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倭城めぐり(安骨浦倭城)

2009年01月28日 | お城(その他)

次は、安骨浦倭城(アンコルポウェソン)を案内してもらいました。
ここも登城口に案内板があり、登城道や城跡内は整備されていて歩きやすく、藪もほとんどなくて見やすかったです。

安骨浦倭城は文禄2年に脇坂安治、加藤嘉明、九鬼嘉隆の3人の水軍将によって築城され、1年交代で在城したといわれています。このお城はとても面白くて、3人がそれぞれ天守台を持つ曲輪を築城しているため、主郭が3つあり、どこも見ごたえたっぷりです。

西主郭。このお城もやはり石垣が立派です


西主郭を東端から見たところ。この郭の北西隅に天守台はある


中央主郭。この郭が一番広く、奥(南東隅)が天守台。写真左端は枡形虎口


中央主郭の天守台。背後(南)の外海はかなり埋め立てられていた。


中央主郭の北北東にある東主郭へ向かう途中で、中央主郭方面へ振り返ったところ。
2つコブがあるけれど、これはお墓。韓国では山にお墓を作るため、山のアチコチにこういったコブが見られる。そのため、今回訪れた倭城でも沢山お墓を見た。


東主郭




実は安骨浦倭城については全くのノーマークで、特に何も下調べしてなかったので、こんなに素晴らしいお城だったのか!とかなり驚嘆しました。熊川倭城とセットで是非とも訪れて欲しい倭城です。

倭城めぐり(熊川邑城)

2009年01月26日 | お城(その他)

次に、熊川倭城から高速を挟んだ北側にある熊川邑城(ウンチョンウプソン)を案内してもらいました。
邑城とは韓国のお城のことです。
現在、発掘調査をしており、とても見やすくなっていました。看板によると2010年1月4日までに門跡付近を復元するようです。

石垣が垂直に積まれた城壁


門跡付近


門跡の前には丸馬出しのように?半円状に石垣が詰まれていたようです


倭城めぐり(熊川倭城)

2009年01月22日 | お城(その他)

韓国入りして4日目(倭城めぐり3日目)は、Sさんのご紹介で、韓国の方にお城を案内していただきました。
まず最初に熊川倭城(ウンチョンウェソン)へ。釜山から約25km西の南山に築かれています。

登城口に看板があり、道も整備されていて歩きやすいです。15分程登ると、登り石垣が見えてきました。


ここからスッカリ興奮状態の私。狂ったように写真を撮りまくりだしちゃいました。何せ、郭の出入口はどこも枡形になっていて石垣が素晴らしいのです。そして郭内には土塁が巡り、そこにも石垣がギッシリ。

角が破壊されているものの、立派な大手口石垣


熊川倭城の周辺は開発で海岸線が埋め立てられています。風光明媚な風景であったろうに・・・残念!
正面に見える山は安骨浦倭城


天守台石垣


本丸


登り石垣(天守台から南へ見下ろした所)


城跡内も整備されていて見やすく、見ごたえたっぷりで、ここもオススメです。

倭城めぐり(機張倭城)

2009年01月15日 | お城(その他)

この日の最後は、お目当ての機張倭城(キジャンウェソン)へ。
機張倭城は文禄2年(1593)、黒田長政が築城しそのまま在城した。文禄4年には加藤清正が入って城を改修しており、現在見られる遺構のほとんどはその時代のもののようである。韓国名は竹城里城と言う。

