静と動の趣味日記

以前習った押し花作品やエコクラフトバックなどを掲載。運動不足解消に始めた卓球の事や旅先の事を気ままに書いています。

イタリア旅行(6)

2014年07月19日 | 旅行

7日目(6月27日)

今日は、世界遺産ローマ歴史地区と世界遺産ヴァチカン市国観光です。

ホテルからバスに1時間ぐらい乗り、初めに訪れた所はヴァチカン市国です。
ヴァチカン市国はローマ市の北西に位置する独立国家で、国の面積は0.44平方キロメートルと小さく、教皇が暮らすヴァチカン宮殿、サン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン美術館などの施設がほとんどを占めているとの事です。
人口は814人(2013年4月時点)の大半が聖職者で、公用語はラテン語、普段はイタリア語で話しているそうです。

まず初めはヴァチカン美術館からでした。
ヴァチカン美術館は、古代から現代に至る芸術品の数々を収める世界最大の美術館で、教皇領内などで発掘された美術品や、歴代教皇たちの美術収集品を保存するために造られた20以上の美術館と博物館とで構成されているそうです。
例えば、イタリアを代表するレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ティツィアーノなどの絵画を所蔵する「絵画館」、古代ギリシャとローマの彫刻を展示した「燭台のギャラリー」、グレゴリウス13世の命で描かれたイタリア各地の地形図を展示した「地図のギャラリー」、「タペストリーのギャラリー」などがありました。
最大の目玉はミケランジェロの「最後の審判」のあるシスティーナ礼拝堂です。
システィーナ礼拝堂はヴァチカン美術館の建物はつながっていて、神聖な場所のために私語禁止、撮影禁止、ガイドの説明も禁止なので、前もって、システィーナ礼拝堂のフレスコ画を写したパネルが置かた庭で、現地ガイドさんが説明をしてくれました。



ヴァチカン美術館出口上の彫刻・入口は左にぐるっと回った所に


ヴァチカン美術館の庭


システィーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」の説明用パネル


システィーナ礼拝堂の天井画の説明用パネル


ヴァチカン美術館から見た、サン・ピエトロ大聖堂の屋根


ヴァチカン美術館の綺麗な天井画


燭台のギャラリー・アルテミスの立像



燭台のギャラリーにある彫刻


レリーフ(浮き彫り)の様に見える天井画


天井画をアップにしても、浮き彫りとしか見えないが、浮き彫りの様に描いたというから驚きの技術!



大きなタペストリー(聖書のストーリーをモチーフにした作品がたくさん)


タペストリー・エマオの晩餐


タペストリー(こんなに大きなタペストリーを織るのには何年かかるのかしら?)


地図のギャラリー見事な天井画


地図のギャラリー・半円型天井の紋章とレリーフ


地図のギャラリー・イタリアの地形図


ヴァチカン美術館から出る通路、こんな所にも彫刻や装飾が・・・


ヴァチカン美術館から大聖堂に向かう途中にも彫刻


ヴァチカン美術館やシスティーナ礼拝堂の素晴らしい彫刻やフレスコ画、タペストリーを観賞し、続いて、サン・ピエトロ大聖堂の見学でした。

サン・ピエトロ大聖堂はカトリック教会の総本山で、イエス・キリストの使徒の一人で、キリストから後を託されたとされるペドロが死んだ場所に、古代ローマで初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が造らせたのが始まりと言われているそうです。
ルネサンス期に大改修が行なわれ、現在のような形になりますが、その建築主任にはラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニといった、イタリア史上有数の芸術家が何人もかかわり、同時に、多くの芸術家がその改修途中で命を落としている世界最大の大聖堂でもあるとの事です。


サン・ピエトロ大聖堂前から見た、サン・ピエトロ広場


サン・ピエトロ広場をパノラマで(クリックすると大画面になります)


サン・ピエトロ大聖堂のピエタ像(死せるキリストを抱いた聖母マリア、ミケランジェロの25歳の作品)



サン・ピエトロ大聖堂・祭壇正面


大聖堂入口近くのドーム


サン・ピエトロ大聖堂内部・絵画


サン・ピエトロ大聖堂内部の彫刻


サン・ピエトロ大聖堂内部



サン・ピエトロ大聖堂内部


ブロンズの天蓋は、ベルニーニの作品


サン・ピエトロ大聖堂内部


サン・ピエトロ大聖堂・マンホールのようで、紋章の透かしが入った蓋、この地下にペドロの墓があるそうです


ヴァチカン宮殿・左右の柱廊には284本の巨大な柱、その上には140体のカトリックの聖人たちの彫刻


ヴァチカン宮殿前の巨大な柱(4列ある柱が1本に重なって見える場所から撮ったもの)


広場の方から見た、サン・ピエトロ大聖堂


大聖堂の横にスイス人衛兵(教皇ユリウス2世が雇ったスイス人傭兵は忠誠心が高く強いと評判だったのが現在まで)


世界一小さな独立国、ヴァチカン市国を後にローマ市内の観光に行きました。

バスの中から、ローマ市街地やローマ帝国の政治、経済の中心地だったと言う「フォロ・ロマーノ遺跡」などを見ました。
また、コロッセオも車窓から見る予定でしたが、現地ガイドさんの粋な計らいで、15分程でしたがバスを降りて、外観だけ見学することが出来ました。
ローマに来たら、やっぱりコロッセオを見なくては話にならないですからね。
ガイドさんに感謝で~す。


サンタンジェロ城(車窓から)


ローマ市内(車窓から)


ローマ市内(車窓から)


ローマ市内(車窓から)

コロッセオは、ローマ帝政期に造られた円形闘技場で、英語では競技場を指す コロセウムや、コロシアムの語源ともなっていて、現在ではローマを代表する観光地です。
周囲527メートル、高さ48.5メートル、5万人を収容することができたとされるコロッセオでは、剣闘士たちの血なまぐさい格闘がおこなわれたそうです。

コロッセオのすぐ隣には、コンスタンティヌスの凱旋門(高さ25m)があり、ローマに数ある凱旋門の中でも最大で、当時、副帝だったコンスタンティヌス帝(272~337年)が、正帝のマクセンティウス帝に対し、312年に行われたミルヴィオ橋の戦いで勝利した事を記念して、315年に建築されたものだそうです。



コロッセオ


コロッセオ


コンスタンティヌスの凱旋門(右側にはコロッセオが)


車窓からフォロ・ロマーノ(古代ローマの中枢だった)



ラーマ市内(車窓から)


コロッセオから、またバスに乗り、昼食は市内のレストランでカルボナーラとサルティンボッカ、ミルクゼリーでした。
サルティンボッカいうのはイタリア語で「口に飛び込む」の意味で、短時間で簡単にできることからで、仔牛肉・鶏肉・豚肉などに小麦粉をまぶしてバターで焼いたものの上に、生ハムとセージをのせたり並べた料理だそうです。

昼食の後は、トレビの泉や映画「ローマの休日」で有名なスペイン広場を見て歩きました。
楽しみにしていたトレビの泉はあいにく、改修中でローマ再訪を願うコイン投げが出来なくて、がっかりでした。
スペイン広場も有名な観光地なのでしかたがありませんが、階段上の教会が改修中に加え、人、人、人でちょっとイメージダウンでした。


昼食のカルボナーラとサルティンボッカ、デザートはミルクゼリー


トレビの泉(改修中で水がな~い!)


スペイン広場のオベリスク(記念碑)


スペイン広場の階段


ローマ市内を後に、夕刻発の飛行機に乗るために空港に向かいました。
旅行中、提供される食事には一度もピザが出なかったので、食べたいと思っていた所、空港でちょっと時間があったので、本場のピザを食べる事が出来ました。


ローマの空港で食べた美味しいピザ(写真がちょっと汚くて失礼!)


