港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『11月11日』その1

2019-11-10 18:26:42 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ルネ・クレール René Clair (1898.11.11~1981.3.15)



サイレント時代から1960年代にかけてフランス映画芸術を極めた世界屈指の映画監督です。
パリ生まれのパリ育ちで、中等教育を終えた頃に文学を志して詩や戯曲を書くようになりました。第一次大戦後はジャーナリスト
となりましたが、シャンソン歌手のダミアに歌詞を提供したことで映画界入りのきっかけを得て1921年にルイ・フイヤード監督の 
『パリゼット』に俳優として出演しました。1922年にはジャック・ド・バロンセリの助監督を務め、1923年に中編『眠るパリ』を
初監督しました。この作品は初期の映画トリックの趣向に加え冷笑的・詩的な風刺劇で記念すべきファンタジスト・クレールの
誕生となりました。翌1924年にはファンテジーの小傑作となったアヴァンギャルド作品の『幕間』でイメージの飛躍と繋ぎ合わせ
によってシュールレアリスム手法による本格的な芸術作品にも取り組みました。1925年には現代映画の基本で三要素からなる独自の
リズム論を発表する一方で、サイレントの純粋な映画を撮り続け、特に1928年の『イタリア麦の帽子』においてはリズム論の実践
となる動きとリズムの視覚を重視した映像によってクールで鋭い皮肉と風刺の追っかけ喜劇を撮りクレールのサイレント時代の
最大の傑作となりました。
1930年代に入るとフランスにもハリウッド発のトーキーの波が押し寄せてきました。映画に音声が加わったことによって舞台劇の
実写版もどきの作品や、音楽を聞かせることを主として唄って踊るだけの作品など粗悪な映画が氾濫し始めていました。そんな
トーキー初期の大混乱期に、トーキーにおける映画芸術を確立させたのが1930年の『巴里の屋根の下』でした。この作品において
クレールは音声絶対主義な映画作法からイメージ第一主義ヘ修正し、音声の要素とイメージの要素を独立に考えた上でこれらを
あとで結合させるという非同時性を考えました。これによって映像による音の制御及び音による映像の省略という手法が確立され、
その鍛えぬいた映像表現でもってトーキーにおける映画芸術の本質を極めることとなりました。結果、『巴里の屋根の下』は
巴里の下町の風情や人情を詩的に描いた詩的レアリズムの最高傑作と評され、以後のトーキーにおける映画芸術をの指針となった
ことによって歴史的価値が認められることになります。
続いて1931年にバレエ化された欲望と行動の笑劇『ル・ミリオン』、資本主義文明社会における人間の自由に対する風刺コメディ
『自由を我等に』、1933年には巴里の下町の人間模様の哀歓を抒情的に感傷をこめて作り上げた映画詩『巴里祭』を発表して
抒情派ファンタジスタと称されるようになりましたが、1934年の『最後の億萬長者』において資本主義と独裁を極限に風刺して
奇想天外に展開したものの興行的に大失敗となってしまいました。
傷心のクレールに手を差し伸べたのはアレキサンダー・コルダで、彼の誘いにより1935年に英国に渡って『幽霊西へ行く』など
2本の作品を監督、その後第二次大戦の戦雲を逃れてハリウッドに渡り『焔の女』『奥様は魔女』などの無難な作品を撮りました。
大戦後の1946年に帰国してアメリカ資本で『沈黙は金』を撮った後に、1949年にファウストを俗人界の世界へ連れ戻した思想劇
『悪魔の美しさ』におけるラストシーンで、1952年のロマンを夢見て歴史を逆流する幻想と現実の追っかけ劇『夜ごとの美女』で
ファンタジスト・クレールの復活を印象付け、1957年には久々に巴里に戻って下町の人々を情緒豊かに描いた『リラの門』により
彼の原点でもある映画のリズムをいかんなく発揮して存在感を示しました。
フランス映画の黄金期を飾ったデュヴィヴィエ、フェデー、ルノワール、カルネと共にフランス映画史の第一人者的存在でしたが、
1960年の『フランス女性と恋愛』の挿話など数本を撮った後に輝ける監督生命に自ら幕を引きました。

【主要監督作品】
1923年『眠るパリ』Paris qui dort 

1924年『幕間』Entr'acte

1925年『ムーランルージュのファントム』Le fantôme du Moulin-Rouge 
1926年『空想の旅』Le voyage imaginaire 

1927年『風の餌食』La Proie du vent
1928年『塔』 La Tour (court métrage)
1928年『イタリア麦の帽子』 Un chapeau de paille d'Italie 

1929年『ふたりの臆病者』 Les Deux Timides
1930年『巴里の屋根の下』 Sous les toits de Paris 

1931年『ル・ミリオン』 Le Million 

1931年『自由を我等に』 À nous la liberté 

1933年『巴里祭』Quatorze Juillet 

1934年『最後の億萬長者』 Le dernier milliardaire 

1935年『幽霊西へ行く』 The Ghost Goes West

1938年『ニュースを知らせろ』Break the News
1941年『焔の女』 The Flame of New Orleans

1942年『奥様は魔女』 I Married a Witch

1945年『そして誰もいなくなった』 And Then There Were None 
1946年『沈黙は金』Le Silence est d'or  

1949年『悪魔の美しさ』 La Beauté du diable 

1952年『夜ごとの美女』Les Belles de nuit 

1955年『夜の騎士道』 Les Grandes manoeuvres 

1957年『リラの門』 Porte des Lilas 

1960年『フランス女性と恋愛』 La Française et l'amour 


『11月11日』その2

2019-11-10 16:51:48 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョン・ギラーミン John Guillermin (1925.11.11~2015.9.27)