機張郡役場のすぐ近くの路地を入り坂を上がってくと右手に「竹城初等学校」があり、以前はここから山道を登っていたらしいが、もう少し道を進むと登城道が整備されていた。

登城口には案内板があり、前方の山に石垣が見える


登城道は整備されていて歩きやすい。しかも、この左手には竪土塁や竪堀がある。


山頂部の石垣が見えてきた。この一段高い石垣は天守台石垣だ。機張倭城は下方は土塁や空堀で築かれ、山頂部に石垣がある。


主郭虎口手前の石垣の前に説明板がある。主郭には土塁が巡り、そこにも石垣がある。石垣も素晴らしいが、海を見下ろせる景色も良くて気持ちいい。


主郭を取り囲むように石垣があり、見応えたっぷり。丁度石垣の少し上に月が見え、石垣と月の写真も撮って楽しんだ。


この北東側に子城があるが、畑や空き地になっている。何となく堀跡や土塁の名残が分かり、外郭線と思われる丘も確認できる。せっかくなので子城側から山を下り、周囲を反時計回りに少し散策して登城口に戻った。

倭城めぐり(林浪浦倭城)

2009年01月14日 | お城(その他)

もう1つ寄り道。今度は林浪浦倭城(イムランポウェソン)へ。
林浪浦倭城は1593年(文禄2年)築城され、毛利吉成などが居た。

派手な幼稚園の背後の山が城跡と行く前に教えて頂いていたので、国道を走りながら必死に幼稚園を探したら分かった。
ただ、どの山かは分かったものの登り口が分からない。山の中腹にあったお寺で尋ねてようやく到着。

城跡からは海が見下ろせる


石垣が残っていて、天守台石垣もある


曲輪には土塁も巡っているし、堀切もあった


写真を良く見ると分かるかもしれませんが、城跡にはあちこちに炭化した木が落ちている。このお城は山火事にあい、消火する際、消防車を入れるために虎口が壊されてしまった。韓国では冬に山火事が多いため、山の入り口によく管理人が立っている。タバコ等の火気を持参して山に入ることは厳禁で、場合によっては入山禁止もあるようなので注意しましょう。
山火事にあったせいか?山がちょっと荒れていて、トゲトゲしい草が刺さって痛かった。

下山したら、ガイドさんが復元石垣を見つけたと案内してくれた。住宅街奥の一角に石垣があり、横に説明板もあった。


復元石垣から城跡の山の方へ歩いていくと、山が正面に見えた


倭城めぐり(爾吉 狼煙台)

2009年01月09日 | お城(その他)

西生浦倭城の次は機張倭城へ絶対に行くぞ!と意気込んでいたが、この日は順調に回れていたので時間に余裕があり、途中2箇所に寄った。

まずは、倭城じゃないけど韓国ののろし台である爾吉狼煙台(イギルボンスデ)へ。ココは探すのに苦労するかな?と思っていたのに、ガイドさんが案内板を発見!麓の駐車場から10分程登ると到着。

のろし台の前に説明板があった


円形に石垣があり、中心部にも石垣がある


のろし台を外から見る


眼下の海岸線はかなり開発されていたが、のろし台は残されていて良かった。

倭城めぐり(西生浦倭城)

2009年01月06日 | お城(その他)

明けましておめでとうございます。
昨年もお城へは沢山行ったものの更新が滞りがちになってしまいました。今年はもうちょっと書いていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

さて、倭城めぐり報告の続きです。
蔚山城の次は、西生浦倭城(ソセンポウェソン)へ行きました。1593年(文禄2年)、加藤清正が築いたお城です。

遠くからでも石垣が分かり、オーッ!と期待が高まります。


山麓にある駐車場の前にも石垣が~!!その横の畑も堀跡だと分かります。


登っていくと門跡がお出迎え。とにかくカッコいい!


更に登ると、下方の曲輪の全貌を見下ろせます。


どこからでも石垣が素晴らしく、海が見える景色も気持ちいいです。


天守台石垣。ちょっと崩れた石垣の雰囲気もステキ☆


このお城は石垣だけでなく、横堀、堀切も見られるところが更に魅力的!