ローマ・フィウミチーノ空港(別称がローマ・レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港)


ローマ空港発19時05分の飛行機で、イスタンブール経由で8日目の(6月28日)18時30分、無事に成田空港に到着しました。

出発前は8日は長いと思っていましたが、ツアー名「てんこもりイタリア8日間」のとおり、毎日、早朝出発で夜遅くまで観光で、9つの世界遺産やたくさんの素晴らしい観光地を見る事が出来て、「あっ!」言う間の8日間でした。
なかなか入る事が出来ない「青の洞窟」やイタリアの歴史的建造物や絵画、彫刻を堪能出来ました。
欲を言えば、ローマ市内をもう少しゆっくり見たいと思いました。
もし、次回、行くことが出来たなら、ローマをメインに南イタリアの方を旅したいと思っていま~す。

イタリア旅行(1)~(6)まで、つたない文章を読んでいただきましてありがとうございました。
間違った記述もあるかと思いますが、私の備忘録として書きましたので、ご容赦くださいませ。


イタリア旅行(5)

2014年07月17日 | 旅行

6日目(6月26日)

今日はいよいよ楽しみにしていた、青の洞窟観光の日です。
青の洞窟は悪天候の時や晴れていても波が高かい場合には洞窟内には入れないそうで、曇り空を見上げながら、入れるだろうかと思いながら、バスに乗りました。
早朝6時30分、ローマから約250kmのナポリに向け出発で~す。
バスで移動すること、3時間でナポリのベヴェレッロ埠頭に着きました。
そこから、10時10発の船に乗り40分でカプリ島に着き、さらに2艘の小さな船に分乗して、青の洞窟を目指しました。
行きはゆっくり周りの景色を見ながら、洞窟の入口前に着くと、すでに他の観光客の乗った小型船が何艘か待機していました。
青の洞窟に入るには、小さなボートに4人ずつ乗り移り、波の上下動のタイミングを見計らい、船頭さんが鎖をつかんで狭い入口をくぐるので、私達の順番が来るまで、とても時間が掛かりました。
待っている間にも、波が高くなったり、静まったりと繰り返していたので、洞窟に入れるか心配でしたが、無事に入る事が出来てラッキーでした。


ナポリのベヴェレッロ埠頭


カプリ島から20人乗りぐらいの小型船で青の洞窟へ

青の洞窟に行く途中の絶壁


青の洞窟入口・沢山の小舟が待っている


小舟に乗り移って、いよいよ入洞


青の洞窟に入り、振り向くと、海面が紺碧の光を受けて神秘的な青色をしているのが目に飛び込んできて、思わず「ワァ~!」と叫んでしまいました。
洞窟内がきれいな青に輝くのは晴れた、午前中の方が良いそうです。(朝は曇り空でしたが、私たちが洞窟に入る頃には晴れました


テレビやガイドブックで見た事がある、あの青色の海に感動!


入口は狭いけれど、内側は結構広い空間が広がっている


奥の方から、入口の方を見ると青色が綺麗!


青の洞窟に入った時の動画をyoutube にアップしました。
短時間ですが、興味があったら下記のURLをクリックしてご覧ください。
一緒に小舟に乗っている気分を味わっていただければ幸いで~す

https://www.youtube.com/watch?v=PlqvD-fb4oI


青の洞窟からカプリ島の港に戻り、小高い丘の上のレストランで昼食でした。

メニューはカプレーゼ、ボンゴレパスタ、ケーキで、カプレーゼと言うのは「カプリ島のサラダ」という意味だそうで、材料はバジル、トマト、モッツァレラチーズを薄く切って、塩やオリーブオイルで味を付けたものです。


昼食・カプレーゼ、ボンゴレパスタ、チョコレートケーキ


昼食の後は、バスでナポリ市内に戻り、世界遺産ナポリ歴史地区を車窓から観光して、ポジリポの丘(世界3大夜景で有名)という高台に行きました。
そこからは、地中海貿易の拠点となったサンタ・ルチア湾とその遠景にそびえるヴェスヴィオ火山、ナポリ市内が一望できました。(夜景ではなかったのが残念!)


ナポリ市内


ナポリ市内・プレビシート広場



ナポリ市内


ガラス天井のウンベルト1世(イタリア王国の第2代国王)のガッレリア


ヌオーヴォ城(13世紀にアンジュー家が起工し、その後アラゴン家のアルフォンソ1世によって改築、現在は博物館との事)


ポジリポの丘からサンタ・ルチア湾と右側にヴェスヴィオ火山


ポジリポの丘からのパノラマ

ナポリを後にして、ローマへ戻る途中のレストランで夕食でした。


夕食・ミネストローネ(野菜スープ)、ミートボール野菜添え、季節のくだもの


夕食後、さらにバスに揺られ、ローマ市内のホテルに着きました。(前日と同じホテルに連泊)


読んでいただいて、ありがとうございました。
続きは、また後日アップしたいと思いま~す。


イタリア旅行(4)

2014年07月13日 | 旅行

5日目(6月25日)

今日はフィレンツェからローマまで428kmの長~い移動になります。
途中、シエナ、ピエンツァ、オルチャ渓谷、オルビエートなどの街を散策する予定です。

ホテルを出発して程なく、見た事のある風景が目に入って来て、バスが止まりました。
添乗員さんが昨日は休日で入れなかった事を話したら、親切なバスの運転手さんがミケランジェロ広場の前で停めてくれました。
「写真だけ撮ったらすぐに戻ってください!」という添乗員さんの言葉に、皆さん、喜んでカメラだけ持って、フィレンツェの街並みやミケランジェロのダヴィデ像も写してバスに戻りました。
曇り空だったので、画面が暗いですが、フィレンツェの街並みが一望に見られ、ダヴィデ像も今日は前から写す事が出来て満足でした。
運転手さんに感謝で~す。


ダヴィデ像のレプリカ(本物はアカデミア美術館)


フィレンツェの街並み・中央は「ドゥオモ」、すぐ左は「ジョットの鐘楼」、左の塔は「ヴェッキオ宮殿の鐘楼」



フィレンツェの街並みをパノラマで

フィレンツェの街を後にして、初めは世界遺産シエナ歴史地区の観光です。
坂の多い石畳の道や中世そのものの街並みが残るシエナの街は12~15世紀にかけて整ったゴシック風外観を保っていて、世界一美しいといわれる扇の形をしたカンポ広場、ドゥオモ(シエナ大聖堂)、プッブリコ宮殿(内部はシエナ派の名画を所蔵する市立美術館)などがありました。


サン・ドメニコ教会付近からのシエナ大聖堂


サン・ドメニコ教会付近からシエナ大聖堂の丘を見た風景



シエナの街並み・狭い路地の坂道


シエナの街中からサン・ドメニコ教会を

シエナ大聖堂はキリスト教・カトリックの教会堂で、1200年代にもともと教会があった場所に約200年かけて建てられたそうですが、その起源はよく分からないとの事です。
白と黒(黒っぽい緑)大理石の縞模様が特徴の教会堂で、この色はシエナのシンボル・カラーで、ファサードはこれに赤大理石が加わり 、三角形の破風をもつファサードは、ジョヴァンニ・ピサーノの設計で、1480年に完成したとの事です。
シエナ大聖堂正面の右側には「雌狼と乳を飲む人間の双子の像」がありましたが、これにはローマ建国の伝説があるとガイドさんが次のように説明してくれました。
「雌オオカミに育てられた双子「ロムルス」と「レムス」が争い、勝った「ロムルス」の名にちなみローマを建国したそうです。
これが双子に授乳する雌オオカミの像を紋章としたローマの伝説ですが、負けた「レムス」には二人の息子があり、この地に逃れてシエナを建国、それで同じ紋章を使っているそうです。」


シエナ大聖堂の裏側にある洗礼堂


イタリアで最も華麗と言われる、シエナ大聖堂正面



シエナ大聖堂側面(白と黒の大理石の縞模様が良くわかる)


