ちえぞー往生こいたでいかんわ!

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18切符で赤穂城へ~

2007年03月30日 | お城(関西)

赤穂城  赤穂市上仮屋
花隈城を見た後、元町駅からまたJRに乗り、1区先の神戸駅で快速に乗り換えて姫路駅へ。そこから播州赤穂駅行きに乗り換えたら普通しかなかった。電車に揺られながらやっと播州赤穂駅に到着。

駅から城跡まで1kmはあるので、出来たらバスに乗りたい!と思って、バス乗り場へ行ったら、ちょうどバスが停まっていた。どのバスが城跡近くに行くかとか、どのバス停で降りたらいいかとかさっぱり分からないので、バスに乗り込んで運転手の所へ直行。城跡の方向へ行くか聞いたら、300m程離れた場所なら停まると言う。駅から歩いて1kmよりは楽できるからそれで十分だ。バス停は「大石神社」ってことで、それならバスに乗る事にした。降りるとき運賃表を見たら100円。激安だ!!

そこから少し歩いたら隅櫓や大手門が見えてきた。久しぶりなので、大喜びで写真撮影。大手門を入って枡形を抜けると、大石邸などの長屋門がある。そこから大石神社の方へ行ったら既に17時過ぎで中に入れなかった。ここの神社は初めて来たときはひっそりしていたのに、大河ドラマ「元禄繚乱」をやってから訪れたら、大石神社の参道に四十七士の石像がピカピカ輝いていて、これはやりすぎ!とかなり苦笑したものだ。でも、あれから歳月が経ったせいか、雨が降ったせいで濡れてたせいか、ピカピカはなくなり随分と場になじんでいた。参道の途中から北を覗いて見たら、こっちには土塁や石垣があった。あちこちに遺構があるんだなぁと初めて認識してびっくりした。この付近は三の丸だったようだ。

以前来た時、本丸の門や天守台が復元されていて随分変わったなぁと思ったのに、更に復元が進んでいた。大石神社から南へ進んで二の丸外堀を過ぎると本丸がある。本丸手前で西側を見ると土塁があり、石垣の積み直し作業をしていた。ここも整備するんだぁ、スゴイ規模の工事だなぁ。ここまで大規模にやれるなんて、予算はどこからおりたんだろう?とふと思ってしまった。大規模復元工事というと熊本城を思い浮かべるが、熊本城も本当に随分とカッコよくなったもんなぁ。名古屋城も頑張って欲しいものだ。

本丸内も既に時間が遅くて入れなかった。ちょっと残念だが、一応天守台は見てるしまぁいいかと慰める。せっかくだから、公園の反対側へ通り抜けながら、他の門を2つ見ることにした。本丸の北東側にあった土塁が見事で、この付近も石垣を積み直すような雰囲気があった。反時計回りで、本丸周囲の水堀や門を見て楽しんだが、ここの水堀には藻が浮いているのか??最初、赤い堀を見た時に、堀を埋めて赤色で舗装してあり、歩けるようになっているのか?と思ったけど、よーく見ると水が入っている。一面に赤色になっているのは、藻か何か浮いているのか?密集していて隙間がないから、気づかないと堀へ下りてみようと思って、水浸しになりそうだ。(写真のような赤い堀が続いていた)

本丸南側の埋門を見てから南へ歩き、水手門を出て、水堀と石垣が道路沿いに続いているのを歩いた。
かなり歩いた気がするけど、まだまだ見ていない場所も沢山あるんだろうな。今日はこれで切り上げと思って、宿に入った。
ホテルの部屋から赤穂城が見えて、ご満悦な一日だった。次は2日目に続く~
http://www.geocities.jp/ikomaihyogo/harima/akou.html

18切符で伊丹有岡城、花隈城へ~

2007年03月29日 | お城(関西)

三田駅から伊丹駅へ移動し、伊丹有岡城へ~

有岡城  伊丹市伊丹2丁目
JR「伊丹駅」から西へ出てすぐ。まさに駅前城郭だ。みんなこれぐらい駅から近いといいのになぁ。
伊丹駅から西へ出て道路を渡ると、横長の城址碑がある。その西側の公園には土塁があり、通りを挟んだ北側は城址公園になっている。
城址公園の入口には城址碑があり、階段を上がると土塁、礎石、井戸、石垣があってびっくり!
駅前にこれだけのものが見られれば十分満足だ。この城址公園の東側には空堀が残ってて、公園北側から全体を見ると、いい雰囲気☆
公園から西側も興味をそそられる雰囲気だったけど、道草ばかりしていると時間がなくなると思ってやめた。