トドメはやはり登り石垣でしょう♪


ということで、とにかく素晴らしいお城です。
遺構の残り具合がとても良いというのと、整備されていて見やすいです。倭城の中でもここは一番のオススメ!もし時間がなくて1つだけに絞るなら、この西生浦倭城へ行くことをオススメします。

倭城めぐり(蔚山倭城)

2008年12月26日 | お城(その他)

倭城めぐり2日目は釜山から東の方へ行った。まずは蔚山倭城(ウルサンウェソン)へ。

前日に引き続き、同じ運転手とガイドさんに連れてってもらった。蔚山倭城は大丈夫!とガイドさんは自信満々。その通り、サクサクと到着。


蔚山倭城は鶴城公園になっている。前日の子城台でも見かけたが、公園で運動をしている人が沢山居る上に、ちょっとした運動器具が置いてある。大きなフラフープもあった。

公園内を歩くと、あちこちに石垣が見られる。本丸には枡形虎口もあった。


特に本丸南側斜面の石垣が立派だった。



蔚山倭城は北方進出の拠点として、それまで最北端にあった西生浦倭城より更に北に慶長2年(1597年)11月築城を開始した。12月、明・朝鮮連合軍に城を包囲されたが、小早川秀秋、毛利秀元、黒田長政の救援が明・朝鮮連合軍を破った。
翌慶長3年(1598年)9月末~10月初頭にかけて、明・朝鮮連合軍が各地の倭城を攻略しようと東路軍、中路軍、西路軍、水軍に分かれて総攻撃をしかけた。このうち、東路軍が加藤清正が守る蔚山倭城を攻めたが撃退した。

倭城めぐり(泗川倭城)

2008年12月25日 | お城(その他)

順天倭城を後にして、次は泗川倭城(サチョンウェソン)へ。ガイドさんがあの山だと思うと言うも、近くまで行ったらどうも違うらしい。近所の人に聞いてくると車を降りたが、人が全然居なくて聞けなかったと戻ってきた。もう既に日が暮れかけていて、気が気でない私。持参した資料や地図で、朝明軍塚の脇を通ることは分かるけど、それがどこかすら分からない。適当に他の道へ入ったら当たってたみたいで、無事到着。

ガイドさんが悠長に「朝明軍塚を見ますか?」と聞いてきたが、私はお城見たさにここまで来たんだからと、「先にお城へ行って下さい」と頼んだ。

城跡の主要部は現在公園整備され、桜で有名らしい。島津氏が桜を寄贈したとのこと。広い駐車場があり、城址碑のまん前に屋台が出ていた。公園内には野外公演場もある。
泗川倭城はもともと北・西・南が海に面していたのだが、現在埋め立てが進み、西側だけが海に面している。
駐車場に着いたのが既に16:40。日没まで時間との戦いとなったので、小走りで見た。

説明板によると、姫路城の城門を参考に建てたらしい。


天守台
説明板は韓国語と英語で書かれている。韓国語は分からないので英語で何とか解読を試みるのだが、ちょこちょこ間違いがあるのに気付く。天守閣のことは、「Tensyuku」と書かれていた。


堀跡  公園の外に土塁や堀跡がある。ただ、あちこち畑になっているので入り込んで見ることができなかった。


<泗川の戦い>
慶長3年(1598年)9月末~10月初頭にかけて、明・朝鮮連合軍が順天倭城、泗川倭城、蔚山倭城を同時に攻めた。泗川倭城は明の武将である董一元が指揮し数万の軍勢で攻撃したが、島津軍率いる7000の兵力に撃退された。


もうちょっとゆっくり見たかったけど、暗くなってきてしまったので諦めた。帰り際に朝明軍塚も見て、釜山へ戻った。帰りは渋滞にハマることもなくスイスイ。3時間弱でホテルに着いた。
途中、休憩のため高速のドライブイン(日本で言うPAやSA)に幾つか寄ったのだが、駐車場に工具等を売ってるお店が出ていたり、大きな音で音楽を流すCDショップがあるのが不思議だった。

倭城めぐり(順天倭城)

