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武蔵野つれづれ   第3の生活を自由人として

中国での体験記を記して参りましたが2012年の秋に帰国しましたので、これからは武蔵野での生活を徒然なるままに書きます。

第59話 新旧がいきなり入れ替わる街 上海

2012-08-12 17:56:04 | その他の中国都市

上海は近代ビルの建設ダッシュである。現在中国で一番高いビルは上海環球中心ビルで492m。屋上にある展望台は世界一の高さそうだ。その横に632mの上海センタービルが来年の完成を目指して建設中。完成すれば、ドバイに次いで世界2番目の高さだそうだ。

高さだけでなく、ビルのデザインも見事である。日本の高層ビルは耐震構造にしなければならない事もあり、直方体の味気ないデザインだが、上海のビルは、斜めの線を使ったり、大胆なオーバーハングもあり、見ていて楽しい。


左の栓抜き型のビルが上海環球中心ビル。真ん中は建設中の上海センタービル。

 


未来都市を思わせる姿で、上海のシンボルとなった東方明珠塔。周辺の施設や色彩にも気を配られている。


新旧がいきなり入れ替わる街。一区画ごとそっくり立ち退かせて超近代ビル街に生まれ変わる。この荒っぽさは、日本では考えられない。
是か非か ?


第56話 パリ -- オルセー美術館とオペラ座

2012-06-19 00:21:42 | その他の中国都市

フランスへ行った時のことを書きます。我々の業界では機械展示会が毎年春に、パリ・ミュンヘン・ラスベガスの3都市で順繰りに開かれます。今年はパリの番で6日間開かれました。自然院は業界動向を調査するために10日間滞在しました。そして激務の合間を縫って市内観光もしました。

今回のお目当ては、オルセ美術館とオペラ座です。自然院がこの博物館を初めておとずれたのは、1981年。もう30年以上も前です。その頃は、印象派美術館という名前で別の場所にありました。その後オルセ駅跡の現在の場所に引っ越しました。ルーブルに比べるとコンパクトな割に名画が目白押しで効率よくまわれるので、気に入っています。もう10回くらい来たので、どの絵がどこにあるかは大体頭に入っています。シスレー、ピサロ、セザンヌ、コロー ・・・・・ 好みの絵の前に来ると、やあ暫く!という感じです。昔の恋人に会ったという感じでしょうか。しかも昔のままで、年もとらずに暖かく迎えてくれます。

今回期待したのは、つい最近リニューアルしたからです。壁の色を寒色系にして採光に自然光線を取り入れるなど工夫してあり、確かに見やすくなっていました。

 

オペラ座は今回幸運なことにバレー初日の切符が入手できました。開演中に中へ入るのは初めてです。中は劇場というより王宮という感じでした。ロンドンのロイヤル・アルバートホール、ウィーンのスカラ座、ミュンヘンの国立劇場などヨーロッパの名だたる劇場を見てきましたが、やはりパリのオペラ座は別格。欧州貴族文化の粋を集めた空間という感じがしました。

 

 

   

今回は春だったので、改めてパリの並木の若葉の美しさが光りました。やっぱりパリは色彩豊かな街なのだと認識した次第です。

  

 

 


第55話 ドイツ出張

2012-06-06 23:39:53 | その他の中国都市

5月は3週間ドイツ支社へ出張しました。ドイツ支社はデュッセルドルフとケルンの間の静かな郊外の村にあります。村は周囲を壁で囲まれ、教会や家々のたたずまいは中世そのままのオールドタウンです。村の出入りは右下写真のような門が2か所あります。

  

 

 ホテルも蔦の生い茂る趣のある建物です。右下の写真は部屋の窓から眺めた景色。

 

村の後ろはこんもりと生い茂った深い森と池のある公園です。子供や犬を連れて遊ばせる人、ランニングする人、自転車に乗る人、馬に乗る人・・・・実に多彩です。ドイツ人は自転車を列車に乗せることができるので、遠くから自転車で遊びに来る人も多いようです。それも若い人とは限らない。中年も老人も。思い思いに楽しんでいます。

  

 

この季節は若葉が薫る。澄み切った空気の中で若葉がキラキラと輝いていました。日本よりずっと淡く潤沢な感じです。たまたま、この季節は白アスパラの取り入れ時期でした。レストランではこの季節限定のアスパラ料理が出ます。ドイツ定番のビール・ワイン・ソーセージに加えて旬のアスパラ。もう至福の時です。