その後、伊丹駅からまたJRに乗り、尼崎駅で乗り換えて、三宮駅で下車した。花隈城へ行く予定だったので、それなら元町駅が最寄となるのだけど、せっかくだから生田神社へ行くことにしたのだ。
生田神社は最近、芸能人が結婚式を挙げて話題になった所だとふと思い出した。芸能情報は中日スポーツのおかげで世間についていけるけど、芸能人を知らない私は、その結婚した人が陣内とかいう人と藤原紀香という人だと記事を読んで名前は知ったけど、顔は知らない。でも、かなり有名な人らしく、神社付近はスゴイ人で大変だったらしい。陣内って真田広之が主演だった太平記でバサラ大名こと佐々木道誉を演じていた陣内しか知らないけど、他にも居たんだなぁ。

生田神社は小雨が降っていたのに、結構人で賑わっていた。さすが有名な神社だけある。縁結びの神様だから、一応参拝しておいた。参拝後、アーケード街を通って元町まで行き、花隈城を目指した。

花隈城  神戸市中央区花隈
線路沿いに歩いていくと石垣が目に飛び込んできた。この石垣は偽者で、石垣の中は有料駐車場になっている。その上が公園となり、城址碑や説明板がある。まぁ、これだけでも整備されているだけありがたいですね。

その後、JR元町駅まで400m程歩いて電車に乗った。続く~

※ 写真は生田神社

18切符で三田城へ~

2007年03月28日 | お城(関西)

尼崎駅から阪神電鉄で野田駅まで行き、そこでJR東西線「海老江駅」に乗り換えた。三田城は三田駅が最寄り駅だが、乗った電車が宝塚行きで三田まで行かないので、川西池田駅で三田まで行く電車に乗り換え。そこからは普通だったので時間もかかり、三田って意外と遠いのだと知った。というか、宝塚より向こうだという位置関係も知らなかったけど。。。電車に乗りながら、ここって事故があった路線だよなぁと思い、あのカーブってどれくらい急だったんだろう?見てみたいと思ったけど、どの辺りか全然分からないうちに通り過ぎてしまった。

三田城  三田市屋敷町・古城
駅から外へ出たら雨が少し降り始めていた。傘を持ってくるのを忘れたのでどこかで買わなきゃと思っていたけど、できたらビニール傘より普通の傘を買いたいと思い、雑貨屋を探しながら、最悪コンビニで買うしかないなぁと思って店を探しながら歩いていた。そうしたら運良く雑貨屋があり、普通の傘をゲットできた。

武庫川を渡ったら正面に丘が見えた。城跡はあの丘の上だ。荷物を持ち歩いているから、少しの登りもしんどく感じてきた。直線で駅から約1kmってことは、実際にはもうちょっと歩いてるんだよなぁ。

途中、古城姫高稲荷社へ寄りながら行く事にした。古城姫高稲荷社の由来を読むと、この付近は九鬼氏の城館跡と書かれている。当時は城郭の一角にあったため、一般町民の参詣は許されなかったらしい。そこから有馬高校の東側を通り三田小学校へ向かっていたら、右手に立派な堀が見えてきた。そこにお城の説明板もある。これはスゴイ!遺構があると知らずに来たのでこの堀が残っているだけで感激した。

三田小学校の南側の池は堀跡なのかな?有馬高校と三田小学校の間にある道路沿いのこの堀は、本丸と二の丸の境の堀だったようだ。小学校の正門前には城址碑もある。その道路反対側には古絵図もあり、空堀があった場所が分かる。それを見ようと高校の西側へ行ったけど良く分からなかった。ただし、高校内に南北にあった空堀は、今は通路になっているがすぐに分かった。また、高校内には井戸跡のようなものもあった。

高校の東側にも空堀があったのだが、ここも雰囲気はすごく良く分かる。ただし、すっかり宅地になっている。
本当は移築門がある金心寺へも行くつもりだったけど、高校の南西隅からお寺方面を見たら、更に高台になっているし、700m程歩かなくてはいけない。往復1.4kmも歩くかと思ったら嫌になってきてやめることにした。