シエナ大聖堂正面右側に立つ塔の上にある、雌狼と双子の像


プッブリコ宮殿・左の塔はマンジャの塔


シエナの街は今も中世当時の地区の伝統を守って、パリオというお祭りが、毎年2回開催されるそうです。
お祭りは、地区(コントラーダ)対抗の競走馬大会でシエナの重要な伝統行事、中世の衣装に身をまとった地元の人の行列と、その後に行われる競馬はカンポ広場が使われるとの事でした。


カンポ広場


カンポ広場の周りには、お土産店、レストランなどが


この日の昼食はカンポ広場にあるレストランで、魚料理とデザートはチョコレートプディングでした。

シエナの次は世界遺産ピエンツァに向かいました。

世界遺産でもあるオルチャ渓谷のあるトスカーナの丘陵地帯は、ヨーロッパ随一の美しい田園風景で、中部イタリアの特徴を色濃く残していて、手入れの行き届いた田園と糸杉が並ぶ広大な景色は世界に知られているそうです。
その美しい景色には、美しい建物が溶け込むように点在していて、その中でも特に美しい町が「ピエンツァ」との事です。
ガイドブックにはほとんど載っていない小さな町ですが、欧米からの観光客が多い有名観光都市らしいです。

ピエンツァ市街の歴史地区は城壁に囲まれた東西400メートルほどの小さな町で、端から端まで歩いてもわずか10分程度、その箱庭のような町に当時の最高技術をつくした広場や宮殿、聖堂などを造ったそうですから、珍しい街と言えますね。
小高い丘の上にある事から、世界有数の絶景オルチャ渓谷を見下ろすことができました。


オルチャ渓谷


ピエンツァの広場と街並み


ピエンツァ大聖堂は三層構造になっていて、ルネッサンス様式のファサードにはピッコローミニ家の紋章が付いています。
内部はドイツ教会風になっていて、内陣を中心に放射状に5つの礼拝堂が並んでいました。


八角形の鐘楼があるピエンツァ大聖堂


ピエンツァ大聖堂内部


ピエンツァ大聖堂内部


糸杉の奥にオルチャ―渓谷



ラベンダーが綺麗な城壁の上の散歩道


ピエンツァの町を後に、オルヴィエートという町に向かいました。

オルヴィエートの町は今から約2500年前に誕生し、断崖絶壁の丘の上に広がって、かつて教皇の隠れ家として栄えた町並とゴシック建築の宝石とも呼ばれる、ドゥオモ(大聖堂)が美しく、中世の面影を残しているとの事です。

バスの駐車場からちょっと歩いて、小さな赤いケーブルカーに乗って旧市街に向かいました。
4万人が住むオルヴィエートの町は住人も旅行者もとても穏やかで、大地から隆起した凝灰岩の自然の城壁に囲まれているので、治安もとても良いそうです。
何世紀にもわたって、歴史や遺跡を守るために、オルヴィエート市内には新たに住居建築が禁止されていて、オルヴィエート・スカーロと呼ばれる崖下の町が新しい住居地区となっているとの事でした。


車窓からオルヴィエートを


オルヴィエートの町並み


街の中心にそびえる大聖堂(ドゥオモ)は、1290年頃から『ボルセーナの奇跡』を記念するために建設されたそうです。
『ボルセーナの奇跡』と言うのは、オルヴィエートから10kmのボルセーナの聖クリスティーナ教会でミサを行っていると、パンからキリストの血が滴りはじめ、聖餐布を血に染め始めたという。
この奇跡を聞いた、法王ウルバーノ4世の命で、この聖なる麻布はオルヴィエートに移され、その後この遺品を収める為のドゥオモが建設されたとの事でした。
建設は3世紀にもわたり、たくさんの建築家、彫刻家、画家、モザイク師が関わって、細かな装飾と色鮮やかなモザイク画が特徴的で、3つの尖塔を備えたゴシック建築を代表する建物として世界的に有名だそうです。



オルヴィエート大聖堂(ドゥオモ)


オルヴィエート大聖堂・中央最上部のモザイクと薔薇窓


オルヴィエート大聖堂・白黒の縞模様の側面


大聖堂の前にはこんなカラフルな絵皿を売るお店が


オルヴィエートの町を後に、いよいよローマに向かいます。

バスに乗る事3時間、やっとローマ市内に着き、車窓からちょっとだけ市内観光をしました。
今日は市内のレストランでカンツォーネを聞きながらの夕食で~す。


車窓からローマ市内の街並み


ローマ市内の街並み


イタリア統一の立役者、初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂


カンツォーネを聞きながらのディナー(奥の黒い服の女性が歌ってくれました)



夕食のメニューはクリームソースのラヴィオリ・魚ムニエル・デザートのティラミス



サンタノジェロ城の夜景


夕食のレストランがらバスで、夜景を見ながら、ローマ市内のホテルに向かいました。


読んでいただきましてありがとうございます。
6日目からは、また、後日アップしたいと思います。


イタリア旅行(3)

2014年07月10日 | 旅行

4日目(6月24日)

今日は、世界遺産ピサの観光です。
フィレンツェのホテルからバスで、1時間20分ぐらいで、ピサに到着しました。
観光バスの乗り入れが禁止されているそうで、離れた駐車場から無料循環バスに乗って移動しました。
無料バスに5~6分乗り、ピサの斜塔の停留所に到着しました。
そこから歩いて行くと、手前に洗礼堂とドゥオモ(大聖堂)、奥の方にピサの斜塔が見えてきました。


洗礼堂、ドゥオモ(大聖堂)、奥の方にピサの斜塔


洗礼堂は、聖ヨハネに捧げられた円筒形の建物で、直径約35メートル、着工は1152年で、完成までには200年以上掛かったそうです。
外観はロマネスク様式で、外壁は白い大理石で造られ、無数の柱とアーチで装飾されていて、上側はゴシック様式の細かな装飾が施されていました。
この屋根は西から見ると赤瓦で、東から見ると大理石の化粧版なので、同じ建物とは思えないほどでした。
長い年月を費やして造られ、時代の移り変わりが反映された建物との事です。



ドーム型の洗礼堂


西から見た赤瓦


東から見た大理石の化粧版


ドゥオモ(大聖堂)は、11世紀にピサ艦隊がサラセン艦隊に勝利した記念として建築が始められたとの事です。
細い柱と半円アーチによる柱廊が4層積み重なった特徴的なファサードがあり、ピサ・ロマネスク様式の最高傑作と言う事です。
このピサ広場の建築物を見学するには、入場料が掛かるのですが、この大聖堂だけは入場無料(無料チケットは必要)だそうです。
後から知ったので、時間もなく、中は見られませんでした。


ドゥオモ(大聖堂)・見学の行列


ピサの斜塔は1173年、ドゥオーモの鐘楼としてボンナノ・ピサーノの設計で建設が始められ、177年も掛かり、1350年に完成したそうです。
高さは地上約58m、階段は297段あり、8階建て、外径は約20m、内径は約4.5m、重量は約1万4200トン、傾斜約4mとの事です。
斜塔に登ることはできますが、前もって予約が必要で、人数制限もあり、たくさん登りすぎて傾斜に拍車がかからないようにという配慮からなのでしょうか。
私たちも登りたかったのですが、時間がなく断念しました。


ピサの斜塔


ピサの斜塔を支えるお決まりのポーズで現地ガイドさんに写して貰いました


約1時間30分のピサ観光を終え、再び循環バスに乗り、さらに観光バスに乗り換えて、フィレンツェに戻りました。
世界遺産フィレンツェ歴史地区の観光の初めは、フィレンツェの町を一望できるというスポット「ミケランジェロ広場」に行きましたが、残念ながら、この日は休日(平日なのに?)と言う事で広場の入口に鎖が張り巡らされていました。


ミケランジェロ広場は中に入れなかったので、ドゥオモとジョットの鐘楼の頭のみ



休日の為に、ミケランジェロのダヴィデ像も後ろ姿しか写せない

次に昼食の為に街の中を散策しながら、レストランに向かい、フィレンツェ風ステーキでした。

昼食後、ドゥオモ(花の聖母教会)、ウフィッツィ美術館などの見学です。
歩いて、ドゥオモ広場に到着するとそこには、ドゥオモ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼がありました。 


左側サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ(ドーム型)、ジョットの鐘楼

ドゥオモは、「花の聖母の大聖堂」と呼ばれ、正式名称は「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」で、1296年に着工し、140年の歳月をかけて、奥行153m、ドーム高さは100mを超え、美しいアーチの屋根の大聖堂で、3万人も収容できる内部は、天井のフレスコ画、大理石の床、24時間時計が見どころとの事です。


ドゥオモ正面の幾何学模様の綺麗なファサード



ドゥオモ側面とドーム屋根



ドゥオモ内部・祭壇


ドーム天井の旧約聖書を題材にしたフレスコ画「最後の審判」



綺麗な大理石の床


24時間時計(私達には何時かわかりませんが、ガイドさんは合っていると)


サン・ジョヴァンニ洗礼堂はドゥオモの正面に建つ八角形の建物で、キリストを洗礼した、聖ジョヴァンニ(ヨハネ)の名前をとった洗礼堂だそうです。(残念ながら、改修中でした)
この建物は、本体よりもその扉が有名で、彫刻家ギベルティの作った「東の門」の扉は旧約聖書をモチーフにしたレリーフは、美しさに感動したミケランジェロが「天国の門」と賞賛したので、現在はこの名前で呼ばれるそうです。
今、ある扉はレプリカで本物はドゥオモ付属博物館にあるとの事でした。


サン・ジョヴァンニ洗礼堂は改修中で幕が張ってありました



サン・ジョヴァンニ洗礼堂の東の門(別名天国の門)


サン・ジョヴァンニ洗礼堂・東の門の拡大

ドゥオモの脇に立つ大鐘楼(ジョットの鐘楼)は1334年にジョットの設計により建設が始められ、彼の死後はピサーノ、タレンティの手を経て1359年に完成し、塔の高さは84メートル、階段は414段で、基部のレリーフや彫像などはレプリカで、本物はドゥオモ付属博物館に収められているそうです。


ジョットの鐘楼


ドゥオモから歩いて行くと、屋外にコジモ一世騎馬像やミケランジェロの「ダヴィデ像」、「メドゥーサの首を持つペルセウス像」など沢山の彫刻が並ぶ、シニョリーア広場がありました。


コジモ一世騎馬像


ダヴィデ像・レプリカ(本物はアカデミア美術館)


メドゥーサの首を持つペルセウス像


次はいよいよ、ウフィッツィ美術館です。
ウフィッツィとはイタリア語で「オフィス」を意味する単語で、この美術館は元は6世紀中頃、コジモ1世がフィレンツェ公国の役所を一カ所に集めるための建物として建てたもの、役所のオフィスだから「ウフィッツィ」と呼ばれてきたそうです。

内部は撮影禁止かと思いきや、「フラッシュを使わなければ、どんどん撮って良いですよ!」と元気な現地ガイドさん(目立つように上から下までピンクのものを身につけて来た)の言葉に皆さん、ビックリしてました。
美術館の作品が撮影出来るなんて、日本では絶対に考えられませんよね。

沢山の作品があり、全部を見て歩く時間がありませんので、現地ガイドさんが、代表的な作品を次々に紹介して館内を小走りに走るような速度で見ました。
足の速いガイドさんで、付いて歩くのが大変でした。


ウフィッツィ美術館の天井に描かれている絵も素晴らしい

ウフィッツィ美術館の絵画を一部スライドショーにしてみました。


美術館を見た後、ちょっと時間があったので、美術館からも見えた、アルノ川に架かるフィレンツェ最古の橋、ヴェッキオ橋を見たり、メルカート・ヌオーヴォという市場の南側にあるイノシシのブロンズ像などを見て集合場所に行きました。


美術館から見た、ヴェッキオ橋


ヴェッキオ橋の上・両側に金細工のお店などがたくさんあります



イノシシのブロンズ像(鼻をなで、口からコインを落として下の皿に入るとフィレンツェに再訪できるとか?)


集合場所近くにあったサンタ・クローチェ教会


市内からバスでホテルに向かい、夕食はホテルで、ラザニアと薄切りステーキ、アップルケーキでした。


ラザニア、薄切りステーキ、アップルケーキ



今夜も昨日と同じ、フィレンツェのホテルに連泊です。


読んでいただきまして、ありがとうございます。

続きは、また後日アップしたいと思います。


 


イタリア旅行(2)

2014年07月07日 | 旅行


3日目(6月23日)
今日は、世界遺産ヴェネツィア(ベネチア)の観光です。
ヴェネツィアのメストレ地区にあるホテルから、バスでヴェネツィア行きの船乗り場(トロンケット港)まで行き、船に乗る事30分でヴェネツィア本島に着きました。


私達が乗った船


港に停泊中の豪華客船


船から見たヴェネツィア本島・高い塔は大鐘楼

船から降りて、サン・マルコ寺院を目指して歩いて行くと、途中、現地ガイドさんが右手に見えるのが「ため息橋」ですと言って、説明をしてくれました。
旅行会社から貰った旅のしおりに書いてあった「ため息橋」はガイドブックにも出ていなかったので、何だろうと思っていた橋です。
この橋はドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶために16世紀に作られ、有罪判決を受けて牢獄へ送られたり、尋問されるために牢獄から裁判所へ引き出される囚人たちが、ため息をつきながらこの橋を渡ったから、この名前が付けられたとの事でした。
他の橋と違って、囚人たちが逃げられない様に四方を壁で囲ってありました。


ため息橋の下を通る船
因みに、ヴェネツィアには120島を結ぶために、400以上の橋があるそうです。

さらに歩いて行くと、右側にヴェネツィア共和国中枢だった、ドゥカーレ宮殿、その先には、2本の柱があり、上にはそれぞれ聖マルコの象徴とされた翼の付いた獅子像と聖テオドーロの彫像が立っているサン・マルコ小広場と呼ばれる所がありました。

中世の頃にはこの柱の間に死刑執行台が置かれていたために、ヴェネツィアの人は縁起が悪いとして柱の間を通り抜けないそうです。


左手前がドゥカーレ宮殿


翼の付いた獅子像


聖テオドーロの彫像


サン・マルコ寺院はエジプトのアレキサンドリアで殉教したと伝えられる、聖マルコの遺骸を祭るために、829年に建立されたそうです。
暴動により何度か消失と再建を繰り返し、今の5つのドーム状の屋根は13世紀に造られたそうで、トルコ旅行の時、良く見かけたモスク風の丸屋根がオリエント様式を感じさせていました。
正面のファザードのモザイク画は、他のフレスコ画と違い、ヴェネツィアングラスを使っているので、何時までも色が褪せることなく、美しい色彩のまま保たれているとの事でした。


サン・マルコ寺院の側面(改修の為の足場が)



サン・マルコ寺院の正面(上の方は改修中)


サン・マルコ寺院の屋根にある繊細な装飾


イエスが十字架を担いでいる、モザイク画


ヴェネツィア総督や市民が聖マルコ遺体を歓迎する、モザイク画



行列で大聖堂内へ運ばれる聖マルコの棺、モザイク画

寺院の前のサン・マルコ広場はヴェネツィアの中心的広場で、「世界一美しい広場」とナポレオンが大絶賛したそうで、時計塔やドゥカーレ宮殿、アーケードのある建物に囲まれ、共和国時代は祭礼や公式行事の場だったとの事でした。
また、一際目立つ96mの大鐘楼は16世紀に建設され、もとは見張り台と灯台の役目だったそうで、1902年に倒壊し、10年後再建されて、今はエレベーターの付いた見晴台として、人気があり観光客が並んでいました。


