デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(13)②<宮ノ越宿>-<福島宿>-<上松宿>上松

2017-07-25 23:59:59 | 中山道

【2日目】  
木曽福島の宿、朝起きてみると昨夜から降り出した雨が小降りながらまだ続いている。電車までの時間、福島市内を散策しながら駅に向かう。   宮ノ越駅へ9時過ぎに到着、本降りの雨である。<宮ノ越宿> 駅の先にある「義仲館」・「徳音寺」を見学してから街道歩きスタート。木曽11宿で唯一残ったという本陣を見る頃には小雨になる。雨に黒く濡れた旅篭等、風情がある。 やがて中山道の中間点「中山道東西中間之碑」である。碑側面に「京へ 六十七里二十八町」「江戸へ 六十七里二十八町」と刻まれている。 ここからバックに木曽駒ヶ岳が見えるということだが今日は生憎の雨空で見えない。   今では中山道とは思えない川沿いに下った草道を歩き小さな川を鉄橋で渡ると<福島宿>地区に入る。手習天神を過ぎ国道沿いに歩くと間もなく「福島関所跡」である。  東門から入り西門へ抜ける。関所は礎石だけ残っている。地形的に傾斜の急な断崖に作られた関所という事が良くわかる。 宿中から左に道が曲がり「上の段(うえのだん)」に入ると宿の中でも最も江戸の風情を残している地区になる。雨に濡れた千本格子・袖卯建のある家が落ち着いた宿場の風情を色濃く漂わせる。    JR木曽福島駅に出て昼食。この間雨が強くなり豪雨の様な状態。ここで止めるという人も出てきたが出発する時になって小降りになり全員でスタート。      御嶽遥拝所までくると<上松宿>地区へ入る。有名な「木曽の桟」に到着するがどれが「桟」か分からず皆でなんだかんだ。 国道沿いに歩きJR上松駅に到着、今回の街道歩き終了。 歩数3万2千歩、16.2Km。 

今回の<宮ノ越宿>までの歩きで、中山道の真ん中、約266Km歩いたことになる。

次のルート:⑭上松宿~三留野宿         前のルート:⑫下諏訪宿~奈良井宿

≪木曽福島≫

島崎藤村:「夜明け前」原稿碑        木曽川          大手橋            七笑酒造         駅前坂から木曽川方面

                

JRで戻る

                     

≪宮ノ越宿≫  … 駅に着くと大雨で傘をさしての街道歩きスタート

義仲館…雨宿りを兼ね見学       義仲、巴御前像          徳音寺:

                

        

義仲の墓:母、巴御前 他3兄妹も並ぶ                                                   木曽川を渡り中山道へ

                             

 

宮ノ越本陣                 客殿(修復復元)                                         旧旅篭田中屋

                             

宮ノ越の一里塚

                     

中山道中間点…「京へ 六十七里二十八町」「江戸へ 六十七里二十八町」 

    

                    


                       木曽川支流を鉄橋で渡る                    手習天神…木曽義仲の手習目的に北野天満宮を

                

 <福島宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・福しま    右側の山はそそり立ち、左側の石垣の向うは木曾川の深い渓谷という地形を巧みに利用した関所のたたずまいを、化学系の緑の顔料を大胆に用いて表現している。 関所の冠木門を旅人が往来し、番所前では土下座して取り調べを受けている。西門から外は急坂に続くため、平坦なまま関所に通じるのは東門で、番所の位置とも一致する。左の石垣は関山の麓、右は木曽川に落ちる崖であるが、広重の創作で山麓として描いている。   関所の有様を描いた版画はこの図だけである。

