静と動の趣味日記

以前習った押し花作品やエコクラフトバックなどを掲載。運動不足解消に始めた卓球の事や旅先の事を気ままに書いています。

トルコ旅行(6)

2011年07月25日 | 旅行

7日目

今日はトルコで過ごす、最後の日となりました。
午前中は自由行動だったので、私達はオプショナルツアー「ボスフォラス海峡クルーズ ・ガラタ橋散策と世界一短い地下鉄体験」に参加しました。

イスタンブール郊外のホテルからバスで30分ぐらいで市内に出て、世界一短い地下鉄に乗る為に綺麗な街並みを歩きました。



イスタンブールの街並み

この地下鉄は日本のケーブルカーみたいなもので、全長600m、所要時間は約3分という事で、乗ったらすぐ降りる感じでした。
この地下ケーブルカーはヨーロッパ商人が、ガラタ橋側からイスタンブールのヨーロッパ側に、荷物を運ぶために造られたといわれています。どうして、そんな短い距離を運行しているのかと思いますが、急坂を登ってくれるので、市民の重要な足となっているそうです。

世界一短い地下鉄


チュ―リップ柄の綺麗な青タイルが貼られた地下鉄駅


地下鉄駅から、歩いてガラタ橋を渡って、ボスフォラス海峡クルーズの船着き場まで向かいました。
ガラタ橋は人気の釣りスポットで、1日じゅう釣りを楽しむ人の姿が見られ、また二重構造の橋なので、下段にはカフェやレストランがあり、その店先には上から釣り糸が何本も下がっているという、不思議な光景でした。



ボスフォラス海峡クルーズ 船着き場、後ろの方に「スレイマニエ・モスク」?


いよいよ、ボスフォラス海峡クルーズに出発で~す。
ボスフォラス海峡は黒海とマルマラ海を結び
アジアとヨーロッパを分ける、長さ約30kmで、世界で最も美しい海峡のひとつだそうです。
船の手配が付かないとガイドさんが言っていたので、小さな船かと思っていましたら、な、な~んと数百人乗りの大型船にたった24人の貸し切りでした。
行きは、イスタンブールのヨーロッパ側を見ながら、帰りはアジア側の景色を見ながらの、1時間30分のクルーズです。
海峡の両側は、いろいろな建築様式で建てられた、宮殿やホテル、迎賓館、博物館、別荘などがところ狭しと並んでいました。(ガイドさんが説明してくれたのですが、たくさん有りすぎて忘れました)
その他に、豪華客船やクルーザーなど、何艘も停泊していました。


ドルマバフチェ宮殿
オスマン朝スルタンの最後の居城として、共和国の父アタテュルクの執務場所として有名な宮殿。
大理石の豪華な宮殿建物の横幅は600mもあり、285もの部屋と43のホールがあって、調度品や名画が展示されているそうです。


クズ塔(アジア側の最後の方にある)
クズ塔はボスフォラス海峡の入口の島に立つ塔で、かつて刑務所や灯台とし使用され、現在は中にレストランがあるそうです。
別名
「乙女の塔」と名付けられた理由は、ある日、皇帝は娘が蛇にかまれる夢を見て、この塔に避難させて、寂しいだろうと贈った果物かごの中に、蛇が潜んでいて、悲劇を招いたという伝説からだそうです。

ボスフォラス海峡クルーズ の写真をスライドにしました。
スライドショー画面の右下の四角ボタンをクリックすると大きな画面で見られます。




ボスフォラス海峡の素敵な景色を楽しんだ後は、予定には入っていなかったのですが、地元の人も買い物に行くという、エジプトバザールの中を見て歩きました。
エジプトからの交易品やスパイスの専門店、土産物、雑貨屋さんがありました。


エジプトバザール

エジプトバザールの路地

エジプトバザールのメイン通り


空港に向かう途中、昼食は「ドルネケバブ」というものでした。
今日は牛肉をひつじの脂で焼いたものだそうで、豚肉は食べないとの事でした。
最近は日本でも、トルコ人が大きな肉のかたまりを回しながら焼いて、それを削ぎ切りにして、薄いパンなどに野菜と挟んで売っていますよね。


そう、こんな感じ!画像はHPより拝借


実際に出て来た、ドルネケバブ
付け合わせは白チーズが入った春巻き「シガラボレイ」松の実が入ったバター風味ピラフ「サーデ・ピラウ」
そしてフライドポテト、デザートはイチゴのムースでした。