駅へ戻ろうと高校と小学校の間の道を東へ歩いて行ったら、右手に九鬼家住宅資料館があった。外から見て、あの屋敷は何だ!と目をひいた。1階は和風で2階は洋風な造りも面白かったので立ち寄った。入場無料で、古絵図が描かれた下敷きなど、資料が盛り沢山。嬉しくなって見たい資料をもらい、屋敷も見学した。丁度、お雛様も飾っていた。2階は年間10回程度しか公開しないらしい。生憎、私が行った翌日が公開日だったようだ。2階が見られなかったのが残念だが、良いところに来たと満足した。

そのまま駅に向かっていたら、たこ焼き屋を発見!既に昼時でお腹が空いていたので買う事にした。注文したら焼きあがるまで5分程かかると言われたが、次は伊丹駅までの移動で電車の本数は多いみたい。5分ぐらい大丈夫!と思ってたこ焼きを買った。
中が柔らかくほくほくしていてとても美味しかった。

※ 写真は九鬼屋敷

18切符で尼崎城へ

2007年03月27日 | お城(関西)

18切符で最初に目指したのは尼崎城。先に福知山線の方へ行こうかとも思ったけど、乗換を考えたら、多分尼崎城からが効率よいかと思って。

尼崎城  尼崎市北城内
米原で乗り換えて、大阪駅で下車し、そこから阪神電鉄に乗って尼崎駅へ。阪神電鉄へ乗り換えた際、行き先表示を見ても、どれに乗ったらいいのかチンプンカンプン。関西の地名は見てもさっぱり分からない。しかも、急行や特急などが停まるかも分からない。考えても無駄、悩むだけ疲れるということで、さっさと駅員に尼崎駅に着く電車を教えてもらい、そのホームへ行った。特急だったので、特急料金が必要か?と確認したら、不要だった。JRから阪神電鉄の乗り場までは案内表示があったおかげで簡単に行けた。

ところで、JRにも尼崎駅があるのだが、JRの駅からだと城跡まで2km以上距離があり、歩くと時間がかかるため、阪神電鉄尼崎駅へと乗り換えする事にした。車なら2kmなんてすぐなのに、電車だとほんの少しの距離でも移動が厳しい。

駅に着く少し手前で車窓から城址公園が見えた。
駅から西へ向かい、庄下川を渡ったら城址公園がある。ちなみにこの庄下川は外堀の役目をしていたようだ。石垣や城壁が復元されていてお城といった雰囲気を醸し出している。

その南側に桜井神社があり、神社の北西角に「尼崎市発祥之地尼崎城跡」といった石碑があった。神社の本殿前には城主・戸田氏の紋が入った鬼瓦が2つ置いてある。更に神社から南西へ歩くと明城小学校があり、この学校の南側西よりに城址碑と説明板がある。城址碑からもう少し東へ行くと学校の正門があり、そこから学校へ入ってすぐ右手に、天守だけでなく櫓や水堀まである模型があった。ここまで作ると見ていて楽しい。
ちなみに、小学校の北にある成良中学校付近が本丸だったようだ。

ここまで見て、ほぼ一通り見たから駅へ戻った。本当は、駅から南西へ450m程行くと大覚寺城があるのだけど、そっちへ行くと900mは余分に歩くのかぁと思ったら、遺構もないような所へ行く気になれなくなり、さっさとパスしてしまった。

次は三田城へ~

18切符で関西の駅前城郭へ~

2007年03月26日 | お城(関西)

この土日は、青春18切符を使って兵庫の駅前城郭めぐりをしてきました。
JR20周年記念で18切符が8000円といつもより3500円も安いという情報をコハクさんから頂いてから、この城巡りの計画を立てたのだ。

5時台に起きて、6時半には家を出て、7時にはJRに乗ったのだけど、既にすごい人。ほとんどが18切符使用者みたい。こんなに人が多いと座れないかも?と思ったけど、なぜか運良くどの電車も座れてラッキー!

