デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(18)③岐阜<加納宿>-<河渡宿>-<美江寺宿>大垣

2018-02-16 23:59:59 | 中山道

 【3日目】 
曇り勝ちながら晴れ間もあり、街道歩き日和である。昨日、足裏を痛めた人もいるのでゆっくり歩くつもりだが……。     岐阜駅南口側から中山道へ戻る。この辺の<加納宿>は岐阜駅の市街地の真ん中でもあり古い建物はなく碑だけである。神社やお寺だけがそれとなく宿の風情を感じさせる。
河渡宿>へは長良川を渡る。江戸時代には河渡橋辺りの「河渡の渡し」とその上流「小紅の渡し」の2つの渡しがあったと。    長良川を渡る「小紅の渡し」が現在も運行されているので、乙津寺おっしんじ裏手から乗ってみる事にする。この渡しは県道扱いなので無料である。 小舟にゆられのんびりと清流・長良川を渡る。対岸の岸の上から伊吹山方面の開けた展望に感動する。    元の場所まで再度渡船、中山道に戻り今度は歩いて河渡橋を渡る。 河渡宿は中山道最小の宿ということで見るべきものもなく過ぎる。  
美江寺宿>も河渡宿と同じ様に小さな宿である。ただ、古代律令時代には条里制が取られ古くは十六条村と呼ばれていた場所で十四条、十七条などの地名が残る。地名になった美江寺という寺は斎藤道三や織田信長に翻弄された歴史を持つとの事。     昼食の場所を探し、美江神社の前を通り過ぎやっと鰻料理の店がある。逃がすものかとここで昼食。    濃尾地震の震源地に最も近い場所とあって古いものは少なく余り見るものがない。地理で習った「輪中」というのがこのあたり多いのだが、ただ歩いていると良く分からない。(上空から見れば分かるのだろう) 雪を冠った伊吹山が近い。    この頃から私も含め足裏が痛いのを訴える人が多くなる。   どうにか<赤坂宿>のとま口、養老線東赤坂駅に着いて今回の街道歩き終了。

 本日の歩数3万3千歩、16.3Kmの歩き、昨日より若干少な目。それでも3万歩越え。

 次のルート:⑲赤坂宿~醒井宿         前のルート:⑰大湫宿~鵜沼宿   

 加納宿西番所跡碑              阿賀多神社      加納の一里塚跡碑      多羅野だらり八幡宮

            

多羅野だらり八幡宮…多羅野はだらり餅(あんころ餅)が有名な立場であった

  <河渡宿> … 英泉/岐阻路ノ駅・河渡 長柄川鵜飼船   英泉は、「河渡」において、鵜飼の様子を描いている。前景に鵜をあやつる鵜匠と船頭が乗った舟を描線で描き、その使う鵜をはじめ中景、遠景の舟も、また背後の森や山岳までも墨の濃淡による陰影で処理している。この図は、木曾街道中の英泉由の傑作とされる。しかし、河渡には近くに山は存在しない。中央の山は金華山であり、『木曽路名所図会』と酷似する。

長良川の水害に悩まされた河渡宿は江戸後期、時の代官が洪水に耐えられるよう宿全体を5尺盛土し、神として祀られた。  脇本陣はなく、中山道最少の宿である。宿場としての面影は少なく、盛土の遺構と一里塚が残るのみ。

乙津寺おっしんじ(鏡島かがしま弘法 梅寺)

                

  …弘法大師が乙津おとつ島を陸続きにして乙津寺を創建。この地を鏡島と命名といわれる

 …空襲で本堂を全焼したが仏像3体(国重文)は住職が長良川に持ち出し無事だった

小紅の渡し                   乗り込む         舟の上から伊吹山       金華山・岐阜城      

                

毎月21日の鏡島弘法の縁日には、数百人の利用があるとのこと

対岸から金華山・岐阜城

 長良川対岸から見る 左端・伊吹山から右手・北方の山々

倉稲魂稲荷神社…乙津寺の鬼門の守護神 北野神社         河渡橋を渡る

                

伊吹山

長良川対岸から河渡橋方面       馬頭観音堂           河渡宿モニュメント     河渡一里塚跡碑      本田地蔵堂

                

河渡の渡し付近から河渡橋と金華山

 本田代官所跡

     

本田付近

   <美江寺宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・みゑじ   広重描く図は、坂道は五六輪中堤、川は犀川、屋根が見えるのが美江寺宿である。坂を下りかけた旅の僧が一人、里人に道を尋ねている。遠くの空はオレンジ色に染まり、道のそばの竹薮には雀が飛び帰ってくる。いかにも広重好みのひなぴた田園風景を、彼一流のムードある画法で描き出している。道にたつ二本の椿は今を盛りと花を開いているが、ポトリと落ちる椿の花とこの旅の僧のはかなさを重複してあらわしたのであろうか。この色あざやかな椿の赤の配色が、この図をさわやかな印象のものとしている。   今は竹藪や椿に代わり、富有柿が多い。  

古代に美江寺という大寺があったため地名となり、寺が岐阜に移された後も宿名となった。濃尾地震の震源地に最も近く、1軒を残して全壊した。

美江寺一里塚跡碑                美江神社                                           昼食

                 

美江神社…  <昼食場所を探すのに忙しく境内の見学はしない。残念!>

美江寺宿本陣跡                  開蒙学校跡                      墨俣すのまた道道標

             

千手観音像                                                     神明神社

                              

千手観音像 …

神明神社

長護寺橋から伊吹山             良縁寺           白鳥神社

                

近くなった伊吹山

蓮生寺                                  小簾紅園おずこうえん…「呂久の渡し」と皇女和宮記念公園

                              

小簾紅園おずこうえん…皇女和宮が「呂久の渡し」を渡る途中で詠む「落ちてゆく 身としりながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」

 …和宮が「身は武蔵野の露と消えゆくとも」と悲壮な決意で向かった幕府はその6年後に倒れる

 …揖斐川が東に移される前この辺りを呂久川として流れ「呂久の渡し」があった跡

中山道道標…「中仙道三回り半」                     素盛嗚すさのう社       中山道道標…「中仙道七回り半」

                         

 … 「中仙道三回り半」 「中仙道七回り半」 古代の条里制の遺構が残り、碁盤目地割を中山道が縫うために生じる現象

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=おわり=