ちえぞー往生こいたでいかんわ!

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天守台の周りに道がある高松城

2006年05月31日 | お城(四国)

四国遠征最初のお城は高松城!
艮櫓の前の公園駐車場に車を停めて中に入ったが、何かのイベントが終わったのか後片付けの車や、人の出入が多かった。おかげで門の写真を人を入れずに撮るのに、ちょびっと苦労した。

そして天守台へと向かったら、何じゃこりゃあ~!とびっくり。天守台の周囲の水堀を埋めて、道路ができており、ショベルカーが目の前で大きな石を押さえて道路をまだ造っている最中である。
写真撮るのには、ショベルカーや道路のおかげで雰囲気ぶち壊しだったけど、工事のための道路を造っている所をはじめて見たので、物珍しくてへぇ~って感じで見入ってしまった。

ちなみに、この工事、天守台石垣がはらんできたりして危険というので、石垣の修復工事をする予定なのだそうだ。石垣修理もまずは重機が入れる道を造らなければいけないから大変なんだなぁと感心するも、近くに石がゴロゴロしてるから石垣を積み直しする際、間違えて落ちてる石を使ったらどうするんだろう?とつまらない心配をしていたのであった。

初めて来たぶんさんには悪いけど、普通の状態の写真を持っている私は、こういう状態の写真ってなかなか撮れないからこれは貴重かも?とかえって楽しんでいました。

その後もフラフラと公園内をうろつきながら写真撮影をし、月見櫓を外から撮ろうと入園口を出て二人が行ってしまった。私は急いで確認しとかなくてはと思い、「ここは再入城できますか?」と聞いてみた。当然できると思いながら聞いたのだけど、答えは「できません」とのこと。そんなー、また入城料払うのも嫌だしーと思い、「月見櫓を外から写真撮りたいのですが。。。ほんの5分くらいなのでダメでしょうか?」とちえぞー広報担当は交渉し、見事に成立。外から写真も撮れ、みんな満足顔で引き上げました。

巡城組in四国

2006年05月29日 | お城(四国)

巡城組で泊まりの遠征3弾目は、四国の現存天守4城を巡る!をメインテーマに行ってきました。

四国は城の宝庫と言い続けながらも、四国へ全く足を踏み入れた事のない組長の願いを叶えるため、そして四国のお城はメジャー所はそこそこ回っているもののデジカメ写真がないから写真が欲しいぃ!という旗頭の希望から計画が立てられたのだ。
珍しく半年も前から計画を立て、遠征に向け積立貯金をする人もいれば、早めに安くて良い宿を確保するぞー!と張り切った人もいたり。それぞれ期待を胸に秘め25日夜出発した。

予定通り集合でき、道はスイスイ。淡路SAで車中泊した。2人までなら足を伸ばして寝られるんだけど3人となると少しキツイ。でもみんな横になって寝る事はできたので、何度か夜中に目が覚めたものの、知らない間にそこそこ眠れたような気がする。6時間以上の睡眠時間を取ってから高松へ向け出発。

26日は、生憎の雨で傘をさしての訪城となったが、小雨だったので傘がなくても平気な時もあった。というか、移動中は強い雨が降るのだが、お城に着くと小雨になっていい感じだった。高松城、丸亀城、西条陣屋、土居構、小松陣屋、今治城、湯築城と回って道後温泉に泊まった。

27日は天気予報を裏切って曇りとなり、傘は不要だった。3人の普段の心がけが良いおかげかしら?松山城、荏原城、大州城、吉田陣屋、宇和島城、河後森城に泊まり、高知県春野町の温泉に泊まった。松山城でのんびりしていた割には6城も回っていたとはさすが巡城組!

28日は、スカッと快晴。やはり青空が広がると気分がよい。朝倉城、高知城、岡豊城と回り、その後どうする?と相談した結果、近場の城を少し回って帰ろうということになり、大津城、楠目城と行って帰途へ着くことにした。

今回も色んなことがあったけど、ぶんさん、ともさん、楽しい旅&城巡りをどうもありがとう。もともと虫や動物が大の苦手というか怖い私は、特に春先は慣れていないせいで怖くて仕方ない。何回か山に入って見慣れると大丈夫になってくるんだけど、この時期は一番悲惨。山の中で、怖いと言いながら突然悲鳴あげ、その悲鳴でお二人を驚かせたこと数回、本当に騒がしくて申し訳ないと思っているんだけどいつも憎まれ口ばっか叩いてごめんちゃい。

それなのに、ちゃんと要所・要所で危なくないか、ちゃんと付いて来ているかと確認してくださり、見守ってくださるお二方のおかげで山城に沢山行けています。いつも大口叩いて生意気言っているけど、本当にすごく感謝しています。これからも、お城巡りに付き合ってくださいね。

1ヵ所ずつの訪城記は、また後日書きたいと思います。また、初めて行ったお城も9城あるので、ホームページに紹介していきます。また良かったら見てくださいね☆

念願の大桑城

2006年05月24日 | お城(岐阜)

仲間の裏切りにあい、超ショック&ムカツキで、それなら一人で行ってくるからもういい!と言って強行した念願の大桑城訪城エピソード。

マジで一人じゃ危ないからというので、Tさんが付いて来てくれることになった。裏切りの張本人Bさんは「かなりきつい山だから、後からちえぞーが連れてってって~と頼んできたらこれをまた登るのは嫌だなぁ」と言っていたそうだ。本当にひどい人だ!「おのれー、いつか地獄に落ちるぞよ」と思う私。