でも、駅から歩きだと、あと500m先に他のお城があるとか、移築門があると分かっていても、往復1km余分に歩き、駅まで戻るのが大変と思うと、パスしてました。
欲張って、あちこち行ってしまったので、時間がなくなると焦ったり、場所によっては電車の本数がすくないから、この電車に乗らなきゃと思って慌てたりと、何だかせわしかったです。

それでも、24日は、尼崎城、三田城、有岡城、花隈城、赤穂城へ行き、25日は、姫路城、龍野城、鶏籠山城(龍野古城)へ行けました。

まだ今日は疲れているので、お城の報告は後日にしたいと思います。

西美濃・円興寺城

2007年03月23日 | お城(岐阜)

小島城まででゆかえもんさんは離脱。残った3人でもう1城行く事にした。

円興寺城  大垣市青墓町5丁目
このお城は、山岳寺院を城跡として利用したと言われている。
城跡は「青少年憩いの森」として整備され、遊歩道がある。私たちは表参道を歩いたけど、裏参道と遊歩道はつながっていて裏参道からでも登れるようだ。案内板を見たら、裏参道の方が歩く距離が短かったけど、表参道の方が入り口真ん前に駐車場があって便利かも?

登城口から15分程で「仁王門跡」に着く。ここには礎石があり、松尾芭蕉の句碑もある。正面には展望台といってあと少し丘を登ると高台になっているのだけど、お城に関係ないからと疲れることはパスしてしまった。
仁王門跡から左手へ行くとすぐ右手に「刀石」があり、その奥に源朝長らのお墓がある。
「朝長って誰?」と聞いていた私だけど、説明板を見て頼朝のお兄さん(義朝の二男)と知りびっくり。平治の乱で京都から敗れ逃げ延びる途中、この地で比叡山の僧兵に見つかり、足に深手を負ったため自刃したそうだ。
お墓から5分ぐらい進むと右手に金堂跡、講堂跡があり、左手には多宝塔跡、僧坊跡がある。金堂跡の西や講堂跡の南には土塁があり、多宝塔跡には礎石や櫓台のような部分があり、僧坊跡はかなり広い。金堂跡の北東に登ると鐘堂跡があり、更に北東に3段の立派な削平地がある。全体に削平はしっかりし、広さがあって見やすい。

これで、この日のお城めぐりは終了。小寺城が城域に行けず残念だったけど、小島城が思いのほか素晴らしくてまたまた大満足な一日でした。

西美濃・小島城

2007年03月22日 | お城(岐阜)

何だか、お城の記事がどんどん増えてくるので(って、ほとんど城のことしか書いてないから当然なんだけど)、地域別に分け分けすることにしました。
後からちょっと見直したいときに、少しは便利かと思って・・・

さて、白樫城の登城道の研究などした後、この日のメインである小島城へ行きました。

●小島城  揖斐川町春日六合
登城口の前に駐車場が整備されています。そこから菩薩園までは「参歩道」として整備されています。
参歩道を歩き始めてすぐ城跡西端の長くて立派な竪掘があってびっくり!こんなにすぐが城域だなんてラクラク山城じゃん♪とこの時は思ったのだった。
竪堀は歩道のために数箇所改変されているけれど、城域のかなり北側から南まで一直線に落ちています。
そこからすぐ東の削平が曲輪で、1段下の曲輪も見える。下の曲輪からは竪掘が幾つかあるってんで、下りて見ました。まだ城域の端っこなのに、すっかり楽しんでいました。
先程の参歩道へ戻り、下方に段郭があるのを見ながら菩薩園へ~。そこにはお城の説明板があるのですが、びっしり書き込まれすぎていて読めないぃ!菩薩園の下の段の展望台横にはさりげに城址碑がありました。

菩薩園から東へ進むとうっすらと道があり、これが登城道か?と思って登りだしました。左右に段郭があり、堀底道のような所を登っていきます。段々と藪がひどくなってきて、郭は藪だらけでほとんど何も見えない。しかも、雪が残っていて滑りやすい・・・ってんで、藪を掻き分け、雪で滑らないようにと必死に登っていたら疲れました。城域に入るまではラクラクだったけど、このお城は城内が修行の場になっています。何とか主郭から下へ4段目の郭へ来たら、そこから上の郭へ行く間に右手に竪掘が4本見られました。最初に見た長い竪掘も立派だったけど、ここのも見応えがあります。

やっと主郭へ到着!と思ったら、段郭の削平はしっかりしていたけれど、主郭の削平はちょっと甘く、しかも狭くて藪。でも、主郭背後の堀切と、一騎駆けのような土橋に驚きます。これは見応えたっぷりで楽しめます。
今度は主郭から南へ下りました。途中、石が少し並んでいたので、石垣だ!と言い、その石の隣の土を少しどかすと石が出てきたので、やっぱりこのラインは石垣だったんだ~と喜んで見ていました。