 福島宿の手前に、広重も描いている木曾福島の関所がある。この関所の様子について有名なのは、島崎藤村の『夜明け前』の序文「鉄砲を改め、女を改めるほど旅行者を取締りの厳重にした時代に、これほど好い要害の地勢もないからである。この渓谷の最も深いところには木曾福島の関所も隠れていた」という文である。      またこの木曾福島の関所は、東海道の箱根、荒井(新居)、中山道の碓氷とともに四大関所の一つに数えられたという。  土地が狭いため崖屋造りがみられる。宿の南に隣接する上の段には袖卯建の町屋や土蔵がよく残る。

                                             出尻の一里塚                    経塚 芭蕉句碑

               

福島関所入口              関所跡…礎石が残る                     復元関所:資料館            

                

                        資料館入口          高瀬家資料館:島崎藤村小説のモデル

                    

≪上の段≫                                  復元高札場

                

塩淵の一里塚                                                   御嶽遥拝所:樹木に覆われ眺望なし

                             

中央線に沿って歩く                           沓掛の一里塚                                    

         

 <上松宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・上ケ松     広重描く「上ケ松」の図は、宿から近い、やや南にいった小野瀑布を描いている。この滝は高さ三丈(約九メートル)ほどで、垂直に木曾川に落ちると記録されている。広重の先輩葛飾北斎も、「諸国滝めぐり」の中で描いている。  滝壺から流出する小川に架かった土橋を中山道が通り、旅人2人が滝を興味深そうに眺めている。里人は見慣れた風景に一顧だにしていない。

尾張藩が管理する材木役所が置かれた上松は、秋田、青森と並ぶ日本三大美林の一つがあり、木曽五木の集散地として発展した。今も木曽最大の木材工場地区を擁し、「ひのきの里」と呼ばれる。度重なる火災からまぬがれた十王橋に近い上町(かみまち)にだけ、古い町並みが残る。

 

木曽の桟(かけはし)跡…場所わからず

                        磨崖銘文            下流側               木曽川の渓谷:上流側

                

「桟やいのちをからむつたかづら」…芭蕉

「かけはしやあぶない処に山つつじ」  「桟や水にととかず五月雨」…正岡子規

短歌「むかしたれ雲のゆききのあとつけてわたしてそめけん木曽のかけはし」…正岡子規

    

上松宿を見下ろす            宿入口           上松宿高札場跡・地蔵尊      上松宿・上町

                

上松一里塚碑                            JR上松駅

            

=おわり=

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・中山道を歩く(13)①奈良井<奈良井宿>-(鳥居峠)-<藪原宿>-<宮ノ越宿>

2017-07-25 22:54:03 | 中山道

2017年7月24日~25日  中山道歩き13回目は木曽路・奈良井宿から上松宿まで2日かけ約40Km歩きます。今回は街道歩きフルメンバーの予定が直前に2名減って7名の参加者です。

【1日目】  
奈良井駅へ11時過ぎに到着。3回目の来訪で見慣れた<奈良井宿>を歩き、宿 南はずれの蕎麦屋で昼食。 お腹の準備もできた処で街道歩きスタート。 太平洋に注ぐ木曽川、日本海に注ぐ奈良井川(信濃川)の分水嶺となる<鳥居井峠>を登る。登り口に石畳道が残るが基本的に山道である。峠を越えると栃ノ木の大木が群落している場所があり壮観。     やがて<藪原宿>が見えてくる。こちら、峠下り側にも石畳道が復元整備されている。 藪原神社は立派な社を持つきれいな神社。暫時休憩。  お六櫛の主生産地ということだが店は数軒しか見られない。   <宮ノ越宿>へ入ると巴御前とか木曽義仲の名前が多く現れる。今日はJR宮ノ越駅から木曽福島駅まで電車で移動し、木曽福島の宿に泊まる。歩数2万9千歩、14.8Kmの歩きである。

次のルート:⑭上松宿~三留野宿         前のルート:⑫下諏訪宿~奈良井宿

 

<奈良井宿> … 英泉/岐阻街道・奈良井宿 名産店之図  奈良井宿の西はずれ、鳥居峠の登り口で、お六櫛を製造販売する家を主題とする。谷の奥に見えるのは木曽駒ヶ岳である。板葺石置屋根の石が落ちそうに見えるが、実際は緩勾配である。