イスタンブール空港をPM6時に飛び立ち、成田にAM11時に着き、11時間のました。


8日間という長旅は今回が初めてでしたが、時差も6時間ぐらいでしたので、さほど疲れたという感じはありませんでした。
トルコ国内は移動距離が長いので、1日に1ヶ所ぐらいしか観光出来ませんでしたが、今まで行った国とは、また違った、素晴らしい景色と雰囲気を味わえた良い旅でした。

アップするのに時間が掛かってしまった上に、つたない文章でお恥ずかしいのですが、皆さんのこれからの旅の参考にしていただければ幸いです。
最後まで、読んでいただきまして、ありがとうございました。


トルコ旅行(5)

2011年07月22日 | 旅行

6日目

アンカラエクスプレスで、早朝イスタンブールに到着し、待っていたバスに乗り込み、市内観光に行きました。

最初の観光は、「リュステムパシャモスク」という所で、ここは他のモスクと違い、商店街の中にあって、狭い階段を登った2階にモスクがありました。
2階にモスクがあるのは珍しいのだそうで、外観はシンプルですが、中はとても綺麗でびっくりしました。
壁には
イズニックという町で焼かれた綺麗なタイルやステンドグラス、多数のランプなどで飾られていました。
大宰相リュステムパシャが、彼の奥さんのために、作ったものだそうです。


リュステムパシャモスクのステンドグラス


リュステムパシャモスク・ドーム天井


リュステムパシャモスク・綺麗なタイルとランプ

次は「
スルタンアフメット・ジャミィ」で別名「ブルーモスク」として有名で世界遺産に登録されています。
このモスクは14代スルタンのアフメット1世によって建てられたイスラム寺院で巨大なドームの周囲に立つ6本のミナレット(尖塔)が有名だそうです。
ミナレットとはお祈り(1日5回)が始まる15分前に「お祈りの時間ですよ~」と市民に知らせる為に、歌を歌うための塔で、今はスピーカーから流していました。

イスラム教の寺院、モスクではメッカ以外は通常4本までしかミナレットを立てられないことになっているそうで、ミナレットが6本もあるのは、このブルーモスクだけだそうです。
どうして6本もミナレットがあるのかというと、スルタンアフメット1世が「アルトゥン(黄金)の塔を作れ」と言ったのを建築家が「アルトゥ(6本)の塔」と聞き間違えたと言われているとの事でした。

モスク内部は青い花柄のイズニックタイルがびっしりと飾られている所から「ブルーモスク」と呼ばれるようになったそうです。
ドーム内には260個もの小窓ステンドグラス、シャンデリアのように沢山の電球が丸く並べられていて
とっても幻想的でした。


ブルーモスクの正面・観光入口は右側裏


ブルーモスクの素晴らしいステンドグラス


ブルーモスク壁面の青いイズニックタイル


ブルーモスクの6本のミナレット

「ブルーモスク」の向かい側には「アヤ・ソフィア」というモスクがありました。
「アヤ・ソフィアは」は西暦360年にキリスト教会として完成し、その後イスラム教のモスクになったそうです。
その時、ドーム内に描かれていたキリストやマリア様のモザイク画は漆喰(しっくい)で塗りつぶされ、トルコ共和国時代に入ってからの大修復で、現在のようなモザイク画として蘇り、博物館として使用されていました。
聖堂のギリシア様式の柱の色がばらばらなのは、アルテミスやエフェソスの古代神殿に使われていた石材を運ばせ使ったからだそうです。


アヤ・ソフィア


アヤ・ソフィアの内部

次は「トプカプ宮殿」へ行きました。(宮殿内は撮影禁止でした)
ここは1472年にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設し、歴代のオスマン帝国の皇帝が増築をしながら、約400年にわたり居城とした場所で、現在は博物館です。
広大な敷地に4つの庭園といくつかの建物があり、「宝物館」には柄に3つの大きなエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣や、86カラットのダイヤモンドなどが展示されていて、他の建物の中にもいろいろ高価な装飾品などもありました。
オスマン帝国の強大な権力と財力の凄さには、びっくりしました。


トプカプ宮殿全体の模型


トプカプ宮殿の豪華の入口


トプカプ宮殿の古い絨毯(沢山のトルコ石や宝石が付いている)

