鳴海で感慨にふけっていては先に進まないので、適当に切り上げ桶狭間へ向けて歩き始めた。
鳴海宿を出て、左京山方面へ。左手(北)は丘陵地がすぐ際まで来ているんだなぁと思いながら歩いていく。本当は南にも丘陵地があるんだけど、民家があって見えない。右手の漆山なんかがもっと見えるかなぁと思ったのに、全然ダメ。何にしてもかつての山林はほとんど住宅地になっちゃってる。更にズンズン行くと有松宿へ入っていく。鳴海から有松までこうして歩くとあっと言う間だ。20分も歩けば着いちゃうんだから。有松も何度か歩いているけど、ここの町並み保存は上手くやってるなぁと相変わらず感心する。鳴海も有松も途中で交差する道を広げたりして、少し雰囲気が変わってしまったけど、それでも情緒を楽しめていい町だ。
有松宿を通り過ぎて少し行くと「大将ヶ根」信号で国道1号と交差する。ここでやっと右側(南)の視界が開けるので、一瞬エッ?って感じでびっくりする。東海道の南側の丘陵が突然見え出すからだ。1号に出る瞬間、道が少し坂になっていて上がってるから余計にそう見える。でも、江戸初期までは東海道から南側の丘陵地は見えていた。だって、有松宿は東海道を整備した頃はただの山間のさびれた場所で、旅人が盗賊にあったりしていたのだ。安心して旅ができるようにと、ここに間の宿を設け、絞りという特産品を生み出して、人が集り、集落ができてきたので、それまでは何もなかったから。
「大将ヶ根」信号から国道1号を少しだけ歩いて、今度は東海道は1号の南側を通ることになる。道路を渡って東海道へ入り、5分も歩けば桶狭間古戦場が右手にある。やはり近いなぁと実感。中島砦からだと所々で写真撮影しながらでも45分で着いた。信長はこのルートで桶狭間へ来たのだろうか?などと考えると楽しくなってくる。
でも、おけはざま山は古戦場より南とされているので、さっきの「大将ヶ根」付近から東海道を行かずに、真っ直ぐ行くと丁度正面あたりになる。何にしても、「大将ヶ根」より西は北側の丘陵地が迫った感じがするが、そこから東は南側の丘陵地が迫った感じがする。
ついでに、義元が沓掛城から桶狭間へ向かったとするならば、どのルートを通ったんだろう?と逆向きになってしまうがここから沓掛城方面へ歩き始めた。でも、途中で寄りたい所があったので、少し違うコースで歩いてしまった。
久しぶりに10km程歩いたから、ちょっと足が疲れたけど、たまにはこうやって歩くのも楽しいなぁと思った。普段、運動不足解消に歩いた方がいいと思いつつも、面倒で歩く気になれないが、こうやって何かテーマを持てば楽しく歩けるので、今度は沓掛城から桶狭間へ歩いてみようかなぁ。