サン・マルコ広場


サン・マルコ広場のカフェで生演奏している


大鐘楼


サン・マルコ広場に建つ時計塔は、1496年から3年間で建設され、今でも、一番上の2体のムーア人の像が鐘を鳴らして時を告げていました。


時計塔


時計塔のアップ・2体のムーア人が鐘を鳴らしている

サン・マルコ広場を後にして、船で30分ヴェネツィアングラス工房のあるムラーノ島に行きました。
ヴェネツィアングラスの製造は13世紀頃にはじまり、ヴェネツィア共和国は火災の被害を抑えることや、製造技術が他国に漏れることを防ぐ目的で職人たちをムラーノ島に強制的に移住させたと言われているそうです。

グラス工房に入ると説明担当者が流暢な日本語で説明をしてくれました。
そこでは熟練の職人さんが、ものの10分と掛からず、真っ赤に焼けた透明なガラス玉を細工して、躍動的な馬の置物を作って見せてくれました。
続いて、もう一つ、透明なガラスの中に金の模様を入れた花瓶も6分ぐらいで作って見せてくれました。
次はお決まりのコースで工房の2階にあるショップで、ヴェネツィアングラスの商品の説明があり、ちょっとだけお買いものタイムがありました。


出来たての馬の置物を見せる職人さん


金の模様の花瓶


金太郎飴みたいなガラスの小片を並べて、下の様なお皿などを作るそう


綺麗な模様のお皿(とっても高級品)


綺麗なグラスやお皿などが並んでいるショップ


再び、船でヴェネツィア本島に戻り、昼食を食べてから、憧れのゴンドラ遊覧体験をしました。


昼食のイカ墨パスタ・魚介フライの野菜添え・デザートにアイスクリーム


昼食のレストランから、細い路地を抜け、ゴンドラに乗る為に港の方まで歩きました。
途中に、沢山の小さなお店があり、その中にカラフルな仮面や煌びやか仮面を売るお店があり、「なぜ、仮面を売っているのかな?」と思っていました。
調べてみると、ヴェネツィアでは毎年2月にカーニバルが開催され、その時に使われたり、おみやげ物として売られているようです。
かつて階級制度が厳しかったヴェネツィア共和国では、仮面を付けて、身分がわからないようにして、お祭りを楽しんだという事らしいです。


カラフルでちょっと怖そうな仮面


金ぴかの仮面

いよいよ憧れのゴンドラに乗船です。
今回のツアー総勢38人なので、何艘かのゴンドラに分かれて乗り、街の中に張り巡らされた水路を30分ぐらい掛けて廻りました。

ゴンドラから見上げる建物も窓辺に花などが飾ってあったり、趣のあるレンガ作りだったりして、とても素敵な体験でした。




お仲間が乗ったゴンドラ


私達が乗る一見、豪華そうなゴンドラ


ゴンドラから見る建物


橋の下をくぐるゴンドラ


水路の両脇にある、花の綺麗な建物

ヴェネツィア本島から船で30分、トロンケット港に戻り、バスで次の目的地、フィレンツェを目指し、約4時間(275km)の移動です。
途中、休憩を取りながら、フィレンツェのホテルに着き、夕食はチキン料理でした。


つたない文章を読んでいただきましてありがとうございます。
コメントは失礼いたします。

続きは、また、後日アップしたいと思います。


イタリア旅行(1)

2014年07月05日 | 旅行

2014年6月21日から28日まで、イタリアに行って来ました。
遅くなりましたが、自分の備忘録としてアップしま~す。

1日目(6月21日)
飛行機が遅めの出発だったので、車で自宅を15時30分に出て、成田空港に19時に着きました。
いままで、5時間掛かる予定で家を出ていたのですが、今回は最短時間の3時間半で着いてしまいました。

成田空港、22時30分発で経由地イスタンブールに向け出発しました。



2日目(6月22日)
12時間30分のフライトで、イスタンブールに到着しました。
現地時間は午前5時で日本との時差は「マイナス6時間」です。
乗り継ぎまで、3時間の待ち時間があり、午前8時出発のミラノ行きに乗り、3時間後の10時に到着しました。
到着時間が少し変ですが、これは時差がイスタンブールより、さらに「マイナス1時間」だからなので~す。

ミラノ空港からバスで、ミラノ市内まで向かいました。
観光の前に、ミラノ市内のレストランで昼食、「ミラノ風リゾット」「ミラノ風カツレツ」「アップルケーキ」ですが、成田からの機内で2回、イスタンブールからの機内で1回の機内食が出て、動かずに食べてばかりでしたので、「また、食べるの!」という声があちらこちらから聞こえました。


昼食のサフランリゾット・ミラノ風カツレツ。アップルケーキ


ミラノ市内・来年2015年のミラノ国際博覧会の為に各国の旗が飾られていた(右手前が日本の国旗)


ミラノ市庁舎

昼食後、ミラノ観光メインの「ドゥオーモ」を見る為に歩いて向かいました。
途中、「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」というイタリア王国の初代国王の名の付いた芸術的なアーケードがありました。
両側にはブランドショップやカフェが並んでいて、お店の外観は街の雰囲気を壊さないような装飾が施されていて素敵でした。
アーケードの中央にはドームがあり、そこに4大陸をイメージしたフレスコ画、床には雄牛のモザイク画ありました。
この牛の絵にかかとを乗せ、反時計回りで3回転すると「願いがかなう」とか「ミラノに再訪できる」と言われているそうです。
もちろん、私達もやって来ましたよ!


アーケード(一部改修中で足場がある)


アーケード中心の角にあるルイ・ヴィトンのお店


4大陸をイメージしたフレスコ画(アフリカ)


4大陸をイメージしたフレスコ画(アメリカ)


4大陸をイメージしたフレスコ画(アジア)


4大陸をイメージしたフレスコ画(ヨーロッパ)


雄牛のモザイク画に足を乗せ回ると「願いがかなう」、「ミラノ再訪」実現するらしい


アーケードを抜けるとイタリアゴシック建築の最高傑作と言われる白亜の「ドゥオーモ」が目の前に現れました。
1386年にジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの意向により着工して約500年の歳月を費やして完成し、数千体の聖者像と135本の小尖塔からなる大聖堂はゴシック建築では世界最大級との事です。
ドゥオーモ正面の扉に彫られた、イエス・キリストに鞭を打つ人物の左足がピカピカと光っているので、何だろうと思っていると現地ガイドさんが、「この人物の左足を触ると幸せになるというような言い伝えがあるので、多くの人が触るうちに磨かれてこうなりました。」と説明してくれました。その言い伝えの詳細は良く分からないらしいで~す。
ドゥオーモは「教会堂」または「神の家」という意味だそうで、この後、行く予定のピサやフィレンツェにもあるそうです。


ドゥオーモ


ドゥオーモ・正面


ドゥオーモ・正面扉の左足に触ると幸せになるらしい?


ドゥオーモの内部はフラッシュを使わなければ、自由に撮影することが出来ました。
日本と違って、イタリアは美術館の中も写真を撮って良い所が多いのにはびっくりでした。
内部に入ると、真っ先に天井に開いた穴から入ってくる光が床に映り、その光の移動位置によって時間の経過がわかるようになっていると言う説明を聞きました。
ステンドグラスが沢山ありましたが、奥の方に大きな物が3枚あり、旧約聖書、新約聖書、黙示録の物語をあらわしているそうです。
ステンドグラスは1000℃以上の高温で色づけしてあり、600年以上経った今も、色褪せることがなく綺麗な状態でした。


ドゥオーモ内部・天井に開いた穴


ドゥオーモ内部・床に映った光


ドゥオーモ内部・教会の発展に貢献した歴代の聖人たちの棺、中にはご遺体が・・・


ドゥオーモ内部・天井梁


ドゥオーモ内部・大きなステンドグラス


ドゥオーモ内部・大きなステンドグラスの部分拡大


ドゥオーモ見学を終え、ちょっとだけ自由時間があったので、広場で写真を撮ったり、近くのスカラ座を見たり、レオナルド・ダ・ヴィンチと4人の弟子の像などを見ました。
スカラ座の現在の建物は2代目のもので、1778年8月3日に完成したそうで、この場所は以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会があり、その跡地に建設されたので、その名が付いたそうです。