 

自然院の老後は、豊かな自然の中で、走ったり本を読んだり知人と談笑しながら美味しいワインを好きなだけ飲んだりと気ままに過ごすことが理想と考えていました。ひょっとすると、その理想がここで一気に実現してしまったのではないかとふと考えたりしました。 確かに恵まれている。自然環境だけでなく、村人も親切です。他人に親切になるには、やはり人間は余裕が必要なのでしょうか。恒産なくして恒心なし。 

こんな恵まれた所に出張に来るなんて罰が当たるのではないかと思うくらいでした。例えてみれば、軽井沢の高級リゾートホテルで(いやもっとスケールは大きいが)仕事をしているようなもんです。

 前に行ったインドと比べると天国と地獄。なぜ地球上にこの二つがあるのだろうかと考えたりします。日本と中国はこの間かなあ。日本はややドイツに近いか。でも将来にも近づけそうにないように思う。日本も経済力では追いついたことになっているけれど、それはGDPとか数字だけのことであって、この豊かさと余裕はない。

ドイツは、人口は日本の6割、国土は日本の9割。しかし込み具合は全然違います。日本の平地は海岸線に沿って猫の額ほどしかないが、ドイツは南部のアルプスの麓を除けば大部分が平地かなだらかな丘陵地帯です。日本は東京・大阪などの巨大都市を中心に中小都市が連なり一体化した都市圏を形成しているが、ドイツは全土に個性ある中都市が分散しています。感覚的にいうと、都市から車で20分も走れば緑豊かな公園のような田園風景が広がり、また20分走れば別の雰囲気の都市に入るという感じです。日本はどこまで走っても同じような家々が連なっているだけですが。

滞在中にドイツ人から「日本は電力はどうするのか?」と聞かれました。「原発なしでもどこまでやってゆけるのか模索中だ」と答えると、「ドイツは石炭を自給しているから脱原発を宣言した。日本はそれが出来ないだろう」と痛い所を突かれました。火力発電だけでなく、郊外には風力発電塔があちらこちらに見えます。脱原発を宣言するには、それなりの準備を進めていたんだと実感しました。日本は議論ばかりでアクションが遅い。

 


第53話 上海のスーパームーン

2012-05-06 23:37:21 | その他の中国都市

桜、菜の花と続きましたので、次は ・・・・・ そうだ月だ。と思っていたら、今年5月5日の月は地球に接近して通常より大きく見えるスーパームーンだそうな。そこで写真を撮りました。日本で見る月も中国で見る月も同じです。
   天の原、ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも。
少し望郷の思いです。


300mm望遠、ASA1200


第49話 桂林(3) 龍勝棚田

2012-02-27 21:16:22 | その他の中国都市

桂林から車で約1時間。龍勝各族自治県に棚田がある。「各族」とは妙な名前だが、ミャオ族、ヤオ族 トン族、チワン族など少数民族が住む地域ということらしい。元代から現在まで300mから1000mの間の山を開墾して作ってきたとのこと。
棚田観光は急勾配を登らなければならないから大変である。急斜面だから棚田にせざるをえなかったわけだから当たり前だが、開墾した人の苦労を思いながら、休み休み登ることにした。

下の写真は、七星伴月と呼ばれる棚田。7個の頂上が星のようであり、月を伴って見えるということらしい。

次の写真はバウムクーヘンか菱餅のようにも見えたが。長い縞が美しい。

この地域の名物ということで、竹飯を頂いた。竹にご飯を詰め蓋をして竹ごと火にかざしたり、湯につけたりして蒸し焼きになる。

  
[左]竹飯  [右]湯で温める。

 
チマキのような竹飯のある。


ベーコンではありません。近くで取れる石です。土産物屋さんで。

 


第48話 桂林(2) 陽朔

2012-02-14 21:09:24 | その他の中国都市

漓江下りは桂林から始まり陽朔で終わる。陽朔には昼過ぎにつくので、たいていの観光客はバスでその日のうちに桂林へ帰る。自然院は、あえて陽朔で一泊した。少し俗化した桂林よりも、陽朔の方が山水画のイメージに近いと聞いたからである。

