ちえぞー往生こいたでいかんわ!

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足助の円山城

2007年02月28日 | お城(愛知)

☆ハッピーバースディ☆
実は今日は私の誕生日です!
これ以上年を取るのはあまりめでたくないかもしれないけど、無事、元気に誕生日を迎えられるというのは、やはり幸せな事だなぁとも思ったりします。

明日から新しい仕事なので、今日が今までの仕事納めということもあり、丁度節目といった気分です。
先日、大好きなチーズケーキを食べ損ねたので、今日はチーズはやめてチョコレートケーキを食べました。好きなものを食べられるのも幸せですね♪

さて、足助のお城ですが、大河原城の次は円山城へ行ってみました。
円山城
お城のある山はすぐに分かったので、どこから登るか・・・と考え、ちょっと周囲を歩き回ったけど、面倒になってきたのでまぁいいかと適当に山に取り付ける場所から登ることにした。でも、山の中へ入ったら、道がある!それに従っていくと、山頂目指してなく、適当にあちこちに道らしきものがあると分かり、その道らしきものを利用しながらも直登することに。

上にアンテナがあるようで、線があった。山頂に着いた瞬間、スッゴーイ!と小躍り状態。何がって・・・このお城の堀切が正面にある所に着いたのだけど、とても見やすいのだ。木があまりなく、草や葉が全然ない。だから視界が開けて見通しがよく、堀切も切岸も気持ちいいぐらいに見えるのだ。しかも、主郭切岸は6~7mはあり、目の前にすると見応えがある。

まずは、一番西の三郭へ行った。こじんまりしているものの、削平はしっかりしている。堀切を隔てて東側には主郭がある。ここはそこそこ広さがあり、三郭や東の二郭を見下ろす景色がいい感じ。しかも、北側には腰曲輪もある。
主郭と二郭の間の堀切も見応えがあり、二郭も主郭と同じくらいに広い。ここの曲輪は、どこも土塁がない。そういえば大河原城も土塁がなかったなぁ。
このお城は、縄張的には単純だけど、遺構は完存でこれだけはっきりくっきり見られれば大満足できます。是非どうぞ~

この後、足助の町のほうへ行きました。

大河原城

2007年02月27日 | お城(愛知)

ちょっと寄り道してしまったけど、最初の目的地である大河原城がある集落へやってきた。それにしても、県道335号は道が狭かった。同じ矢作川沿いでも対岸の県道11号は道がしっかりしているのに。でも、途中で渡れる橋がなかったので仕方ない。

大河原城
大河原地区に入って、集落内にお寺があるからその付近から登るのかな?と思って行ってみたら、集落端にお城の説明板があった。そこから山へ向かう道があったので、これが登城道に間違いない!と思ったけど、念のためすぐ側にみえたおじさまに確認した。
「お城へはこの道でいいですか?」と尋ねたら、
「お城というか・・・」無言になってしまった。エッ?と思いながら
「お城の跡へ行きたいのですが、ここから行けますか?」と再度、「跡」をつけて尋ねてみた。
すると、「城の跡ならここだ」とおっしゃったので、じゃあ間違いないなぁとその道を登っていった。

少し登ると左手へ上がる道があったので、何だ?と思って行ってみたらお墓があった。お墓用の道だったのか?と思い、山へ登る道はないかうろちょろ。
うーん、ちょっと悩む私。場所的にはこの辺から登った辺りなんだけど、もうちょっとさっきの道で上がってから西へと山に入るのだろうか??説明板はあっても、登り口には案内がないんだなぁと考え込み、もう少しだけさっきの道をあがってみた。でも山に取り付ける場所がなく、そのまま谷を隔ててしまうので、やっぱりさっきの場所しかないなぁということで登ることに。

結局、直登したら削平地に出たので、やれやれと周囲の地形と縄張図を見比べ、現在地を確認する。少し西へ行くと堀のような凹みがあり、その西側に郭があった。これが主郭だけど、木立やらでうーんといった感じ。
その西側に堀切があり、その西に二の郭があった。二の郭は主郭よりやや広めで見通しがいい。でも、イノシシがかなり土を掘った跡があった。最近は、どこの山へ入ってもイノシシが土を掘った跡ばかりだなぁ。

二の郭から周囲を見たら、まだここから北にも広い郭が見える。ということで行ってみた。こっちはかなり広く、先端には土壇がある。でも写真だとただの竹薮だ。眼下に矢作川が流れ、街道も通っていただろうから、見張台か?

