ちえぞー往生こいたでいかんわ!

ツイートもご覧ください。
https://twitter.com/owari_chiezo

伊賀・阿山町のお城

2007年04月26日 | お城(三重)

亀山の次は、旧阿山町のお城へ行きました。

藤林長門守城  伊賀市(阿山町)東湯舟字辻ノ内
個人宅の背後の丘陵地が城跡で、城跡には土塁が残っています。城跡からはすぐ西にある藤山摂津守城が見えます。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/fujibayasinagatonokami.html

城ノ谷館  伊賀市(阿山町)東湯舟字城ノ谷
現在は個人宅になっており、個人宅をコの字型に囲むように土塁が残っています。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/sironotani.html

藤山摂津守城  伊賀市(阿山町)東湯舟字城ノ谷
個人宅の背後の丘陵地で、土塁が良く残っています。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/fujiyamasettunokami.html

服部氏城  伊賀市(阿山町)東湯舟字中北
手力神社の北側にある丘陵頂部に築かれています。個人宅の背後で城跡の見学はできませんでしたが、資料によると曲輪、土塁、空堀が残っているようです。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/hattorisi.html

鷹山飛騨守城  伊賀市(阿山町)上友田字坊ヶ谷
主郭はとても広く、立派な土塁が巡っています。この主郭の周囲には帯曲輪もあり、背後には堀切もあります。http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/takayamahidanokami.html

菊永氏城  伊賀市(阿山町)上友田字向山
城跡の真ん中を道路が通ったため、ほとんどが破壊されてしまいました。しかし、歩き回ってみると土塁が散在しています。向山集会所から東へ歩くと城跡を貫通した道路が南北に走っていますが、この道路を渡る陸橋の手前に城址碑があります。この城址碑の背後から土塁が南へと残っています。また道路西側にも土塁や曲輪跡があり、先程の陸橋から100m程南下した道路西側の丘陵地は城山と地元の方は呼んでいたようで、この付近も城域でした。南側に池がある手前までが城域で、こちらにも土塁が見えます。ぐるりと歩いてみると、かなり広大だったのが分かります。
ちなみに、地元の方に尋ねたら、この道路は10年ほど前に造られたそうです。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/kikunagasi.html

中友田東城  伊賀市(阿山町)中友田字亀山
深井氏城のすぐ西側にある城跡で、単郭ですが土塁が巡っています。また郭の東側には堀切があります。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/nakatomodahigasi.html

深井氏城  伊賀市(阿山町)中友田字亀山
向山集会所から西の林へ入ると、すぐに城跡です。城跡には土塁があるのが良く分かりますが、ちょっと暗くて怖かったです。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/iga/fukaisi.html

既に、菊永氏城の頃から体が重苦しく感じてきたので、まだ16時頃だったけど切り上げて、さっさと帰宅しました。帰った頃には、すごくしんどくて、ここからダウンしちゃいました。

でも、随分と調子も戻ってきたので、GWは予定通り遠征してきます。明日から出発するので、楽しんできます☆

三重・亀山のお城

2007年04月25日 | お城(三重)

3日間も寝たきりだったので、もうダメかと思っていたら、今日は随分と体調がよくなってきました。お騒がせしてすみません。何せ初めてだったから、びっくりして。

ちょっと回復してきたので、先週土曜に行ったお城の報告をします。
先週土曜日は、本当は信州のお城へ行く予定でした。お城についてもバッチリ調べていたのですが、天気が雨ということで、こりゃダメだと諦め、雨が降っていない地域はないかと探したら、三重か滋賀方面なら大丈夫みたい。。。ってことで、久しぶりに三重へ行きました。今回は、亀山と阿山町方面へ~

まずは、亀山のお城の報告です。

山尾氏館 亀山市 田村町字奥条
林の中へ入ると二重の空堀と土塁があってびっくりします。すぐ南側の宅地も城域です。土塁の北側にある水路沿いに150m程西に歩いて1つ目の路地を左折すると、左手の個人宅から土塁があるのが見えます。この土塁は道路で一旦途切れますが、延長線を追っていくと、道路右手の林の中に続いているのが分かります。また、そこにはこの通りを歩いていると「稲荷大明神」が祭ってありました。