 街道筋には旅籠や茶屋が軒を連ね、裏通りは檜細工や漆器を製造する職人の町として栄えた奈良井宿。現在残つているのは天保8年の大火後の建築物だが、古い絵図を見ると基本的な町の構造がよく継承されていることがわかる。外観は保存して内部はアレンジ、自然な形で職住一体の暮らしが息づいている。南端に位置する鎮(しずめ)神社から散策すると、信州側には青々とした山並みが広がる。

 

奈良井駅スタート

                   

水場                                     本陣跡                  長泉寺:横から見る     枡形・鍵の手

                

中村邸:櫛問屋跡                                              昼食

                         

高札場                 宮の沢水場                 鎮神社                          奈良井宿を振り返る

                

鳥居峠へ:石畳道                                                 鳥居峠

                             

トチノキ群                                子産の栃~実を煎じて飲むと子宝に恵まれる

               

<藪原宿> … 英泉/木曾街道・藪原 鳥居峠硯ノ清水     奈良井と藪原の間には鳥居峠がそそり立つ。かなり大きい右の鳥居が峠の上に残っている。この頂上にはまた「雲雀よりうへにやすらふ峠かな」の芭蕉の句碑がある。  英泉の描く図で左隅に描かれているのがそれである。その前の松樹の下の泉は、木曾義仲が願文を書いたという硯清水だという。はるかにみえる山は、木曾御岳である。いこう旅人の後ろの、たき木を背負い、かるさんをはいた女たちは、小木曾女とこのあたりで呼ぶ女性たちだそうである。

お六櫛の産地として栄えた藪原は飛騨街道追分の宿    薮原宿は難所の鳥居峠を控えて多くの旅人が草鞋を脱いだ宿場町であり、野麦峠へと続く飛騨街道との分岐点でもあった。本陣跡や高札場跡の標識が立てられているものの、今は宿場町としての賑わいはない。しかし、街道筋には伝統の特産品であるお六櫛の看板を掲げる店や飛騨の工女たちが泊まった旅籠の建物があり、郷愁を誘う。    宿場の中心には櫛を祀る薮原神社がある。

峠先の御嶽神社:江戸から最初に御嶽山を見れる(石造鳥居や霊神碑・石像が40基林立)

        

丸山公園・鳥居峠の戦の古戦場:芭蕉句碑                 藪原宿を見下ろす      石畳道

 木曽の栃 うき世の人の土産かな          

                                     天降社:村内唯一の大モミジ    原町清水           尾州御鷹匠役所跡

                          

                          藪原神社

                             

湯川酒造               お六櫛屋           高札場跡                藪原一里塚碑         D51:かつて中央線を走る

                

<宮ノ越宿> … 広重/木曾海道六十九次之内・宮ノ越    「木曾街道六十九次」七十図中、「長久保」、「洗馬」とともに三役物とされるのが、この「宮ノ越」である。この図は、この一シリーズの名作というだけでなく、広重の代表作の一つとして紹介されている。
  広重描くこの図はどこを描いたものであろう。広重は、前景だけに描線を用い、中景、遠景を色面構成で描く画期的手法を用いて、山国独特の霧の深い様子を巧みに表現している。  橋を渡る家族を近景に、中景は輪郭線のないシルエットで霧を表現している。 川は木曽川、橋は引塚大橋(現葵橋)で遠景右は宮ノ越宿へ続く。

中山道中間点に最も近い宿。木曽山脈と木曽川が並行する縦谷のため、平野の少ない木曽では珍しく広い平野の中にある。木曽義仲を育み、史跡や伝承が多い。

宿入口:「巴が淵」…木曽義仲の愛妾・巴御前の名にちなむ

                

  

宮ノ越駅前                  駅                               木曽福島駅         夕食

                             

 【2日目】  に続く   ……