スカラ座の正面


レオナルド・ダ・ヴィンチ像(ダ・ヴィンチとはヴィンチ村出身という意味なので、名前はレオナルドが正式らしい)



ミラノを後にベネチアに向かって270km(約4時間)の移動でベネチアのホテルに着きました。

ホテルでの夕食はツナ味のペンネと白身魚と野菜ソテーでした。


ツナ味のペンネ


白身魚と野菜ソテー



2日間の飛行機とバスの移動で、皆さん足がむくんでいると言っていました。
私達も同じでしたが、やっとホテルで足をのばして、寝る事が出来きます。


3日目からはまた、後日アップしたいと思います。
コメントは失礼いたします。


中央ヨーロッパの旅(3)

2013年12月05日 | 旅行

5日目(11月20日)

今日は3ヵ国目のスロバキアまで、332km、4ヵ国目のハンガリーまで194kmの長距離バス移動となります。

プラハのホテルを8:30に出発し、途中のドライブインで45分間の休憩をとる事を余儀なくされ、昼食のレストランに着いたのは予定の1時間遅れの14:30になりました。
45分休憩の理由はプラハ市内の渋滞に遭って時間がかかり過ぎ、安全の為に、バスの運転手さんの運転時間に制限が付けられているからとの事でした。
日本なら、もうちょっと走れば着くからと運転してしまいがちですが、海外はとても厳しく、バスに走行時間(距離も?)がわかるような装置が付けてあるので(日本のバスにもあるのかも?)運転すると違反になるので出来ないそうです。

無事に、スロバキアのブラチスラバに着き、昼食後、市内を散策しました。
国立劇場や旧市庁舎、日本大使館、ミハエル門、マルティン教会、モーツアルトが町の貴族のためにコンサートを開いた際に滞在した館などを見て歩きました。


国立劇場(手前の紅白屋根はクリスマスマーケットの準備で建てられたもので開催は23日頃から)


フラヴネー広場・旧市庁舎


フラヴネー広場の日本大使館(日の丸のある所)

フラヴネー広場から歩いてすぐ近くにミハエル門があり、ブラチスラバの街も城壁都市で、その名残がミハエル門だそうです。
14世紀にゴシック様式で建てられたが16世紀にルネッサンス様式に改築されたという事です。


ミハエル門


マルティン教会(
ハンガリー王としてのマリア・テレジアの戴冠式もここで行われたそう)


散策途中の歩道には、マンホールから顔を出す人の彫像や魔術師の彫像など、町の芸術家達が造ったものが置かれていました。
とてもユーモラスな雰囲気の街、でもマンホールから顔を出す人の彫像は、曲がり角の車道に近く、車に轢かれて壊され、この像が3人目だとか、ちょっとかわいそう!


マンホールから顔を出す人(チュミル像)


ブラチスラバを後に194Km先、ハンガリーのブダペストに向かいました。
ブダペストに着いた頃は夜になっていましたが「ゲッレールトの丘」という高台に行き、ブタペスト市内の夜景を見ました。
この日はあいにく雨でしたので、霧がかかって遠くまでは良く見えませんでした。
市内に戻り、レストランで夕食後、このツアーの中で一番良いという五つ星ホテル(インターコンチネンタル・ブダペスト)に向かいました。
ホテルの場所は市内のくさり橋に近く、観光にも買い物にも良い所でした。


6日目(11月21日)
今日は、世界遺産、ブダペスト市内観光です。

ハンガリー最大の都市、ブタペストはドナウ川を挟んだブタ地区とペスト地区が合併して新首都になったそうです。
第2次世界大戦や1956年のハンガリー動乱で大きな打撃を受けたそうですが「ドナウの真珠」といわれる美しい街並みは素晴らしいものでした。

ホテルから見えるブタの王宮は、ベーラ4世が、13世紀にドナウ河畔の丘に、居城を兼ねた砦を建設したのが始まりで、14世紀にはゴシック建築の王宮に変わり、15世紀後半には、ルネサンス建築の様式に改築されたとのことです。

マリア・テレジアによる増築によって、巨大さを誇るようになったものの、大火や二度の大戦で被害を受け、現在の王宮は第二次大戦後に再建されたものだそうです 。

ホテルからバスで、昨夜行った、ゲッレールトの丘に行き、ブダペスト市内を見下ろしてから、「漁夫の砦」に行きました。



ホテルから望むブダ王宮


ブダ王宮の下にある綺麗な花が咲くロータリー


ゲッレールトの丘から、くさり橋と国会議事堂を


漁夫の砦
王宮の丘の一角にあり、ドナウ河の漁師がこのあたりを守っていたこと、このあたりに魚市場があったから名付けられたとのことです。
1896年、建国1000年を記念して建造された回廊展望台で、中世の城壁の上に造られて、白い石造りの三角屋根の丸塔が7つありますが、砦として使われたことはなかったそうです。
砦の上からは対岸のペスト地区のすばらしい景色が眺められます。


漁夫の砦全景


漁夫の砦


漁夫の砦からペスト地区の国会議事堂を

マーチャーシュ教会
漁夫の砦の中にある、この教会はベーラ4世が、13世紀半ばにロマネスク様式で造り、その後、ゴシック様式で再建され、15世紀にマーチャーシュ1世が大改築を行ったので、正式には「聖母マリア聖堂」というらしいですが、マーチャーシュ教会というようになったそうです。
外観も然ることながら、教会内には、聖書の物語をモチーフにしたステンドグラスや煌びやかな王の紋章の装飾などが施されていて、とても綺麗な教会でした。


マーチャーシュ教会

マーチャーシュ教会内部の写真をフォトチャンネルにしましたので、興味がある方は見てくださ~い。




ブダペスト市内に戻り、昼食後、自由行動の時間に、市内を散策し、聖スティファン大聖堂や中央市場などに寄って、徒歩でホテルに帰りました。



初代国王イシュトヴァーンを祭った、聖イシュトヴァーン大聖堂

途中、寄った中央市場は、ブダペスト最大のマーケットで1階は野菜や果物、精肉、鮮魚、ワインなどの店が並んでいましたが、果物屋さんも肉屋さんも同じ物を売っているお店が何十店もあるのに、これでやっていけるのかしらと心配になってしまいました。
2階に上がると、刺繍の店、民芸品店、花屋さんなどがたくさんあり、見ているだけでも楽しい所でした。


ブダペストの中央市場

中央市場からホテルに戻り、ちょっと休憩後、夕食とオプションツアーの「ドナウ川イルミネーションクルーズ」に出掛けました。


壁面には、ワインが沢山保存されて、ワイン貯蔵庫のようなレストランで夕食


ドナウ川イルミネーションクルーズ
貸切の船で、現地ガイドさんの説明を聞きながら、1ドリンク付きで1時間のクルーズです。
ドナウ川は、このあたりでは川幅も広くゆったりと流れて、川の両岸には王宮、国会議事堂、ゲッレールト温泉などの建物がライトアップされて、とても幻想的で素敵でした。

国会議事堂はブダペストのシンボルの1つで、20世紀初頭に完成して以来、ハンガリーの国会が開かれる場として常に国政の中心にあるそうです。
バロックとネオゴシックが混じった折衷様式の建物で691部屋もあるとのことでした。
私はブダ王宮よりも、立派で存在感があるように思いました。


国会議事堂


ブダ王宮夜景


くさり橋はブダ地区とペスト地区を結ぶ橋で、ブダペストに架かる橋の中で最も美しいとも言われ、ヨーロッパ全体で見ても特に美しい橋のひとつとも言われるそうです。
名前の由来はチェーンを使った建設様式から「くさり橋」と呼ばれている説もあれば、ライトアップされた電球が鎖状に連なる美しい装飾によるものという人もいると現地ガイドさんが教えてくれました。
昼間のくさり橋とは違って、イルミネーションされた、くさり橋はとても絵になりま~す。


くさり橋夜景


ゲッレールト温泉(ハンガリーにも何ヶ所か温泉があるそうです)


ブダ地区、ゲッレールトの丘に立つ自由の像(船の中から望遠で撮影、結構良く撮れたかな?)