城跡を見学をしていたら、通りから不審者のように見る方がみえたので、通りに出て挨拶をしました。館があった跡の見学をしにきた旨を話したら、土地の所有者だったため館のこともご存知でした。見学したお詫びをしたら、とても親切な方で、たけのこを持っていったら?とおっしゃってくださりましたが、見学できただけで十分感謝しているので、御礼を言って帰りました。不審者と思われたら、やはり挨拶するのが一番ですね。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/yamaosi.html

高飛館 亀山市野村町字高飛
館跡は発掘調査のために、草木が伐採され見やすくなっていました。今行くのがオススメです!!土塁にはトレンチも入れていました。すぐ隣がゴミ処理場なので、場所が手狭になって発掘調査後にゴミ処理場にされてしまうのでは?と不安に思いながら見学したのですが、ここって昨年の大河ドラマの主役「山内一豊」が亀山城攻めに使用した陣城と言われ、昨年ニュースになっていた所だと思い出し、そういえば武田鉄也が演じていた役が死んでしまうのでも人気が出たからと発掘調査をするって言ってたけど、そのためかぁと見ていました。いつか本当にゴミ処理場にならないように祈るのみです。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/takatobi.html

関実忠館 亀山市山下町字大垣内
館跡は北側が鈴鹿川に面した河岸段丘上にありますが、現在は宅地化され、遺構は何もありませんでした。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/sekisanetada.html

鈴鹿関 亀山市関町新所
道路沿いに土塁がありますが、この付近からかなり立派な土塁が発見されたようです。2006年に発見されて場所がようやく特定できたばかりのこの関所。まだまだこれから新たな発見がありそうなので、楽しみ~
http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/suzukaseki.html

殿山城 亀山市(関町)加太向井
城跡は台地上にあり、林へ入っていく道がありました。曲輪が全部で7~8個あるのですが、どこも土塁があるのがよく分かります。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/tonoyama.html

川俣城 亀山市(関町)加太板屋
神社の背後北側に土塁が30mと長く残っています。また、土塁の東端から更に東へ進むと堀跡もあります。南に加太川があり、周囲は崖となっていて更に台地上にあることから、天然の要害を利用して築かれたお城だと思いました。堀跡を見ていたら、隣の家の犬が吠え出したので、隣人が様子を見に来ました。城跡の見学をしていた旨を説明したら、先週の地震の話から、「しゃくじょうさん」という、この付近では一段高い山の話まで、すっかりあれこれ話し込んでしまいました。神社の標柱に、城跡についての説明も書かれています。
http://www.geocities.jp/ikomaimie/ise/kawamata.html

体調悪し

2007年04月24日 | その他

まだフラフラするし、息切れ感がしてしんどいです。薬のせいか?気持ち悪くまでなってきて。
体調が良くなったら土曜に行ったお城の報告をしたいと思います。でも、このままGW突入になるかもしれないので、皆さん良い連休を~

と言いながら、明日には復活していたい。

また点滴のお世話に

2007年04月23日 | その他

土曜の夕方から、ひどい頭痛と寒気に襲われ、さっさとお風呂に入って寝たんだけど、日曜は体の節々が痛い。風邪かなぁと思うも、特に熱はない。
でも、とにかくだるいし、息苦しいというか寝ていても息切れがしてしんどい。
選挙だけは・・・と思って、歩いて5分の投票所まで歩く元気もなく、玄関を出てすぐ目の前にある原付に乗って投票だけすませ、すぐに帰って一日中寝てました。
それでも、ずっとしんどくて。。。

今朝もとても起きられなくて、ダメだと思い休む事に。結局、病院へ行って点滴のお世話になりました。おかげでやっとパソコンに向かえるようになったけど、いつもこんなにまでしんどくなるのは、要治療と血液検査の度に、毎年の検診の度に言われながらも放置している貧血のせい。