Tさんと、せっかく行くなら周辺の城もついでに回ろうということで、先に他の城へ寄った。大桑城は最後にしていたら、途中雨が降ったりした事もあって着いたのが夕方になってしまった。まだ日が暮れるのが早い時期だったので「急いで登れ」と言われた私。でも、急勾配が続く山道に私はゼイゼイして、とてもじゃないがそんなに早く登れないし、休憩も欲しい。男性の体力とは違いすぎる。かなりしんどくて休憩していたら、「もたもたしとると日が暮れるで、休憩なんかしとる場合じゃない」と怒られてしまった。何とか城域に入ったが、かなり雪が残っている。

途中「霧井戸」の表示を見つけて、井戸好きな私は「行きたい!」と言ったら、「危ないからやめとけ」と言われてしまった。取り合えず主郭へ先に行くというのでついていく。本当はこっちに石垣があるんだけど。。。と思うも雪が積もった斜面の下へは危なくて行けないから諦め。主郭手前には笑えるようなミニチュア天守があり、そこからの景色は素晴らしい。主郭は滅茶苦茶狭くて、こんな狭い所では居住できないよなぁ。普段は土塁や空堀が良く残っていた山麓の館に住んでて、ここで寝泊りなんてしていなかったんだろうなぁ。でも、ここは眺望が素晴らしいから、たまにはここから鷹でも眺めていたのかしら?ここで絵を描いた事もあったのかなぁ?などと思いながらボーっと景色を見ていた。

でも、そんなにのんびりしてられない。日が暮れる前までに下山しなくては。戻り始めたが、やはり気になるのは「霧井戸」。Tさんは、Bさんと来た時に行ったらしい。それを聞いたら更に意地でも行きたくなった。「おのれー、二人は見とるのに、私だけ見れんなんて許せんぞー!」といった感じか。

でも「10mくらい下りるから危ないでやめとけ!どうしても行くなら一人で早く行ってこい」と言われてしまった。私は10mを距離だと思って、それぐらいの距離ならと思い「じゃ、行ってくるわ」と斜面を下り始めた。雪が積もっている上に、ロープまで張ってあるような急勾配のため結構怖い。私が行きだしたのでTさんも「本当にしょうがないヤツだなぁ」と思ったのか、付いて来てくれた。この井戸、下っても下っても全然辿り着かない。10m以上来てるのに・・・と思ってふと気が付いた。10mというのは高度のことだったんだ。10mも低い高さまで下りるとなると、そりゃあ結構あるわなぁ。しかも急斜面な上、雪が積もってるからやめとけって言われたんだ~と納得。でも、何とか根性で辿り着き井戸を見た。井戸は今でもキレイな水が満ちていた。透き通ったその水を見たら、すごく気持ちが穏やかになった。しかもこの付近って石垣があるじゃん!と大喜び。その後、また登るのが大変。でも、井戸が見られた満足感でいっぱいだった。何とか日が暮れる前に下山でき、念願の大桑城へ行けたんだけど、一部の石垣が見られなかったのがちょっと残念でした。でも、行けたという満足感がみなぎり、Tさんに感謝してました。

大桑城事件で、思いっきり仲間への恨みを思い出してしまったけど、明日からの巡城組四国遠征、仲良く楽しくお城巡りをしてきたいなぁって思います。でも、飛騨遠征中の夜に、Bさんに大桑城の話を持ち出され、大泣きしていた私がいた。きっと、大桑城の話が出ると、私はこれからもずっと裏切りにあったショック&心の傷&悲しみ&恨み&不信感などで、泣いてしまうのかもしれない。

城の恨みはどこまでも・・・

2006年05月23日 | お城(岐阜)

掲示板に大桑城(岐阜県山県市)に関するエピソードを書いてたら、またあれこれ思い出してしまった。

昨年3月、巡城組メンバーで大桑城へ行く予定をしていた。私はあまり歴史小説も読んでおらず、城仲間の中では滅茶苦茶歴史に疎い。そんな私が初めて読んだ歴史小説が司馬遼太郎の「国盗り物語」で、すごくハマってしまった。もともと信長ファンの私は、これは面白い!と一気に読み終えたものだ。それに出てきた大桑城は、歴史に疎い私がそれなりに歴史を知り、土岐頼芸が鷹をどういう気分で描いていたんだろう?と興味津々で、どんな所かすごく行ってみたかったお城だった。

巡城組は、私がメンバーの日程調整をし、行くお城によって集合場所や時間を連絡している。大桑城も段取りをして、すごく楽しみにしていた。
そして、その週の土曜日に大桑城へ行く水曜日に、メンバーの一人・Bさんが仕事で名古屋方面へ来たついでに我が家の方に来た。そして、城の資料を見せて欲しいというので、我が家の近くのお店で会う事にした。Bさんは仕事中でも、私は仕事が終わって帰宅してからの外出である。そんな時間なので、いつも一人で夕飯食べてるBさんに気を遣い一緒に食事もする事にした。