夕食時まで降っていた雨も、幸運な事にドナウ川クルーズの間はやんで、デッキに出て見たり、船室でワインを飲みながら夜景を楽しんだり出来ましたので、とても素敵なひと時を過ごし、ホテルに向かいました。



7日目(11月22日)

今日はいよいよ帰国の日になってしまいました。
朝食はバイキングで、な~んとパンの種類は20種類以上並んでいてどれも食べて見たいと思いましたが、さすが全部は食べられませんでしたね。
こんなに種類が多いのは、今までの海外旅行中、初めてで、さすがインターコンチネンタルホテルだと思いました。
パンの他にもごはんや味噌汁、納豆、漬物やキムチなどもあり、日本人や韓国人などの観光客を意識しているのを感じました。


朝食バイキングのパンが20種類以上あって凄~い!


ホテルを7:30に出発して、ウィーン空港に向け270kmの移動で~す。
途中、ドライブインで休憩をとり、戻って来ると同じコースを3台のバスで移動していた内の1台のバス故障し、乗客を2台のバスに分乗させるという事になり、荷物を移動し始めた所、替りのバスが手配できて、事なきを得ました。
そんなトラブルで空港に着く時間がギリギリになってしまいましたが、13:05発の飛行機に乗れました。

8日目(11月23日)
11時間10分の飛行時間の予定でしたが、10時間40分と早めの到着でした。
日本時間、7時40分、無事に成田空港に到着しました。

8日間と言っても実質は6日間の観光でしたが、4ヵ国、それぞれの国の美しい風景や立派な建物とそこに住んでいる人の生活を垣間見る事が出来き、素晴らしい旅行でした。
今度は、いつ行けるか分かりませんが、元気で歩ける内に、また何処かに行きたいですね。

書き留めて置かないと忘れてしまいますので、自分の為に書いた旅行記ですので、間違っている所もあるかと思いますが、読んでいただければ嬉しいで~す。

中央ヨーロッパの旅(2)

2013年11月30日 | 旅行

4日目(11月19日)

今日は、世界遺産のプラハ歴史地区の観光です。

ホテルから、バスで市内に移動し、昔は貴族が多く住んでいたという、マラー・ストラナ地区を散策しながら、カレル橋へ向かいました。
ヨーロッパに現存する最古の石橋で、市内を流れるヴルタヴァ(モルダウ)川に架かるカレル橋は45年かかって建設され、600年もの間使われているそうです。


カレル橋とプラハ城(右奥)

カレル橋には両側に15体ずつ、計30体の歴史的な聖人なやチェコの英雄の像が並んでいます。これらの彫像は、17世紀から19世紀にかけて設置されたもので、日本でも馴染みのフランシスコ・ザビエルの像もありました。
中には、像の台座の絵にさわると幸せになるという像もあって、そこには人垣が出来ていました。
皆んながさわるので台座の絵がピカピカ光っていました。
もちろん、私もさわって来ましたよ。


聖ヤン・ネポムツキー像(台座の図柄をさわると幸福になるという)



聖フランシスコ・ザビエル


聖カルヴァリ像



カレル橋の建設に尽力したカレル4世の銅像・正面も左手も教会


カレル橋を渡り、ルネッサンス様式の家などを見ながら、プラハの中心地、旧市街広場に向かいました。
広場に面して旧市庁舎が建っていて、建物の下の方に有名な天文時計があり、その上がからくり時計で、毎正時に仕掛けが動くとの事でした。
広場に着いたのが、11時頃でしたので、見物人がたくさん集まって来ていました。
時間になると、窓が開き、死に神のならす鐘の音と共にキリストの弟子達が窓の奥を通ったり、時計の上の方に鶏が現れて終了という感じでした。
広場の東の方には、2本の美しい塔が目立つゴシック様式のティーン教会があり、夜のライトアップも綺麗でした。


スグラフィット装飾されたルネッサンス様式の家


旧市街広場とティーン教会


旧市庁舎・天文時計とカラクリ時計


市街広場には観光用の馬車が何台も、右奥はティーン教会


市内・火薬塔(ゴシック様式塔門で17世紀に火薬庫として使用された)


昼食のレストランの隣にあった、ストラホフ修道院(現在は歴史図書館)


昼食後、いよいよプラハ観光のメイン「プラハ城」です。
プラハ城は、プラハで最も有名なお城で、首都プラハのヴルタヴァ川沿いにそびえ立っています。
お城の歴史は9世紀に始まり、ボヘミア王国やチェコ共和国の歴史の中で重要な役割を果たしてきて、かつてのボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国の大統領府があるとの事でした。
城内には見所もたくさんあり、聖ヴィート大聖堂、旧王宮、黄金の小道、中庭も3つもあり、一つの街のような感じです。


プラハ城門の衛兵(微動だにしない)


プラハ城・第2の中庭をパノラマで


聖ヴィート大聖堂は、カレル橋や対岸からプラハ城を見上げたときに一番に目につく建造物で、10世紀の初めに建てられた教会が幾度もの改築を重ねた後、14世紀半ばには現在のゴシック様式への改築が始まり600年もかかって20世紀にやっと完成したそうです。
外壁の装飾も素晴らしいですが、内部には美しいステンドグラスがいくつもありました。
入口を入って3番目に「聖キリルとメトヴィス」というステンドグラスがあり、約4万枚のガラス片を使った、チェコを代表するアール・ヌーボー画家アルフォンス・ミュシャの作品でした。
日本でも知られている「ミュシャ」はフランス語読みで、チェコ語では「ムハ」と発音するそうです。


プラハ城内・聖ヴィート大聖堂側面

プラハ城・聖ヴィート大聖堂


プラハ城・聖ヴィート大聖堂ミュシャのステンドグラス


プラハ城・聖ヴィート大聖堂正面ステンドグラス


プラハ城・聖ヴィート大聖堂ステンドグラス


プラハ城・聖イジー教会


プラハ城内の黄金小路は、中世の時代、ルドルフ2世が錬金術師を住まわせていたことから付いた名前だそうです。
黄金小路には『変身』で有名なフランツ・カフカの住まいがあって、青色の壁でNo.22と書いてあり半年ほど、カフカが仕事をした場所だそうです。
カフカは41年という短い生涯のうち39年間をプラハで過ごしたということです。
黄金小路にはそのほか、小さなお土産店や昔の生活状況の展示などをした家がありました。


プラハ城内・黄金の小道、「変身」で有名な作家カフカの家


プラハ城内・黄金の小道、当時の生活再現展示


城内で売られてたチェコのパンでトルデニーク(トルドロともいわれ、バームクーヘン型でパンというよりお菓子)


プラハ城からプラハの街並み


プラハ城観光の後は、自由時間でしたので、チェコではあやつり人形が有名との事で、人形劇を見ることにしました。
劇場はカフェの上の屋根裏部屋のような所で、演目は詩人ダ・ポンテが書いた「ドン・ジョヴァンニ」の物語でした。
ダ・ポンテはモーツァルトのためにオペラ『フィガロの結婚』を書き、次に色男ドン・ジョヴァンニ物語の構想をねり、モーツァルトが賛同し、作曲した、名作「ドン・ジョヴァンニ」ができたそうです。


あやつり人形劇(ドン・ジョバンニの物語)


旧市街広場・ティーン教会のライトアップ


プラハ城の夜景


人形劇を見てから、夜景を見るために、歩いてカレル橋の方に行きました。
昨日もプラハ城の夜景を見ましたが、今夜は旧市街地側のカレル橋たもとからのプラハ城も、とても素敵でした。