貧血の影に何らかの重要疾患が潜んでいる可能性もあるからと、またまた検査もすることになったけど、ただの鉄欠乏性貧血だと思うんだけどなぁ。ヘモグロビンがあまりに少ないのは、毎回の血液検査で分かってるし。頭痛やめまい、立ちくらみ、息切れ、爪が割れやすいなど、全て貧血の症状と合致する。

こんなにしんどい状態に度々陥っては、休んで点滴なんていうのもダメだと思い、いい加減、諦めて治療することにしました。
今まで治療を拒否していたのは、薬の副作用がすごいから。かなり胃に負担がかかるのだ。でも半年も治療したら治るらしいので、この際だから治そうと思います。

貧血って食事も気をつけようっていうけど、ここまでひどいと食事で治すにはかなり時間がかるというか、なかなか難しいらしいしなぁ。
何にしても、最近、山登ってても息切れがひどいんで、それも貧血のせいかと思ったら、真剣に治すべしと思っています。結局はお城のために・・・ということで治療を決断したのだった。

近江・安土城

2007年04月20日 | お城(関西)

安土城
観音寺城を後にして、安土城を見に行った。有料になってから行った事がなかったので、どんな様子になっているかちょっとのぞいてみたかったのだ。車で安土城の前まで行くと、駐車場も有料になっている。駐車場と入城料とダブルでお金をとられるとは・・・今まで全て無料だったのを知っているから、ちょっとぼったくりでは?と思えてきてしまう。特に、公共の交通機関から少し離れているだけに、車で訪れる人も多いだろうに。

勿体無いので、車は遠くに停めて歩く事にした。その方が惣堀付近の様子とかも見られそうだし。この辺は琵琶湖の名残か?とか、あの低い部分は堀跡か?などと言いながら歩いていると楽しい。見寺の前の城址碑(写真)を見て、桜並木を歩きながら、気分良く安土城前に到着。
有料施設になったから、入城できる時間も限定されてしまった。17時までということで既に閉まっていたが、お金を払って入る気がしなかったのでまぁいいか。

大手前の整備がどんな感じになったかを見たかったのと、有料になった駐車場もどれだけゴージャスにしたのかを知りたかっただけなので、今回は無料地域だけで十分目的が果たせ、堪能できた。
30分ぐらい、大手前を見学して、それからセミナリヨ跡も見て、帰途についた。
よく歩いた一日だった~
http://www.geocities.jp/ikomaihyogo/siga/azuti.html

近江・観音寺城を歩き回る2

2007年04月19日 | お城(関西)

池田丸で昼ごはんを食べ終わって散策再開。時刻は13:45。
池田丸のすぐ北側には落合丸、更に平井丸と整備されて見やすくて、石垣が楽しめる場所が続く。石段もカッコいい。その後、本丸を見て、北側の太夫殿井戸へ。とにかくずっと藪の中を歩いていたので、この付近は足取りも軽く楽しく見られる。
この後、三角点方面へ行く事にした。

三角点に向かうのだから当然上りだ。階段を上がっていくと、通路両側に邸跡が見られるはずなのだが、どこも藪だらけ。なーんだ、この辺は未整備なんだーとしょんぼり。階段を上がる足取りがすっかり重くなり、これ以上進んでも無駄と思えて、私だけ下から3段目の和田邸まで来て「ここで待ってる」と言って佇むことにした。ところが他の2人は全然帰ってこない。もうちょっと上まで様子を見て戻ってくるって言ってたのに・・・もしやと思い、縄張図を見ると、上まで行ったら東へ進む通路がある。通り抜けするのかも?それなら私も上に行かなきゃと思って電話で聞いてみたら、二人は既に三角点の近くまで行っており、上から回ることになった。慌てて階段を上がっていくと、楢崎邸の石垣が見えた所からまた整備されていた。その上の沢田邸も曲輪内に入って石垣などを満喫できる。この時、14:35

