【誕生日】
☆ジャック・フェデー Jacques Feyder (1885.7.21~1948.5.24)
1930年代のフランス映画黄金期においてトーキーによる映画芸術を確立させた映画監督です。
ベルギーのイクセルブに生まれました。曽祖父は将軍、祖父は演劇評論家、父はベルギー芸術家クラブの会長という名門の
環境で育ちましたが、20歳の時、士官学校を受験して失敗して演劇で身を建てるために1910年にパリに出ました。
ミシェル座やポルト・サン・マルタン座などで舞台経験を積み、1913年頃からゴーモン社の短編映画にも出演するように
なりました。1916年には短編映画 "Monsieur Pinson policier" を初監督し、1921年に幻想的雰囲気の『女郎蜘蛛』を監督、
これによって一流監督として注目され国際的にも認められるようになりました。
次いで、『クラクンビーユ』ではパリ下町のリアルな描写の中に幻想シーンを取り入れ、『雪崩』ではアルプスの寒村の中に
少年心理を叙情的に描き、『テレーズ・ラカン』では不貞妻テレーズの心理の深層を鋭く追及、フランスにおけるサイレント
芸術の礎を築く一翼となり、その名声はさらに高くなっていきました。
これに目を付けたMGMが1929年に妻のフランソワーズ・ロゼーとともにアメリカに招待して5年契約を結びました。そこで
グレタ・ガルボ主演など三本を監督したものの作品は鳴かず飛ばずで、実質的には5年間の「飼い殺し」状態となりました。
1933年に約5年ぶり帰国し、同郷の脚本家のシャルル・スパークと再会して新作の構想を練りに練り、同年に初トーキー作品の
『外人部隊』で再デビューを果たしました。この作品はトーキー初期のスタンバーグ監督の『モロッコ』を意識した作品と
思われますが、文芸的ロマンチシズムと鋭角的なリアリズムで人生の現実を描き上げ、トーキー初期のフランス芸術映画の
指針となる記念すべき一編となりました。
翌1934年には澱んだ敗残の人生縮図ともいえる『ミモザ館』を発表、養子を溺愛する下宿の女将の愛が無意識のうちに一人の
男性への愛に移りゆく心理を描き、部屋中に紙幣が舞い散るラストシーンで強烈な印象を与えました。
1935年にはフランドル地方のボウムに進駐してきたスペイン軍を市長夫人以下女性たちだけで歓待して通過させるまでを
象徴的かつ風刺的に描いた『女だけの都』を監督、フラマン派絵画そのままの構図に形象しフランドル様式の映像を再建、
人間の厳粛な洞察と清澄なイメージを自然主義的に仕上げました。
フェデーは、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワールと共に、フランス映画
黄金時代の五大巨匠と言われていますが、『外人部隊』『ミモザ館』『女だけの都』の三部作によりフランスのトーキー芸術
が完成されたといっても過言ではありません。
1937年にはイギリスで『鎧なき騎士』、ドイツで『旅する人々』など各地を転々とし数本の作品を残し、戦後にフランスに
戻って1947年に『宝石館』を監修しただけで、カムバックすることなく至醇のリアリストとしての人生を閉じてしまいました。
【主要監督作品】
1921年『女郎蜘蛛』L'atlantide
1922年『クラクンビーユ』Craninquebille
1923年『雪崩』Visages d'enfants
1924年『面影』L'images das bildnis
1926年『カルメン』Carmen
1928年『テレーズ・ラカン』Thérèse Raquin
1930年『印度の寵児』Son of India
1930年『アンナ・クリスティ』Anna Christie
1933年『外人部隊』Le grand jeu
1934年『ミモザ館』Pension Mimosas
1935年『女だけの都』La Kermesse héroïque
1937年『鎧なき騎士』Knight without Armour
1937年『旅する人々』Les gens du voyage
1947年『宝石館』Macadam back Streets of Paris (監修)
☆カレル・ライス Karel Reisz (1926.7.21~2002.11.25)
「怒れる若者たち」文学に誘発されてフリーシネマ運動の旗頭となったイギリスの映画監督、製作者です。
当時のチェコスロバキアのオストラヴァ(現在のチェコ)で生まれました。1938年にナチス・ドイツの占領を逃れてイギリスへ
へ渡り、ケンブリッジ大学で自然科学を専攻しました。第二次大戦後はイギリスの映画誌「サイト・アンド・サウンド」の
メンバーとなって映画評論家となり、1947年にはリンゼイ・アンダーソンらと共に映画雑誌『シークエンス』を立ち上げ、
そこでトニー・リチャードソンと知り合いました。
1950年代半ばに入ってイギリスで古い英国社会に対する反抗する怒れる若者たちをテーマにした文学がブームとなり、停滞
したイギリス社会に対する怒りを込めた青年群がこの鬱積を打ち破ろうとする運動が起こりました。これにカレル・ライスも
トニー・リチャードソン、ジャック・クレイトン、リンゼイ・アンダーソンなどと共にフリーシネマ運動を扇動し、1955年に
トニー・リチャードソンと共同で短編作品『ママは許さない』を監督、イギリス・フリーシネマ運動の旗頭となりました。
1960年にアラン・シリトー原作の『土曜の夜と日曜の朝』で長編映画を初監督、ドキュメンタリー映画の手法を用いながら
閉ざされた暗い青春の日々の実体を描き上げ、古い英国社会に対して怒りを込めたアウトサイダーの青年の苛立ちすなわち
「怒れる若者たち」の典型的な作品として高く評価されました。
その後もリンゼイ・アンダーソン監督の『孤独の報酬』の制作に携わるなどの裏方を支えましたが、監督作品の数は極めて
少ないながらも映画界に鋭い爪痕を残した映画作家の一人でした。
1968年には『裸足のイサドラ』を監督し、舞踏家イサドラ・ダンカンの奔放な愛の生活を描きましたが、フリーシネマ当時の
強烈な社会に対する反抗は見る影もなく薄れてしまいました。
【主要監督作品】
1955年『ママは許さない』 Momma Don't Allow
1960年『土曜の夜と日曜の朝』 Saturday Night and Sunday Morning
1966年『モーガン』 Morgan: A Suitable Case for Treatment
1968年『裸足のイサドラ』 Isadora