食事しながらお城話をして2時間程で別れたが、別れ際に歯がすごく痛いとBさんは言い出した。虫歯?って聞きながら、正露丸詰めて今日は寝て、早めに歯医者へ行ったほうが良いよと話していた。

翌日の木曜日、何故か急に私は熱が出てすごくだるかった。どうしたんだ?特に何もしていないのに風邪ひくなんて、と思うも、どんどん体が重苦しくなり結局寝込んでしまった。
そのまた翌日の金曜日。明日が大桑城だというのに熱が下がらず、夕方にこの状態で山城は無理と諦め、泣く泣くTさんにメールした。「体調悪いから明日は行けそうにないです。お二人で行って来て下さい」と。そうしたらTさんから「3人で行く約束していたから、また他の日に3人で行きましょう」と返事が来た。内心、大桑城は熊も出るし結構登る山城だから一人じゃ無理なので、日にちを変更してくれたらいいのになぁと思っていただけに、良かった~と思い、「ありがとう」と返事した。
その後、Bさんに「風邪で熱があるから明日は行けません。ごめんなさい」とメールした。暫く経ってからBさんから「じゃ、二人で行ってきます」との返事。あれ?Tさんは3人で行ける時にってメールくれてたけど・・・と思っていたら、Tさんから「Bさんから二人で行こうって誘われてしまったので、明日行くことになりました」とメールが。。。

もうこの時点で、かなりBさんにムカムカしてたけど、更に怒れるような事を後からBさんに言われた。「この間、歯が痛いって言ってたの、風邪だったわ。あの後、家に帰ったら熱が出てきたんで、薬飲んですぐに寝たよ。だから、ちえぞーさんが急に風邪ひいたのって俺のが移ったんじゃないか?」エーッ!Bさんのせいで風邪が移って私は寝込んだって言うのに、悪びれる様子も無くそんな事言ってくるわ、大桑城へは3人で一緒にと言ってくれたTさんを強引に誘って二人で行ってしまうわ、どういう人だ!もう、とても仲間とは思えない酷い仕打ちだわ。と、怒り爆発!

その後、Bさんは言い訳ばっかで悪い事をしたとはこれっぽっちも思っていない様子。あまりの怒りとショックで、暫く大桑城を思っては泣いてばかりいた。そして「二人とも行っちゃったから私一人で行ってくるわ」と言ったら、それを聞きつけたTさんが「真剣に危ないから一人で行っちゃいかん」と言い、結局私が行くと言っていた日に着いてきてくれた。
Tさんは普段は淡々とした雰囲気だけど、実はすごく優しいんだなぁ。それに比べ、Bさんは普段は面倒見るのが好きで優しそうな雰囲気なのに、実際は仲間より城をとって知らん顔してめっちゃ冷たい人だーと思ってしまった。

その後も、大桑城を思い出しては私がBさんがどういう人か分かったとか文句を言いながら、裏切られた気持ちがいっぱいで急に泣いたりしていたので、仕方ないと思ったのか、Bさんは今度他の山城に連れてったるでと言い出した。でも、私がそこそこ歴史を知っていて、ずっと行きたいって思ってる山城なんて特に思い浮かばない。「代替となる程の城は他には無いもん」とか言っていたけど、時が経つと共に、段々どっかお城へ連れてってくれたら許してあげようという気になり、西濃の山城に連れてってと言っておいた。

それから、かれこれ何ヶ月経つだろうか。未だに連れて行ってもらえていない。しかも、私が滅茶苦茶体調悪かったのに、車出し係りだったため、当日朝急に行けないと言い出せず、無理して車出して、ずっと車の中で寝ていた甲賀の城巡りも「また今度連れてったるで~」と言ってくれてから、かれこれ何年経つんだろう。未だに連れて行ってもらえない。やっぱ営業マンは口先だけだから、信じちゃアカンなぁ、所詮そういう人なんだと思うのだった。

それにしても、1年以上経っても恨み続ける私もそこまで城に執念燃やしているのなら、仲間と一緒に行く約束をしておきながら、その仲間が自分のせいで来られなくなっても、何の迷いもなく、サッサと放って城へ行くBさんもそれだけ城へかける執念が強いってことだわね。巡城組メンバーは要するにそこまで城にとりつかれている人の集まりってことかしら?そういう意味では、同じような人が揃ったからこそ、これだけ一緒に城巡りしているのかも?ただ、城の恨みは恐ろしい。大桑城に関しては、未だに思い出すと怒れてきちゃうんだから。

小堤西池のかきつばた

2006年05月22日 | お花

昨日、刈谷の井ヶ谷に用事があったので、すぐ側の小堤西池に寄ってかきつばたを見てきました。

ここのかきつばたは、5月20日過ぎから5月末頃までが見頃なので、ちょうどいい頃に行ったかも?
洲原池の近くに駐車場があるので、そこから歩いていくようになっています。結構な距離を歩かないといけないので、あちこちで文句を言っている人の声が聞こえてきました。でも、年配の方や、車椅子の方にとっては、この距離はかなり苦しいかも?10分近く歩かなくてはいけないから。私は日頃の運動不足を解消するいい運動だなぁと思って歩いていました。

でも、こういう風に駐車場を遠方にして、そこから歩かせるようにしたのは、天然記念物であるかきつばたを守るため。
昔は近くにまで車が乗り入れしていたために、排気ガスなどでかきつばたが随分とダメになってきていたらしい。特にここのは群生地で有名だから、自然環境の影響をまともに受けてしまう。

今年は、赤っぽい色の花を咲かせたかきつばたも見事に咲いていました。パッと見は、かきつばたの紫よりも緑の葉っぱの方が目立ち、広大な土地に少しだけ花が咲いているといった感じで、華やかさに欠けるけど、実際にはかなりの花が咲いている。密集させれば、きっと壮観なんだろうなぁ。

6月は花しょうぶ、アジサイ、ゆりが咲き出すから、久しぶりに花巡りにも出かけてみようかな。

ここまでやるかぁ?