そのまま今度は東へ進んだ。すると右手に石垣が見えてきて、三国の間(三国丸)があった。曲輪内はまた藪だ。通路から左手には細長く土塁のようなものが続いている。三国の間の東には硯石という大きな石があった。この付近から右手の下の方には邸跡があるはずなんだけど・・・と思って下り口を探すも、どこも藪だらけでとても行けそうにない。あちこち入り込んでみたけど無理だ。諦めて更に東へ進んだ。すると、伊庭邸と馬場邸の間の堀切が右手に見えた。これは立派で見応えがある。その東には大きな城址碑が見える。ここからでは碑の裏側なので表へと回り込んで写真撮影。城址碑を後にしたのが15:10

城址碑から下って奥の院を見て、淡路丸へと西へ進んだ。淡路丸は広く、石垣や土塁が巡っていて楽しい。整備されているので見やすいのがとても良い。淡路丸から更に少し西へ進んで右手へと石段を下っていくと目賀田邸がある。ここは未整備だけどまだ入れるレベル。少し石垣があり、土塁もある。縄張図を見ると曲輪の北東隅に井戸があるみたいだけど・・・と探しに行ったら見つかった。危ないからか、井戸の上には有刺鉄線があった。

ここまで見て、観音正寺へ向かった。途中、権現見付があり、それを過ぎると仁王さんが立っていた。ふと横を見ると鐘をついている人がいる。私もってことで、思いっきり鐘をついた。いい音がしたので満足☆観音正寺は本堂がすごくきれいになっていた。火事で焼けちゃってから工事中が続いていたから、やっとできたのかぁと見ていた。観音正寺到着が15:45

その後、お寺の南にある新藤邸や後藤邸などへ行こうと思ったら、下っていける道が無い。多少の藪なら突進するんだけど、そんなレベルじゃない。ならばと、三の丸方面から東へ進んで行けないか見に行った。ところが三の丸も通路になっている部分以外は藪だらけで、すぐ東のお花井戸にすら行けない。とてもじゃないが無理ということで諦め。再度観音正寺へ戻った。16:12

仕方ないから帰りは赤坂道を下りながら道の左右の邸跡へ寄ることにした。この辺が目賀田邸だと思うけど・・・などと見るが、どこも藪だらけ。やっと入れる程度の藪の部分があったので、入ってみたら曲輪だった。場所的に山崎邸の西の曲輪だ。虎口部分に石垣がある。赤坂道に戻って少し下ると、赤坂見付があった。更に石段を下る。赤坂道の石段はなかなか情緒があっていい。でも私は下りだからいいが、上りだとかなりしんどそう。下っていくと左手に梅原邸があったが、藪だった。でも、まだ入れるレベルだった。更に下ると右手に久保邸がある。ここも削平は分かるけど藪。道が突き当たったので左手へと下ると、すぐ左手に宇野邸がある。土塁が見えるがここも藪。要するに、観音寺城ってかなりな部分が藪という事が分かった。
そのまま下ると日吉神社に到着。16:53だった。5.5時間居ても、回れたのは半分もないかな?

今まで観音寺城というと石垣オンパレードの城というイメージだったが、藪ばっかり見ていたせいで、石垣もあるお城という印象に変わってしまった。でも、こんなに沢山歩き回れて大満足だった。

観音寺城詳細のページをご覧下さい。http://www.geocities.jp/ikomaihyogo/siga/kannonjisyousai.html

近江・観音寺城を歩き回る1

2007年04月18日 | お城(関西)

今まで観音寺城へは、観音正寺まで車で上がるラクラクコースでの訪城のみ。一度下から登ってみたいと思い、今回は「観音寺城を歩き回る」をテーマにした。石寺楽市に駐車して、ここから歩いた。駐車場には観音寺城の説明板やパンフレットがある。まずは城下町や御屋形跡へ行くことに。出発時刻11:10