でも、縄張図をよーく見てもっと立派な石垣がある!と思い、そちらへ向かう私。主郭から下へ4段目の曲輪から西へ回り込むと竪掘がありますが、その竪掘を少し下りた西側へ回り込むと、あったー!!石垣だー!!ということで、「石垣があったよー、立派な石垣だよー!!」と大声で叫び、みんなを呼びました。この石垣でみんな大興奮。いやぁ、やっぱり石垣があると盛り上がり方が違います。土塁や堀も好きなんだけど、石垣は更に好きだから~

また、この竪掘から東へ少し進むと、こちらにも石垣があります。ここでも「石垣あったよー!!」と大はしゃぎ。さっきの方が立派な石垣だったため、盛り上がり方はやや低調でした。
その後、背丈より高い藪を掻き分けて、途中、石垣で作った施設を見ながら、戦時中のものかなぁ?などと話し、登った道へ戻って下山しました。
城跡は段郭が藪だらけではっきり見えない部分が多いですが、立派な石垣、竪掘が見られて、かなり満足できます。

でも、冬でこの状態なら、夏は入るのが大変かも?

西美濃・白樫城

2007年03月21日 | お城(岐阜)

白樫城  揖斐川町白樫字大谷
次に小島城へ行くと言って、ナビの行き先も小島城へ~
でも、実は私一人で、密かに白樫城がある山が正面に見えるからと、白樫城の山麓付近を通り、遠景写真を撮ろうと目論んでいた。
移動途中に白樫地区を通るので、あわよくば何か関連があるものでも・・・と思い、白樫地区が近づいたときに、「あの正面の山が白樫城なんだけど、随分前に台風で土砂崩れに遭い城跡は壊滅したらしい」と言いながら、集会場へ寄ってもらった。
そこに、白樫地区の史跡の案内板があり、畑仕事をしていた地元の方が目の前にみえたので春日局出生地について質問をした。

その後、車に乗り込もうとしたら「白樫城 登り口」の石碑発見!
集会所の隅っこにある消火栓に隠れるようにあった。
その瞬間、大喜びで手招きしてみんなを呼び、撮影大会。

またまた地元の方に、白樫城への行きかたについて質問した。
どうも山の中腹まで車で行けるらしいが、登山道が分かりにくく、知らない人は迷子になるのでは?と言われた。
小島頓宮から登城道があるとのことで、早速小島頓宮へ行ってみた。
この背後の山がまさに城跡なんだけど、岐阜の資料にも遺構は壊滅と書いてあるので、行ってみても何も見えないのかもしれない。

白樫城についてはここまでにして、今度こそ小島城へと向かった。

※ 写真は小島頓宮

西美濃・揖斐陣屋

2007年03月20日 | お城(岐阜)

揖斐陣屋  揖斐川町三輪北新町
揖斐城を見終わった後、昼食をとりながら、「すぐ近くに揖斐陣屋といって、碑があるだけで遺構は特にないけど行く?」と聞いたら、「碑があれば十分!」との返事だったので、寄り道しました。

ノリが同じだから、このメンバーで何度も一緒にお城へ行こう♪って気になるんだよなぁとこの時実感。あまり気を遣わなくてよいし、楽しくお城めぐりができるのでこれからも、是非是非ご一緒してくださいね。

さて、揖斐陣屋は宅地開発されてしまったけど、病院のすぐ脇に隠れるかのように石碑があり、その背後には水路があります。病院の場所が陣屋の中心地だったみたいです。
この水路は堀跡かなぁ?と思ってみていると楽しいです。
また、道が枡形になっているのも、往時の面影かなぁ。
石碑だけでも、周囲の様子を見ながら十分楽しめますね。

西美濃・揖斐城

2007年03月19日 | お城(岐阜)

揖斐城  揖斐川町三輪北新町
小寺城でイマイチ納得できないまま、次は揖斐城へ行きました。
本当は先に小島城へ行く予定だったのだけど、11時と中途半端な時間で、今から小島城だと途中ですごくお腹が空きそう・・・と思って先に揖斐城へ~
揖斐城は私が行った事があり、主郭にベンチがあったと思い、城跡で昼ごはんにすると気持ちいいかも?ということで、コンビニで昼食を仕入れて登る事にしました。

一心寺まで車で上がり、そこから10分程度で城域に入ります。
このお城は登城道や城跡が整備されているし、案内板なども充実していて、分かりやすいです。

途中、白山神社が祀ってある所の段郭を過ぎると南の丸で、一心寺を開基した人の碑があります。その上が本丸で城址碑があります。ベンチもあったけど、強風で寒い!とてもここでお昼という気になれなくて、結局、車に戻ってから食べました。

