港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『7月14日』その1

2019-07-13 22:05:57 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆イングマール・ベルイマン Ingmar Bergman (1918.7.14~2007.7.30)



神の不在をテーマに人間洞察を深め、表現・映像美などあらゆる点で全映画史の頂点を極めた映画監督です。
スエーデン中部のウプサラでプロテスタント教会の僧侶の名門家庭に生まれました。幼い頃から人形劇や芝居、映画などに
興味を持ち、ストックホルム高校時代(現在では大学)は文学と芸術史を学びながら学生劇団の演出も手がけました。
やがて王位オペラ劇場の演出助手になる一方で映画のシナリオ作家として進出し、1944年にアルフ・シェーベルイ監督の
『もだえ』の脚本を書き下ろし同作品の助監督も務めました。
1946年に平凡な田舎町の女ピアノ教師の苦悩を描いた『危機』で監督デビューを果たし、その後も『われらの恋に雨が降る』
『インド行きの船』などの女性ドラマを発表しましたが、1948年の『愛欲の港』で濃密な雰囲気描写と大胆に人間そのものを
凝視して一躍脚光を浴びました。
次いで、1953年には『不良少女モニカ』でさらにリアリズムが研ぎ澄まされ人間の業をドキュメント的に描き、ベルイマン
映画の北欧神秘主義の原点となる『道化師の夜』も発表、1955年には『夏の夜は三たび微笑む』でブルジョワ社会を痛烈に
風刺した喜劇作品『夏の夜は三たび微笑む』を監督してその名を世界に轟かせました。
ベルイマンは「作品ごとに新しい試みをする」と述べているように舞台演出の手腕とリアリズムによるドキュメント手法の
融合で多種多様な作品を撮り、この時期までがベルイマン作品の基礎固めとなったようです。
次いで、1957年の『第七の封印』と『野いちご』1960年の『処女の泉』の三部作でベルイマン芸術は完成期に達しました。
まず『第七の封印』において、この世の終末を思わせる背景の中に神の不在を嘆きながらも人間の生の本質は何かを問い続け、
『野いちご』では過去の記憶と夢と現在とが複雑に織りなされた縮図の中に人生の意義を問い、『処女の泉』においては
中世説話を用いながら人間の原罪と理不尽に沈黙する神に向き合うベルイマンの叫びが響きわたりました。
この三作品は題材こそ違えいずれも根底に演劇的要素を溶け込ませながら、北欧の神秘主義や神と人間との関わりを視覚的な
造形として、際立った白黒の陰影による映像美により、ベルイマン自身の固定観念が如実に表されており、まさにベルイマン
芸術の頂点ともいえる作品となりました。
さらに、1961年から始まる神の沈黙三部作において、人間不信と神の不在という彼にとって永遠のテーマはさらに深化して
いきました。『鏡の中にある如く』では近親相姦を取り上げ『冬の光』悲痛なまでの神と人間との対峙、『沈黙』においては
性を軸にして人間の原罪の深奥を探り、「神はなぜ 人間の苦悩や理不尽を放置して沈黙なさるのか」というベルイマンの
究極的な思想を展開しました。
この後も1966年の『仮面ペルソナ』で人間存在の根本を大胆に描きさらなる新境地を目指しました。

【主要監督作品】
1946年『危機』 Kris

1946年『われらの恋に雨が降る』 Det regnar på vår kärlek 
1947年『インド行きの船』 Skepp till India land
1948年『愛欲の港』 Hamnstad 

1951年『夏の遊び』 Sommarlek
1953年『不良少女モニカ』 Sommaren med Monika

1953年『道化師の夜』  Gycklarnas afton 

1954年『愛のレッスン』 En Lektion i kärlek

1955年『夏の夜は三たび微笑む』 Sommarnattens leende 

1957年『第七の封印』 Det Sjunde inseglet 

1957年『野いちご』 Smultronstället 



1958年『女はそれを待っている』 Nära livet 

1958年『魔術師』  Ansiktet

1960年『処女の泉』 Jungfrukällan

1961年『鏡の中にある如く』 Såsom i en spegel

1962年『冬の光』 Nattvardsgästerna

1963年『沈黙』 Tystnaden

1966年『仮面ペルソナ』 Persona 


『7月14日』その2

2019-07-13 20:50:42 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ルチナ・ウィンニッカ Lucyna Winnicka  (1928.7.14~2013.1.22)



ポーランド・カードル派のイエジー・カワレロヴッィッチ監督の夫人でポーランドを代表する女優です。
弁護士の娘として ワルシャワで生まれ、 1950年にワルシャワ大学法学部を卒業しました。しかし、大学時代に演劇の魅力に
とりつかれ、ワルシャワ演劇アカデミーの俳優科に転じて舞台に立つようになりました。
1954年に後の夫となるポーランド・カードル派のイエジー・カワレロヴッィッチ監督による『フリジアの星の下で』の主演を
つとめて注目され、その後もカワレロヴッィッチ作品に出演、特に『尼僧ヨアンナ』で見せた抑圧され鬱折した人間の性の
表現は息をのむほどの見事さとして高く評価されました。

