【誕生日】
☆イングマール・ベルイマン Ingmar Bergman (1918.7.14~2007.7.30)
神の不在をテーマに人間洞察を深め、表現・映像美などあらゆる点で全映画史の頂点を極めた映画監督です。
スエーデン中部のウプサラでプロテスタント教会の僧侶の名門家庭に生まれました。幼い頃から人形劇や芝居、映画などに
興味を持ち、ストックホルム高校時代(現在では大学)は文学と芸術史を学びながら学生劇団の演出も手がけました。
やがて王位オペラ劇場の演出助手になる一方で映画のシナリオ作家として進出し、1944年にアルフ・シェーベルイ監督の
『もだえ』の脚本を書き下ろし同作品の助監督も務めました。
1946年に平凡な田舎町の女ピアノ教師の苦悩を描いた『危機』で監督デビューを果たし、その後も『われらの恋に雨が降る』
『インド行きの船』などの女性ドラマを発表しましたが、1948年の『愛欲の港』で濃密な雰囲気描写と大胆に人間そのものを
凝視して一躍脚光を浴びました。
次いで、1953年には『不良少女モニカ』でさらにリアリズムが研ぎ澄まされ人間の業をドキュメント的に描き、ベルイマン
映画の北欧神秘主義の原点となる『道化師の夜』も発表、1955年には『夏の夜は三たび微笑む』でブルジョワ社会を痛烈に
風刺した喜劇作品『夏の夜は三たび微笑む』を監督してその名を世界に轟かせました。
ベルイマンは「作品ごとに新しい試みをする」と述べているように舞台演出の手腕とリアリズムによるドキュメント手法の
融合で多種多様な作品を撮り、この時期までがベルイマン作品の基礎固めとなったようです。
次いで、1957年の『第七の封印』と『野いちご』1960年の『処女の泉』の三部作でベルイマン芸術は完成期に達しました。
まず『第七の封印』において、この世の終末を思わせる背景の中に神の不在を嘆きながらも人間の生の本質は何かを問い続け、
『野いちご』では過去の記憶と夢と現在とが複雑に織りなされた縮図の中に人生の意義を問い、『処女の泉』においては
中世説話を用いながら人間の原罪と理不尽に沈黙する神に向き合うベルイマンの叫びが響きわたりました。
この三作品は題材こそ違えいずれも根底に演劇的要素を溶け込ませながら、北欧の神秘主義や神と人間との関わりを視覚的な
造形として、際立った白黒の陰影による映像美により、ベルイマン自身の固定観念が如実に表されており、まさにベルイマン
芸術の頂点ともいえる作品となりました。
さらに、1961年から始まる神の沈黙三部作において、人間不信と神の不在という彼にとって永遠のテーマはさらに深化して
いきました。『鏡の中にある如く』では近親相姦を取り上げ『冬の光』悲痛なまでの神と人間との対峙、『沈黙』においては
性を軸にして人間の原罪の深奥を探り、「神はなぜ 人間の苦悩や理不尽を放置して沈黙なさるのか」というベルイマンの
究極的な思想を展開しました。
この後も1966年の『仮面ペルソナ』で人間存在の根本を大胆に描きさらなる新境地を目指しました。
【主要監督作品】
1946年『危機』 Kris
1946年『われらの恋に雨が降る』 Det regnar på vår kärlek
1947年『インド行きの船』 Skepp till India land
1948年『愛欲の港』 Hamnstad
1951年『夏の遊び』 Sommarlek
1953年『不良少女モニカ』 Sommaren med Monika
1953年『道化師の夜』 Gycklarnas afton
1954年『愛のレッスン』 En Lektion i kärlek
1955年『夏の夜は三たび微笑む』 Sommarnattens leende
1957年『第七の封印』 Det Sjunde inseglet
1957年『野いちご』 Smultronstället
1958年『女はそれを待っている』 Nära livet
1958年『魔術師』 Ansiktet
1960年『処女の泉』 Jungfrukällan
1961年『鏡の中にある如く』 Såsom i en spegel
1962年『冬の光』 Nattvardsgästerna
1963年『沈黙』 Tystnaden
1966年『仮面ペルソナ』 Persona