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またまた鳴海城・善照寺砦へ

2008年10月02日 | お城(愛知)

桶狭間関連の場所でひろしさんと確認したいことがあったので、一緒に出かけた。

まずは鳴海城へ。鳴海城のまん前にマンションが建ってしまったけれど、このマンション建設前にひろしさんが今なら堀切が見られるとおっしゃっていた。ところがどこのことかサッパリ分からず。マンションが建ったら見られなくなると聞いていたので、てっきりマンション建設で壊されてしまうのかと思っていて、マンション建設部分を見てたら場所が違っっていた。
誓願寺墓地背後に土塁があるのだけど、その土塁が途中で凹んでいる部分とのことで、ようやく納得。これなら前から見ていた。正確には堀切ではない。本丸南側の土塁がこの付近は薄くなっていたようだ。というか、この薄くなっているすぐ東側・つまり墓地真裏の土塁はかなり分厚いが、縄張図を見ると位置関係からここが虎口土塁だったのだろう。
この墓地は立入禁止なので、ちゃんと予めお寺の方に了解を得て見学させてもらいました。


次は善照寺砦へ。

ここから、丸根砦や鷲津砦を確認したいとのことだったけど、木が邪魔して見えず。

更に、サイガさんに頼まれていた万福寺と浄泉寺の間の道を見に行った。やはりこの道は私の小さい頃と変わっていなかった。道の高さ・深さを見て欲しいと頼まれていたのだけど、どこからどこまでの高さを見ればいいのか良く分からず。大して役に立てなくてごめんなさい。

その後、今川義元が沓掛城から桶狭間へ向かったとされる阿野経由の道を辿った。古い街道をひろしさんに教えてと言われていたので車で往復したのだけど、広い通りができていたり、中央分離帯があったりで、スムースに動けない所があったのが残念だった。やはり歩きかせいぜい自転車じゃないとダメだなぁ。この古い街道は沓掛城の東方から南へ向かってあるのだけど、沓掛城の西側には鎌倉街道もある。この鎌倉街道から阿野経由で行く道はなかったのだろうか?ひろしさんと別れてからふと気になって調べてみたのだけど、沓掛城東方にある古い街道と鎌倉街道は交差している。なので、もしかしたら鎌倉街道で南下し、途中から古い街道に入って阿野を通った可能性もあるかも?
ひろしさんは、ご自身の研究テーマとのことで今度自転車で回るとおっしゃっていたけれど、是非とも鎌倉街道も見てもらいたいものです。