石寺楽市から真っ直ぐ北へ歩いていくと民家が建ち並んでるけど、この付近が城下町。よーく見ると、石垣がちらほら見える。あれは遺構か?
更に真っ直ぐ北へ歩くと左手に石寺古墳群があり、そのすぐ北側、道路左右に景清道がある。その先に日吉神社があり、神社にも駐車場があった。日吉神社の鳥居まで上がったら左手へ行き、少し進んだ突き当りを右に折れると天満宮への石段がある。これを上がれば天満宮で、そこが御屋形跡だ。ここも付近を見ると石垣が沢山ある。また、水路跡のような溝もある。御屋形付近を散策してから、いよいよ追手道を登りだした。時刻11:45

追手道は、御屋形跡である天満宮の社殿に向かって右手背後から、北北西に向かう。少し登りだしたら道がなくなってしまいウロチョロする。道といえるような道がないので、仕方なく方角だけを頼りに藪コギしながら登る事に。ひたすら登り続けて、やっと上が見えてきたと思ったら、林道だった。林道といっても片側1車線ある舗装された立派な道路だ。こんな所に林道があるなんて・・・この先どこから山に入ればいいのか?と思って、山にとりつけそうな場所を探す。とにかく追手道は大石垣の下に出るはずなので、その方向で・・・と探した結果、林道に出て左手へとやや下った右手の山に半ば強引に入り込む事にした。

ここからは更に道なき道を行く事に。でも、途中からちょっとした石垣が見えたり、大きな石が固まってあったりするのが見え出した。もうすぐかと期待しだす。すると、藪の向こうに今度はかなり立派な石垣が見えてきた。あれが大石垣か?良く分からないまま、その石垣の周りを写真を撮りながら見ていたら、間違いなく大石垣だった。ヤッター!なんとか大石垣下まで来られたと大喜び。こんな道なき道だったのに、よくちゃんと来られたものだと感心!!途中から道を見つけてくれたともさんのおかげだ。

大石垣のある曲輪内には「女良岩」という大きな岩があったけど、これまた藪の向こうで、写真に撮るとイマイチ分かりにくい。そこからすぐ上の曲輪が池田丸。入った瞬間、視界が開けて、やっと藪のない場所に来たとホッとする。池田丸は広いし、石垣や土塁があるし、虎口も楽しめていい。入った瞬間にともさんは「お腹空いた~。昼飯にしよう」と言ったけど、登る前に少し食べておいた私は、「先に池田丸の写真を撮ってからにする~」と言って、あちこち見て回ってから曲輪内の石の上の腰を下ろした。既にともさんは食事中。「もしかして、何も食べずに登り出したの?」と聞いたら「そう」という。それならお腹が空いてるわけだ。この時、既に13:25だった。

みんなで食事を済ませてから山頂付近を探索することに。続く~
観音寺城・・・http://www.geocities.jp/ikomaihyogo/siga/kannonji.html
観音寺城詳細ページを見てくださいhttp://www.geocities.jp/ikomaihyogo/siga/kannonjisyousai.html

近江・伊庭御殿

2007年04月17日 | お城(関西)

今日は山本昌が完封勝ちしたので、気分がいいです♪

さて、佐生城から観音寺城へ向かっていたら、突然ともさんが、「伊庭御殿だ!!」と叫ぶので、エッ?と思ってみたら、確かにそのようです。せっかくすぐ脇を通ったから、当然、見学していくことに・・・

伊庭御殿
私は全然気づかなかったけど、ともさんはよく気づいたなぁと感心しきりでした。車から降りて、石垣や公園?を散策しました。どうも近江は地理感というか土地勘がないので、どこに何があるのか分からない。伊庭御殿はこんな所にあったのかぁと思いながら、目的地の観音寺城へ~
http://www.geocities.jp/ikomaihyogo/siga/ibagoten.html

この次から、5時間半もの間、彷徨い続けた?観音寺城について報告したいと思います。

近江・佐生城

2007年04月16日 | お城(関西)

観音寺城へ行く前に、ウォーミングアップを兼ねて、まずはお手軽な佐生城へ行く事にしました。

佐生城
十一面観音の駐車場にお城の案内があり、城跡まで370mとのこと。歩き始めたら、あれっ?下ってる・・・という事で、登城口から城跡まで下りという珍しいお城でした。

