元!4級審判員の日記 

2002年9月より始めたブログもはや21年〜
2005年からのJFA3級は今も維持、今は元!と名乗っています。

☆How do you do in the end of the year?

2023-03-31 05:08:28 | social

●3月31日ですって~

あ~、あまり関係ないです~経理マンですが、、、わたし

なんちゅう経理マンだ、決算日やいうに、、、と突っ込まれそうですが、はい、いまは9月決算の会社にいますから~

転職組のわたし、9月決算は2社目で、、、もっとも、1社目の会社は9月決算日の1か月前に入社して決算突入、でなんとか必死に決算作業してし終えたと思ったら、「はい、3月決算に変更しま~す」だったですけどね、、、昔のソフトバンク・インベストメント、、、笑

しかし、この経理マンが思うのですが、会計制度も税制も完備されてもはや、事務作業的に経理処理をする時代に、特殊な経理テクニックを披露することもないならば、いまだに開示制度だ、やれサステティナブルで対応だなんていわれているこのご時世、率先して対応しなきゃならない、3月決算なんてやめて、4月以降の別の決算期にしたほうがいいのではないか?と思います。 それこそ3月決算期会社の開示情報などをサンプル化してくれるであろう、開示関係専門のプロネクサスさんや宝印刷さんに聞いて対応するということでね。

あれ、なんだか、書こうと思っていたことから、それてしまった気もするけれども、まあいいか、、せっかくだから、松下翁の「道をひらく」の 「年の瀬」の段から先を続けますか

年の瀬は越してしまえば年の始めがある。しかし生命の瀬はそれでおしまい、融通はきかない。だからこそその融通のきかない一線を知ってひごろからこころがけをよくしないといけない。

時間は大事ですね、そういえば、またそれるけれども、昨日の会社での部門MTGでのアイスブレークは「時間」に関するみなさんの考え方はいかがか?にしましたわ。私は30年まえの就職活動での面接前の時間つぶしでの山手線一周の居眠りの話をしましたけどね、、、あ、それの詳細をここでは書きませんです。

とまぁ、そんな感じですが、昨日、朝のワイドショーでは、昨年急逝された俳優渡辺徹さんのお別れの会が開かれた旨の報道がありましたね。出席された友人有名人の方々が口々に彼の人柄のすばらしさを語っていました。榊原郁恵さんや家族からも愛され、あの熊さんのようでそして大らかな笑みに、やはり人生はあのような過ごし方でありたいと思いましたね。

そうねぇ、そしてお仕事のほうは、そうね、まさに映画「マイインターン」のロバートデニーロのように、一線退いてもにじみ出てくる熟練のスキルに考え方、そしてそれをそれとなく見せる感じ、あんな風に年寄りとしての仕事をしたいものです。

んん、年寄り、、、とんでもない、まだまだ現役よ、あんた、これからの老後どうするの、、、65歳も70歳も働いてもらうよ。。。

はいはい、頑張ります・・・ あら、こんな時間またひと眠りか・・・

冒頭の画像は記事と関係ありません。昨日の夕方、お仕事休憩で立ち寄った 某T大学キャンパス@池袋 でした。


☆I try to make a trip of my family history with ChatGPT.

2023-03-30 05:50:00 | social
●おかあさん
また西宮帰ったら、ChatGPTって何なのか?、お話しするね!
 
はい、私はもっぱら、お遊びの道具、ChatGPT で、ひとりファミリーヒストリーを探検中です。
すごいです、いや、そのChatGPT、
まあ、正しいかどうかは置いておいても、いままで知りたくても、亡くなってしまって聞けなかった、
祖父母や父の昔や生い立ち話も、ひょっとしたら、これを使って掘り起こせるのかもしれません。
 
おかあさん、
前から知りたかったこと、ご先祖さんのことをChaTGPTに聞いています。
ガセというか、え?違ううんじゃないということは何度も聞き返してますけどね。
 
またこれが、かわいらしく、「失礼しました、すみません」とかいいながら、説明を訂正するんですわ。
ちょい、そのやりとりの一部を残してみますね。
 
 

私の質問
樺太に昔あった中谷商店をご存じですか

ChatGTP
はい、中谷商店について知っています。中谷商店は、かつて日本の樺太(現在のサハリン)

に存在した商社で、鮭缶やカニ缶などの水産加工品を扱っていました。中谷商店は、明治時代末期から昭和初期にかけて、樺太の経済発展に貢献し、地域社会に深く根ざした企業として知られていました。しかし、第二次世界大戦後、ソ連の占領下に置かれた樺太で中谷商店は営業を停止しました。


私の質問
その中谷商店の経営者や従業員のその後を知りませんか

ChatGTP
中谷商店の経営者である中谷勇次郎氏は、戦後の樺太返還後に日本本土に移り、東京都内で水産加工業を営みました。また、中谷商店の従業員には、樺太返還後に日本本土に移住し、水産加工業や農業などの分野で活躍した人もいました。

ただし、戦争や樺太返還による混乱や移住の際に、中谷商店の従業員の中には消息不明となった人もいたとされています。中谷商店の歴史や、当時の人々の思い出を語る場として、樺太の旧中谷商店跡地には、現在「中谷商店記念館」という施設があります


