ちえぞー往生こいたでいかんわ!

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群馬のお城(松井田城)

2008年04月18日 | お城(関東)

次は松井田城へ。他の皆さんは訪城済だったのに、私が行きたいとリクエストしてたため、名古屋からせっかく来たのだからと連れて行ってくださいました。

松井田城 松井田町高梨子
今回群馬のお城を18城回ったのですが、初訪城は15城。この初訪城の中では松井田城が一番お気に入りに☆

城跡の北東尾根から入るとすぐに堀切が連続で見られ、既に期待大。大手門跡を過ぎて大堀切の西が二の丸方面、東が本丸となり、まずは本丸からと思ったら、西から見るとの事でそっちへ行った。

すると、最初にあった曲輪に馬出と看板があったけど、こういうのを馬出っていうのか?良く分からんなぁと思いつつ、その西側にある二の丸へ。この西に連続空堀があり、これが見事なんだけど、埋まっちゃって浅くなったり、藪や植林でイマイチはっきり見えない所が多くて残念。

本丸には一段高い所に社が鎮座し、更に南東の櫓台や堀切の先には安中郭があった。私はさっきの本丸側より、こっちの安中郭周辺が更に楽しかった。安中郭の東側の横堀や竪堀が素晴らしく、南東にある郭の東に巡っている堀がまた折れていてとても見応えがある。


嬉しくて堀を駆けて行ったら、ウモさんの「ストップ!」の声が。何だろう?と思ったら、カモシカが居たそうで、写真を撮ろうとみんなそーっと近づいて行った。私は一人、先に進んでしまっていたため、どこにカモシカが居るのかすら暫く分からず。箱根少将さんに何度も教えてもらってやっと分かったものの、めちゃ遠い。こりゃ写真は無理だなぁと思いつつ、取り合えず撮ってみた。分かるかなぁ?


その後、さっきの堀を堪能して下山した。時間の都合で二の丸の北と本丸の北の尾根は見られなかったけど大満足だった。

群馬のお城(平井城、庭谷城、小幡陣屋)

2008年04月17日 | お城(関東)

ずっと体調を崩してました。やっと復調の兆しが・・・
先々週の中頃から何かちょっとエライ(名古屋弁でしんどいの意)なぁと思いつつも普段通りの生活をしていたら、デラエラクなってきて(すごくしんどいの意)、これはヤバイかも?と思って早めに寝るようにした時は既に遅くダウン。城の日である(関係ないけど)4月6日から絶不調に。おかげで、1月から企画していたお城合宿も行けず、ただただボーっと寝て、点滴のお世話になってました。ガックリ。
これからは、動き回った後は疲れを感じてなくてもちゃんと休養を取ろうと心に誓ったのでした。

ところで、3月末は群馬のお城へ行ってました。28日(金)会社が終わってから新幹線で東京へ移動し、そこから更に1時間移動して22時頃、泊まる場所に到着。就寝は0時過ぎだったのに5時起床で群馬へ移動。29~30日と2日間、群馬のお城を思う存分堪能しました。
鷹取さんご夫妻、箱根少将さん、ウモさんの5人で回ったのですが、と~っても楽しかったし、良いお城を沢山見られました。このレポートをボチボチしたいと思います。

まずは平井城へ。
平井城 藤岡市西平井
本丸のみ公園整備されていて、土塁や堀が復元されている。復元土塁の前に城址碑があるのをすかさず見つけた私は、駐車場にあった土塁の碑には目もくれず、城址碑へGO!公園にはやたら説明板や石碑があり、パンフが置いてあったのが嬉しかった。公園の前の道路を北へ歩くと、道路沿いに「三の丸跡」などの標柱があるのだが、どこも宅地か畑で面影なし。でも、一区画に平井城の歌が書かれた看板があってこれが面白かった。どんな曲調か聴いて見たいものだ。

庭谷城 甘楽町庭谷
次の目的地である小幡陣屋へ向かっていたら、道路に庭谷城の案内発見。しかも2kmとのことで寄り道することに。ところが最後の案内が行き届いてなくて、ヘンテコな場所に入り込んでしまった。ウモさんが城は多分こっちだろうと進んで行ったらまさにその通り。神社に土塁があり、その前の道路は堀跡のような雰囲気で、神社南は畑になってるけど二の丸。その南は見下ろすとちょっと怖いぐらいな崖で、小川が流れてました。


小幡陣屋 甘楽町小幡
「楽山園」一帯が陣屋跡だけど、付近は武家屋敷が幾つか残っていて、古い門など見ていて楽しい。楽山園は庭園が残っているのだけど、公園整備の途中で、土塁や建物などを復元していた。最初見たとき、まだ整備途中と知らなくて、何てセンスの悪い色の建物を復元してるんだ~と思ったけど、完成した暁にはカッコよくなっていることでしょう。整備計画の看板を見ていたら、かなり立派にするみたい。

ちなみに、この小幡陣屋は織田氏が藩主だったのだが、近くに織田信雄のお墓があるというので、連れてってくれた。

この信雄の墓に向かって、箱根少将さんは小説に書いている内容について謝罪し?許しをもらっていた。おかげで、これからはもっと思う存分書けるらしい。

月ヶ谷(わちがや)城

2008年04月04日 | お城(愛知)

まだ他に遠江のお城を再訪したけど、一応記憶があって4~5年前に訪れた時と特に変化がなかった。東三河も幾つか再訪し、随分と記憶がよみがえったが、月ヶ谷城にちょっとした変化があったので報告します。

月ヶ谷城
道が良く分からずいつも適当に直登しているので、今回も直登した。ところが、途中から伐採された木が置きっ放しになっていて、とても歩きにくい。どうも最近、伐採したような雰囲気だ。

やっとのことで城跡に着いた。まずは主郭南の二郭にある井戸へ。

以前は朽ちていたものの井戸の表示板が井戸の前に落ちていたのに、無くなっていた。井戸に落ちてしまったのかなぁ?