【主要出演作品】
1954年『フリジアの星の下で』Pod Gwiazdą Frygijską

1957年『戦争の真の終り』Praudziwy Koniec Wielkiej Wojny

1959年『夜行列車』Pociag

1960年『尼僧ヨアンナ』Matka Joanna Od Aniolow

1960年『鉄十字軍』Krzyzacy



☆アナベラ Annabella (1910.7.14~1996.9.18)



フランスの巨匠たちの著名な作品群に名を残しましたがハリウッドで失敗したフランスの女優です。
セーヌ県ラ・ヴランヌ・サン・ティレーに「旅行新聞」の支配人の娘として生まれました。中等教育を終えた1926年に
作家のツェルステヴァンから巨匠のアベル・ガンス監督に紹介されて『ナポレオン』の端役で映画界入りを果たしました。
また、シャルル・デュランについてアトリエ座で演技を学び、コンセルヴァトワールに入ったものの卒業試験に失敗して
しまいました。しかし1931年、ルネ・クレール監督の『ル・ミリオン』の踊り子役が認められ、続く『巴里祭』における
パリの下町娘役が大いに受けてフランスのトップスターとしての地位を確立しました。
その後も『戦ひの前夜』『地の果てを行く』『北ホテル』などの名作に出演していましたが、1938年にハリウッドに渡り
20世紀フォックスと契約して『スエズ』に出演したまでは良かったのですが、共演者のタイロン・パワーと結婚したことで
二人の結婚を望まなかったフォックス社の大御所ダリル・F・ザナックにより冷遇されてやがてパワーと離婚して傷心の
ままフランスに帰国、カムバックを試みたものの軌道には乗らず引退を余儀なくされてしまいました。

【主要出演作品】
1926年『ナポレオン』Napoléon
1931年『ル・ミリオン』Le milion

1931年『搔払ひの一夜』Un soir de rafle
1931年『巴里祭』14 Juillet

1931年『春の驟雨』Marie, légende hongroise

1934年『モスコウの一夜』Les nuits moscovites
1935年『戦ひの前夜』Veille d'armes
1935年『地の果てを行く』La bandera

1935年『ヴァリエテ』Varieté
1935年『最後の戦闘機』L'équipage
1938年『北ホテル』Hotel du Nord

1938年『スエズ』Suez
1948年『永遠の争い 』Éternel Conflit


☆リノ・ヴァンチュラ Lino Ventura (1919.7.14~1987.10.22)



強烈な個性でフィルム・ノワールなどで活躍したフランスの俳優です。
イタリアのパルマで生まれ幼い時に家族でパリに移り住みましたが、かなりのやんちゃ坊主であったらしく、8歳で学業を止め
格闘技の世界に入りました。第二次大戦後にはより稼げる仕事であるプロレスラーに転身しましたが怪我で断念しました。
そんな時、『現金に手を出すな』で新しいイメージのギャング役を探していたジャック・ベッケル監督に認められて出演し、
その強固な肉体といかつい雰囲気で大いに注目を集めました。
以来、フィルム・ノワールで悪役を務めるうちに堂々と主役を演じるようになり1967年の『冒険者たち』でアラン・ドロンや
ベルモンドと肩を並べるほどの人気俳優になりました。

【主要出演作品】
1954年『現金に手を出すな』Touchez pas au grisbi

1955年『筋金を入れろ』Razzia sur la Chnouf
1957年『火薬に火』Le feu aux poudres
1957年『赤い灯をつけるな』Le rouge est mis
1958年『殺人鬼に罠をかけろ』Maigret tend un piège
1958年『死刑台のエレベーター』Ascenseur pour l'échafaud

1958年『モンパルナスの灯』Les Amants de Montparnasse
1959年『野獣は放たれた』Le fauve est lâché
1959年『自殺への契約書』Marie-Octobre

1959年『学生たちの道』Le chemin des écoliers
1960年『地獄の決死隊』Un taxi pour Tobrouk
1961年『飾り窓の女』La Ragazza in vetrina

1962年『三文オペラ』Die Dreigroschenoper
1962年『ヒッチ・ガール』Les petits matins
1962年『フランス式十戒』Le Diable et les dix commandements
1964年『太陽の下の10万ドル』Cent mille dollars au soleil
1967年『冒険者たち』Les Aventuriers

1969年『影の軍隊』L'Armée des ombres
1969年『シシリアン』Le Clan des Siciliens
1971年『ラムの大通り』Boulevard du rhum


【ご命日】

★ジョー・ハーネル Joe Harnell (1924.8.02~2005.7.14)



ニューヨーク生まれのピアニスト、バンド・リーダー、オーケストラ指揮者。
1963年にリリースしたボサノヴァの名曲『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』の大ヒットで脚光を浴びる。