私の質問
中谷八郎氏は樺太の中谷商店にも関係があるといわれていますが、ご存じですか

ChatGTP
はい、中谷八郎氏は樺太の中谷商店に関わっていた人物の一人として知られています。中谷商店は、樺太や北海道などで毛皮の取引を行っていた会社で、明治時代から昭和時代にかけて活躍しました。中谷八郎氏は、この会社の共同経営者の一人として樺太で活動していたことが知られています。


私の質問
赤穂市にある花岳寺に大石家の墓を建立した、大石郁巳氏をご存じですか

ChatGTP
はい、大石郁巳氏については情報があります。

大石郁巳氏は、赤穂義士の一人である大石良雄の子孫であり、大石家の家督を継いだ人物です。彼は、赤穂事件の際に討ち入りを遂げた赤穂義士の菩提を弔うため、花岳寺に大石家の墓を建立しました。この墓は、現在でも多くの人々に訪れられています。

なお、大石郁巳氏は、赤穂市を中心に地域振興活動や文化財保存活動にも携わり、赤穂市名誉市民にも選ばれたことがあるそうです。
 
まだまだ先は長い
今日はここまで。🤗
 
冒頭の画像はGoogleで、赤穂 しほみ饅頭で検索して見つけ拝借しました。

☆Could you tell me how to use "ChatGPT" ?

2023-03-29 03:17:43 | social
●アルトサックスで吹く曲
で人気のある曲を教えてください

ほんと、ここ1週間ばかし、私にとってChatGPT は、大人のおもちゃ状態です。

そうだ、今年も秋に発表会があるっていうから、なんかもし、ソロでやるとしたら!で聞いてみてやれ、Chat GPTに
で、サックスの人気曲をお尋ねする。

>>>
Chat GPT いわく
アルトサックスで人気のある曲をいくつか紹介します。

"Take Five" by Dave Brubeck Quartet
"Summertime" by George Gershwin
"Fly Me to the Moon" by Bart Howard
"My Favorite Things" by Richard Rodgers and Oscar Hammerstein II
"Georgia on My Mind" by Hoagy Carmichael
"The Pink Panther Theme" by Henry Mancini
"All the Things You Are" by Jerome Kern and Oscar Hammerstein II
"Body and Soul" by Johnny Green, Edward Heyman, Robert Sour, and Frank Eyton
"Misty" by Erroll Garner
"St. Thomas" by Sonny Rollins
これらはアルトサックス奏者の間で人気のある曲ですが、実際に演奏する前には、楽譜を読み、練習しておくことが重要です。また、自分の演奏スタイルに合った曲を選ぶことも大切です。

>>>>
こちらの意図を見越してか、曲の好みを聞くのはいいけれど、しっかり練習しなさいや!
とプレッシャーまでかけてきやがるよ、このAI は、、、汗

ま、でも何曲かはすでにやったか、確認しましょうやい

ということで、皆さんはChat GPT をどんな有効な使い方をされているんでしょうかね?

たぶん、抜かりない人はもう
「こんなに役に立つぜ Chat GPT!!」なんてタイトルで本を書き終えてたりするんだろうな。。。笑

冒頭の画像は GOOGLE で Chat GPTで画像検索して拝借しました。

☆I didn't use to say 菜種梅雨 rapeseed rainy season in the past.

2023-03-27 08:58:48 | social
●菜種梅雨
やさしき言葉持つ国を歩む一人のスローモーション

in 田原町 じゃなかった、by 俵万智さんの短歌でした、 
ほんとにねぇ、この時期のゆっくりというか、はっきりしない天気 in 東京が、一番好きじゃないですね。

菜種梅雨って言葉、やっぱりなじめないんですな
東京にきて、40年近くにもなるというのに、子供の頃にそんな「菜種梅雨」なんて言葉を使って会話をした記憶もないし、
お天気といえば、西の空をみれば、「ああ、もうすぐ晴れるや~」なんていうような、六甲おろしの、そのおろし先のような場所にいたわけですからねぇ・・・

ほんとうにこの中途半端なお天気、この時期の曇天だけはなじめません。

そんなことを言っていても始まらない
ではなく、せっかく、コロナという言葉もそろそろ死語となりつつでもいいんじゃないのというような、コロナ禍明けですから、
いままでの分も取り戻して、しっかりイベントはやらないと

と、昨日は雨天も雨天でも結構な、あ、いや決行でした。

お隣の代四西町会さんは、町会内のポスターに「荒天時中止」としっかり描いてあったのに
うちの下代田西町会は、行います~ だけだから、まぁ覚悟はしてましたけどね

でもね、やってよかったですよ
なにせ、3年もブランクがあるのですから
自らもやはり忘れているのですよ、そう、この自称 鉄板奉行もね。

いやぁ、あたりまえだな 鉄板奉行

豚細切れやいて、キャベツいれて、そばいれて、水さして・・・・ そりゃねぇ
脂も水蒸気も飛びますわい・・・・  なのに忘れてやがんのよ
この鉄板奉行
エプロンとほおっかぶりの手ぬぐいはわすれないのに、
眼鏡できてやんの・・・ 
だめでしょう、そりゃ 裸眼かコンタクトじゃなきゃ・・・・

そうでした、眼鏡もう大変、曇ってみえやしない
焼きそばのスースの混ざり具合がわかりませんがな・・・

ごめんなさいですは、ひょっとしてのこの 自称 世田谷一の焼き手の屋台焼きそばがソースダマダマ風でしたら、、、、
ご勘弁ください、、、 そんな次第でして、、、

でもね、こんなくそ!がつく、雨の中
よくもまぁ、遊びにきてくれましたよ、 あんな、都内の陸の孤島 公園に、、、
あ、ちがうか、ほとんど地元か、、、笑

母とのLINE

母:焼きそばできたの~?