主郭の奥に枡形虎口があり、そこを出ると堀切で立派な土橋と竪堀が見られます。
ここに新しい説明板がありました。昨年12月に来た時にはなかったので、本当につい最近、設置したみたいです。
その奥が細長い二の丸で、曲輪を1つ隔てて大手門跡、三の丸、出丸、北の丸、搦手曲輪とあり、その奥の堀切の向こうに説明板がありました。

広い城域で、整備されていて見やすいです。以前来たときは、一面雪が積もっていたため、あまりきちんと遺構が見られなかったけど、今回はばっちり見えました。
井戸へは本丸南か三の丸東から行き来できるので、竪掘を見ながら寄りました。少し大きめな井戸ですが、水が濁っていました。

まだ見ていない部分もあったけど、大体一回りしたので、これで下山することにしました。
お寺の駐車場の先にある「城台観世音菩薩」の前にも小さな城址碑がひっそりあるのを見逃さないように~

巡城組・西美濃へ~小寺城

2007年03月18日 | お城(岐阜)

昨日は、急遽、巡城組活動日となりました。同月で2週連続は初めてです。

もともと、長篠5砦巡りをする予定だったのですが、案内して下さる方の都合が悪くなってしまったため、それが中止にになっちゃいました。でも、せっかくお城へ行くことにしていたので、そのメンバーでどっか行こう!となり、西美濃へ行くことに。

今回の参加メンバーは、ひろしさん、きっぽうしさん、ゆかえもんさん、私の計4名。びっくりな感じですが、きっぽうしさんとゆかえもんさんは初対面でした。

小寺城  池田町小寺
4人集合して、最初に池田町の小寺城へ~
道路沿いに、小寺城はここから西へ200mという標柱や説明板があったので、登城口までは迷わずに簡単に行けました。

道の終点に車を停めて、小寺城の案内が左になっていたので、そのまま左へ行きました。
縄張図を見ると、砂防ダムの東側が城跡になっていたので、左手に見えていた砂防ダムの東へ行かなくては!と沢を渡ってダムの東側へ進み、さて山へ登ろうと思ったら、急に道がなくなっていました。

どうしよう?と思いつつも、いつものように直登。城跡は尾根先端ということで、フラフラ探し回ったら、堀みたいなものが見えました。
この辺かなぁ?その割には4段の曲輪がない。。。まだ上かも?
よく分からないまま4人であちこち彷徨ってみたけれど、ハッキリしません。でも、堀跡に見えるものは途中で湾曲したりと人工的に見えたので、この付近が城域?とやや腑に落ちないものの、そうすることにして下山しました。

帰りは、登った道ではちょっと危ないと思い。反対方向へ下りてぐるりと回り込んで帰りました。

でも、うーん、ずっと腑に落ちないまま帰宅し、昨夜、詳細な地図とお城の場所などが記載された資料と睨めっこして、大間違いなことに気付きました。
あの、車を停めた所から左手ではなく、真っ直ぐの道へ行かなくてはならなかったのです。

ガーン!ということで、またいつか小寺城へは行きなおしです。
でも、今度は絶対に間違えないぞー!!

※ 写真は、間違って登った尾根にあった堀と思ったもの

近江・湖西の小川城

2007年03月16日 | お城(関西)

予定していた4城を回り終えて時計を見たら、まだ17時少し前。
平城なら行ける!ってことで、資料を見て探していたら、土塁が残っているお城が近くにあったので、そこへ行くことに。

無理やり、1城追加って感じで、「やっぱスタンプラリー派としては、4城では少なすぎるから数稼ぎ?」などと言われながらも、「最低片手は行っておかなきゃ」と答えて、イザ出発!