2006年05月21日 | その他

先週と今週は珍しく大河ドラマを忘れずに見ることができた。と言っても、最近他ごとが忙しく、テレビはつけたものの衣替えをしていたので、画面は見てなくて声だけ聞いていた。

で、先週、竹中半兵衛が死んでしまった時も、なんで一豊が看取るんだぁ?それはないだろ!とか、千代の手紙を一豊に読んでもらった後、半兵衛は千代が好きだったとか言い出すし、何じゃこりゃと思ったけど、まぁドラマは作り話だから仕方ないとしよう。

でも、ある程度は史実に基づいて話は流れていくべきではないのか?と思うと、半兵衛が官兵衛の子・松寿丸を菩提山城の麓の寺に隠す段取りぐらいして死ななくていいのかぁ?とすごく疑問に思っていたし、松寿丸の件はこの後どうするんだろう?とちと興味を持っていた。

今日は、当然、松寿丸の件が出てきたが、ナント千代が隠してしまったではないか!しかも、一豊が表向きは幼子を殺したことにして。
ココまで来ると、さすがに笑って見てられないなぁという気分になってくる。何でも千代と一豊夫妻がうまく処理したりして、一豊が知略にも武力にも長けている人物に描いてしまっている。

大体、一豊ってそんな大物だっけ?確かに最後は土佐一国を支配するけど、大河ドラマの主役に抜擢される程の人物って思ってないんだよなぁ。(千代が主役なんだろうけど)なのにここまで脚色されると、こりゃぁやりすぎだろ!と思えてきてしまう。

「功名が辻」自体は、とっても面白いと読んだ小説だけど、小説のストーリーとあまりにもかけ離れすぎている。一豊を大河にするより、北条早雲とか今川義元とか、もっと大物を主役にしてくれたらいいのになぁ。特に早雲は見てみたい。

来週はいよいよ馬の話が出てきそうだけど、この先どんな脚色があるのか、見守るとするか??


久しぶりに水と戯れた

2006年05月20日 | その他

今日は天気予報を裏切って、目覚めたら晴れていた。久しぶりに見るスカットした青空。いい感じ!

でも、全然城へ行く準備をしていなかったので、たまにはのんびり過ごすか~と思い、岡崎の少し山の方へ行った落ち着いたお寺へ行くことにした。ただ、ここ今はお寺だけど、城跡というところがミソ。あくまでも、行く場所は城跡かぁ・・・

ところが、雨上がりの木立の中は虫がいっぱい。目の付近に虫が飛び回ると本当に邪魔くさいわ、イライラしてくるわで、落ち着けるはずだったのに落ち着かない。ここでのんびりするつもりだったけど、や~めたと思って車に戻った。
そうしたら、少し雲行きが怪しくなってきた。これは一雨降るかな?と思い、少し高台にある駐車場に車を停めてボーっと街を眺めていたら、かなり強い雨が突然降ってきた。雨がやむまで車で昼寝でもしてようと思い、横になっていたら、気がついたら爽やかな青空が広がっていた。
でも、あまりあちこち動き回る気分じゃなかったので、久しぶりにプールでも行くか!と思い、そこからプールへ行くことにした。

過去10年くらい、週1回水泳をして運動不足にならないようにしていたのだけど、ここ3年くらい全くプールへ行っていなかったので本当に久しぶり。以前は1km泳いでいたんだけど、急にそんなに泳いだらあとから疲れが出るかも?と思い、500m泳いであとは歩いたりしていた。
それにしても、水泳って気持ちいいなぁ。久しぶりだったけど、こんなに気持ちよかったなんて。200m位泳いでいたら、段々水と一体になっているような気分になってきた。
最近、全く運動をしていないせいで、山城へ登る体力もがた落ちだから、6月からは週1回、プールへ通おうかなぁと思い始めた。4~5年前までは、週1回はプールへ行き、卓球も週1回はやっていたから結構体力あったのに、今じゃヘロヘロなんだもん。本当にプールへ通いだすかが私の場合、問題なんだけど。

自転車から自動車へ

2006年05月18日 | その他

4月に1つ手前の駅で下車して自転車通勤に変えてみたんだけど、雨の日は使えないのと、川を渡る橋の歩道が余りに狭く(橋は近くにはこの1つしかない)、かといって車道は国道1号線なので危なくて自転車漕いでいられないというのと、思った以上にしんどいというので早々に自転車通勤はリタイア。