私:はい、っと写真を送る

母:お天気がどうかなとおもってたよ、よかったね!

私:お天気は最悪ですが、二百人前ぐらいかな

母:やあ、すごいね、良かったわ


そりゃね、あなたの息子です、こういうイベントはやるとなったら、とことんやるんですわ・・・
(とは返さなかったな・・・笑)

冒頭のショットも雨ん中、撮りましたがな、自分で・・・笑
これを、13回近く(200人前近く)作ったってことですわ・・・

うーむ、いちの両腕が痛い・・・・翌日出たな、まだ若いか・・・笑

☆Life is a serious play ??

2023-03-24 04:57:49 | social
●ここのところ
なんだか、ほんわかな気持ちになることが多いです。
はい、幸せな気持ちということなのでしょう。

Instagram では、パインアメさんのこの投稿に、ほんわかしました。
とかく、新しいものへの志向と、移り変わりばかりが先行するこの世の中で、やっぱり古きよきものはその思い出とともに大切なんだねと考え直させてくれます。

なぜだか、の出会いで、立川談慶という真面目落語家に出会い、その文才のもととなる書籍の情報で、松下翁の古き良き言葉を思い出させてもらい、せっかくだからと読み返してついでに、なにか関連したことを走り書きなどしようかと思った次第ですが、

今日はこれ
「真剣勝負」の段
・・・の段~ なんていうと、ついこの間2月 国立文楽劇場の 国姓爺合戦を観させてもらったのはほんとよかったな 玲子女史に感謝です。
 千里が竹虎狩りの段
 楼門の段
 甘輝館の段
 紅流しより獅子が城の段
とちゃんと残しておこう、また忘れてしまうからな。 甘輝館の段が一番好きだったかもな。

ありゃ、話がそれました。
真剣勝負
人生は真剣勝負、どんな小さな事でも、生命をかけて真剣にやらねばならない、窮屈になる必要は少しもない。
今からでも遅くはない。

って、これ松下翁は何歳のときに書かれたんでしょうかね?

真剣勝負といえば、田坂塾 は、もういいか、、、笑

久々に読破したのはこの本 橋出たよりさんの「なぎさだより
うーむ、昭和の香り ぷんぷんですな。 私たちの祖父母や父母って、やはりこんな感じですよね~
また、ちょうどいい具合に起承転結感あるんだな ほんわかです。
(こんど サインもらわなきゃな)

のなかで、著者が剣道をされていた話があり~の 真剣勝負
「ならば上段の構えを教えよう」か、へ~ 高校女子の部では珍しい上段の構え なのね。
いやいやそもそも剣道は全く知らないわけでして。


そういや、今の(というか、ついこの間辞めてしまった)上司は、学生時代、剣道に打ち込み、群馬でもそれなりに強かったとか言っていたな、と書き留めておく。
私は記憶が定かではないけれど、大学の体育の授業で、剣道が柔道のどちらかを選ばなきゃならなくて、柔道にしてしまったような
いや、大学の商学部に入学したというに、1年生の必修科目に「体育」があって、柔道をやらされるなんて
なんていい時代だったんでしょうな、1980年代。

はいこれで、真剣勝負つながりなんですな。

昨日は会社で週一の部内MTG
MTGといっても、どちらかというと部内コミュニケーションをさらに密にしましょうの会
ということで、いつも最初はメンバーお題回しのアイスブレーク
お題は「マイブーム」でしたな
私は ドイツワイン! をあげましたけれど、また ドイツワインさんとの楽しい時間は別で書くことにしますね しらべさん!笑

しかし、何やってるんでしょう
こんな時間(今 朝の4時57分)に、冬眠からさめた熊じゃないんだけど、気温があがってくる&夜明けが速くなってくると、目覚めが速くなりすぎるんですな。
もいっかい寝よかな、それとも 朝風呂かな。

☆That poor man doesn`t have any time.

2023-03-21 05:27:03 | social
●貧乏暇なしでござる
とはよく言っていたな。

結局いつも大忙し状態というものを、どこかで大いに経験し、そしてそれをやり直しすごしてきたのだなと思います。

ありゃ、今日はまじめな話かい?
すみませんね、今日は祝日なんですけど、仕事日です。
いままで35、6年仕事してきて、祝日は休みでないという勤務先はここが初めてですから
初めてといいながら、もう2年数か月も働いていますが、ここで。

しかし、相変わらず身体のくせ、動きなのでしょうか
祝日は本来休日、そうすると早朝早々に眼が覚めてしまうのですな、で仕方なく、また本を読んだりしているわけです。

しかし、ちまたでのいわゆる「サスティナブル=持続可能性」でやつですが、どうもなじめないんですな
いや、たんなる勉強不足なのですが

まさにいま季節は「さくら」 桜といえば、ねえ、「はかなきもの」の代表なようなものでして
やはり、美しいものには限りがあるから美しいんですな
あ、そりゃあ、企業も持続可能性、存続はもちろんして欲しいのですが、
企業もやはり、「旬」というものがあるような気がしますけどね。