「トプカプ宮殿」からバスで移動して、昼食後、「グランド・バザール」に行きました。
そこはイスタンブール最大のマーケットで、4000軒もの店が並び、皮製品、宝石、トルコ絨毯、土産物、雑貨などが売られていました。
その後、ガイドさんの計らいで、日本の銀座みたいな所という、イスティクラル通りを散策しました。
歩行者天国みたいな感じですが、道の真ん中に「トラム」と言う電車の線路があり、両側にはラコステやアディダスなどのブランド店が何軒か並んでいました。

今日の夕食は「キョフテ」ですよと言うガイドさん、どんな物か思っていたら、日本の肉だんごみたいで、スパイスとハーブがきいたものでした。
メインのキョフテより、見た目はインド料理のナンですが、ナンよりも薄くて、大きく膨らんでパリッとしたパンの方が珍しかったですね。

パリッとしたパンとチーズ、まめサラダ

チーズ
夕食の時、添乗員さんが「今日は皆さんの中にお祝いをしたい人がいま~す」と言うので、何だろうと思っていたら、さんの名前が呼ばれました。
!そうだった!」添乗員さんからのプレゼントとツアーの方々にハッピーバースディの歌を唄っていただきました。
この思いがけない誕生祝に、さんは照れながら感謝の言葉と、最後にトルコ語で「テシェッキュルエデリム(ありがとうございます)」とのべました。
とっても温かな気持になる、素敵なひと時でした。皆さんありがとう!

夕食後は、オプションで民族舞踏とベリーダンスの鑑賞をし、ホテルに向かいました。

7日目に、続きます。
コメントはその時にお願いいたします。


トルコ旅行(4)

2011年07月17日 | 旅行

5日目
コンヤ市内のホテルからシルクロードを通り、3時間(220km)の予定で、世界遺産「カッパドキア」に向かいました。
途中、隊商宿、「キャラバンサライ」に立ち寄り、宿の入口に綺麗な彫刻が施されているので、その前で写真だけ、パチリ!
「キャラバン( 商人)、サライ(宮殿)」という意味で、シルクロードなどを旅する行商人のためのホテルだそうです。


キャラバンサライの入口の彫刻

また、トルコ絨毯の工房にも寄り、絨毯の制作過程を見ました。
とても細かな模様を何か月もあるいは何年もかけて織るそうで、織った直後は硬すぎるので、道路に敷き詰めて、車に踏んでもらって、柔らかくするそうです。
嘘のような話ですが、実際、この工房に行く途中の道路には絨毯が何枚も敷いてありました
素材も100%ウール、100%シルク、ウールと綿の混紡などさまざまで、値段も数万円から百万円以上のものもありました。

11時頃、やっと「カッパドキア」に到着しました。
カッパドキアは数百年前エルジェス山とハサン山が噴火して出来た凝灰岩層が長い年月の間に、侵食されて出来た、面白い形の奇岩群や岩山が広大な範囲にわたり、岩のあちこちには四角い穴、楕円の穴
などが多数開いています。
この穴は昔の人が掘って住居として、また教会や修道院などを作って生活をしていた跡だそうです。
スリーシスターズと呼ばれる岩やラクダのような岩などを見て、昼食は洞窟レストランでマス料理でした。


スリーシスターズ(親子岩、妖精の煙突、とも言われるそう)


ラクダ岩


洞窟レストラン

食後は、きのこの形をした岩が沢山ある「パシャバ」や巨大な一枚岩の城塞や鳩の谷がある「ウチヒサール」、また、カッパドキアの奇岩が集まった「ギョレメ谷」が一望できる場所に行きました。


きのこの形の岩


ウチヒサール(城塞の周りには小さな村やペンションもあるそう)



城塞の向かい側にある「鳩の谷」
岩の表面に多数の穴が開いて鳩が住み、昔は住民が鳩の糞を集めて、ブドウ畑の肥料にしていたので、「鳩の谷」といわれたとの事でした。


ウチヒサール城塞の裏側


ギョレメ谷(1)


ギョレメ谷(2)


ギョレメ谷(3)

やはり、世界遺産に登録されただけの事はあるし、他には類をみない素晴らしい景観でした。

カッパドキアの景色を堪能した後は、トルコの陶器店に立ち寄り、アンカラに向かいました。


一つ一つ手作りでブルーの地に白のレース模様の綺麗な皿


トルコ独特のカラフルな模様の皿

カッパドキアから3時間30分(280km)トルコの首都アンカラに到着し、夕食後、PM10時30分発の寝台列車、アンカラエクスプレスでイスタンブール目指して9時間の旅です。


