四国遠征をした際、高知は見応えのあるお城が多く、レベルが高いのにビックリしました。
行く前から、ここはかなり良さそうとチェックしていたお城は期待を裏切らずどころか期待以上だったり。
更に、ノーマークだった秦泉寺城のあまりの素晴らしさに、もっと他にも良いお城がたくさんあるのでは?と思いました。
秦泉寺城:高知市東秦泉寺(地図)
西側を通る県道16号から山に入ります。
主郭に社が祭られており、その参道になっているのかな?と思いました。
この主郭までは特に見所も無く、主郭背後の堀切が一番の見所かなぁと思いつつ北尾根を覗いたら
少なくとも堀切が連続で3本ある!
しかも規模がデカイ。
見ていくと、4連続堀切でした。
更に西側には横堀が。
このお城、縄張や遺構がどうなのかあまり良く分からず、時間があったら行こうかな?という程度だったので、かなり儲けた気分でした。
でも、このお城がこれだけ凄いのならば、他に時間があったら・・・と思って調べていたお城もこれぐらいのレベルだったのかも?と思うと、もっともっと高知のお城を回ってみたくなりました。
いつか、高知はマイナー城も沢山訪れてみたいと思います。
四国遠征した際に、あまりの凄さに度肝を抜かれたお城が久礼城です。
久礼中学校背後の山がお城です。
住所:高知県高岡郡中土佐町久礼6685 (地図)
登り口:中学校正門の右手に灯台のような施設があり、この横の階段から道があります。
この施設の前に駐車場があったので、ここに車は停めさせていただきました。
登りだして5分程で畝状竪堀が見えてきます(藪ですが)。
更に6~7分で主郭。
主郭は東西に長く、高い土塁にビックリ。所々、土塁に石が入っています。

主郭土塁だけでも驚いていたのに、土塁上から背後を見て更に驚嘆。
どの尾根も土の様相が異常すぎる。
藪や倒木で歩きにくいのだけれど、土塁や堀がとにかくデカイ。
更に堀切がドンドン続く。
行けども行けども遺構があり、まだあるの?もうこんな藪歩きたくないと思いつつ進む。
しかも、ド藪の郭の土塁に石塁が入っていたり、石垣があったりもする。
これは主郭の北方下の石垣
唯一まともに写真を撮れたのがこの畝状竪堀
とにかくぶったまげのお城なのだけど、歩きにくいし、写真だと藪でスゴさがサッパリ伝わらないのが残念。
四国の最後は今治城。
もう夕方だというのに、ここもそこそこ観光客が居て、人が入らないように写真を撮るのが難しい。
藤堂高虎の騎馬像前で、女性3人グループに「写真撮ってください」と頼まれた。
高虎像と今治城の両方が入っていい感じ。
このお城も櫓や門が復元されていて、お手軽に楽しめる。
四国はこういうお城が多いような気がする。
暑い時期でも、観光地めぐり気分でお城めぐりができるのがいい。

松山城から湯築城は2~3kmと結構近い。
でも、とても遠かった。
渋滞でなかなか進まない。
湯築城に着いたと思ったら、駐車場は満車。
お城付近はどこも渋滞で、少し離れたところへ移動するのにも時間がかかった。
何とか、歩いて10分ぐらいのところの有料駐車場に車を停め、テクテク。
これがまた、暑かった。
疲れと暑さから、お城を見る根気が段々なくなってきてしまった。
それでも、ちゃんと本丸まで行ったし、公園を一周歩いたのだった。
松山城三の丸を見に行くため移動したら、坊ちゃん列車を見かけました。
なかなかいいですね。
これで湯築城まで移動して、道後温泉でのんびり・・・なんて旅もしてみたいけど、他にも行きたい城があるから、そうは言ってられない。
今回の四国・現存天守めぐり最後は松山城!
現存天守は全国で12城しかないが、そのうち4城(丸亀城、高知城、宇和島城、松山城)も四国にあるので、四国は城の宝庫と言える。
戦災に遭わなかったのが良かった。
実は今回の城巡り、3年前に行ったコースとほぼ一緒。
その時は、この松山城天守が工事中でとても残念だった。
今回は、松山城がちゃんと見られただけで大満足☆


今回、超メジャーな四国のお城めぐりをしていたのに、松山市にある単郭方形のマイナー城・荏原城に寄っちゃいました。
このお城、周囲に水堀が残っているため、地図を見てて「城!!」と分かります。
土塁もしっかりしてて、お手軽に楽しめます。
大洲城は天守を復元してからの訪城は2回目。
正直、私はこの復元天守はイマイチ趣味ではないので、さほど感動せず。
多分、新しすぎるせいだろう。
もう何年か経てば、趣が出てくるのかもしれない。
まだ天守の見学時間前だったのに、訪れている人が何人か居た。
皆、開館を待っているようだ。
その中に、女の子を連れた男の人が居た。明らかに城好きの動き。お父さんは大変だなぁと思うも、その親子連れはなんとも微笑ましかった。
私は時間が勿体無いので、現存櫓を見に行った。
肱川に向かって建つ苧綿櫓

