samouraï
1967年『悪魔のようなあなた』Diaboliquement vôtre
1968年『世にも怪奇な物語』Histoires Extraordinaires
1968年『あの胸にもういちど』La Motocyclette
1968年『さらば友よ』Adieu l'ami
1968年『太陽が知っている』La Piscine
1969年『ジェフ』Jeff
1969年『シシリアン』Le Clan des Siciliens
1970年『ボルサリーノ』Borsalino
1970年『仁義』Le Cercle rouge


【ご命日】

★ジャン・マレー Jean Marais (1913.12.11~1998.11.08)



ジャン・コクトーの肩入れにより1940年代のフランスを代表した人気映画俳優。
主な出演作品として『悲恋』『美女と野獣』『双頭の鷲』『恐るべき親達』『オルフェ』などがある。