他にも、主郭の南東側は谷のようになり、狭くなっているのだけど、削平があった。大体一通り見たので、引き上げることにした。こういう村のお城といった感じのお城は、かなり小規模だったり、削平も甘い所があるけど、遺構は完存で、広さもそこそこあったので、なかなか楽しめました。

豊田・東広瀬城

2007年02月26日 | お城(愛知)

先週は足助のお城へ行ってきました。行く途中、東広瀬城のすぐ前を通ったので、久しぶりに行きたいなぁと思いちょっと寄り道。

縄張図には名鉄三河線が載ってるけど、廃線になっています。三河線は知立から猿投方面と、碧南方面に分かれるけど、どちらも以前はもっと先まであったのに、猿投と碧南までとなってしまいました。廃線前に、碧南から先の駅まで乗ってみたけど、電車は古く、ワンマンカーでバスみたいに乗車賃を払うのが面白かった。

そんなことは置いといて、道路沿いに城址碑がある付近は館跡です。梅が咲き、土塁があります。そこから東海自然歩道を通って登ると鳥居をくぐって二の丸へ。
ここから見上げる主郭切岸がこのお城で一番カッコイイなぁと思いました。
二の丸に説明板があります。そこから階段を上がって、広瀬神社の社殿がある所が主郭。城址碑があるぐらいで、これといった遺構はありません。

他に何かないかなぁと思って、鳥居があった付近の奥へ入り込んでみたけれど、特に何もないみたい・・・ということで、足助へ移動しました。

東広瀬城の詳細ページ

足助城山城

2007年02月25日 | お城(愛知)

道路造成で滅失したとの噂がある足助城山城の様子を見に行きました。

足助の街道にある酒屋の横を北へ入って行くと、足助キリスト教会があり、その右手から山へ入って行く道があり、お城へ辿り着けました。
その通りに行ってみると・・・足助キリスト教会の背後はすぐに道路になっていました。崩れてこないように、コンクリートでしっかり固められています。
お城へ行く道も当然道路になってしまい、城跡へ辿り着くどころか、城域だったところまで道路になったようです。

国道153号は香嵐渓など観光地があるため渋滞するからと、足助バイパスを造っているのですが、それがちょうど城跡を通ってしまったみたいです。

私が以前行った時、発掘調査をし終えた直後といった雰囲気で、既に目の前まで工事しているのが見えたので嫌な予感はしたのですが。。。残念です。
このお城、石垣があって、かなり見応えがあったのにぃ!

来年度、この道路は開通する予定ですが、今後、通る機会があったら、少しでも残っている部分がないか、見てみたいなぁと思います。それにしても、すぐお隣の大観音城は道路造成箇所から少し外れたため、被害がなくてよかったです。

足助バイパス造成のため、城山城が壊されることについては、こちらをご覧下さい。
http://www.cbr.mlit.go.jp/meishi/doro/153asuke/asuke_bunka/asuke_bunka.html

中馬のお雛様

2007年02月24日 | その他

今日は、足助の山城へ行ってきました。花粉が既にかなり飛んでいるようで、山の中で鼻をかんでばかりいたら、鼻の下がヒリヒリ痛いです。
薬も毎日飲んでるし、マスクもしてるのに、くしゃみ・鼻水・目とのどの痒みで最悪。それでもお城はやめられません。(^^ゞ

お城報告は後日にして、足助では2月10日~3月11日まで、1ヶ月間、雛祭りをしています。国道153号から1本入った古い街道を歩くと、ほとんどのお店や家が、お雛様を街道から見えるように飾ってあります。
おかげで、すごく賑わっていました。
古い町並みが残っている区画がずっとそのようになっているので、往復したらかなり歩いたようでちょっと疲れましたが、可愛らしい人形やら、土の人形、江戸期のものや変わり雛など楽しめました。

まだ、雛祭りはやっているので、足助のお城巡りをしながらいかがですか?
飯盛山城、臼木ヶ峯城、大観音城、足助陣屋、今朝平村古屋敷と、雛祭りの街道から歩いて回れるお城も数多くありますよー
中馬のおひなさんについては、詳しくはこちらをご覧下さい。

※ 写真は、江戸末期のお雛様です

九州遠征帰りがけ関西

2007年02月23日 | お城(関西)

早朝に大阪南港に着き、直接帰るか、関西の城を見てから帰るか悩んだ末、せっかくだからと午前中いっぱいぐらいは寄り道することにしました。途中、高井田横穴群の近くを通ったので寄ってもらって見学。その後、信貴山城へ。

信貴山城  平群町信貴畑
ここは、以前、さすプーさん達に案内してもらったお城。今回は、先回と違う場所も見ることにしました。本丸は空鉢堂付近と言われ、近くには城址碑と縄張図付き説明板があります。説明板を読むと、特に高櫓跡が著名でと書いてあり、縄張図に高櫓跡が書いてなかったのでお寺の方に伺ったところ、空鉢堂付近のこととのことでした。

弾正曲輪の曲輪群は本当にスゴイです。行けども行けども曲輪が続きます。更に西側の尾根の曲輪群を見て回りました。深い堀やかなり広い曲輪もあります。西へ回りながら一旦下山して、そのまま高安城へ行くことにしました。

高安城  奈良県平群町・三郷町・大阪府八尾市
信貴山から30分弱歩くと、高安城倉庫跡がありました。やっとお城に到着か?と思ったら、本丸はまだ先のようです。倉庫跡には礎石があり、碑や説明板もあります。付近には堀もあり、随分楽しめます。

本丸はどこ?縄張図も何もなく来てしまったので良く分からないけど、更に奥(西)へ行きました。信貴生駒スカイラインを横断し、高安山山頂目指すと、左手に堀が見えて来ます。ここが二の丸で曲輪内には土塁が巡り、周囲に空掘があります。二の丸の南には三の丸があり、こちらも土塁と空掘があります。この付近はかなり見応えがあります。