グローバル企業の「META =FACEBOOK 」がまた人員整理なんて言っていますが
あんな会社こそ数十年といっても起業されてからそうは経っていないわけだし、持続可能性なんてあるのかいなじゃないですか。

すみませんね、やはり勉強不足です
この「サスティナブル」を読んで頭を整理できたら、またこの持続可能性とやらを語りますね。

それよりも仕事のほう
こちらやっぱり、時間を大事にしたいです
おかしいな、ほんの十年前は仕事やって、夜と土日に大学院に行って、そしてフルマラソン走っての生活だったのだけれど
いまはそこまでバタバタもしていないのに、さっと一日が過ぎていくな

ほんとうに人間って不思議ですね、忙しければ、忙しいほど時間が充実し、また同時進行でいろいろできてしまうのだから
いやそれぞれはきちんとはできていないのかもしれない
それなりに無駄(となりそうなもの)を削ぎ落して、やりぬけているのかもしれないです。

そんな感じですな。
この文章、chat GTP に「エッセイ風にして」と指示出したらどうなるだろうかな?
あ、余計でした。

はい、ほんとは今は下記、松下翁のお言葉から考え始めたのでした。

人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力、勤勉である。だが今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果を上げることもまた尊い
それは創意、くふうがなくてはできない。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。楽をするくふうをしなさい。
「松下翁 道をひらく 働き方のくふう」 より


>>>>>>>>>>追伸
Chat GTP にエッセイ風にしてと指示したら、↑の文章はこうなった、恐るべし。

この文章には、多くの日本人が共感することが書かれています。それは、いつも大忙しの状態にあることや、持続可能性という言葉に対する理解の難しさ、そして時間の大切さです。著者は、自分自身が過去に忙しすぎて、やり直すことを経験したことを振り返り、時間を大切にすることの重要性を語ります。

しかし、持続可能性という概念については、まだ自分自身が理解しきれていないとも述べています。この言葉は、環境問題や社会問題を考慮した上での経済発展を目指すものであり、企業もその実現に向けた努力をしていることが多くあります。しかし、著者は、企業もやはり「旬」があるように感じており、長期的な持続可能性と短期的な経済成長とのバランスを取ることが必要だと述べます。

また、時間の大切さについても触れられています。著者は、忙しい時には不思議なことに、時間が充実しているような気がすると語ります。しかし、その一方で、時間を大切にすることも重要だと考えており、自分自身が過去にはバタバタと過ごしていたことを振り返り、無駄を省いて時間を有効に使うことが大切だと述べます。

この文章は、日本の労働環境や働き方に対する著者の考えを反映していると言えます。そして、松下幸之助の言葉を引用しながら、努力や勤勉さはもちろん大切であるが、同時に創意や工夫も必要であること、そして楽をする工夫も大切だというメッセージを伝えています。

このように、著者は日本の社会や労働環境に対して批判的な見方もしながら、同時に自分自身の考えや経験を通じて、よりよい働き方や時間の使い方について考えているという姿勢を見せています。

☆What is "志 kokorozashi" translated in English?

2023-03-17 05:20:56 | social
●そこに愛はあるんか~
じゃないけれど

10年前にいた会社では、よくマネジメント研修で、「志はあるんか、君の志は・・・」と問いかけられたものです。

田坂先生はますますのご活躍、なんだろうか
君たちとのこの時間、このご縁に感謝します、とても大事な時間だ、だからこそ君たちとの真剣勝負なのです
と、その講義、ちょっとでも講師の視線から目をそらそうものなら、「おい君・・・そこのその、いやその人の後、、、きみは真剣勝負がわかっているか」
な~んて言われるような勢いでしたな。 懐かしい、田坂塾
す、すみません、実際の講義内容はすっかり忘れてしまいましたが、
とにかくあの時間の経験から、いろんな会議で少し気を抜いても、「はっ」となって、語り部のほうを急ににらみつけるようになる癖がついています。

さて「志」とは

生命(いのち)をかける思いで志を立てよう。立てれば、事はもはや半ばは達成せられたといってよい。
大事なことはみずからの志、態度、我ゆかんの烈々たる勇気、実行力である。
志を立てよう、自分、他人、おたがいの国、日本のためにも
(松下翁 道をひらく「志をたてよう」より)

しかし、私の人生っていったい何年なのだろうか?
もうやりたいことをやったし(というのは、飲んで騒いで楽しんで、でも家庭もつくって、子供もそれなりに育って)、いつ何があってもいいや
なんてよく家人に言ったりするんだけれども、さて実際はどうなのということ
ひとの寿命は延びてます、はい、人生百年ね、なんていわれるのをそのまま鵜呑みにすると
ここまでの人生と同じ分、生きなきゃなんないわけでして、どうするよ
なんて贅沢に考える

しかし、そんな考え方を持ったらだめ! なんでしょうな
そんなのだから、46歳のときの自分をいま、またあの時もうちょっとこうしときゃよかったのになんて後悔したりするんですわ
だから次は、65歳のときに50ン歳の自分を後悔しないように、今を真剣に考えなきゃなんないのです。