5分程歩くと大きな岩が見え、更に5分程進むといきなり石垣が見えて驚嘆します。写真の石垣が、本当に突然、目の前に現れたという感じでびっくり!
瞬間に石垣に夢中になり、ひとしきり曲輪の周囲の石垣を堪能しました。半周ぐらいしてようやく曲輪内に入りました。

このお城は基本的には単郭で、周りは石垣に囲まれているので楽しめます。曲輪内は藪状態なのですが、土塁があるのが分かるし、城址碑もありました。一人、曲輪に取り残されたので、他の人は?と思って呼んだら、遠くから返事がする。そっちへ向かったら、主郭の北側に土橋があり、その両側に空堀がありました。その先にはまた削平地があり、その下にも一段削平地がありました。

それから、またぐるぐる曲輪の周囲の石垣を楽しんでから、駐車場に戻りました。帰りは当然上りとなるので、ちょびっとしんどかったー。
それにしても、楽してこんなに石垣が見られて満足!でも欲を言えば、城域が狭いので変化が楽しめないのが残念。まぁ観音寺城を歩き回るための準備運動と思えば、丁度良かったです。しかも、その観音寺城の支城だったから、関連のあるお城だし。
http://www.geocities.jp/ikomaihyogo/siga/sasou.html

菜の花

2007年04月15日 | お花

今日は、近くの菜の花畑を見に行きました。
黄色い花って、パァーッと気分まで晴れやかになるので大好きです。だから、菜の花やひまわりをボーっと見てるのって好きなんだよなぁ。

今の時期に菜の花ってちょっと遅いのでは?と思ったのだけど、昨日、菜の花まつりをやっていたというので、それならまだ見頃だろうというのと、家から近くだったので見に行ってみました。休耕田を利用して、菜の花畑が点在していたのですが、どこも今が見頃で、色がとてもキレイでした。

1時間ぐらい、ボーっと菜の花を見ていたけど、天気が良く、ポカポカと暖かくて気持ちよかったです。
これから、色んな花が咲く時期だから、楽しみだなぁ。

今日は昼に近くで大きな地震があり、夕方にも余震がありました。最近、あちこちで大きな地震があり、能登半島など避難生活を送っている人もいます。転倒防止などと、非常袋を用意するなど、万一に備えた方がいいですね。
私もある程度対策をしているのだけど、実際に大地震がきたら、家が倒壊して非常品を持ち出す事もできないかも?と思ったりもしていますが・・・

観音寺城を歩き回る

2007年04月14日 | お城(関西)

今日は、4月の巡城組活動日でした。今回のテーマは、「観音寺城を歩き回る」
ということで、本当にあちこち歩き回りました。こんなに1つのお城をじっくり回るというのは珍しいけど、それだけ見所も多いお城ってことなんだなぁ。

ちょっと疲れたけど、もう観音寺城は行けなくてもいい!というぐらいに満足しました。
また、じっくり報告しまーす♪

写真が・・・どこの写真が判別できるかなぁ?

飯田の城(久米ヶ城・吉岡城)

2007年04月13日 | お城(甲信越)

飯田のお城報告、最終回です。

久米ヶ城  飯田市久米字城山
山頂まで車で行けるラクラク山城です。駐車場には、「信州のサンセットポイント」と書かれた説明板がありました。確かに眺めがいいです。公園入口には冠木門があり、本丸には模擬櫓が建ち、説明板もあります。土塁が少しあり、模擬櫓の背後には立派な堀切があります。二の丸は閉鎖した旅館がある所で、駐車場から来た道を少し戻ると左手に遊歩道があります。これを行くと、先程の模擬櫓の背後の堀切を下から見られますが、私は回りこむのが面倒だったので、模擬櫓の背後からそのまま下りちゃいました。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/kumega.html