二の丸からハイキングコースを隔てた反対側が本丸で、こちらも土塁と堀があるのですが、藪が凄いです。本丸の隅には三角点がありました。本丸と二の丸の間はハイキングコースの遊歩道整備で削られたようです。

高安城も大体見てすっかり満足したところで、信貴山の方へ戻り、今度は大谷池の方も見て、信貴山城もかなりあちこち見て歩いたと満足し、下山しました。

飯盛山城  四條畷市南野
ここも以前、さすプーさん達に案内して頂いたお城です。楠公寺まで車で行き、そこからラクラクの山城だったので今回もその道で行ったら、未舗装な道が延々と続くのでびっくり。以前、案内して頂いた時、こんな所を通ったんだと今頃気付いて申し訳なく思いました。

この日はハイカーが多く、車で通る私達は迷惑をかけてしまったようです。何とか楠公寺に着き、ここから登ると直接本丸へ行けますが、来た道を少し南へ戻った所から登りNHK放送電波塔がある千畳敷に着きました。そこから北へ進むと本丸です。本丸には大きな楠木正行像があり、眺望が良いです。更に谷を隔てて北へ行くと御体塚があります。この本丸から御体塚の間にて石垣があちこちで見られ、堀切、土橋などもあります。ちなみに楠公寺付近は馬場だったようです。

随分歩き回って、すっかりお腹ぺこぺこ。12時も既に回っていたのでいい加減切り上げて、ランチにすることに。山城3城を歩きまわって疲れたので、帰ることにしました。

帰り道、伊賀上野で少し渋滞し、信号待ちでふと横を見ると伊賀上野城が丁度ハッキリ見える位置だったので、今がチャンスとばかりに写真を撮りました。(上の写真です。運転中な割に上手く撮れたぞ!)渋滞でも、お城の写真撮影ができるならイライラしないで楽しめます。
結局帰宅したのが18時頃となり、思いっきり遊んだ5日間に大満足でした。

次の巡城組遠征は、信州へ行くぞー!

九州3日目(玖珠・中津)

2007年02月22日 | お城(九州・沖縄)

九州旅行の最後は、大分県のお城へ行きました。

角牟礼城  玖珠町森
昨年11月に来てるので、場所は覚えているからスイスイ到着!
私は登るのが遅いから、他の二人が満足したら引き上げるということで、バラバラで動きました。私は見たいところをのんびり見て歩きながら写真撮影。大手門跡まで登ったら、もう本丸まで見て引き返す所だったので、そこから一緒に下山しました。良いお城は、やはり何度来ても楽しいと思いながらも、もうちょっと城域が広かったら更に楽しめるのになぁと欲張りなことを思っていました。

久留島陣屋  玖珠町森
角牟礼城からの帰り道、麓の陣屋にも寄りました。清水御門と呼ばれる門の周辺には石垣がかなり残っています。この上には三島神社があります。門の下には枯れたことがないという池があり、自然石で作られた大きな灯篭もあります。ぐるりと回って三島公園側へ行くと庭園があり、こちらにも石垣があります。

長岩城  中津市耶馬渓町川原口
登城口に案内板があり、山へ入って行く所に獣避けもあります。
2~3分で一の城戸があります。そこから少し行くと三日月塹壕がありますが、下から見るとイマイチよく分かりません。この付近から平たい石で積まれた石垣が見られて感激!

更に石塁を見ながら進むと二の城戸、三の城戸があり、本丸方面と石積櫓方面の分岐に来ます。途中、沢を渡る際、沢にある石の上を歩いたりするので、このお城は雨の日や雨上がりで下が濡れている時は、結構危ないと思います。

まずは本丸へ行くことに。石塁を見ながら東之台に入り、更に竪掘りも見ながら本丸へ。虎口にも石積みがあり、腰曲輪にも石塁があります。ここから西之台へ行く途中には竪掘がありました。その後、堀切を通って先程の分岐へ戻り、陣屋跡へ。どこへ行っても石塁ばかり。砲座へ登ったらこちらも石塁。あとは石積櫓へ行ったら、主要所はほぼ全て見た事になるのですが、フェリーの時間が気になったので、諦めて下山しました。とにかく石塁があちこちに見られ、まるで沖縄のグスクの城壁のようです。

フェリーの時間まであと2時間半ということで、ここから港へ向かいました。あー、もっとゆっくり見たかったお城もあるし、行きたかったお城もあるけど、限られた時間ではこれが精一杯。でも予定していたお城の大半に行けたので大満足です。
帰りのフェリーは新しかったので、変な振動や音もなく、行きよりもぐっすり眠れました。

更に、奈良・大阪に続く~

九州3日目(佐賀・久留米)

2007年02月21日 | お城(九州・沖縄)

3日目は、吉野ヶ里から見ようと思ったら、9:00開園ということで、時間がもったいないからと、まず佐賀城へ行きました。

佐賀城  佐賀市城内
鯱の門や石垣、水堀などを堪能し、復元本丸御殿を外から眺めました。まだ開館時間前だったので入れなかったのが残念!仕方がないので、外側をぐるりと一周して次の城へ移動しました。