そもそも、何でこんな事を始めたかというと、勤務地の最寄の駅は普通しか停まらず電車の本数が少な過ぎる。更に、最寄といっても駅から20分歩かなければならない。1つ手前の駅ならば、我が家の最寄駅と同様に特急以外は全て停車する上に、電車の本数も1時間に6~7本は確実に多い。しかも、急行以上なら、我が家の最寄り駅の次の停車駅となるため、5分も乗車していれば到着するのだ。そこから自転車で15分なので、通勤時間は断然短い。
だから、いい案かと思っていたのだけど、毎日しんどい思いや危ない思いをして、とても続かなかった。

で、結局、今月から車通勤に変更してみた。片道15km。このガソリン高騰の時に何やってんだぁ?って感じなんだけど(電車通勤は定期を支給してもらえるけど、車通勤はガソリン代は自己負担で会社から一切手当ては出ない)、通勤時間が大幅短縮できた。今まで、電車通勤だと往復2時間10分かかっていたのが、車だと往復1時間。最近雨の日が続いているが、車にしたおかげで濡れなくて良いのが素晴らしい!今まで20分も歩いていたので、足元が特に濡れて嫌な気分だったのだ。
あと、親友が入院してしまったのだが、車のおかげで平日でも寄れる。車だったら10分程の距離なのに、電車だと一旦かなり北上し、そこから別の線で南下しないと行けない上、駅までの距離があるから片道1時間以上かかるのだ。挙句に帰るのも線が違うせいでかなり大回りしなければならない。
車って便利で素晴らしいなぁと思うけど、通勤時間帯は結構強引な運転をする人も多いから、十分気をつけなくては!

昔だったら・・・

2006年05月17日 | その他

最近、私の周囲はちょっぴり結婚ブームです。昨夜も、男友達からメールで結婚するとの知らせが!寝耳に水だったけど、長い付き合いの中で、お互いに恋愛相談したり、のろけ話したり、励ましあったりと色々あったので、心の底から、良かったね、おめでとう!と思い、瞬間に祝福の電話しちゃいました。

で、最近あった考えさせられる話。
GWに久しぶりに母が熊本へ里帰りした時のこと。どうも熊本の親戚の子供に、私と同年齢くらいの男性で独身の人がいるらしい。その親戚の人が、是非お宅の娘さん(つまり私のこと)に来てもらえんだろうか?と話をもちかけてきたそうだ。母は、ちゃんと断っといたからと私にそれらの報告をした。

それを聴いた瞬間、思ったことって・・・
熊本行ったら九州の城、沢山回れるなぁ。たまには拠点を変えんと、全国のお城を回るのは難しいからなぁ。せっかくだから、okって言ってくれたら熊本行けたのにぃ!・・・まぁ、断ってくれたからこそ、余裕の気持ちでこう思ったんだけど。

でも、昔ってこんな感じで簡単に縁談が進み、一度も会わずして結婚が決まり、初対面の日が結婚の日なんて、ごく普通にあったんだよなぁ。ということは、もし今もその当時のまま、親が勝手に結婚を決めていたら、今頃見知らぬ土地・熊本の見知らぬ人と結婚しなあかんかったんかぁ。めっちゃスゴイ冒険だなぁと思うと同時に、何だか人生最大の博打って感じがして、それもまたスリル満点でいいのかも?とも思えてきた。

何も知らなくて一緒になったほうが、案外、嫌なことなどは割り切れるし、一緒に生活するうちに、こういう良いところもあるんだぁって発見があったら、何だか得した気分で幸せなんじゃないだろうか。その方が離婚も少ないのかも?なーんて思ってしまった。

男の人は何歳でも子供を作れるからいいんだけど、女性はジャガー横田が44歳にて初産なんて話もあるけど、やっぱ年齢制限あるからなぁ。私もそろそろ、城より子供をとる選択でもしなきゃいけないんだろうなぁ。。。と思いながらも、城巡りを続けてしまっているのであった。でも、こんな生活してたら、一生結婚できんかも?ヤッバー!!

かきつばた

2006年05月15日 | お花

かきつばたは愛知県の花なのですが、知ってる人はあまり居ないかもしれない。このかきつばた、今がちょうど見頃の時期なんだけど。

城巡りにはまる前は、よく花巡りに行っていたので、実は花の名所を良く知っている私。かきつばたと言えば、知立の「無量寿寺」が一番綺麗だなぁ。ここは5月中旬が見頃だから、今が絶好だと思う。
ここは、在原業平が伊勢物語の東下りで、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と最初の1文字を取っていくと「かきつばた」となるように詠んだ歌が有名です。
でも、これってさー、「唐衣をずっと着続けていると次第に身になじんでくるが、ちょうどそれと同じように、ずっと慣れ親しんで来た妻を都に残しての旅は、遠くまで来たもので、なんとやるせないことだろうなぁ」と殊勝な雰囲気で在原業平が詠んでるけど、超プレーボーイだったと言われるこの人、歌人としての才能はあるにしても、歌の内容と実際の言動とは全然違うんじゃない?と思ってしまう私だった。

それはさておき、この無量寿寺、花ブーム到来と共に、12年程前だったと思うがかきつばた園を綺麗に整備した。散策路や東屋なんかも設けて、毎年行っていた私はびっくり仰天!でも一番驚いたのは、駐車場代を取るようになったこと。私が行き始めた頃は全て無料だったのに、段々人気が出てきてお金を取るようになった花の名所って多いんだけど、ここもその1つ。ちょっと気に入らないけど仕方ないかな。

