港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『11月24日』

2019-11-23 17:37:20 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フランシスコ・ロムート Francisco Lomuto  (1893.11.24~1950.12.23) 註・1893年4月14日誕生説あり



五大楽団のひとつとしてアルゼンチン・タンゴの黄金期を支えたピアニスト、作曲家、そして楽団指揮者です。
音楽教師の子息としてブエノスアイレスの パルケパトリシオ地区で生まれました。子供の頃からピアノを習い、サンタ・セシリア
音楽院に通い、タンゴやジャズのピアニストとして活躍を始めました。1911年には『606』を作曲し、1914年には出世作となる
『ラ・レソンゴナ』で作曲家として注目を集めました。ロムート=ケサーダのオルケスタを作った後、一時ロベルト・フィルポの
楽団で編曲の仕事にも携わりました。1923年には独自のフランシスコ・ロムート楽団を設立してオデオンの専属となり、タンゴ
黄金期においてオデオン五大楽団のひとつとして人気を集めました。1930年代になってヴィクトルに移籍し、この頃からモダンな
ハーモニーとリズム・アクセントを取り入れ、小味のきいた新感覚のスタイルでタンゴ黄金時代を支えました。
(参考・オデオン五大楽団=フィルポ、カナロ、ミゲル・カロ、ロムート、フレセド)

【主要演奏曲】
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita【YOUTUBEより】

『魅せられし心』Lo Han Visto Con Otra 視聴
『ムチャチータ・デル・カンポ』Muchachita del campo 視聴
『ノスタルヒアス』Nostalgias【YOUTUBEより】

『今ひとたびの』Quiero verte una vez mas 視聴
『カミニート』Caminito 視聴
『ソーロ・グリス』Zorro gris【YOUTUBEより】

『君を待つ間』Fumando Espero 視聴
『マノ・ア・マノ』Mano a mano 視聴
『ミロンガが泣くとき』Cuando Llora La Milonga【YOUTUBEより】 

『ガウチョの嘆き』Sentimiento gaucho 視聴


☆リベルタ・ラマルケ Libertad Lamarque  (1908.11.24~2000.12.12)


 
「タンゴの女王」と呼ばれ絶大な人気を誇ったアルゼンチンの歌手・女優です。
ロサリオで生まれ、愛らしい容貌により7歳の頃から子役として映画などに出演していました。17歳の時に歌手としてデビューし、
1926年にはヴィクト・レコードの専属となり、1935年のテアトロ・コロンのコンクールで優勝して「タンゴの女王」の称号を
授けられてその名を不動のものにしました。
また、一方で女優としても活躍していましたが、映画の撮影に遅刻してきた新人女優のエヴァ・ドゥアルテを叱ったことで彼女
との確執が生じ、そのエヴァ(通称エヴィータ)が後にフアン・ペロン大統領と結婚してリベルタをアルゼンチンの芸能界から追放
するよう影響力を行使したことでメキシコに移ることを余儀なくされました。
その後はメキシコで歌手兼女優として活躍し、ペロン大統領の失脚を期に1955年にアルゼンチンに戻り、ファン・ダリエンソと
共演するなどで復活しましたが、フロリダやメキシコに滞在し、最後はメキシコ市で人生を終えています。

【主要歌唱曲】
『ガウチョの嘆き』Sentimiento Gaucho【YOUTUBEより】

『マドレセルバ』 Madreselva 視聴
『今ひとたびの』Quiero verte una vez mas 視聴
『ラ・モローチャ』 La Morocha 視聴
『ノスタルヒアス』Nostalgias 視聴
『ラ・クンパルシータ』La Cumparsita 視聴
『カミニート』Caminito【YOUTUBEより】

『さらば草原よ』Adiós pampa mía 視聴
『ア・メディア・ルス』A Media Luz 視聴
『アディオス・ムチャーチョス』Adios Muchachos 視聴
『エル・チョクロ』El Choclo【YOUTUBEより】



☆ソフィー・ドーミェ Sophie Daumier  (1934.11.24~2004.1.01)



1960年代のフランス映画界に現れたダンサー出身の一瞬輝いた新星です。
父親は作曲家ジョルジュ・フゴンで母親は声楽家という音楽一家にブローニュ・シュル・メールに生まれました。12歳の頃から
演技を学び、やがてシャトレ座のダンサーとなって16歳の時にカンカン・バレエ団で海外ツアーにも参加しました。しかし舞台
女優への夢を諦めず17歳の時にサラ・ベルナール座で初舞台を踏みました。その後TVなどに出演していましたが1955年頃から
端役や傍役として映画にも出演するようになりました。1964年にジャン・ポール・ベルモンドと競演した『ある晴れた朝突然に』で
新進スターとして脚光を浴びたのですが、1965年に俳優兼プロデューサーのギー・ブドスと結婚して映画出演は少なくなってしまい
日本では殆ど見かけなくなってしまいました。

【主要出演作品】
1961年『ミス・アメリカ パリを駆ける』La Belle Americaine
1964年『ある晴れた朝突然に』Par un Beau Matin Dete【YOUTUBEより】

1966年『さいはての用心棒』Fort Yuma Gold


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