アンカラ駅のホーム

アンカラエクスプレスはどんな列車なのかしら、また眠れるだろうかと思って、乗り込みますと、1等個室(2人用)は意外と綺麗で洗面台やタオル、石鹸も付いていました。
テーブルの下にある、小さな冷蔵庫には
お水、ネクター、ビスケット、チョコレートが入っていて、無料でした。
アンカラエクスプレスには食堂車もあり、深夜2時頃までお酒やお食事を楽しめるそうです。
私達も朝食は食堂車でいただきました。




イスタンブールのハイダルパシャ駅に着いたアンカラエクスプレス

AM7時30分に無事イスタンブールに到着しました。

ここから、市内観光になりますが、つづきは後日アップします。
コメントは、また後で。


トルコ旅行(3)

2011年07月14日 | 旅行

4日目
今日は世界遺産、パムッカレの観光です。
「綿の城」という意味のパムッカレは世界的にも珍しい石灰棚と遺跡で、1988年に「ヒエラポリス-パムッカレ」として世界遺産に登録されています。

ホテルからほどなくの所にパムッカレがあり、入場口をくぐると「ヒエラポリス遺跡」がありました。

ヒエラポリス―パムッカレの入り口

ヒエラポリスは石灰棚を望む丘の上に建造された古代都市遺跡で、円形劇場やアポロン神殿、浴場、出土品を納めた、ヒエラポリス博物館があります。
最盛期には人口10万人ぐらいいたそうです。

今回は時間の都合で、石灰棚に着くまでに、南側の城壁沿いにある遺跡を見て歩きました。

アポロン神殿跡
アポロン神殿跡には何本かの大理石柱と柱の下の部分だけのものが少しあっただけでした。
やはり、柱を運びだしたり、城壁の一部に使ったりしてしまったそうで、ちょっとがっがりしました。


大理石の円柱を城壁に使ってある

しばらく歩いて行くと、眼下に「雪が積ている!」と思ってしまう程、真っ白な石灰棚が広がっていました。

カムッパレの石灰棚
大規模な石灰棚のパムッカレは石灰を含んだお湯が下の平地に流れ落ちる途中で温度が下がって崖全体が結晶して真っ白な石灰棚ができるそうです。
大小合わせて100以上の棚プールがあり、棚に溜まった水が綺麗な水色でとても綺麗でした。


景観保護のためほとんどが立ち入り禁止
で一部だけしか入ることができません。
この区域はオリジナルの石灰棚を保護するために、観光客が入れるようにお湯を流した場所で、
どの棚も足首くらいの深さの足湯がありました。
私達も靴を入れる袋やタオルを持って行った
ので、足湯に入りましたが、入って、5分も経たな内にテレビのセリフではありませんが「なんと言う事でしょう」デジカメを足湯の中にポチャ~ン!落としてしまいました。
急いで、拾いあげましたが、内部に水が入り、シャッターは押せず、レンズカバーも閉じなくなってしまったので、すぐにメモリーとバッテリーを抜き、水気を拭き取り、そっと持ちかえりました。
カメラは壊れても、中の写真だけは無事でありますようにと祈るような気持ちでした。
(帰国後、PCにメモリーを入れ、198枚の写真が出て来た時はホットしました。)
そんなハプニングがあったので、足湯を楽しむ暇もなく、ビデオカメラの方で写真を2枚だけ撮って、早々に出てしまいました。

旅行保険に加入してあり、携行品の被害に対して出るようだったので、添乗員さんに話をして、被害の証明書を書いて貰いました。

ヒエラポリス博物館の横を通り、パムッカレ・テルマルという温泉施設に行きました。


パムッカレ・テルマル
大理石の柱など、ヒエラポリスの遺跡が底に沈んでいるという、珍しい温泉で観光客が水着で入って泳いだり楽しんでいました。


遠くに円形劇場跡
出口に向かって歩いていると、左奥の方に円形劇場跡があり、トルコ国内の円形劇場の中でも、保存状態が良く、芸術価値が高い装飾やレリーフがあるという事でした。(う~ん、時間があれば見たかった。残念!