小川城  高島市安曇川町上小川
藤樹書院から約300m西にある。資料と地図から多分この辺りと行ったら、すぐに分かった。
城跡には今も末裔の方が住んでいらっしゃり、家の裏手に土塁が残っています。
道路沿いに「小川城跡」の案内がひっそりとあったのが嬉しかったです。
門がやけに古かったので、現存門かも?と勝手に言ってたのですが、家の方が「台風でなくなってくれたらいいのに」とおっしゃってたので、現存門ではないのは確かなようです。

これで打ち止めとしました。
山城3城がどこも見応えがあったので、とても大満足な一日でした。

近江・湖西の田中城

2007年03月15日 | お城(関西)

清水山城の次は、この日のメインディッシュ!!と私が思っていた田中城。
というのも、田中城は昨年4月1日に登ってる途中、見張所で熊と遭遇したため、何も見ずに一目散に逃げ帰ってきた思い出深いお城だからだ。
今回は人数が居るから大丈夫!と思って(というか、そのために人数を集めたともいう)、安心して登れた。

田中城  高島市安曇川町田中
登城口に城址碑があり、順路は右手の屋敷跡から見る事になっているが、空模様が怪しくて少し暗くなってきたのと、とにかく城跡を見たい一心で(屋敷跡だけは以前見てるし)、先に城跡へ行くことにした。

5分程登ると左手に問題の見張所があったが、無事通過。その一段上に曲輪と表示された曲輪がある。今回は熊が居なかったのでのびのびとお城散策!

そこから右手の曲輪に入った。櫓台があり、その奥には金刀比羅宮が祀ってあった。ここの曲輪は土塁がしっかりしていて見応えがある。
そこから北側へ進むと武者隠しがあり、その先に土橋がある。これって土橋っていうの?一騎駆けっぽい雰囲気と思い、ちょっと腑に落ちなかったけど、まぁ何らかの施設であることは間違いないからと楽しく歩き回る。その後、先程の南側の曲輪へと戻り、そこから北西にある堀切を通って観音堂方面へ向かう。

観音堂への階段を上がりきったらすぐを左手へ行き、南北へ細長い曲輪を北へ進んでいった。更に変わった作りの土塁を左手に見ながら進むと天主跡に着いた。ここの高い位置につぶて石があったけど、つぶてにしてはやけに大きいなぁと思いながら見ていた。天主跡から北西へ進むと、かなり立派な土橋と堀切が見られる。土橋はかためてあるような雰囲気だ。こんなに見所盛り沢山だとは!と思いながら戻っていったら、観音堂から南東へ下ったところには今でも水が満ちている井戸があった。
色んな遺構がしっかり残っていてとても楽しめるお城だった。
大満足して屋敷跡の土塁を見て、これで予定のお城は終わりとなった。

でも、まだ17時少し前。もう1城ぐらい行けそうだし、今日は4城しか行ってない。やはり最低5城くらい行っておかねば?!と思い、しぶとくもう1城行くことにした。

近江・湖西の清水山城

2007年03月14日 | お城(関西)

お昼ごはんを食べながら、次に行く予定の清水山城について打ち合わせ。さすプーさんが楽城でしょ?と聞いてきたので、私は以前、森林スポーツ公園から歩いて登ったら、主郭まで30分もかかった話をした。道のりがかなりあるので、時間がかかるのだ。しかし、車で上まで行ける道もあるけど、私は途中でダートにびびって引き返した話をした。でも、下から歩いて登ったら、途中からその道と合流し、普通車でも通れるような道だったけど、途中は分からない・・・などと話していたら、結局は車でラクラクコースで行ってみることになった。

途中、デジカメ用の乾電池をホームセンターで購入し、すっかり元気を取り戻した私だった。

清水山城  高島市新旭町安井川

途中まで、車で行ける道を通っているので、道は分かる。というか道路に案内も出ていたから大丈夫!ということで、私がびびって引き返したダートまでやってきた。「ここから怖くなって引き返した!」と私が言った場所を、他のみんなは、どうして?といった様子で大丈夫!と突き進んだ。
やっぱり、男の子は勇気があるわ~と感心する。

その後、勾配が急な坂があって怖かったけど、主郭手前約300mの地点まで車で行ったので、本当にラクラクだった。登りがほとんどない。あー、あの道のりを歩いたのは何だったのだ?という感じだけど、今度、また私が運転で来るとしたら、やはり怖いので下から歩いて登るだろう。でも、他のみんなは、特に大した事ない様子だったので、このお気楽コースで来るに違いない。その勇気と運転技術が羨ましい。

それはさておき、そこからはすぐに城域で、右手に郭や堀切を見ながら主郭下に到着!ここから畝状竪掘が見えるが、うーん・・・唸りたくなる感じだ。階段を登ると主郭で鉄塔がある。ここからの眺めは抜群だ。更に奥には礎石もある。この付近を一通り見て、北出曲輪へ行った。こちらの曲輪と土塁を見て、回り込んで北側の畝状竪掘や最北の堀切まで見た。このお城、畝状竪掘があちこちにあるけど、北出曲輪のものが一番見やすくて、カッコイイ。