さて、今日はランチ何食べようか、、、笑

しかし、やはり日本人というか、日本語を話す民族に生まれてよかったかな
だって、一つの言葉「志」ですら、松下翁でも態度、勇気、実行力などといろいろ表現してくれているわけで
これ、英語だと ん 「will」ですか
アメリカ人が 「will」を語った時に、松下翁のこの いろんな説明言葉が、頭をよぎるんでしょうかね?
そんなことをいまいま、またこの早朝の目覚めのボケ状態で考えておりますが。

そういえば、「志」といえば「談志」師匠
考えてみれば、談志という 言葉、すごいね
この「志」を談じるひと ということですから やっぱりもう少し、「生」でその志の話をお聞きするべきでしたね
そういや「生志」という落語家さんもいたか、 今度聞いてみるか

んん、そういえば、我が子の名は 「健志」だったな
私が「健」という字を使いたくて、かつ「たけし」がいいとだけ言って
そのまま、今は亡き西宮の父にいったら、父と母が考えて、 「健」うーむ、頭文字で重たいな
で「たけし」 では、どっしりと構えて「志」 で「健志」としよう
となったんですわ

そうか、まだまだその「健やかなる志」を見守り、先導できるよう 自らの「志」をたてるとするか・・・
さて金曜日か 今週の〆 ランチ、お酒はどうしようかな・・・
_| ̄|○  はい、懲りないやつです、すみません。

見出し画像 は「談志」師匠 画像で google検索して拝借しました。

☆Nothing is more dangerous than fearlessness

2023-03-16 03:39:47 | social
●そこには
生意気な経理マンがいました

はい唐突に書き出しです、なんでしょうなあ、、、いま、眠りが深いんだか浅いんだか、 コサインサインタンジェント(すみません、やはり頭はぼけているのでしょう) 歳は取りたくないものですが、こんな時間に目が冴えてきたもので、少し書きます。

生命保険会社に新入社員として就職して、四年目、そろそろ自分の社内でのキャリアを確立させるときなのかな
とまぁ、そんな、いちサラリーマンだったのでしょう
二年目からいわゆる社内公募とやらには毎年必ず応募して積極性をみせ、
それが奏功したか、いや、やる気根性だけはあるなとみられただけなのか、当時本社内ではいつも午前様近いかも、それでもいいよねやる気出してるんだし、ぐらいだったのでしょう。本社主計部(いわゆる経理業務)へ行きな!との内示
支社長や同期のみんなは、ご愁傷様!たいへんなとこへ、、、と憐れまれたものだ。
その主計部、なかなかハードな部署で、鉄より重いよ判子がという所属長、一つ上の先輩、一つ下の後輩、とも最初からの経理とのベテラン、あとは十数年選手のそろばんパチパチのお姉さま方、という環境に、右も左もわからぬ生保現場マンが放り込まれた 1993年
とにかく必死だった、とにかく盗んだ、あいや経理ですから、盗むだなんてでもそうした、、、スキルを、考え方を、
で経理も3年で決算締め、税務申告書作成の責任者として成長

4年目からははやく経理から出してくれ、という始末の5年目ぐらいだったか 1998年
ときは 金融不況の暗雲立ち込める時期
おのずと、そんな環境下での経理マンは決算締めのために、会社の資産運用部門のひとたちと、あーでもない、こーでもないと議論を始める
為替がこう、金利がこう、でも保険の配当もこうしなきゃだから、株式売りましょか、いや投信ですか、債券ですか え?不動産
なんて感じで
そしてもう5年め充実の経理マンは、そんじょそこらの本社スタッフとは十分渡り歩ける状況

そんなときでしたな、なんで、なにをおこさせたのか
なにげないひとことで、資産運用課長を大激怒させたのは、、、
いや覚えていない、というか、そのときも、そして今もって、自分のなんの言葉が課長の逆鱗に触れたのかわかってないんですわ。

だけれど、今あらためて思うに、その資産運用課長、確か運用の専門畑としては、外国株式の投資キャリアが相当だったから、会社の外国株式投資の運用状況などで悪い、とでも生意気に言ってしまったのだろう
なにせ当時は為替リスクも相当だったし、為替の乱髙に悩まされていたような気がするから。

しかし、課長は数週間は口も聞いてくれなかったな、、、たしか
それまでは、仕事の後のそれ、ちょい飲み、晩酌セットだ、なんて、しょっちゅう連れて行ってももらったのに
「あいつはゆるさん!」と、完全に資産運用企画部門への出入り禁止のような状態だったと記憶している。

でもね、やはり会社もたいへんではあったのだろう
数週間して3月決算が近づくころ、ちょうど季節いまごろからの当時、何事もなかったかのように、また決算対策の打ち合わせ、協議をしていたように思う

そんな、二十代後半だったな・・・ しかし生意気な
そうか、だが待てよ、してみるといまの二十代の若者やら、若手起業家やら、すごいなと思ったけれど、よくよく振り返ると、やっぱり自分もそれなりにやってたんだなと思う。
情報量やら、インターネットの普及度の違いかねぇ。