『かもめの城』で注目され、後にアドベンチャー大作で名をあげたイギリスの映画監督です。
フランス人の両親のもとにロンドンで生まれ、少年期からロンドンで教育を受けてケンブリッジ大学に通いました 。大戦後に
フランスに渡り記録映画や短編などを制作していましたが、1948年に脚本家としてロンドンに戻りターザン映画などのB級娯楽
作品を数本監督しました。1965年の『かもめの城』、翌年の『ブルー・マックス』などでシリアスから活劇などによって監督
としての腕を磨き、後年には『タワーリング・インフェルノ』『キングコング』などの大作に取り組みましたが話題作りの
監督に終始してしまいました。

【主要監督作品】
1959年『ターザンの決闘』Tarzan's Greatest Adventure 
1965年『かもめの城』Rapture

1966年『ブルー・マックス』The Blue Max

1969年『レマゲン鉄橋』The Bridge at Remagen


☆ビビ・アンデルセン Bibi Andersson (1935.11.11~2019.4.14)



イングマール・ベルイマン作品の名花として活躍したスエーデンの女優です。
ストックホルムのクングスホルメンで生まれ、女優を目指して王立劇場付属演劇学校に学びました。1952年に劇場コマーシャル・
フィルムに出演、その時の監督だったイングマール・ベルイマンの勧めで王立劇場に参加するようになりました。1955年には
ベルイマン監督の『夏の夜は三たび微笑む』の端役で映画デビューを果たし、以後、名花としてベルイマン作品の常連となり
特に『女はそれを待っている』『仮面ペルソナ 』などで演技者として高く評価され、国外の映画にも出演するようになりました。
その後は映画の他にもテレビ・劇場女優として活躍を続け、1990年にはストックホルムで劇場監督を務めるなどスウェーデンの
芸能に大きく貢献しました。

【主要出演作品】
1955年『夏の夜は三たび微笑む』Sommarnattens leende
1957年『第七の封印』 Det Sjunde inseglet 

1957年『野いちご 』Smultronstället 

1958年『女はそれを待っている』 Nära livet
1958年『魔術師』 Ansiktet
1966年『仮面ペルソナ 』Persona 



☆ロバート・ライアン Robert Ryan (1909.11.11~1973.7.11)



西部劇からシリアスドラマなど幅広いジャンルで「頼れる男」を演じたハリウッド俳優です。
イリノイ州シカゴに生まれ、少年時代からボクシングを習ってダートマス・カレッジで重量級のチャンピオンにもなりました。
カレッジ卒業後は様々な職業を転々としましたが母親の友人の資産家に勧められてパサディナ・プレイハウスに参加して演技を
学び舞台に立つようになりました。1939年にRKOで端役出演した後、1941年にはパラマウント社と契約し1947年の『十字砲火』
で注目されるようになりました。1949年にはボクサーの経験を活かしてロバート・ワイズ監督の『罠』でトップスターの地位を
固め、その後も西部劇からシリアスドラマなど幅広いジャンルで個性を発揮、晩年には枯淡の演技で新境地を切り開きましたが
愛妻とほぼ同時に癌を患い、妻の後を追うようにこの世を去ってしまいました。

【主要出演作品】
1947年『十字砲火』Crossfire

1948年『緑色の髪の少年』The Boy with the Green Hair
1948年『暴力行為』Act of Violence
1949年『罠』The Set-Up

1953年『裸の拍車』The Naked Spur
1954年『北海の男』Alaska Seas
1955年『日本人の勲章』Bad Day at Black Rock
1956年『誇り高き男』The Proud Ones

1959年『拳銃の報酬』Odds Against Tomorrow
1960年『北海の果て』Ice Palace
1961年『キング・オブ・キングス』King of Kings
1962年『史上最大の作戦』The Longest Day
1965年『バルジ大作戦』Battle of the Bulge
1966年『プロフェッショナル』The Professionals
1967年『墓石と決闘』Hour of the Gun
1967年『カスター将軍』Custer of the West
1968年『アンツィオ大作戦』Lo sbarco di Anzio
1969年『ワイルドバンチ』The Wild Bunch


【ご命日】

★ファン・デ・ディオス・フィリベルト Juan de Dios Filiberto (1885.3.08~1964.11.11)



アルゼンチン・タンゴに抒情の世界を切り開き、タンゴ・カンシオン黄金期の寵児となった作曲家。
主な作曲として『バンドネオンの嘆き』『白いスカーフ』『カミニート』『ミロンガの泣くとき』などがある。


★ジェローム・カーン Jerome David Kern (1885.1.27~1945.11.11)



ニューヨーク生まれでニューヨーク音楽カレッジを卒業後、主としてミュージカルの世界で活躍した作曲家。
主な映画音楽作品として『ロバータ(煙が目にしみる)』『有頂天時代(今宵の君は)』『雨の朝巴里に死す』などがある。


★ディミトリー・ティオムキン Dimitri Tiomkin (1894.5.10~1979.11.11)



ロシア生まれながら、アメリカ人よりもアメリカ人らしいと呼ばれたハリウッドの映画音楽家。
主な映画音楽作品として『真昼の決闘』『ジャイアンツ』『OK牧場の決斗』『アラモ』『北京の55日』などがある。