外壁がはがれて、ちょっと痛々しい感じの三の丸南隅櫓

肱川越しに見る大洲城はなかなか良い感じ

それにしてもこのお城、こんな田舎なのに駐車場が有料なのが気に入らない。
この日最後の目的地は宇和島城。
桑折氏武家長屋門前の駐車場に車を停め、天守を目指そうとしたら、天守に入れるのが16時までと書いてある。
既に、15時55分。
あと5分で天守まで行けるか?
少しぐらいなら遅れても入れてくれるだろうか?
と思い、わき目もふらずに必死に天守へ。
かなり階段を上がっていくからゼイゼイ息を切らしながら天守へ。
無事に入れて、あー良かった☆
これで、ゆっくり見られる~とのんびり見学。
意外と人が多いのにビックリ。
宇和島城は高知城と違い、ちょっとアクセスが悪いし、知名度も低いのだけど、それでも、そこそこ人が居る。
天守内をゆっくり見学後、外へ出たらまだ天守に入っていく人が居る。
とっくに16時は過ぎているのに・・・写真を撮りたいため、人が途切れるのを待っていたら、なかなか途切れない。
見ていたら、結局16時半頃まで人が入っていた。
こんなことなら、あんなに必死に走らなくても入れたなぁと思うも、見られたのだからまぁいいか。
受付の人が親切なんだなぁ。
その後、周囲を散策。
今回は、見たことがなかった現存の上り立ち門も見に行った。

宇和島城のすぐ近くに泊まったので、宇和島城もライトアップされた夜景を見に行こうと思ったら、城内に入れる2つの門は夜閉まってしまうので入れないとフロントの人に言われてしまった。
翌朝、大手門付近を見に行ったら宅地になっていたが、石碑があった。

高知城や伊予松山城と比べると、ちょっと地味な印象を受けやすい宇和島城だけど、現存天守や全体の雰囲気が良くて、何となく気に入ってしまう。
河後森城は3年前に訪れた時、西第十曲輪は綺麗に復元整備されていたのに、本郭や古城にはビニールシートがかかっていたので、これから整備するのかなぁと思っていました。
そこで、どうなったのか見てみたくて、このお城へ行ってみました。
一度行っているので、道に迷うことも無くスイスイ駐車場に到着。
メインの道路に、お城の案内が全く出てないので、迷う人も多いんじゃないかなぁ。
せっかく駐車場まで作ってあるのだから、案内板を出せばいいのに。。。と思いつつ、風呂ヶ谷から西第十曲輪へ(写真)。
そこから段郭を隔てて本郭に着くと、青いビニールシートがかかったまま。完全に3年前の状態から放置されている。
何てことだ・・・
気を取り直して、古城へ。
こっちは、ビニールシートだけでなく、発掘調査した際の穴ボコがそのまま。
更に酷い状況だった。
途中で予算が下りなくなり、投げ出されてしまったのか?
こんなことなら、何も手を入れないほうが良かったかも。。。

先回時間が無くて行けなかった新城へも行ってみた。
ここもビニールシートと土嚢がそのまま。

ここまで、途中やりで放置されたお城も珍しいのでは?
今後もずっとこのままなのだろうか。
ナントも勿体無い。
高知城の前は、日曜市で大賑わい。
歩くのもままならないぐらいだ。
日用雑貨品から食料品のお店まであった。
道路の片側2車線が全部、市になっている。
そのため、反対の2車線が対面通行になり、道路標識もそれようにある。
観光客だけでなく、住民も集まっているようで、活気があってとても良い。
こんなに集客力のある市っていまどき珍しいかも?
午前10時頃に高知城へ行ったら、駐車場は待ちで長蛇の列。。。
仕方ないので、少し離れた時間貸し駐車場へ。
高知城へ向かうと、ここもスゴイ人。
普段、誰とも会わない山城へ行ってるため、人ごみに疲れるし、写真は人だらけになっちゃうしで、ちょっとウンザリ。
人が多いのは観光地だから仕方ないし、大勢の人がお城に関心を持ってくれるのは嬉しいことなのでいいんだけど、ショックな出来事が!
石垣整備のため、足場が組んである。

更に、天守も工事中で、白い幕が周囲に張ってあった。
カッチョ悪・・・

せっかく遠くから来たのに、残念!
これも仕方ない・・・
岡豊城は長宗我部氏の本城だっただけあって、見ごたえがあります。
整備具合も程よい感じなのがいいです。
本丸(上写真)には礎石があり、ポイント毎に案内表示があります。
本丸や二の丸との間の堀切と堀切内にある井戸、三の丸の石塁や虎口など随分と楽しめる上に、眺望が素晴らしい場所もあって気持ちいい!
朝早く行ったのに、家族連れが居ました。しかも、家族揃ってどうも城好きのようで、子供2人も楽しんで結構細かく見ていたのにびっくり。
ふと見下ろすと、少し離れた出丸とも言うべき伝厩跡曲輪にまで行ってました。
私は先に、主要部から北西側へ下りたところにある堀切を確認しに。
途中まで遊歩道があり、そこから林の中へ入ると横堀や竪堀、更に二重の堀切がありました。堀切にも通路がある・・・と思ったら、堀切の先に鉄塔があったので納得。
その後、伝厩跡曲輪へ行く途中、竪堀や堀切があるようなので、それらを確認しつつ伝厩跡曲輪へ。

こちらも整備してありました。
大満足して城を後にし、川越しにお城をのぞんだら、城跡内にあった大きな石碑が下からも見えました。
写真にも小さく写ってるんだけど、分かるかな?