吉岡城  下条村陽皐吉岡
このお城だけ飯田市じゃないのですが・・・
雨が降ってきたので、お気楽な城へ~ということで、吉岡城へ行きました。このお城は城跡公園になっています。

国道からそれて公園へと向かうと、最後に道路突き当りを右折する所に「二の丸門跡」の標柱があります。そこから西進していくと、公園までの間に堀切が2ヵ所見られます。本丸は城跡公園となり、城址碑がありますが、土塁が西側隅に残っています。その西側に明瞭な堀切が残り、その西には神社があります。この神社の西側にも堀切があります。神社の北側の通りを歩いていると「樋掛石」(写真)という城跡に関係のある石がありました。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/yosioka.html

飯田のお城って、なかなか見応えのあるところが多くてよかったです。

飯田の城(伊豆木城)

2007年04月12日 | お城(甲信越)

次は、伊豆木城へ行きました。

伊豆木陣屋  飯田市伊豆木
伊豆木城へ行くため、伊豆木陣屋の前を通りました。先回、中も見学し、説明も聞いたので、今回はパス。外から写真撮影だけしました。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/izukijoinya.html

伊豆木城  飯田市伊豆木城山
最初、登り口が良く分からなくてウロウロしちゃいました。
小笠原書院のチケット売り場から右へ行き、資料館を過ぎた辺りで左手へ行くと舗装された道路があります。この道路を歩き出してすぐ左手に祠があり、そこに赤矢印が右になっています。それに従い、祠の所で右手へ行きます。最初は道があったけど、途中、笹や倒木があって歩きにくかったです。100mも北へ進むと開けた感じの所に出ます。畑にでも利用していたのかなぁ?ここから左前方(北西)の山へ入っていくと城跡です。

北西へと歩いていくと、段郭が見えてきて城域に入ったと分かります。そのまま登りきると突然、登城道があり、郭がありました。主郭付近一帯はきちんと道があって歩きやすいです。山頂付近には3つ郭がありますが、一番東の郭で三の郭のようです。三の郭の北・東・南に段郭があります。その西側には立派な堀切があり、左手(南)は谷になっています。この谷の下の方には、池のように大きい「御泉水」があります。谷を下っていって見るのは木立がすごいので無理です。最初に祠から登り始めた所を右手へ行かず、直進(西進)すると御泉水は見られます。

三の郭の西には一段高い位置に広い郭があり、その西側にまた深くて見応えのある堀切があります。この西側にも広い郭があり、真ん中の郭よりやや高い位置で広いです。この郭の南と西にも段郭があります。

この城の主郭は一番西か真ん中の郭のどっちかだと思うのですが、どちらかが分かりにくいです。西の郭が一番広く、高い位置にあるものの、真ん中の郭は堀切に囲まれ、南側は谷が竪掘の役目を果たしていると考えられ、一番防御が堅いから、真ん中の郭が主郭かなぁと私は思いました。どうなんでしょう?
小笠原城は遺構がしっかり残っていて、堀切など見応えがあるのですが、荒れた山といった感じなので、もうちょっと手入れ(木々の間引きなど)をしてくれたら、見やすくてもっと感動するだろうに!と思いました。

あと、資料館の背後の舗装された道路を祠の方へと左へ入らずに、そのまま真っ直ぐ80m程進むと、右手に小笠原氏のお墓があります。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/izukijou.html

飯田の城(知久平城・神之峰城)

2007年04月11日 | お城(甲信越)

ふと気付いたのですが、トップページのアクセス数が10万を越えました。パチ☆パチ☆パチ☆
見てくださる皆さん、どうもありがとうございます。
これからも、ご愛顧くださいね。

さて、飯田のお城の続きです。
知久平城  飯田市下久堅知久平
城域はかなり広かったようで、久堅小学校の南西にある諏訪神社やその南から、小学校や保育園の北方までが城域のようです。小学校へ向かう時、かなり坂を上がっていったので、この付近は高台にあるんだーって分かります。
保育園の前に説明板があり、すぐ横の通りには本丸まで○mという標柱が立っていました。歩いてみると、この標柱はあちこちにあり、それに従うと一巡できるようになっています。