パムッカレを後にして、400km先のコンヤという街に向かいました。
途中のドライブインで、ヒツジの乳で作った、とっても濃いヨーグルトに蜂蜜を掛けたものを食べました。
これはガイドさんお奨めの一品、お皿を逆さまにしても落ちない程、濃厚で美味しかったで~す。
ヨーグルトで有名なのは、隣の国ブルガリアですが、発祥の地はトルコだそうで、もう一つ、チューリップと言えばオランダと出てきますが、発祥地はトルコだそうです。びっくり聞いてみないと分からないものですね。
また、バラの花も有名で、バラジャムや石鹸などがありました。

バスに揺られること、5時間30分でコンヤに到着しました。
コンヤ市内観光で、インジェ・ミナーレ博物館(元はイスラム教の神学校として建てられ、今はイスラム関連の彫刻を展示)は正面入口の彫刻が美しいと言う事で、前で写真撮影だけでした。


インジェ・ミナーレ博物館

次はメブラーナ博物館・霊廟で、くるくる回りながら踊る旋舞教団として有名なメブラーナ教の始祖を、祀ってあり、緑色のタイルで覆われた円錐形の屋根が目に付きます。

メブラーナ博物館・霊廟
中には棺や年代物の絨毯などが展示されていて、シャンデリアなどの装飾も綺麗でした。


メブラーナ霊廟の向かい側に昔のトルコの生活が展示中でした

今夜のホテルはコンヤのリクソスで~す。(ダジャレ?)


続きは、また後日アップしたいと思います。
コメントは、またの機会にお願いします。


トルコ旅行(2)

2011年07月12日 | 旅行

3日目
アイワルクのホテルから、バスで3時間30分かかる、エフェソス遺跡を目指して出発しました。
途中、イズミールという街があり、山裾から山の上の方まで、家また家で埋め尽くされていて、びっくりしました。

山の上まで家がびっしり!

また、トルコは大理石の産地で移動中、切り出している所が何ヵ所もありました。

ある山の上に見張り台の城壁があり、何故、こんな所にと思っていましたら、昔、山と山の間はエーゲ海だったので、敵の船などが入って来るのを防ぐ為だったという事でした。(納得、納得)

エフェソス遺跡の近くに、アルテミス神殿の跡がありました。
とても大きな遺跡かと思っていましたら(かつては大規模なものだったそう)残念な事に、大理石などは昔、他のモスクや教会などを立てる為に持って行かれてしまったそうで、今はいくつかの柱の台座や割れた大理石を積んで復元した柱が1本あるだけでした。

アルテミス神殿跡
遠くに聖ヨハネ教会イサベイジャミィ(モスク)が見える

昼食はシシケバブ(串にさした物という意味)牛肉を串に刺し、ヒツジの脂肉で焼いたもので、ヒツジ肉の独特の香りがありました。


シシケバブ

レストランから数分で、エフェソス遺跡に到着


エフェソス遺跡は、今から約3000年前という事で、トロイ遺跡よりは新しいので、トロイ遺跡やアルテミス神殿跡とは比べものにならないくらい多くの遺跡が残っていました。

とても広大な面積の中に、音楽堂、図書館、大劇場、公衆トイレ、浴場などが大理石で出来ていました。


音楽堂
約1400人収容できる小劇場で代表者会議やコンサートをしたそう


勝利の女神・ニケ
ヘラクレスの門のアーチとして飾られて、スポーツメーカー「ナイキ(NIKE)」の名前の由来にもなっているそうです。
よく見るとナイキのマークがどこかに!


ハドリアヌス神殿

手前のアーチには運命の女神ティケ、奥の門には手を広げたメドゥーサ(髪の毛がへび)が彫られています。
怖いイメージのメドゥーサですが、魔の視線から守ってくれる神様だそうです。


公衆トイレの跡

仕切りがない大理石のトイレですが、女性は長いスカートだったので、裾をたくしあげ、それで覆い隠し、隣と話をしたりして、社交の場でもあったそうです。
穴のしたには水が流れていて、水洗式、前の溝にはきれいな水が流れていて、ここで手を洗ったそうです。
中央には噴水があり、音楽も流れていて、用をたす音を消す、役目もあったようです。
こんな昔から、水洗式や消音設備があった事におどろきました。



大劇場
紀元前2世紀に建てられ、2万4000人もの人を収容できる、野外大劇場は何度か修復をしているそうで、私達が行った時も、大きなクレーンが写真の右側にありました。
ピオン山の斜面に沿って造られ、直径154m、高さ38mの半円形。


こんなに素晴らしい遺跡なのに、まだ、世界遺産には登録されていないそうです。
何年か後には登録されるでしょうと、ガイドさんが言っていました。


その他にも沢山あったので、後はスライドショーで見てくださいね。
スライドショー画面の右下のボタンをクリックすると大画面で見られますよ!


