港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『7月13日』

2019-07-12 17:48:00 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アレクサンドル・アストリュク  Alexandre Astruc (1923.7.13~2016.5.19)



カメラ万年筆論の提唱者でヌーヴェルヴァーグ・カイエ派の先駆者となった映画監督、映画評論家です。
パリに生まれ、大学で法学と文学の学位を修めてジャーナリストとなり文芸評論や小説なとを書いていましたが、新聞や
映画雑誌に映画批評を執筆し始めました。1948年にル・エクラン・フランセ 誌に『カメラ万年筆、新しき前衛の誕生』という
論文を発表しました。
この『カメラ万年筆』の理論は、これまで培われたイメージのモンタージュを排除して現実のイメージを主体とした自分の
作法でカメラを万年筆として映画を書くという手法で、ストーリーにこだわらず映像の主体性を重視することになります。
その結果、映画芸術とは監督による映像的演出によって成立するのだという「作家主義」が確立していきました。
これに映画批評家のアンドレ・パザンが共感し、1951年4月にバザンらが『カイエ・デュ・シネマ』誌を創刊、同雑誌に
集まる映画人たちとともにヌーヴェル・ヴァーグの主流となるカイエ派が誕生しました。
アストリュック自身は1953年にヌーヴェル・ヴァーグの先駆的作品『恋ざんげ』を監督しましたが、作品数は極めて少なく
もっぱら裏方に専念し、後のトリュフォー、ゴダールなどにその未来を託しました。

【主要監督作品】
1953年『恋ざんげ』 Le Rideau cramoisi 

1955年『不運な邂逅』Les Mauvaises rencontres
1958年『女の一生』Une vie



☆ジャック・ペラン Jacques Perrin (1941.7.13~2022.4.21)



ナイーヴな感性で多くの女性ファンの支持を受けてアイドル的な存在であったフランスの映画俳優です。
祖父はコメディ・フランセーズの演出家、父は同劇団の舞台美術家、母は同劇団の舞台女優という環境のもとにパリで
生まれました。やがて俳優を目指しコンセルヴァトワールで演技を学び、1960年にアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の
『真実』で映画デビューを果たしました。しかし、注目されたのはフランスではなくイタリアで、1961年の『鞄を持った女』
1962年の『家族日誌』1963年の『堕落』の三作品によって、端正な顔立ちと物憂げで沈んだような演技が女性ファンの心を
鷲掴みして一気にアイドル的スターになりました。
母国のフランスに戻ってからは作品に恵まれていなかったのですが、1969年の『Z』でプロデューサーとして一本立ちし、
以後は俳優としてよりもプロデューサーとして活動しています。

【主要出演作品】
1960年『真実』La vérité
1961年『鞄を持った女』La ragazza con la valigia【YOUTUBEより】

1962年『家族日誌』Cronaca Familiare

1963年『堕落』La Corruzione

1964年『恋のなぎさ』La Calda Vita

1967年『ロシュフォールの恋人たち』Les Demoiselles de Rochefort
1967年『未青年』La Grand Dadais
1968年『ふたりだけの夜明け』Vivre la nuit
1969年『Z』Z (制作も)
1970年『ロバと王女』Peau d'ane


☆ダイアン・リネー Diane Renay (1945.7.13~ )



『ネイビー・ブルー』のヒットで脚光を浴びたアメリカの女性ポップシンガーです。
フィラデルフィアに生まれ子供の頃から女優を目指していましたが歌手志望に転じ、デモテープを作って売り込み、1962年に
アトコ・レコードと契約して16歳でデビューし二枚のシングルを出しましたもののチャート入りはできませんでした。
翌年に「20世紀レコード」に移籍して『彼はスーパー・ボーイ (Unbelievable Guy)』をリリースしたところ、そのB面の
『ネイビー・ブルー』が翌1964年に米国6位の大ヒットとなり、次作の『キス・ミー・セイラー』も米国29位を記録しました。
しかし、その後はヒットに恵まれず一発屋状態で姿を消してしまいました。

【主要歌唱曲】
1963年『ネイビー・ブルー』Navy Blue【YOUTUBEより】

1964年『キス・ミー・セイラー』Kiss Me Sailor
1964年『涙のサリー』Watch Out,Sally!
1964年『おませな水平さん』Growin' Up Too Fast