2008年12月24日 | お城(その他)

釜山中心部を8時過ぎに離れたと言うのに、順天倭城の駐車場に着いたのは14時。普通なら3時間もあれば行けるのに。ロスタイムが大きく、昼食をとる時間すらもったいなかったので、高速のドライブインでトイレ休憩した際に、適当にパンなどを買ってすませた。

今回、ご一緒してくださったガイドさんは81歳と高齢の方だったが、とても元気で倭城へも上までとか途中まで登っていた。倭城の住所は私から連絡しておいたが、できたらお城の場所が分かる人をガイドにと希望を出していたら、随分前にJR九州が倭城めぐりツアーを企画した際、ガイドをしたことがある人が来てくれたようだ。一応、倭城へ行ったことがあり、お城とはどういうものかを知っている人なので良かったけど、その頃と道路事情が随分変わっているため、倭城の近くで人に聞いたりしてたどり着くことができた。

倭城とは文禄・慶長の役の際、日本軍が朝鮮半島の南海岸に築いた日本式のお城のことである。韓国では文禄の役のことを「壬申倭乱(イムジンウェラン)」、慶長の役のことを「丁酉倭乱(チョンユウェラン)」と言い、倭城は「ウェソン」と言う。

順天倭城(スンチョンウェソン)は倭城の中でも最西端に位置し、宇喜多秀家、藤堂高虎らが築城した。西側以外の三方が海に囲まれている。
現在、城跡はかなり復元整備され、石垣が綺麗に積みなおされていた。

本城と外郭の間の入り江(だと思う)。遠くに外郭ラインも見える。





ここから見る石垣がとてもカッコいい!


天守台・・・三重の天守が建っていたようだ。


この後、外郭も歩こうとしたが、畑など私有地になっているので遠くから眺めるだけにした。

<順天倭城の戦い>
慶長3年(1598年)9月末~10月初頭にかけて、明・朝鮮連合軍が各地の倭城を攻略しようと総攻撃をしかけ、順天倭城も陸・海両方から攻めたが、日本軍に撃退された。ところが、同年8月に既に秀吉は死去しており、この戦いの後に撤退命令を受けた小西行長は明・朝鮮連合軍と和議を結んだ。ところが、イザ撤退と言う時に明・朝鮮連合軍は海上封鎖をし、撤退を拒んで包囲した。11月、救援に向かった島津義弘、宗義智、立花宗茂らは露梁海峡で明・朝鮮水軍と戦い、その間に小西らは脱出に成功した。

福井県の熊川城

2008年06月13日 | お城(その他)

今日、会社で仕事をしていたら急に揺れたので、地震か?と思いつつも、私が居るビルはしょっちゅう微振動があるので、いつもの微振動か?と気にせず仕事を続けていたら、周囲の人も地震?とか言い出した。調べてみたら、11:21に長野で震度4の地震があった。名古屋は震度1か2程度だったのにあんなに揺れを感じるとは、やはり地震は恐ろしい。
ふと地震情報を見ていたら、日本って毎日どこかで地震が発生しているんだなぁ。私はまだ震度4以上を体験したことがないので、このまま体験せずに過ごしたいものだけど、もし体験してしまうなら、会社みたいに沢山人が居て、耐震度の高い建物に居る時だとまだ安心なんだけど。。。

さて、GW遠征は兵庫から京都~福井~滋賀経由で帰途に着く事にした。そこで途中、福井のお城へも寄った。

熊川城  福井小浜市(上中町)若狭町熊川
白石神社から登城道があり、神社から5分も登れば東端の郭に着く。ここから左手に段郭を見ながら登ると主郭だ。
主郭に説明板があり、西側には櫓台があった。その背後に堀切が3本連続してある。
行きは登ることしか考えてなかったので気付かなかったが、東端の郭の先に竪堀が3本落ちていた。このお城の一番の見所はこの竪堀だ。