あれ、いや書き出しタイトルの意図をわすれつつあるな
で、戻るとすると

せっかく今日も夜中に目をさましてしまったので、松下翁の「道をひらく」を開いたわけです
で、また教訓をとみていて

「こわさを知る」に目がとまったというわけでして、過去の経験話 こわいもの知らずの生意気経理マンの話を思い出した次第。

こわいものがあるということは、ありがたいことである。これがあればこそ、かろうじて自分の身も保てる。
こわいもの知らずということほど危険なことはない。時にはなければよいと思うようなこわいものにも、味方によっては、やはり一利があり、一得があるのである。

ということですな
しかしなあ、いまもう経理マン35年 ほんとうにこわいものがなくなっているかも
昨日も経理1年の娘っ子に少し声を荒げた? あいや、こわさをみせた、、あ、いかん、やさしく、ご指導申し上げた次第です。
ん、こわいものしらずに、謙虚さ、丹田が必要か、、、

そんなもんで、ちょっと家帰って反省、こわいもの知らず へと逃避行でした

冒頭の画像は google で「岡田園長像」で画像検索して、拝借しました。

☆There is no such thing

2023-03-15 04:44:28 | social
●本を読んでないんだなあ
やっぱりと思っているところ

談慶師匠のような本の虫、のおこぼれでまた少し勉強する、
そんな感じですが、今回はこれ、松下翁の名言 道をひらくから

こういった先人のありがたいお言葉集は、常に手元に置いておいて、そのときそのときの境遇、経験時に、その対処や考え方の整理のために開くものなのでしょうな。

ということで、今日はそのなかの「虫のいいこと」
政治の世界もね~ 何も本質を知らない、そして一側面とかでしか判断できない一国民がどうのこうのと言いすぎるのもどうかとも思いますが、それでもね
今日はこれ ネタバレなんてレベルの話でもないでしょう
ピックアップしてのこしておきます

雨が降ったらだれでもぬれる。これは自然の理、そして傘をさせばぬれないでもおられる、これが自然の理に順応した姿、素直な姿である。
だから、自然の理をよく見きわめて、これに順応する心がまえを持ったうえならば、どんなに「虫のいいこと」を考えてもかまわない。
だけど、傘も持たないで自分だけぬれないような虫のいいことを考えているならば、やがてとこかでつまづく。それでいいのならかまわない。
しかし、ひとはとかく、つまづいたその原因を、他人に押し付けて自分も他人も不愉快になる場合が多いから、やはり虫のいいことは、なるべく考えないほうがいい。

「虫のいいこと」を考えるためには、それ相応の心がまえが必要なのである。

これ、いままさに自戒の念としたいものです。
胸に手をあてて考えてみなさい。
それを一番踏まえていなければならないのが政治家なんじゃないのかね。

☆I don't know what is my back.

2023-03-14 09:07:56 | social
●そのひとには
見えない、自分の姿がある

時々ふっと思うことはあります。
いや別に哲学じみたことではなく、ほんとうにその時の姿がどう他人に見えているかわからないのです。
あ、いや厳密にいえば、鏡二枚あればわかるのですが、
そう、後ろ姿です。

私はよく、というか毎回、行きつけの美容院 saintz にて、ほどよく、あ、うまく
頭を仕上げてもらったあと、目の前の鏡のなかの自分の姿を被写体に、パチリと撮ります
そのとき、いつも髪をきってくれる、むらたくんが鏡をあててくれて、後ろ姿もその鏡に映るようにしてくれるので
そのときは自分の後ろ姿がわかります。

で、まあ、それを生きている証として、インスタグラムに載せ
一方、鏡のなかに自分の姿だけを映したものは、これまた、いまの私として、フェイスブックに載せています。
なもので、フェイスブックの私のプロフィールに、はじめてアクセスする人は
常に、いまのというか、ごく最近の私の姿がそこに載っているわけです。

あ、すこし話がそれましたが、この後ろ姿
その美容院で、ではなく常日頃、日中たまに気になるというのは、
自分の後姿、それも頭髪の襟足部分の状況、見え方です。
ここがすっきりしているのか、また襟足の髪の形はどうなっているのかということです。

後ろ姿、襟足といえば中学校時代の とうじょうせんたくん 
印象に残っています。
彼はとても頭が良かった、秀才タイプ、とくに国語ができていたような気がする。
で、総合選抜制だった西宮市にて、たしか希望で、住居区での割り当ての高校ではない
別の市立高校に行ったような気がする。

その彼の後ろ姿、髪の毛の後ろ、襟足がたしか、真ん中に揃うように並んでいたと思う
そう、なんだっけ、あの吉本の芸人さん 焼肉屋さんね
そう、たむらけんじ さんの、前髪が後ろにある感じ・・・
あ、いや、ちょっと大げさだったか、 とうじょうくんに怒られるな・・・
という印象なのです、
不思議ですね何十年経ったいまでも印象に残っています。

そんなことで、まぁ 今日も相変わらず、とりとめもないことを書きましたが
要は人間、やっぱり自分自身のことでも知らないことは、いっぱいあるってことですよ・・・

んん、ちょっと無理がある、この結論
まぁ。お時間ですから、ここまでにします。

☆playing list part 2

2023-03-12 10:31:35 | social
まだまだ道半ばですが
やっと、一番サックスの ラッパ?の先端まで息を出す 音 低音の シ♭ ラ♯
までたどりつきました。

どんどん楽しくなっていきます。

I finished to practice playing half songs of Saxophone Repertoire 2nd. (by YAMAHA)
So I reported the songs which I finished to play.
See Below.