旧市街広場に戻り、近くのレストランでチキン料理の夕食でした。
レストランでは、ミュージシャンによる民族音楽の生演奏のパフォーマンスがあり、私たちが日本人だとわかると、日本の曲を演奏してくれたりしました。

夕食後、バスで市郊外のホテルに帰りました。

5日目以降は、また、後日アップしま~す。



中央ヨーロッパの旅(1)

2013年11月27日 | 旅行

11月16日から11月23日まで、中央ヨーロッパ4ヵ国(オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリー)に行って来ました。

1日目(11月16日)
成田空港12時25分発のオーストラリア航空の直行便で約12時間で、オーストリアのウィーン空港に到着し、バスでホテルに向かいました。
12時間というのは今までの旅行の中で、最長の飛行時間となりましたが、機内はテレビ画面も最新式のタッチ画面で、お酒類なども無料で何回か持って来てくれるサービスで快適に過ごせました。

2日目(11月17日)
世界遺産、ウィーン歴史地区の観光です。

初めに訪れたのは、ホテルのすぐ近く、シェーンブルン宮殿でした。
女帝マリア・テレジアが改築させたハプスブルク家の夏の宮殿で、1441室もあり、その内の約40室が一般公開され、美しい庭園と共に世界遺産に登録されているそうです。
建物にはもともと金を塗る予定でしたが、マリア・テレジアが財政状況を考慮し、黄金に似せた黄色にし、その色をテレジア・イエローと言うそうです。
モーツァルトがこの宮殿に招待され、マリア・テレジアやマリー・アントワネットらの前で演奏したり、「会議は踊る」で有名なウィーン会議が開かれたり、ケネディとフルシチョフの会談にも使われたそうです。
現在は一般団体にも貸し出され、日本のダンス愛好者の方が、ここでダンスパーティをした事もあるとガイドさんが説明してくれました。
このような素晴らしいい所を借りるのにはいくらぐらい掛かるのかと考えてしまいました。
残念ながら宮殿の中は撮影禁止でしたので、外観や庭を撮りました。



シェーンブルン宮殿全景


テレジア・イエロー外壁のシェーンブルン宮殿

 
シェーンブルン宮殿の庭(一部)


シェーンブルン宮殿の入口にモーツァルトの扮装をした人


シェーンブルン宮殿を後に、旧市街の中心地を散策しました。
世界遺産のシュテファン寺院や国立オペラ座などを見てから、トラム(路面電車)乗車体験という事で、3区間だけ乗って昼食のレストランに向かいました。
昼食は「ウィンナーシュニッツェル」という料理で、肉を叩いて薄くして衣を付けてラードで揚げた物とじゃがいもの付け合せでした。
日本のとんかつみたいな感じですね。

シュテファン寺院


シュテファン寺院・137mの監視塔


国立オペラ座


国立オペラ座

 
ウィーン市庁舎


ウィーン市街並み


国会議事堂とアテナ像


ヴォティーフ教会


市庁舎前で開かれていた、クリスマスマーケット



昼食後、私たちはオプションツアーで「ウィーンの森観光とバーデン散策」に参加しました。
ウィーンの森に行く途中でハイリゲンクロイツ修道院に寄りました。
この修道院は存在する世界最古のシトー修道会だそうです。
その後、ウィーンの森の中にある、マイアーリンク修道院(元ハプスブルク家の狩猟用山荘)に行きました。
マイヤーリンクの修道院は1889年に起きたハプスブルク家の皇太子ルドルフ殿下と若い娘マリア・ヴェッツェラさんが拳銃により心中した場所だそうで、心中後に父親の皇帝が修道院に改築したそうで、フランス映画『うたかたの恋』の舞台との事でした。


ハイリンゲンクロイツ修道院と中庭のペスト塔


ウィーンの森


マイアーリンク修道院

ウィーンの森の後に、バーデンという小さな温泉街の散策でした。
病弱の皇帝フランツが温泉保養の別荘を作った事が契機で発展したそうで、モーツアルトが晩年、合唱曲・アベベルムコルプスを作曲初演し、ベートーベンが第九を作曲した所だそうです。
古代ローマ帝国時代に発見された硫黄温泉が、今でも使われているというのには驚きました。


バーデンの街並み


ベートーベンが一時期住んでいたアパート


バーデン市街のペスト塔が建つ広場


バーデンのカジノ


ウィーン市内に戻り、ウィーンと言ったら、「音楽でしょ!」という事で、オプションツアーの「レジデンツオーケストラクラッシックコンサート」に行ってみました。
レジデンツオーケストは世界で最も優れた室内管弦楽団との事で、モーツアルトとシュトラウスの曲を演奏してくれました。
約2時間の間に、「フィガロの結婚」や「美しき青きドナウ」などの演奏やちょっとしたバレエ的な踊りを交え、飽きさせない演出で素敵なひと時でした。




コンサート会場


3日目(11月18日)
ウィーンから290Km先、チェコのチェスキー・クルムロフに向かいました。
チェスキー・クルムロフは、ヴルタヴァ川が大きく湾曲する所にある中世の佇まいを残す、とても綺麗で可愛い感じの街でした。
世界で最も美しい町の一つと言われ、1992年に世界文化遺産に登録され、クロアチアのドブロヴニクとともに人気の観光地だそうです。
街のどこからでも見えるチェスキー・クルムロフ城はチェコ国内で2番目に大きい城で、5つの中庭と40の建物が崖の上に並んでいました。
13世紀に築かれてから、次々に城主が代わり、増改築が繰り返された為に、ゴシック、ルネサンス、バロック様式が混在する建物があるそうです。
クルムロフ城から望む街並みもとても素敵でした。


チェスキー・クルムロフの街並み


チェスキー・クルムロフ・聖ビート教会


チェスキー・クルムロフのスヴォルノスト広場とペスト塔

ペスト塔はウィーンやバーデンにもありましたが、昔、猛威を振るったペスト(黒死病)の終息を神に感謝し、魔よけ的な意味も込め、各地に建立されたそうです。


チェスキー・クルムロフ市内のあやつり人形店


チェスキー・クルムロフ・クルムロフ城


クルムロフ城入口


クルムロフ城の内部・石が積んであるように見える壁はフレスコ画で描かれたものでした。


クルムロフ城の日時計


クルムロフ城からのチェスキー・クルムロフの街並み

チェスキー・クルムロフを観光後、宿泊先のプラハに向け、180kmの移動でした。
プラハのレストランにて、夕食はチェコ伝統料理「グヤーシャ」という牛肉の煮込み料理で、「クネドリーキ」という蒸しパンが添えられたものを食べました。
牛煮込みにジャム?と初めは思いましたが、肉に付けたり、蒸しパンに付けたりと変化のある味が楽しめました。




グヤーシャと左側クネドリーキ、白いのはサワークリーム赤いのはジャム


夕食後は、「明日の天気が分からないので、晴れている内にプラハ城の夜景を!」と添乗員さんの計らいで、プラハ城を見てから、プラハ近郊のホテルに向かいました。


プラハ城夜景


この日はチェスキー・クルムロフ旧市街やクルムロフ城を散策したので、疲れてバタンキューでした。

この続きは、また、後日アップしたいと思いま~す。


エコクラフトバック(10)

2013年08月28日 | Weblog

しばらくぶりの投稿でお恥ずかしいですが、クラフトの作品を少しアップしてみます。

アンパンマンが大好きな甥の子供の為にアンパンマンの顔のポシェットとエコロジーバンド協会のコンテストに出品したものなどを中心に掲載しました。


アンパンマン表側


アンパンマン裏側の笑顔

小物入れ5個



おうち型カバー(左からトイレットペーパー・綿棒・楊枝用)


第16回コンテストで3位になった、胡蝶蘭のコサージュ


巻き編みのバック


松葉よろい編みのミニかご


飾り編みのバスケット


巻き編みの菓子器


第17回コンテストで1位になった、こども用帽子


見ていただいてありがとうございます。
まだ残暑が厳しいですので、体調に気をつけてお過ごしくださいね。

コメントは失礼します。