保育園の北側にある斎藤農園の駐車場にもさっきとは違う種類の説明板がありました。周辺を散策すると、土塁や空堀があちこちに残っています。保育園の西側(民家の裏手で竹薮の奥)には立派な空堀が残っています。また、そこから本丸へ向かう途中にも土塁が見られます。

本丸は農園や工場になっており、土塁が残っています。その北側の墓地や社も曲輪です。本丸から北西の民家には殿様井戸が残っていました。この井戸は史跡指定になっているようで、標柱の順路通りに歩くと、個人宅なのにその井戸へ向かうようになっています。たまたまお家の方がみえたので声を掛けたら、どうぞ~と明るく返事をしてくださいました。井戸を見て、その個人宅の脇を抜けて本丸へ行くルートになっていたので、この大らかさにびっくり&感謝しました。
もっともっと歩き回ると、他にも遺構が見られそうです。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/tikudaira.html

神之峰城  飯田市上久堅下平
車で山頂まで上がれるラクラク山城です。山頂へと上がりきる最後の左カーブ手前左手に「御手洗池」があります。付近にはアンテナが沢山立っていて、本丸にもアンテナが立っています。

久堅神社の前に城址碑と説明板があり、すぐ右にある階段を上ろうかと思ったら、本丸はこの反対側とのこと。180度回転して後ろを見たらアンテナが立ってる本丸があり、そっちの階段を上った所に本丸跡の標柱がありました。

本丸より東には二の丸があるらしいとのことで、そっちへ歩いていったら、立派な堀切と土橋があり、ちゃんと遺構があるじゃん!とアンテナ付き本丸を見た後だけにちょっと感動♪このお城の一番の見所はここだと思いました。その後、神社の方へ戻り、神社の階段を上がらず、神社に向かって左手へ歩いていきました。すると矢立岩(写真)があり、そのまま回り込むと出丸の方に入れます。出丸からの眺望はとても良く、ベンチが置いてあったりします。ほかにも何かの施設があったりしますが、南北に細長い出丸を南へ行くと神社があり、鞍掛岩という大きな岩に字が刻まれています。年号や武将の名前が見えるのですが、じっくり読まずに写真だけ撮って城を後にしました。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/kannomine.html

飯田の城(飯田城)

2007年04月10日 | お城(甲信越)

次は飯田城へ向かいました。

飯田城  飯田市飯田追手町
まずは二の丸となる美術館へ~。やたら人が多いなぁと思ったら、ここに天然記念物の大きな桜の木があったからでした。
美術館には水路などが整備され、説明板もあります。これらを見て、美術館の西端を北へ下っていくとあるという水の手御門の石垣を見に。この石垣か?と見ていたけど、ホンモノはどれかハッキリしなかったです。ただ、この周辺を丁寧に見て回ると、あちこちに古い石垣もあって、これはもしや城の石垣に使っていた石か?とか、石垣の遺構か??などと思いながら見ていました。

それから、市立図書館の西側にある通称赤門と呼ばれる桜丸御門を見に行ったのですが、どうも人が多い。やっぱり花見に来ている人がいるからみたいです。赤門のすぐ側に古井戸もあります。

今度は、二の丸と本丸の間の堀切を見てびっくり!スゴイ!!と思うけど、写真が撮れない。さりげに説明板まであったのが嬉しいです。
それから本丸となる長姫神社へ~。社殿の裏手に土塁石垣が残っており、神社入口に本丸の説明板があります。

これだけ見て、上郷別府にある「経蔵寺」の山門を見に行きました。これは桜丸二の門(脇坂時代の桜丸の門)で、赤門が築かれた時、この門は家老の安富氏の屋敷に移築されたのです。
そして、松尾久井の「龍門寺」南側にある民家へ行き、二の丸御門(八間門)移築門を見ました。かなりカッコイイ門で、丁度、桜や咲いていて更に映えていました。
http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/nagano/iida.html