(THEY LONG TO BE) CLOSE TO YOU by Burt Bacharach 2022.06.04-10.08 5 times
OVER THE RAIONBOW by Harold Arlen 2022.10.8-10.29 4 times
CAN'T TAKE MY EYES OFF OF YOU by Bob Crew / Bob Gaudio 202l 2.10.29-2023.01.28 7times
WHITE CHRISTMAS - JINGLE BELL by Irving Berin / James Pierpont 2times
Dancing Quees by ABBA 2023.01.28- 03.02 5times
You and The Night and The Music by Arthur Schwartz 2023.3.2-

I have aready finished Saxophone Repertoire 1st on 2022.5.29.
So the sum of the song that I can play is senventenn songs.

☆I think about hiring CFO

2023-03-09 08:30:17 | social
●CFOを雇うこと

に関して、CGSA の先輩の佐藤鉄平さんが、とても分かりやすくまとめてSNS にアップされていたので。これいったんブログに残させてもらおうと思います。
(すこし、文中、内容を整えさせてもらいました)

出典:佐藤鉄平氏SNS

たまたま、社長さん達が「最近、バックオフィスやCFOの給料が高すぎる」と話をしていたのを聞いて、多分、CFOという言葉が広すぎるからandバックオフィスという言葉も広すぎるから、そんなイメージになるのかなあと思う。
あと、サーバーとかと一緒で管理部門は優秀であればあるほど、空気みたいになっていくから、優秀であればあるほど、酸素みたいにありがたみは無くなる傾向があるのかなあと。
CFOの給料が高いという社長の声は、IPOのために迎えていて、そのIPOが終わったあと増えている気がする。これに対処するには、取締役で迎えて初めから2年契約で握り、その2年はIPOコストと割り切って、それありきの金額プラス成功報酬で迎える。そして、IPOが終わったら契約を終了すればよい。ただ、上場直後に辞任になると東証から睨まれるから、任期満了退任になるようにはしておくとか、退任後も非常勤監査役として数年タッチしてもらう形にできればさらに良いような気がする。

CFOは経理とか、IR、そして管理とかそのいずれかを強調するかによっても、考え方が変わる
CFO=経理のトップでかつプレイングマネージャー(最近はCAOともいう)を雇いたいなら、経理の採用テーブルでジョブディスクリプションは経理に限定すると、マッチした人が取れるし、高くとも1000万ちょいぐらいで取れるとは思う。
一方、CFO=IRや経営企画寄りだと、M&Aやるとか増資繰り返すことが前提だと投資銀行やファンドと人材が競合するから高い。年収幅も広くなる。ただ、このジョブだと、経理みたいに日常業務がないから、投資やIRの考え方が、社長と合わないとか、社長自らそれをやるみたいな話になると、要らない人材=高い人材になってしまう。
そして、その場合のCFOはとくに能力的にそのジョブだと社長以上の人が多いから、要らないどころか邪魔になったりもする。
このタイプは孫さんが以前、招いた後継者に「ごめん、俺がやっぱりやりたい」と宣言してパッケージ出したように、スッパリ辞めてもらうのがベストだと思う。引きずれば引きずるだけ、社内にしこりを残す。
CFO=管理部長、コントローラ(マルチジョブCFO)の場合、株式総務、コンプラ、内部監査、IRとかを全てを見るプレイングマネージャーとするとおのずと報酬は高くなる。複数部署のマネージャーを一人でやってくれる人であれば、その部署のマネージャークラス3名をとるか、個別1名取るかとの比較になる。ただ、個別1名の場合、上場直後ぐらいまではコスパもよく、とても効率的にワークするけれど、組織が大きくなってくると、工数的に回らなくなる。そして、それを補うように個々にマネージャーを取るとこのCFOはいらなくなるので、その方の勇退への道をしっかりと用意するか、次の組織ステージでなにをやって貰うのかをしっかりと考えるておく必要がある。

以上 (出典:佐藤鉄平氏のSNS)

冒頭の画像は GOOGLE にて 「CFO 画像」で検索して、拝借しました。

☆Is there any valuable or breakable in this luggage? No? Ok! Have a nice run!!

2023-03-06 09:02:07 | social
●昨日は
ほど良い気候で、ランナーの皆さんも走りやすかったでしょう?・・・
東京マラソン2023

猫ひろしさんも 自己最高記録でしたね~
おめでとうございます。

やはり、ランナーでなくったって、こういうお祭りイベントに、いちメンバーとして参加できるのは本当に楽しいですね。
ボランティアは朝一の新宿スタート
恰好をつけたわけ・・・ではないけれど、少しは英語を使えるよ・・・
とボランティア応募の際のポイントに加えておいての 朝 新宿6時半

ボランティアリーダーさんから、このグループに荷物を預けるランナーさんには
海外からのランナーさんがいます  といわれ、
英語のできるという方は、対応してくださいねといわれる・・・・ (;^_^A

といわれたとおり、お預かりしたランナーのそうね、3分の1以上は外国人のランナーだったでしょうか?