そのすぐお隣、刈谷市の小堤西池には国の天然記念物に指定されたかきつばたの群生地がある。ここは、知立のかきつばたより10日程遅く、見頃は5月下旬となる。広い範囲に群生しているため、知立のように密集して咲いているのと違ってパッと見はイマイチ。でも、これだけの広い規模の群生地は日本ではなかなか無いらしい。ここも、10年ほど前、道路から群生地までの遊歩道を整備した。そして、その遊歩道の入口側の近くの洲原公園付近に広い駐車場をつくったため、駐車場に困ることがなくなった。しかも、全部無料。やっぱ刈谷はデンソー本社があるのをはじめ、トヨタ関係の大企業が多いから、金持ちなんだろうな。

最近、すっかり花めぐりもしなくなってしまい、デジカメの写真は一枚もなし。そのうち、お城漬けで気分転換をしたいと思えるようになったら、また行ってみるかなぁ~(って、そんな日は来るのだろうか?)

喜多方ラーメン

2006年05月14日 | その他

福島遠征へ行った際、喜多方にある道の駅「喜多の郷」に寄った。ここで目に飛び込んできたのが「喜多方ラーメン」。これは土産にいいぞー!と思い、重かったけど何箱か買ってきた。これ、生めんのため2週間程度しかもたないから、帰ってからすぐに友人などに配らなくちゃと思っていたのに、帰った直後、熱を出して5日間も寝込んでしまったため、配る時間がなくなってしまった。歩いてすぐの近所と遊びに来た妹だけにしか配れず、残りは手元に置いたまま。

で、ラーメン好きの私は、残りは我が家の分にした。先週も食べたんだけど、今日もまた食べてしまった。このラーメン、結構美味しい。麺がちょっと平ぺったいのが特徴だけど、私の大好きな縮れ麺なのがいい。ラーメン好きだけど、ラーメン通ではないため、喜多方ラーメンって今まで何のイメージもなかったけど、このラーメンを食べてからすっかり喜多方ラーメン好きになってしまった。

それにしても遠征中、宿でたらふく美味しい郷土料理をはじめとして、海の幸・山の幸を食べたけど、お昼ご飯は、移動中にコンビニで買ったパンを食べただけだった。米沢あたりでラーメンでも食べればよかったなぁと今になって思っているのだった。

有意義な雨の日でした

2006年05月13日 | お城(愛知)

今日は土曜日だっていうのに生憎の雨。お城にも行けないし・・・ってんで、かねてから行こうと思っていた豊田の図書館へ行ってきた。お目当ては当然『都道府県別日本の中世城館調査報告書集成』

既にネットで蔵書検索し、閉架であることも分かっているため、カウンターへ直行して1冊だけ出してもらうことにした。今日のお目当ては「山梨・長野」。取り合えず日帰りで行ける都道府県だけあれば十分なので、次に「新潟・福井」と「滋賀」を借りられればいいかなぁと思ったのだ。しかも、滋賀は3冊もあるけど、欲しいページのほとんどは既にコピーを持っているので、残り少しだけ見られればもう満足。カウンターで手続きしたら、閉架から出すのに20分くらいかかるからお待ち下さいと札を渡された。20分もかかるの?とびっくりしたけど、図書館なら20分くらいあっという間に過ぎるだろうってんで、札を持って開架の城の本を見に行った。

豊田の図書館はいつ来ても本当に充実してるなぁと感心するんだけど(って城の本しか見てないので、他の本も見たらもっとびっくりするかも?)郷土資料コーナーの城の本は特に目新しいものは無かった。とりあえず、愛知県内の城の本は、今のところ自分も持ってるからいいかぁと思って、普通のコーナーの城の本を見に行くことに。「よみがえる日本の名城」シリーズがあったり、他にも地元の図書館にはない城の本があってなかなか楽しい。あれこれ見て楽しんでいるうちに、札が振動して番号が表示された。もう本の用意ができたみたいだ。本当に20分近く経っていたが、あっという間な感じがしたなぁと思いながらカウンターへ。

カウンターで本を受け取ろうとすると、「このまま借りられますか?それとも少し閲覧してからどうするか判断しますか?」と聞かれたので、エッ?と思って「この本、借りられるんですか?」と聞いたら、「はい、貸し出し可能です」とのこと。これは思いもしなかったため、そうしたら他の巻も借りてゆっくり家で見ようかしら?と思いながら、取り合えず閲覧することにした。

山梨も長野も、このお城行きたいなぁとか、ここは近いうちに行くぞー!と思いながら見ていたが、やっぱり少しコピーしたいページもあるし借りていくかと思って、それならついでだからと他にも駐車場まで運べる限界の4冊、計5冊を借りることにした。また閉架の本を出してもらうのに20分近く待ち、全部借りて駐車場へ。もしかしてと思って、本を入れられるバッグを持ってきていたので、持ち運びはokだった。

その後、あれこれ見ていた「山梨・長野」の欲しいページだけコンビニでコピーした。こういう時、入るコンビニは慎重に選ぶ。コピー機によって全然速さが違うから、新しいコンビニへ行くようにしている。古いコンビニだとコピー機も古いコピー機を置いたままという気がするので、新しいコンビニにするのだ。近所の新しいコンビニへ行ったらコピーする際の読み取り時間が早かったので、コピーもすぐに終了。