直鳥城  神埼市(千代田町)千代田町直鳥上直鳥
この付近はクリークが多く、車窓からクリークと思われる水路があちこちに見えました。直鳥城はその中でもクリークがかなり巡らされ、曲輪もクリークによって区分けされています。これらのクリークによって環濠集落となり、光顕寺の西側にある曲輪(クリークによって島になっている)に、城址碑があります。

吉野ヶ里  吉野ヶ里町田手1843
私は随分前に来たことがあるのですが、まだ復元された櫓が少なかったものの、広い空間に堀が巡らされてとても楽しかった記憶が。
吉野ヶ里歴史公園に近づくと櫓などが見えるのですが、駐車場に迷っちゃいました。案内に従っていくと公園を突き抜けてどんどん遠ざかっていくので不安になり途中で引き返しました。西口の案内が見えたのでそっちへ行ってみたら、そこの駐車場からは櫓が遠くに見えるので随分歩くことになりそう。再度、先程引き返した道へ行ったら、一旦遠ざかった後、また公園に向かっていることが分かり、東口に入れました。途中、案内がなくなるし、遠ざかるから不安になってうろちょろしちゃったので、案内を出し続けてくれてたらいいのになぁと思いました。

入場料400円を払って公園へ入ってすぐに、古代人の服を着たりして記念写真が撮れます。ということで、まずは記念撮影。
その後、南内郭、倉と市、中のムラ、北墳丘墓、北内郭と主要どころは全部見ました。環濠が巡り、逆茂木や櫓、倉庫などですっかり古代に足を踏み入れた気分で楽しいです。天気が良く、建物があると写真映えします。色んな櫓や倉庫を見て、北墳丘墓へ行くと、甕棺も見られます。
公園内には、古代人の生活に触れられるコーナーがあったり、貫頭衣を着られたりします。私は貫頭衣を着て勾玉のアクセサリーをつけたり、更に古代人の髪型のかつらをかぶって甕を持ったりと楽しみながら記念写真を撮りました。

久留米城  久留米市篠山町
篠山神社が城跡になっていますが、丁度、神社で結婚式をあげていた人が居ました。先に外の石垣や堀を見てから神社に入ったら、式が終わって、皆さん車に乗り込む所だったので、神社付近も見ることができました。久留米城は遺構が残っている部分が少ないながらも、立派な石垣と堀、そして井戸も見られるので、満足します。

この後、久留米ラーメンを食べて、大分方面へ移動!続く~

九州2日目(岸岳城他)

2007年02月20日 | お城(九州・沖縄)

名護屋城陣城を後にして、次は岸岳城へ行きました。

岸岳城  唐津市(北波多村) 北波多岸山
道中案内がしっかりあり、登山口に駐車場もあるし、城内にも案内が行き届いているので安心なお城です。
随分車で上がってきたけれど、登山口から本丸まで30分程かかります。登山は旗竿石までで、あとはそれ程登らないのですが、城域が広いため距離がかなりあります。

約10分登ると左が旗竿石、右が本丸方面の分岐となります。登り始めたのが既に16時近かったので、急ぎ足で回る事に。と言っても登りが遅い私は他の二人に置いていかれちゃいました。既に二人は旗竿石に登っていて声がするのですが、私は分岐点でゼイゼイして息を整えます。本当は行きたいんだけど、旗竿石へ行ってると更に登るし、遅れをとると思い、仕方なく諦め先に本丸方面へ向かいました。旗竿石へは登りで、上からの眺望は良く、玄界灘を見下ろせ、物見台の役目を果たしていたようです。

先程の分岐から本丸方面へ3分程行くと三の堀切で橋が架かっています。堀切には石垣があります。そこからすぐ東が三の丸です。かなり広い曲輪で二の堀切まで300mあるため5分程かかります。二の堀切ではかなり立派な石垣が見られて、この先が楽しみになってきます。二の丸を過ぎると大手門跡があり、石段の雰囲気等が分かります。その次に石組みの井戸があり、やっと本丸到着!と思ったら、まだ100m先に「三左衛門殿丸」があります。本丸からこの三左衛門殿丸も石垣がかなり見られ堪能できます。ここから姫落し岩まで250mあるとのことで、時間の都合で諦めました。

下山時は日暮れとの戦いとなり、どんどん足元が暗くなってきました。山の外に出たらまだ意外と明るくてびっくり。やっぱり山の中は暗い。破城となったようで崩落した石も多いのですが、かなり広い城域と遺構に満足します。でも、もっとじっくり見たかった~。1時間半も居られなかったので、あと1時間は欲しいなぁと思いました。

獅子ヶ城  唐津市(厳木町)厳木町浪瀬
既にほとんど日が暮れていたのですが、以前来た事があるさすプーさんが上まで車で行けるから簡単に紹介をというので、外から雰囲気を見るだけのつもりだったのに、三の丸下の駐車場に着いたら、整備されたお城だから大丈夫!とのことで大急ぎで見ることに。