こじんまりとしたお城だけど、遺構がよく残っているし、見やすいので楽しめた。

その後、白石神社の隣にある得法寺で城主沼田氏の供養塔や


元亀元年、信長が朝倉攻めする際に同行した家康がこの寺に泊まり腰掛けたと言い伝えられる「家康腰かけの松」と根元を見た。


また、その隣の松木神社は御蔵屋敷跡で、神社創建の由緒書きが興味深かった。


最後に熊川宿の町並みを楽しんだ。


熊川宿の散策は3回目だったけど、ここはいつ見ても風情があっていい。やはり水路があるのがいいなぁ。

催し物のご案内

2008年02月06日 | お城(その他)

●滋賀県立安土城考古博物館企画展「信長と安土城」
 平成20年1月19日(土)~3月30日(日)
  博物館講座「絵図・地図で見る今昔」
   日時:2月17日(日) 13:30~
   講師:神保忠宏(滋賀県立安土城考古博物館主任)
会場:滋賀県立安土城考古博物館セミナールーム
定員:140名(当日先着受付順・参加無料)
  史跡案内「膳所城下町を歩く」
日時:3月9日(日)
定員:50名(要予約)
 問い合わせ:滋賀県立安土城考古博物館
  〒521-1311 滋賀県蒲生郡安土町下豐浦6678
  TEL0748-46-2424 FAX0748-46-6140
  E-mail gakugei@azuchi-museum.or.jp URL http://www.azuchi-museum.or.jp

●平成19年度里山・遺跡のコ・ラ・ボ事業講演会「戦国時代のお城は面白い」
日時:平成20年3月9日(日)13:30~16:00(開場13:00)
 場所:文化交流施設やまびこ館ホール 高島市朽木市場792
 主催:高島市教育委員会
プログラム:
13:00       開場
13:00~13:30 受付
13:30~13:40 開会あいさつ
13:40~14:50 基調講演①奈良大学文学部准教授 千田嘉博氏
  「戦国時代のお城は面白い-山城の姿とくふう-」
14:50~15:00 休憩
15:00~16:00 基調講演②朽木村史編さん室編纂監 石田敏氏
「織田信長の朽木越と城館ネット」
16:00 閉会
 参加料:無料
 定員:250名(先着順)
申込方法:電話・eメール・FAXのいずれかにて下記まで
 問い合わせ・申込先:高島市教育委員会文化財課
〒520-1292 高島市安曇川町田中455番地
  TEL0740-32-4467 FAX0740-32-3568
E-mail bunkazai@city.takashima.shiga.jp
URL http://www.city.takashima.shiga.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1201493018589&SiteID=0

●第10回桜井宇陀歴史文化講演会「戦国の城から近世の城へ」
 日時:平成20年3月8日(土) 13:30~15:40(受付13:00~)
 会場:宇陀市文化会館 宇陀市大宇陀区拾生871
 講師:千田嘉博氏(奈良大学文学部文化財学科准教授)
定員:500名 要申込 参加無料
 申込方法:往復はがきに住所・氏名・電話番号を明記し、下記にお申し込みください。
 申込締切:2月14日(木)
 申込・問い合わせ先:宇陀市役所 総務部企画課(第10回桜井宇陀歴史文化講演会事務局)
〒633-0292 奈良県宇陀市榛原区下井足17-3
TEL0745-82-1362

