2018年9月10日 各駅停車・日帰りで甲府城祉を見学、途中下車して大國魂神社にも寄りました。 天候は午前中曇り、午後は雨の予報です。 甲府城址は2007年8月、2015年5月・甲州街道歩きの途中でも行ってます。
甲府城観光。 JR中央線の車窓から見える「稲荷櫓」の石垣下を歩き、脇の坂道を上って本丸へ。天守閣がないのでこの「稲荷櫓」が一番見栄えがある。 本丸広場内を暫し散策し、天守台へ上る。曇り空で生憎 富士山・南アの山々は見えず手近の壁の様な山が望める。 本丸にある明治天皇臨幸記念碑の石塔を見、復元された鉄門へ下る。さらに内松陰門を潜って甲府城見学終了。結構広い本丸だが建物があまりないので印象が薄い。終盤に雨がポツリポツリと降り出し駅へ戻る。
帰りは身延線・富士経由で戻る。単線電車、各停で3時間、富士駅に着く。学校の終了時間と重なり学生が入れ替わり乗ってくる。外は本降りの雨、途中下車せずにそのまま帰宅する。
<大國魂神社> by Wikipedia
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は、武蔵国の総社。東京五社の一社。また、武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを合わせ祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。例大祭は、武蔵国の国府祭を起源とする「くらやみ祭」である。
大鳥居 隋神門 中雀門 拝殿
中雀門
拝殿
<甲府・舞鶴城址> by Wikipedia
甲府盆地北部、現在の甲府市中心街の一条小山に築城された中世から近世にかけての平山城である。
甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。天守台はあるが天守が建てられていたかは不明である。江戸時代には初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となる。
甲府駅前・信玄公像 稲荷曲輪への入口 稲荷櫓を見上げる
稲荷櫓
稲荷櫓への坂 天守台を望む
稲荷曲輪門 横から天守台を望む
天守台上からの展望
本丸広場 本丸から天守台 内松陰門への道
本丸広場
鉄門 天守曲輪下の石垣
鉄門
二の丸から武道館 内松陰門
二の丸から武道館
内松陰門
=おわり=