説明板はフラッシュをたけば撮れるからいいけど、堀切や石垣、井戸などは肉眼では分かるけど写真に撮るのはかなり難しい。取り合えず、三の丸、二の丸、井戸曲輪、本丸と主要所を見て、本丸の石組になった虎口の写真も撮って下山しました。暗くても雰囲気は大体分かり、写真もそこそこ写っていたのがあったので良かったのですが、たった15分の間に駆け足で見たので、機会があったら反対側の出丸なども含めじっくり見たいです。

その後、宿へ向かいました。皆さんお疲れで宿泊した温泉にあるレストランでお食事。メニューに佐賀牛がなくて残念でした。

九州2日目(唐津他)

2007年02月19日 | お城(九州・沖縄)

2日目の朝食はバイキングだった。それが凄く沢山種類があって嬉しい限り!どうせそんなに食べないんだけど、フルーツも豊富で、ご飯やおかずより、フルーツにヨーグルト&アップルジュースでご満悦♪

元寇防塁  福岡市西区生の松原、今津他
2日目の最初は元寇防塁へ。これも何ヵ所か防塁が見られるようなので、2ヵ所だけ行くことに。街中はゴミゴミしてるし、駐車場があるか心配だったので今津地区へ~

防風林の中を歩いていくと、復元された防塁がフェンスに囲ってありました。これはスゴイ!と長々と続く防塁を見ながら歩いていくと、復元されていない部分でも土から石塁が顔を出してたり、何となく土が盛り上がっている。これだけの規模のものを作ったのに感心すると共に、これが鎌倉幕府滅亡に追いやられていったんだ~と思いながら見ていました。

唐津城  唐津市東城内
虹ノ松原を通り、橋から唐津城を見た景色が良かったので、駐車場に車を停めてからまず最初に橋へ行き、そこから写真撮影。戻って公園の東端を北へ歩きながら、海に面した石垣を堪能し、さて天守へと思ったらぐるりと正面へ回ると結構な距離になるので、100円払ってエレベータで上がった。このエレベータ、真上に上がっていくのではなくケーブルカーのように斜めに上がっていく変わりモノ。しかも、斜めに動いているのが分かるように、ガラスが透明。
エレベータから出るとラクラクに本丸へ到着!本丸から虹ノ松原を眺める景色も素晴らしい。そこから門や石段を通り、石垣を見ながら下りて行きました。その後、三の丸辰巳櫓と時の太鼓の櫓、横の立派な堀を見て大満足☆

名護屋城  唐津市鎮西町名護屋
名護屋城の山里曲輪と台所曲輪、太閤井戸を見て、こんな場所があったのか~とびっくり仰天&大感動。深い堀も見られ超素晴らしい!
これらを見ていたら、お腹がグーグー鳴り出したので、ランチにすることに。お店へ行く途中にあった九鬼嘉隆の陣へ寄り、他にも島津の陣など分かったけど藪だらけでさっさと諦め。

呼子と言えばイカ。ということで、オススメと友人に教えてもらったお店へ行って活きイカを食べました。イカ好きの私は幸せ一杯、お腹も一杯。刺身やイカシュウマイ、天ぷらなど美味しかった☆

食後、名護屋城へGO!さすプーさんは数ヶ月前に来たばかりということで、陣城探しに行きました。
私とともさんは名護屋城を堪能。大手から東出丸、三の丸、本丸、弾正丸、二の丸、遊撃丸、水の手曲輪とほぼ一通り見て大満足でした。立派な石垣に感動しまくり、大手を出た所にある井戸を見て、さすプーさんと合流。

それから、さすプーさんが見つけたという陣城を案内してもらいました。
まずは「道の駅 桃山天下市」の裏手にある前田利家陣
ここは石垣を積む等の工事中&調査中でした。「平野町陣址」の石碑が立っていました。

堀秀治陣  唐津市鎮西町名護屋
ここはかなり整備された陣跡で見やすいです。しかもかなり広い!説明板を見て全体の縄張りを確認しイザお城へ。所々に石垣が入っていて、曲輪には土塁もあり、空堀や虎口もよく分かります。他にも礎石が見られたり、石段もあったりで、かなり立派な城跡でオススメです。

羽柴秀保陣  唐津市鎮西町名護屋
細い道へ入って行くので、よく見つけたなぁとさすプーさんに感心しきり。ここの陣跡は一部整備され、残りは藪のまま。整備された部分だけでも、周囲を石垣で固め、曲輪内には土塁が巡り、礎石もあります。これだけでもかなり楽しめるので、全体が整備されたらもっと凄いんだろうなぁと思いました。

場所が分かっても寄ってる時間がないので、陣城はこれで切り上げ。名護屋城の陣城だけで2日間程かけてじっくり見たいと思うけど、ほとんどが未整備で入るのもままならない藪だらけの場所が多いようです。

次は、佐賀の山城に続く~

九州1日目(福岡)

2007年02月18日 | お城(九州・沖縄)