次に主郭の南西に続く曲輪と堀切を見に行った。こっちの堀切はかなり見応えがある。堀切へ下りるのもちょっと大変なくらいだ。
まだ、もう1つ山城へ行く予定だったので、時間が~とか言いながら、結局はほとんどを見て回った。先回見なかった部分も見られて大満足。ただ、屋敷跡も歩いてもう少し下れば見られたんだけど、時間の都合でパスしてしまった。
ここの屋敷跡は、土塁と空堀がしっかりしていて、結構見応えがあるので、車で上がった場合も、少しだけ反対方向へ行けば見られるから是非見てください。下から歩いて来る場合は、屋敷跡を通る事になるので、イヤでも見られます。

次は、私が熊と遭遇した事のある田中城です。

近江・湖西の打下城

2007年03月13日 | お城(関西)

全員が揃った所で、最初に打下城へ~
この日予定していたお城の中で一番比高がある(比高250m)。

打下城  高島市勝野
日吉神社の横が登城口。登城道は整備され、案内がしっかりあるので迷わず行ける。ありがたいことだ。
でも、登り始めたらゼイゼイしんどくて、ゆっくりしか登れない。登り始めは特にキツく感じて休憩もよくしちゃうけど、その度に体力ないなぁと日頃の生活を反省し、もうちょっと運動しなくちゃ~と思うも、これまたいつもの通り何もやらない。

尾根に出て、少し歩いたら、左手に竪掘が見えてきた。やっと着いた~!と時計を見たら、登り始めから45分も経っていた。
ところでどこに居るんだろう?と縄張図と周囲の様子を見比べる。うーん、よく分からないということで、先へ進む事に。目の前の郭に入ったら説明板があった。そこに、中主郭と書いてある。今居る場所が中主郭で、さっき見た竪掘の位置関係やらを考えると、多分西から入ったみたい。城跡の東方向から登り始めたので、どうも方向感覚がおかしくなってしまったが、登城道は城跡の西側だったようだ。

中主郭は土塁があり、北側には石垣もある。そこから北へ進み北主郭へ行くことにした。段郭が続き、目の前に北主郭が見えてきたら、右手下には畝状竪掘があった。すっかり感動し、さっさと下りて見に行こうとしたら、北主郭を見た後で、下から見に行くというので、そうすることに。

北主郭は虎口がしっかりしてとても見応えがある。郭内に入ると土塁も高くて広さもある。スッゴーイ!と思いながら写真を撮ろうとしたら、電源が入らない。電池切れだーと思って、電池を予備のものに入れ替えた。多分、入れていた電池は前から使っていた途中だったのですぐに切れると思っていたので、やっぱりなぁと思いながら入れ替えてスイッチを入れたら・・・入らない!エッ?と思ってもう一度やってもダメ。電池を入れ直してもダメ。他の3人はとっくに郭の北側へ行ってしまったが、私はカメラが~と思って、必死にあれこれ試すけどダメ。
ショックのあまり、呆然・・・

そこへ、ひろしさんが「ちえぞーさん、こっちにもっといいものあるから、おいで~」と呼んで下さった。電池がなけりゃデジカメは動かないので、これ以上何をやってもムダだと自分に言い聞かせ、北主郭の北側へ行った。そこにはちょびっと石積みがあった。更に畝状竪掘も。

デジカメが~!!とショックを受けながらみんなに話したら、目に焼き付けるしかないなぁと言われてしまった。暫くショボンと落ち込んだ状態で城跡を歩く私。
その後、中主郭に戻り、そこから東へ下りる。こっちにも郭があり、そこから南へ進むと、上から土塁が落ちているのが見える。こういうのって、竪土塁というのか?それとも登り土塁??

そのすぐ前に南郭があり、切岸を直登。この郭にも土塁があった。ほぼ一通り見て、中主郭南へ戻り、下山した。

全体に遺構はしっかり残り、城域も広いので見所も多く、とても楽しめるお城だ。写真も北主郭の虎口までは撮れたので、まだマシと自分を納得させた。でも、やっぱりどういう遺構があったか、後から見たくなることもあるし・・・ということで、きっぽうしさんに写真を少し送ってもらった。

下山したら、人間が燃料切れということで、昼ご飯をとることにした。