それからカッコいい内枡形虎口を通って主郭へ。主郭は2つに分かれ、南側以外に土塁が巡っている。ふと黄色い標柱が目に入って行ってみると、月ヶ谷城址と書いてあった。

いつのまにこんなのが置かれたんだろう?見たことないけど。もしかして前からあったけど気づかなかっただけ??何にしても、こういうただの山林の中にあるお城は、何も無いよりは何か表示があった方が、初めて来たときは特に確かに城跡で間違いないと分かるのでいいかも?

その後、主郭北側の石積みを見たり、主郭の周囲を見て回った。

ふと、登ってきたのと反対側に道があるのを見つけ、こっちから下りてみる事にした。さっき主郭で見た黄色い標柱と同じタイプの表示があり、こっちからだと遊歩道になっているようだ。
途中、分かれ道でどっちへ下りたらいいのかちょっと分かりにくかったけど、道をスイスイ下りて行ったら、登城口にまた黄色い標柱があった。

このお城、これだけ標柱を置いたり、木を伐採したりして、ハイキングコースにでもするのかなぁ?
ただ、直登よりこっちから登った方が随分と道が長い。。。もうさすがにこの城へ来る事はないだろうと思いつつ、車を停めた場所まで山を半周して戻ったのだった。

千頭峯城

2008年04月02日 | お城(静岡)

見事なぐらいに記憶が無かった千頭峯城も再訪した。
このお城は摩訶耶寺から登ったことと、表示板が沢山あったことだけ覚えているが、他は何も思い出せない。今回、数年前にKじろーさんから教えてもらった新しい登城口から登ってみた。城の様子は覚えて無くても、こういう情報はちゃんと覚えているのだから、まだボケ具合は大丈夫かなぁ。

摩訶耶寺の北東にあるトンネルを南へ抜けてすぐ右手に駐車場があり、駐車場の入口に新しい縄張図付の説明板があった。ここから5分程歩くと荷馬街道に出て、そこから2分程で東曲輪についた。摩訶耶寺から登るより道が分かりやすいし、近くていい。
東曲輪に入る手前の右手に井戸曲輪の表示があったが、大好きな井戸は最後に見に行く事にし、直進して東曲輪に入った。東曲輪は土塁がしっかり残り、曲輪も結構広く、3段ある。

東曲輪から本曲輪の東~北へと細長く続く二曲輪を通って、本曲輪へ。


本曲輪には祠が祭ってあり、以前から置いてあった縄張図付きの説明板の他に、駐車場入口にもあった新しい説明板もあった。ここからの眺望が良くて気持ちいい。

二曲輪とその北にある西曲輪の間の堀切がとても見応えがある。


西曲輪には土塁が巡らされ、虎口がしっかりしている。また、本曲輪の南にある南曲輪は段郭になっていて、一番下の曲輪にはこれまた土塁が巡っていて、かっこいい!

最後に、お楽しみにとっておいた?井戸曲輪へ。素掘りのでっかい井戸でお気に入りになった。


三岳城

2008年04月01日 | お城(静岡)

この土日は、足をのばして群馬のお城巡りをしていました。まとめるのに時間がかかりそうなので、記憶から消し去られたお城の再訪シリーズ?報告をしたいと思います。

それにしても、行った事あるのにどういうお城だったか全く思い出せないお城は、遠江と東三河のお城がほとんど。3月はこれらのお城を重点的に回りました。まずは遠江の報告をば。

三岳城
このお城は結構覚えていた。というのも、風邪気味だったので車で待っていると言い張ったSさんの意向を無視して無理やり連れて行った人が居たために、Sさんはその後肺炎になって寝込んでしまい、その人のことを恨んでいたというエピソード付きだったので。

ちゃんとこのエピソード以外に、城の様子もある程度思い出せた。
主郭に城址碑があり、眺望がとても良いことや、


そこから西へ下りていくと空堀と石垣があったことなど。
しかし、二の城へ行った事がなかった(と思う)。今回は二の城へ行くぞー!と思いつつ、先に記憶がある主郭へ行った。少しボーっとしていたら、他に一人登ってきた人がいて、キャンプでよく使う小型ガスバーナーコンロで食事を作り出した。それを見てたらとても羨ましく思い、私も持ち歩きたいと思ったけど、荷物になるからなぁとちょっとお悩み状態に。

その後、主郭西側の堀や石垣を見た。これを見た記憶はあるんだけど、こんなにちゃんとしてたっけ?意外と見応え有り。
その後、二の城へ行った。特に何もないかなぁと思っていたが、曲輪には無残にも朽ち果てて倒れた説明板があった。そして先端にはナント堀があった。

再訪する前の三岳城の印象は、ただ眺望が良いだけのお城だったが、再訪してみたら、堀がしっかりしてて意外とちゃんと遺構があったんだ~に変わった。