福岡市内へ移動して、まずは福岡城へ~

福岡城  福岡市中央区城内
城跡の主要部は舞鶴公園となっています。まずは名島城の城門、長屋門、潮見櫓、外濠公園の堀を見に行きました。潮見櫓の前には大手門を復元工事しており、堀の外から見ると立派な石垣の奥に見える潮見櫓がまるで天守のようです。

この後、戻って舞鶴公園の方へ。公園内の梅は丁度見頃でとてもキレイでした。おかげで梅目当ての人が多く、カメラ好きの人が虎口の真ん中に居座っていたため、撮りたい石垣虎口の写真が待っていても撮れなくて残念でした。
福岡城は石垣が良く残って見応えたっぷりです。更に井戸もあり、現存櫓も幾つかあって見て回ると随分時間がかかります。天守台付近の石垣も見事で、技巧的な造りだなぁと感心していました。南丸多聞櫓まで見て、ほぼ一巡したので撤収しました。

名島城  福岡市東区名島1丁目
神社へ階段を上がっていくと、左手に城址碑と説明板があり、ここから海が見渡せます。社殿左手へ行くと稲荷神社の鳥居があり、その裏手の高台が天守台だったようですが、今は土が入れられ整地されてしまいました。

名島神社から道路を隔てて海側へ行くと、「檣石」というものがあり、神宮皇后が三韓出兵の際に用いた船の帆柱が化石になったものと言われています。なかなか変わっていて一見の価値ありなので、是非寄ってみてください。ここから眺める海もキレイです。

九州1日目のお城巡りはこれで終了し、一旦宿に入ってからお出かけ。
大学時代の友人と待ち合わせて、博多の屋台へ夕飯に出かけた。中州の屋台は人だらけでどっちかというと観光客向けとのことなので、地元の方が行く屋台へ連れて行ってもらった。博多ならではの驚きメニューが「焼きラーメン」。まぁ焼そばと似てるかな?といった感じ。あとは「明太玉子」玉子焼きの真ん中に明太子が入ってる。これは美味しい!私は飲めないので、あとは串物など食べて満足。
その後、博多の町を歩いて案内してもらった。太閤割と呼ばれる地区、博多区と福岡区の違いなどを聞きながら櫛田神社へ。既に暗くて写真には写らなかったけど、山笠が見られた。

そういえば毎年初詣でおみくじをひくけど、今年はきちんと初詣に行かなかったからおみくじもひいていないと思い出し、この神社でおみくじをひいたら「吉」だった。既に21時過ぎなのに、参拝に訪れる人が結構居るのにびっくり。博多は街がおしゃれでいいなぁと思ったのだった。名古屋はイマイチ垢抜けないからなぁ。
早朝から動いてお疲れだったので、夜はさっさと寝ようと思ったら、枕が合わなくて?昨夜と違ってこの日は一人あまり眠れなかったちえぞーだった。

九州1日目(大宰府)

2007年02月17日 | お城(九州・沖縄)

高速の大宰府インターで下り、まずは名城100選に入っている大野城へ~。これで私は北海道の2つ以外制覇で、個人的にはあと松前城へ行けたら100選のお城は十分です。

大野城  大野城市、太宰府市、宇美町
百間石垣の石垣は見応えたっぷり!他に太宰府口城門跡や増長天礎石跡なども見た。城門がある公園には長い土塁があり眺めもよい☆城門には石垣も残りかなりカッコイイです。
増長天礎石跡は土塁の内側にあり、4棟の高床倉庫が一列に並び、建物跡の西側には鏡ヶ池があり、大野城の井戸の役目を果たしていたとか。他にもあちこち見所があるようだけど、1日有っても見きれないし、十分満足したので適当に切り上げた。

岩屋城  太宰府市太宰府
大野城からそのまま南下すると道路左手に登城口があった。道路右手に2台分程のPがあり、そこへ停めようとしたら、ど真ん中に車が1台停まってたせいで厳しい状況に。車を見たら運転手が乗っていて携帯でメールをしてたけど、私たちが苦労して駐車しているのを無視して知らん顔のまま。こういうマナーの悪い人は、周囲の状況なんて全くおかまいなしで、車を動かすなんて気も回らないんだと思ったらちょっとムカついてきて、ぶつからないように外に出て誘導しながら運転手を睨みつけていた私だった。

登城口には説明板があり、そこから階段を登ると正面に堀切がある。堀切から右手へ行くとすぐに主郭となり、「嗚呼壮烈 岩屋城址」の碑が目に飛び込んでくる。主郭からの眺めはとても良く、大宰府政庁跡も見えた。
すぐ近くに、高橋紹運の立派な墓もあり、それも見てきました。

●太宰府天満宮
さすプーさんが大宰府へ行きたいと言うので、てっきり大宰府政庁跡のことかと思ったら、天満宮へ行きたいとのこと。私の頭の中は既に城しかなかったので、失念してました。
ということで、天満宮へ~。私は2~3度来たことがあるけど、そういえばデジカメの写真は無かったなぁと急に撮影モードにスイッチオン!
飛梅は少し花が咲き始め、他の梅の木も少し花がほころびかけていて仄かに梅の香が漂っていました。
でも、私は学問より縁結びの神様とお友達になりたいものです?!