あと残りの4冊、2週間じっくり手元に置いて楽しもうっと。それにしても、本当に豊田はお金持ちだなぁ。家に居ながら、これだけの本が楽しめるとは豊田サマサマ。雨の日でも、お城の本のおかげで本当に有意義に過ごせた一日でした。

桑折西山城

2006年05月12日 | お城(北海道・東北)

福島遠征で一番不思議というか変わったお城だなぁと思ったのが、桑折(こおり)西山城。私には理解不能すぎて?感想欄に「超絶賛」マークを入れてしまった。

このお城、標高200m程の山頂が城跡なのだけど、車で上れるのが楽チンで素晴らしい!(ただ、私は歩いて登ってしまったけど)しかも、山の上でも車で移動できちゃうのだ。この山、果樹園にしている部分があるため、結構あちこち道路がある。といっても、どこも未舗装なんだけど。でも、凹凸がそれ程ないので、ノーマルタイヤでも大丈夫!この城は、本丸部分と、西側の沢を隔てた山にある中館・西館に分かれており、それらの行き来も車でできちゃうので、車で来るとかなり楽である。そんな事知らない私は、ゼイゼイ言いながら歩き回る羽目になった。

ところで、何が不思議かって。。。それは西側の山にある中館・西館である。一体どうしたんだ?というぐらいに石塁があるのだ。最初見てびっくりしちゃった。だってこの石塁、城壁みたいなんだもん。一瞬、沖縄の城壁を思い出しちゃいました。何でこんな所に城壁が必要だったんだ?と疑問に思うと同時に、枡形虎口の下にも、ビッシリとした高めの石垣があった。それも、切岸と垂直方面に。それが1ヵ所じゃなく、2ヵ所もあるし。かと思えば、曲輪の真ん中付近にも突然石塁がある。もう意味不明。訳が分からなかったけど楽しめました。途中、蛇に会わなければもっと幸せだっただろうに・・・

このお城、中館付近から本丸が見え、なかなか気持ちいい。物理的に広いと、自分の心も広く大らかになれるようだ。本丸の南側には戊辰戦争の際、仙台藩が築いた砲台場跡も見られる。丸岡藩砲台と同じように、土塁が 凹凹凹 こんな形?になっていた。

規模といい、遺構の残り具合といい、国指定史跡だけあって主要所はそこそこ整備もされていたので、オフ会するのにもってこいの城だなぁと思った。でも、こんな遠くじゃ当然参加なんて無理なんだけどね。それにしても、一口にお城といっても、色んなつくりのお城があって、それがまた楽しかったりするからお城巡りはやめられません。(^.^)

八潮見城探検隊

2006年05月11日 | お城(北海道・東北)

福島遠征3日目に少し触れたけど、「八潮見城」には本当に天晴れだった。何せ、地元民にすら浸透してるんだから。

上遠野城(八潮見城)の登り口を地元の方に尋ねたら、八幡神社からがいいと教えてくださったのだが(他のルートからも教えてくださったけど、ここからが一番楽と教えてくださったので、尋ねた年配の方2人も最近登ったことがあるらしい)の、その際に、八潮見城探検隊というのを聞いた。小学校に城址碑を立て、お城の整備や登山道の草刈などをしているという。隊長が近くのガソリンスタンド(泉商店)に勤めているので、会いに行くと歓迎してくれるだろうし、資料も貰えるよと教えてくださった。早速ガソリンスタンドへ行ってみたものの、隊長は不在でお会いできず残念!

諦めて八幡神社から登ったのだが、登り口に城跡への案内が出ていたし、道の途中に矢印案内があるから迷わない。道も本当に草が綺麗に刈られていたし、堀切に橋も架けられていた。城跡のあちこちに説明板もあり、お城を訪れた人がわかりやすいようになっている。

全部この探検隊がやって下さっているとの事で、案内板などはお金もかかるだろうにどうしてるんだろう?と思ったり、材料や道具などを山へ持ち運ぶのも大変だろうなぁ。材料は現地調達したとしても、道具もあれこれ必要だろうし。。。と本当に探検隊にびっくりするやら、尊敬するやら。

こんな活動をして地元のお城を大切にして下さっている姿勢にも嬉しく思ったし、私のような他地域の者でも、安心してお城巡りできることに感謝、感謝です。地元の方たちにまで知られているこの探検隊、これからも素晴らしい活動を続けていって地元に愛されるお城、地元の方が何度も足を運ぶお城が定着し続けるようお祈りしています。

満喫の福島遠征最終日

2006年05月09日 | お城(北海道・東北)