●八代市立博物館未来の森ミュージアム冬季特別展「八代城に備あり-薩摩境目の城として-」
会期:2月15日(金)~3月23日(日)
 会場:八代市立博物館未来の森ミュージアム
 特別講演会:
①「内戦から平和へ:日本歴史の大転換を考える-戦国時代の『境目』と『天下泰平』-」
 講師:稲葉継陽(熊本大学大学院准教授)
日時:2月16日(土)14:00~15:30
②「八代城に備あり-合言葉は薩摩の押さえ-」
講師:林千寿(八代市立博物館学芸員)
日時:2月23日(土)14:00~15:30
③「お雛さまに秘められたドラマ-松井家の女性たち-」
講師:山崎摂(八代市教育委員会文化課文化財係長)
④「なぜ八代にお城があるの?」
講師:島津亮二(八代市立博物館学芸員)
※会場はいずれも博物館講義室 聴講無料
問い合わせ先:八代市立博物館未来の森ミュージアム
〒866-0863  熊本県八代市西松江城町12-35
TEL:0965-34-5555 FAX:0965-33-9200
 URL http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2007/2007_winter.html

●佐賀県立名護屋城博物館テーマ展「唐津城築城400年記念 城を移す-名護屋から唐津へ」
 会期:2月15日(金)~3月23日(日)
 会場:佐賀県立名護屋城博物館企画展自室
 観覧料:無料
問い合わせ:佐賀県立名護屋城博物館
〒847-0401 唐津市鎮西町名護屋1931番3
TEL0955-82-4905 FAX0955-82-5664
  URL http://www.pref.saga.lg.jp/web/nagoya.html

城館調査ハンドブック

2008年01月15日 | お城(その他)

『城館調査ハンドブック』と言う本を読みました。

簡単な言葉で書かれているのでとても読みやすく、調査方法が理解できます。
でも、ここまで私はやらないなぁと言った感じ。

地形図や地籍図から城館を調査する方法を知るのは、調査報告書によく地籍図が載っているので、見方がよく分かっていいかも?でも、自分でそれらを入手してとなると、きっとそこまでやらないに違いない。

縄張図の描き方についても細かく説明してあるので、描き方の手順が良く分ります。でも、ここまではきっとやらないに違いない(というより、やれないと言った方が正しいかな)。ただし、縄張図の無いお城へ行ったときは、後からどういうお城だったか忘れてしまいそうになるので、ごくたまに簡単な見取図を書いておくことがあるんだけど、それをもうちょっと細かく、正確に描けるようになれたらいいなぁと思いました。
縄張図を描かない人でも、見方の理解度が高まるので、なかなか良いです。

最後の方は、発掘調査やら現地説明会をすることについて書かれていますが、これらも自分でやることは無いでしょう。見学に行く方の立場なので。

と、私はそこまでやらないなぁと思える内容も多いのですが、全体に例として色んなお城の縄張図が載っているので、説明文を読みながら縄張図をじっくり見ると、楽しくお勉強ができるといった感じが良かったです。

著者:千田 嘉博、 小島 道裕、 前川 要
発行:新人物往来社

お城の本

2008年01月07日 | お城(その他)

休み中、外出するにはしんどいけど、一日中寝ているにはちょっと退屈と言った感じだったので、時々横になりながら本を読んでいました。

『別冊歴史読本 城を歩く』
STEP1の城の調べ方を真面目に読んだけど、あとは適当にパラパラ。

『戦国の城 総説編』
これも普請のところはじっくり読んだけど、作事とかは適当にパラパラ。

やはり、建物より土木に興味があるんだよなぁ。

今年の訪城数

2007年12月31日 | お城(その他)

昨日の夕方から急に体調が悪くなり、熱が38.7度もあったので、ほとんど寝て過ごしてました。年越しぐらいは起きていたいんだけど・・・

ところで、今年一年はお城三昧の日々だったなぁと思い、どれぐらいのお城へ行ったのかデータを見てみました。
1年間に行ったお城の数は、494城。そのうち、新規で行ったのは393城でした。

行き過ぎだー!よくこんなに行ったもんだと自分でもびっくりですが、予定が詰まりすぎてちょっと疲れた時もあったので、来年はもう少しのんびり過ごそうと思います。
数行くより、もうちょっと縄張りの勉強もしたいかと。

今年も沢山の方にお世話になりました。来年もよろしくお願いします。