観光後、バスで3時間、190km先の宿泊地、パムッカレに向かいました。


ホテルに飾ってあった民族衣装

パムッカレは温泉地なので、このホテルにも、屋外と屋内に温泉プールがあり利用する事が出来ました。

4日目からは、また後日アップしたいと思います。
コメントは、あ・と・で・ね!


トルコ旅行(1)

2011年07月08日 | 旅行

今、日本中が大変な時に、顰蹙をかってしまいそうですが、さんの休暇も取れたので、結婚30年と主人の誕生祝という名目で、6月29日から7月3日まで、トルコ旅行に行ってきました。

1日目
早朝5時に出発して、9時に成田着、12時発のトルコ航空で一路、イスタンブールに向かいました。
直行便なので、11時間で到着、日本時間ではPM11時、現地時間PM5時でした。
空港から、バスで1時間半ぐらいでホテルに到着。
トルコ航空はどんな感じだろうと思っていましたら、、スリッパとアイマスク、耳栓、靴下、歯ブラシが入ったポーチなどをくれたり、飲み物も食事の前後に3回も出て、日本の航空会社よりサービスが良かったです。


1日目、イスタンブールの夕暮れ


ホテルの中の結婚披露宴会場のトルコ式の花輪

2日目
イスタンブールから345km先のトロイを目指して、バスで7時30分に出発です。
途中、昼食(魚料理)の後、ダーダネルス海峡をフェリーで渡り、PM2時頃「トロイの木馬」で有名な世界遺産トロイ遺跡に着きました。
トロイは今から約5000年も前に2600年間、繁栄と衰退を繰り返してきたので、遺跡が9層に重なっているそうです。

東塔と城壁(第6市)トロイ戦争の頃のもの


シュリーマンという人が最初に発掘を始めた場所

ガイドさんの説明で「ここは第6層(第6市時代)の城壁です」とか、ある所に行くと2層から9層が一度に見えたり、いけにえの儀式が行われた聖域などがあったりしました。
いけにえと言っても人間ではなく、ヤギ(トルコ語ではクズ)とかヒツジ(ケチ)などだったとの事です。


2層から9層が一度に見える場所


この城壁の上に宮殿があったそうです



いけにえの儀式があった聖域


野外劇場跡(第9市)

現代のような道具や重機が無かった時代に、宮殿や大理石の柱、城壁などを、どのようにして作ったのか、不思議で気の遠くなるような歳月の流れを感じました。

入り口近くにある「トロイの木馬」は神話を元に復元された物で、中に入ることができ、窓から外をみたり、顔を出して写真を撮る事も出来ます。


トロイの木馬


木馬の内部

ギリシャ神話の「トロイ戦争」は紀元前1200年頃(今から約3200年前)にトロイの王子が、ギリシャのスパルタの王妃ヘネンを誘惑して王宮から連れ出した事を発端に、ギリシャ軍とトロイ軍の戦いが始まり、10年の歳月が経ちギリシャ軍が最後の手段として、巨大木馬を作り、その中に兵士を隠れさせた。その木馬を巧みにトロイ城に引き入れさせ、夜、一気に攻め入り落城し、トロイ戦争はギリシャが勝利したそうです。

トロイ遺跡を後に、バスで今夜の宿泊地アイワルクへ150km(2時間30分)の移動でホテルへ。

夕食後、PM8時だと言うのに、外は明るかったので、ホテル前のエーゲ海まで散歩をしました。
向かい側にレスヴォスという島があり、内海のようになっていて、静かなプライベートビーチ、ちょうど夕日が沈む時間だったので、観光客(殆ど日本人)が集まって写真を撮っていました。


エーゲ海の夕日

折角、ここまで来たのだからと、我が家のさんは、靴と靴下を脱ぎ、エーゲ海に足を踏み入れて、その感触にご満悦でした。

続きは、また後日アップしたいと思います。(いつになるか?)
コメントは、あとでお願い致します。