最終日はまず米沢へ~
でも、行く途中、喜多方市に気軽に寄れるお城があったので先に青山城へ。ここは神社になってるんだけど、思ったより遺構があり、土橋がしっかり残ってた。その後、道の駅に寄ってパンフなど見てたら、米沢まつりの文字が目に飛び込んできた。もしや?と思ってみたら、そう、米沢城も会場だった。ガーン!ショック受ける私。もう、祭りってことは人が沢山居るっつうことじゃん。渋滞とかに巻き込まれたら嫌だし、お城ものんびり見られないよ~と思うも、わざわざこの祭り見たさに遠方から来る人も居るんだから、ある意味ラッキーと思うか、、、と言い聞かせる。そのチラシに臨時駐車場が書かれていたので、旧米沢高校の古い校舎がある山形大学に停めることにした。もう、祭りじゃなかったら城跡まで簡単に車で行けるのにぃ!と思いながらそこから10分程歩いて米沢城へ。お城がまたスゴイ人だった。しかも満開の桜のため、花見客も居るみたい。上杉神社にいたっては、長い列が途切れることなく続いている。写真撮るのも人だらけ。出店で土塁が見えなかったりするし。。。段々うんざりしてきて帰ることにした。
その後、せっかくだからと近くの上杉御廟へ。ココはそれ程スゴイ人じゃなかったけど、時々、団体がやってきて”静か”という程の雰囲気でもなかった。別に上杉ファンでもないから、どういうところか雰囲気など分かっただけで満足し退散。

それから高畠小学校が城跡という高畠城へ。小学校の前に水堀が残っていた。その後、宮城県に入り白石城へ。ここは2回目なので、復元天守に入るのもパスし、サクサク見て移動。最後に船岡城と思って移動していたら、突然「見城ヶ館」という標柱が目に飛び込んできた。何だ?館ってことは??と思って、説明書きを見てみたら、土塁が少し残っているらしい。お寺の前に標柱があったので、最初はお寺が館跡かと思っていたら、お寺の裏山が館跡との事。うーん、小山を眺め、登る気力なし。ま、遠景だけでいいわ~と思って写真だけ撮り、船岡城へ。

船岡城は車でかなり上がれるみたいだから楽だと思っていた。ただ疑問が1つ。見る本によって城跡の場所が違うのだ。山頂か中腹か両方の書き方のものもある。読んでみると山頂が主郭だったが、後に三の丸だった場所を館として、そこをメインで使用していたらしい。ならばまずは山頂へいくかと思ったが、車は中腹過ぎまでしか上がれない。途中「スロープカー」という文字が目に入ったが、意味が分からんと無視。だって、直訳すると「緩やかな斜面の車」ってことでしょ??どういう車じゃ!で、最後、急勾配を歩いて山頂へ登ったが、とても大きな白い観音さんがあるのみで、あまり遺構を感じさせるものはない。しゃくなげが綺麗に咲いていた辺りが曲輪跡で、途中、堀切跡?という雰囲気の場所もあったけど、イマイチはっきりしない。じゃ、次は三の丸へ行こうと山を下り始めたら、ケーブルカーが見えびっくり。ここにこんな乗り物あるなんて。。。で、やっと気づいた。これが「スロープカー」なんだ。そんな名前で書かれても分かるわけ無いじゃん!(って私だけかも?)コレに乗れば、苦労して登らなくてもよかったんだ・・・と思ったのもあとの祭り。下りは歩きだってまぁいいわと思って、結局スロープカーには乗らなかった。

ここ、城址公園の割に全然城址っぽくないなぁと思いながら、今度は三の丸だった付近へ行ってみた。そうしたら、樅ノ木が何とかシャン(樅の木は残った?)という文学作品??か何かの記念の樅ノ木が植わっていた。それはどうでもいいんだけど、ここってマジ城址公園かよー!どこにも城跡を説明するものもないし、園内の図を見ても、城に関して全く書かれていない。しかも、公園にした際、かなり城跡を改変してるなぁって一目瞭然。こういう訳分からん城址公園作るのやめて欲しいわ~と思い、こんな所で時間使ったのは無駄だった。。。と帰ることに。

その後、もう1ヵ所寄ろうかなぁと思いながらも、既に17:30頃だし、ちょっと疲れてきていたので、やっぱこれで切り上げるかと思い、仙台のレンタカー屋へ戻った。

車を返して、さて夕飯でも食べよ~と牛タン目指すも、「利久」は2ヵ所ともすごい行列が外まで続いてる。この日はとても寒かったので、並ぶ気になれない私は、段々何でもいいから温かいものが欲しい!と思い、「ラーメン」の文字につられ、ラーメン屋へ向かった。入ってみたら「天下一品」。仙台まで来て「天下一品」っつうのも変わってるわ~と思ったけど、実は食べたこと無いからまぁいいかって事で、注文した。そしたら玉子が出てきた。何これ?ゆで卵か生卵か分からず、とりあえずラーメン出てくるまでじっと待つ。ラーメン来てから玉子割ったらゆで卵だった。2つまで無料らしいが、何でゆで卵が出てきたか分からなかった私は、皮をむいてラーメンに入れて食べた。ホントは、ラーメンが出てくる間に食べてるものだった気がしてきて、うーんと考えるも、まぁどっちでもいいとしよう。

ラーメン食べ終わって、歯磨きなどして、でも時間余ってたから仙台駅に隣接するデパートなどを適当にぶらぶらしたり、駅前の土産屋見たりして時間を潰し、夜行バスに乗車した。帰りは疲れていたせいか、行きよりもぐっすり眠れた。

あー、福島、楽しかったけど久川城へ行けなかったが一番悔しい!また行く機会があれば、今度は遠くても久川城へ行くぞー!!と思っているが、一体いつになるのやら?