大宰府政庁跡  大宰府町坂本
公園として整備されている部分だけでも広く、礎石や門跡などが見られます。これだけだだっ広い所に来ると、気持ちも大らかになれて気持ちいい!公園の回りには堀があります。

この後、ランチタイムに。九州へ来たらとんこつラーメンということで、有名な「一蘭ラーメン太宰府店」へ行きました。このお店、食べる時はラーメンに集中せよということで、両隣との間に板があって隣の人が見えないようになっており、前方もすだれのようなもので見えず、店の人とも顔を合わせずに食べることになります。オーダーも、麺の硬さやネギの種類・タレの量など、個人の好みをまず紙に書き込んで、それをもとに注文するため、個人・個人のお好みのラーメンが出てくるようになってました。とんこつラーメン大好きな私は、大満足♪でも、ちょっと量が足りなかったので替え玉の注文をすればよかったと後悔(-_-;)

水城  太宰府市・春日市 国分・水城・吉松
腹ごしらえが終わったところで、水城を見に行くことに。といっても、あちこちに土塁が点在しているようなので、春日の大土居と東門跡の2箇所に絞りました。まずは大土居へ。
かなり高い土塁が残っており、上に登ったらまだまだ先へ続いている雰囲気。水攻めの原型ともいえるこの水城。それにしてもスケールの大きさに驚きます。秀吉の高松城水攻めなんて、これに比べたら規模が小さいと思えてきちゃいました。大野城でも、山の周囲に土塁を巡らしていて、すごいスケールだなぁとびっくりしたけど、水城の発想と土塁を巡らしたスケールに驚嘆です。何にしても、ここまで築いた人間の力にも感動します。
東門跡の方は、高速道路で削られた部分もありますが、見渡す限り土塁が続いているのが見られます。また、木樋が見られるようになっており、説明板もありました。

次は福岡市内の報告です。

九州1日目(小倉・長野)

2007年02月16日 | お城(九州・沖縄)

九州上陸初日、フェリーは早朝に着き、眠い目をこすって小倉城へ~

小倉城  北九州市小倉北区城内
小倉城に5時45分頃に到着。行く前から、フェリー到着時間と移動時間を考えると、絶対に夜明け前で真っ暗に違いない!と思ってはいたものの、やはり着いたら真っ暗。それでも、この時間なら渋滞がないし、駐車場にも悩みません。肉眼では一応石垣や堀など分かるので、お城を散策。ライトアップは夜だけでなく、夜明け前もして欲しいと初めて思ったものです。

模擬天守は工事中で全体が覆われて、どっちにしても絵にはならない姿と自分を慰めた。暗くてもメゲずにシャッター速度を落とすなどして根性で写真を撮る私とともさん。さすプーさんは昨年訪れたばかりなので余裕の表情。ちと羨ましい!後から見たら、それなりに撮れているものが何枚かあってちょっと嬉しかったりしたけど、一番キレイに撮れてたのは覆われて何も見えない天守の姿だった。(-_-;)
6:40過ぎになり、そろそろ少し明るくなるかと思いきや、空模様も悪く今にも雨が降り出しそうな天気だったので、いい加減諦めて、次のお城へ移動した。うーん、名古屋より15分位は夜明けが遅いのも計算してたのに、全然ダメだった。

長野城  北九州市小倉南区長野
行く前に調べてたら、車である程度まで行けるとのことだったので、ラクラク山城かと思ったら大間違い。高速をくぐる手前で道が止められていたため、そこから歩かなければなりません。でも歩いていたらすぐに未舗装となり、かなりデコボコした道だったので、私の車ではどっちにしても車で行くのは無理だったです。
この城山への入口付近は道路工事などによって最近かなり様子が変わったようです。地図に載ってない道があったからなぁ。

林道長野線を20分程登ると、右手にロープが見えたのでここから山へ入るのか?と思ったら、それを通り過ぎると立派な竪堀が見え「長野城入口」の札が木の枝にかかっていたので、ここから入った。でも、更にもう少し行くと「二の丸入口」の表示があり、ここから入った方が城跡のどこに居るのかが掴みやすいし、ロープがあったりして道も分かりやすいので、オススメは奥の「二の丸入口」です。
城跡は馬蹄形をしており、最初に北西の出丸に入り、そこから南へと本丸へ行き、その後北東の二の丸へ行った。
何の目印もなく、縄張図もなかったのに、よくきちんと回れたなぁと後から感心したのだけど、私はただ着いていっただけ。

このお城、とにかく行けども行けども畝状竪堀が見られ、ここまでくると感動を通り越して何のためにここまで・・・とあきれ返っちゃうぐらいだ。本当にこれでもかーというぐらいに城域には畝状竪堀だらけで楽しめる。200本以上竪掘があるんだから、本当に凄い。特に本丸付近は畝状竪堀の藪が払ってありとても見やすかった。

長野城で随分楽しめて満足したのと、ちょっと疲れたので、予定していたこの付近の山城はパスして、次は太宰府市のお城へ向かった。続く~

九州遠征の行きがけ大阪2

2007年02月15日 | お城(関西)

フェリーまでにまだ時間があったので、あと少し大阪のお城を回った。

高槻城  高槻市城内町
城跡は公園になっているものの駐車場がなく、車を停める場所探しに苦労した。適当に走っていたら公園から北へ約400mにある「カトリック高槻教会」に高山右近の像があったので写真撮影。ここで急に目を覚ましたともさんは城跡に着いたと勘違いしてフラフラ外を歩き回っていた。
その後、公園の北にある「市立しろあと歴史館」が入場・駐車場とも無料だったので、まずはここへ入ってお勉強?することに。
高槻城の当時の様子が分かる模型などがあり楽しめます。これで無料とは素晴らしい!