荷物預り時のチェックは
1.ゼッケンと荷物を入れたビニール袋の番号の照合
2.シューズのチップはついているかの確認
3.最後は、その荷物に貴重品やこわれものは入っていないかの確認
でした。

ま、3.は 入っているよ! といわれても困るんですけどね・・・
しかし、この貴重品、こわれもの 入っているか? の確認の会話が、これがもう、なかなかのくせものでして・・・
いや、なに 貴重品やらこわれものやらの 英語発音がどうなのか ン?何言ってんのとかでして・・・・

もっとも、外国人の方々、東京まで来て走ろうというから、そこはほんと荷物預けも 慣れているって感じですね

ひとによっては、自分で荷物を該当の番号のゲージにおさめて、さっさと立ち去ろういう方もいて、、、
おいおいちょっと待って~ ゼッケンと預け荷物の確認をさせてね とこちらが慌ててしまう始末。

それではかくに~ん!

ボランティア:はい、ゼッケン、袋 大丈夫ね・・・で貴重品(valuable)はこのなかにはいってませんか?
ランナー:はい なんですか?
ボランティア:いや、あの貴重な品は?
ランナー:貴重なのは私自身ですが・・・なにか?
ボランティア:そりゃ確かに、あなたは貴重品ですわな・・・。

ボランティア困る・・・

いや、あの・・・ですから ん、まてよ
is there an important thing in it ?  ではどうかな?

ランナー:(笑)大大丈夫よ はいってないや・・・笑
ボランティア:じゃあ、がんばってくだね~!! ランナーゲートは向こうね・・・・
Good luck !!

なんかね~ 参加にもなれた 外国人ランナー

荷物預けひとつでも、なにか、会話やらコミュニケーションを楽しもうとしてるんだね・・・ 
いや。こっちもそれに乗っかるけどね・・・

ほんに楽しい、東京マラソン ボランティアでした。

☆I talked to my son about my lessons when I learned in my childhood.

2023-03-03 08:36:40 | social
●とうさんは
いつ頃、ラグビーを習っていたの・・・

親子そろって、ひばじ(ひばりが丘の二郎)に1時間並び、車でわが子の家まで行く途中での会話です、昨晩

父:うーん、小学校低学年から6年まで、小学生のときだな
子:どこの
父:兵庫県ラグビースクール 神戸三宮の駅近くの磯上グランドだったな、練習は
ラグビーは当時人気はあったけれど、まだ、学校でのクラブ、とくに小学校や中学校にはなかったと思うからね
兵庫県の医師会だったかがお手伝いしていた、この県のラグビースクールに通っていたんだ。

子:へぇ、そんなのあったんだね
父:もっともいまでこそ、あのときラグビーやってたと語っているけれど、当時はその練習に行くのはあまり好きではなくてねぇ
自分からラグビーをやりたい、なんて言った覚えはないよ

子:そういや、とうさんの子供の頃の習い事の話とか聞いたことなかったな・・・

なんてなことで、ちょっとわが身を振り返って、その習い事とやらを息子に語りました。

西宮の母も一生懸命、私にいろんな経験をさせたかったんだろうな
YMCAのスイミングスクール、お習字の教室、お絵かきの教室、英語アルファベットの基本(あ、これは母の田舎上郡でね)
YAMAHAのオルガン教室は小学校あがるまでの3年間教室で皆勤
あとはなにやら、YMCA の船舶一泊研修にたしか、小学3年以上のところ、小学2年生で参加して、すごく心細かったっけな。

もう、あとは覚えていないや
やはり、神戸に住んでいるときにいろいろやっていたんだな
西宮に移ってからは、学校主体の行事、クラブへの参加だもの

ただね、中学も高校も大学も、いわゆる受験勉強時期が絡んでいたから、中途半端だったんだな
中学校は卓球クラブ  1年の最初はねぇ、1年生メンバーのナンバー2にも番狂わせで勝ったりなんかして、新人戦レギュラーだったような気がするのだけれど、2年からは受験モード

高校は硬式テニス部 こちらも1年の時は、とてもうまかった、「岡部くん」とダブルスくませてもらって、当時西宮では強かった(いまはどうだろ)甲南なんかの私立高に勝っていたりしたんだけど 
しかも、かつての名門、香櫨園テニスクラブの会員だったんだよ。

これも2年からは受験モード

だったなぁ
ただね、いわゆる学習塾はなぜだか、いろんなところ行ったような気がするわ
たぶん、母もそれの情報はあんまりなかったんだろうな・・・西宮

ここが、当時の40年以上前の 西宮と神戸の教育に対する考え方の違いだったのかもしれないな

なんてことを思い出しながら、 わが子に語ったものですから、
せっかくだから、ここに書き留めておきますわ。

これから、わが子もさらに、その子の教育を考えていくんだものな・・・

いやらしかし、全然話がかわってしまうけれど
この習い事の親子の会話をして、思い返したんだけれど
私は、亡くなった 西宮の父には、父の習い事の話は聞かなかったな・・・

彼も、一人っ子でやさしい母(祖母)に溺愛されていたと思うのだけれど、どうだったんだろうな

そんなことを思浮かべていた、昨日の ひばじいただいたあとの車のなかでした。

冒頭お写真は
車降りてのわが子宅でいただいた、 イチゴ大福と道明寺(桜餅) 美味かったな。

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