歴史館を見学後、城跡公園へ行ったけど、お城の遺構はほとんどなし。公園内に復元石垣や水堀がある程度。公園入口の横に小さな城址碑を発見して喜び、公園の外に土塁跡?と思われるものを見てました。公園内にも高山右近の像があり、こちらも写真撮影。公園から北へ約500mにある「本行寺」には高槻城の移築門があり、立派な高麗門でした。
※ 写真はカトリック教会の高山右近像です。

安威城  茨木市安威2丁目
安威小学校周辺が城跡だったようで、学校の周りを歩いていたら所々に土塁が残っていた。周囲の竹林は全部土塁があるのかと思って見に行ったら、ただの竹林なんて所もあってガックリ。学校東側には立派な土塁がありました。学校から南東の方に井戸があり、田原城同様、貞子井戸なんて言いながら通り過ぎたら、ここもまた城の遺構だったようでショックを受ける私。当然、写真は撮っていなかった・・・私は井戸好きなのに、ふざけて貞子井戸と呼ぶのをやめようと心に誓ったのだった。
また、学校から80m程東側の通り沿いにある「天王文庫」と表示がある、かつての集会所だったような建物の前に城址碑と説明板があります。

郡山宿本陣  茨木市宿川原町
宿場町の本陣がどうして城郭に入るのか良く分からないんだけど、城郭体系に載っていたのと、国指定史跡となっていることからまぁいいかと訪れることにしました。個人的に、宿場町も好きだし。。。この周辺はよく宿場町の雰囲気を残していて落ち着きます。

この後、大阪南港へ。大阪は地理感もなく運転が怖いんですが、今回はさすプーさんがして下さり、スイスイ動けました。
フェリーはいつも利用する寝台より1ランクアップしたら、3人で1部屋貸切で、テレビも部屋にあり、いつもより少しゴージャス気分!と思いきや、船が少し老朽化していたため、細かい振動がずっとするし、部屋のドアノブがキュルキュルと変な音を立て続けるしで、気になってほとんど眠れなかった人が約2名。
一人だけ、3時過ぎに目覚めるまで(といっても途中に何回か目は覚めたが、次の瞬間にまた眠っていた)、何も気付かずにぐっすり眠っていました。さすが、夜行バスや夜行列車(当然、寝台ではありません)で鍛えただけある?

次は、やっと九州編です。

九州遠征の行きがけ大阪1

2007年02月14日 | お城(関西)

少しずつデータが整理できてきたので、九州遠征の報告をしていきます。
ちなみに、行ったお城については訪城記録と各都道府県別のお城一覧表は更新しました。

まずは行きがけの駄賃で寄った大阪のお城の報告から。

8日の朝に出発し、大阪へ向けてGO!さすプーさんと合流したら昼だったので、まずは腹ごしらえ。それから田原城へ~

田原城  四條畷市上田原字八の坪
ここはさすプーさんが来たことがあるというのでスイスイに到着!全体に遺構がよく残っています。縄張図を見ずに突入してしまったため、冗談で貞子井戸と言っていたのが本当に遺構だったのにショックを受ける私。だって写真撮らなかったんだもん。車に縄張図を忘れた事を後悔するのみ、、、

主郭は住吉神社が鎮座しており、城址碑や看板があります。神社の奥には土塁もあります。チョット登っただけなのに、視界が開けてて眺めが良いのにびっくり。そこから堀切を隔てて二の郭へ。更に西へと郭が幾つかあり、土塁が見られます。
写真は田原城を下から撮ったものです。

交野代官所  交野市私部(きさべ)1丁目25
北田家住宅として重要文化財になっています。外から見ることができる長屋門はとても長くて、55.9mもあるとか。おかげで、写真に全然収まりません。これだけでもかなり立派で見応えありますが、中には母屋などもあり、年8回公開されるそうです。屋敷の周りを一周すると、塀の下部の石塁も見られます。

交野城  交野市私部6丁目
郵便局のすぐ東側が城跡で、城跡は空堀を畑に利用したり、郭跡が駐車場になったりしていますが、全体的に地形や遺構がよく分かります。郵便局のすぐ東側の郭が二の郭で空堀を隔てて主郭があり、更に堀の向こうに三の郭があります。その東側にも郭があり、郵便局南側から東へ歩いていくと、道路南側にも土塁や堀跡、郭跡が分かります。また郵便局の脇にも土塁が少し残っていました。郵便局南側の通りを100m程東へ行った道路沿い北側に城址碑もあります。

まだもうちょっと大阪のお城に続く~