昔ながらの村落と畑と例のトンガリ山の間を、竹筏でゆっくりまわってくれると浮世を忘れた気分になる。刈り入れ時の農村の風情を楽しんだ。観光用だが鵜飼実演もあった。

 

 


第47話 桂林(1) 漓江下り

2012-01-05 22:39:34 | その他の中国都市

直角近くに切り立ったトンガリ山が林立する間を巡る漓江下りは、以前から中国で最も行きたい所の一つであった。その出発点である桂林市に着いた。街中にも屹立する山がある。その急斜面を上って遠方を望むと、シャープに切り立ったトンガリ山の群れが見える。おおこれだ!。明日の川下りが楽しみだ。

 
[左]桂林市にある屹立する山   [右]市内から遠くに見えるトンガリ山の群れ

漓江下りの船は9時半ごろに次々に桟橋を出る。ほとんどは中国人向けの船だが、我々は外国人向けの英語ガイドの船に乗船。小雨の中の出船となった。途中で雨は上がったが遠くは霞んで見える。山水画の世界だから、多少雲がかかっている方が奥行が感じられて良いのかも知れない。次々と変わる風景に見とれていると、終着点の陽朔までの約5時間があっという間に過ぎた。以下に、写真をたっぷりお見せします。
(漓江はどこを撮っても絵になる。どの写真を割愛するか、今回ほど選択に苦労したことはありません。)

 

 
[左]竹筏に乗ってやって来る物売りのおじさん
[右]客があると観光船にピタっと横付けして物を手渡せるようになっている。おじさんと観光船はグルなんだ。

 

 


第45話 玉龍雪山 標高4600mに登る

2011-12-10 23:35:18 | その他の中国都市

麗江から車で一時間、玉龍雪山の麓に着く。麓といっても既に3356m。富士山の八合目よりも高い。ここからロープウェイで3kmを30分かけて4506mまで登る。途中から森林限界を超えて緑が消え岩と氷河のみの世界に入る。
ロープウェイの山頂駅から登山道に従って、4636mにある展望台まで歩いた。

 
【左】ロープウェイ山頂駅。ここで4506m。  【右】展望台まで歩く人の列が蟻のように見える。多く見られる赤いヤッケは、地元でのレンタル。(これでも季節は8月なのでヤッケを持参しない人もいるので)

自然院の一生で、これまで一番高い所は、モンブランのエイギュデミディ・ロープウェイ駅の3842m。それを遙かに上回る。少々息が苦しい。酸素ボンベを買い、酸素を吸いながらゆっくり歩く。それでも高山病にかかる人は多いようだ。
身体を張っての観光となったが、それに見合うものすごい景色だった。


第44話 雲南旅行(4) 麗江

2011-11-27 18:16:10 | その他の中国都市

 大理からバスで3時間半。麗江に着く。ここは標高2400m。雪解け水が集まる落ち着いた街である。800年ほど前からチベットとの交易路茶葉古道の要所として栄えた街で、今でもオールドタウンにあたる古城地区は昔のままの家並みが保存されており、世界遺産となっている。

 
古い屋根の甍が連なる古城地区。

街中を水路が網の目のように張り巡らされ、その水は生活用水となっている。

 
【左】水の街のシンボル、巨大水車    【右】水路で食器を洗う。

水の街らしく魚料理が多い。魚は火鍋といって野菜などを混ぜて煮る料理や、揚げ物にする。

 
【左】川辺のレストラン 
【右】魚料理を注文したらコックさんが前の池から魚を捕って来てくれた。これを食べるんだ。新鮮!!

街中は、日本でいえば飛騨高山か萩を大きくしたような感じ。売っている物は、ほとんど観光客向けの土産か飲食店である。生活の匂いはあまり無い。まあ、こちらも観光客だから、それでも良いが。

 

 
【左】古城入口  【右】寺院の柱。この太さに圧倒される。

この地区にはナシ族という少数民族が住んでおり、象形文字であるトンパ(東巴)文字を使う。このトンパ文字、エジプトの象形文字と比べると、例えば動物の目など実に可愛いく、好感が持てる。若しこれが中国の国語になっていたなら、中国も日本も今とは随分違った文化になっていたかも知れない。

 
幼稚園の子供の絵のようなトンパ文字。実に可愛い。

「ナシ族の宮廷料理屋」という意味の看板。上段にトンパ文字が書いてある。
「西」は陽が傾いている様を、「官」は家の中で人がいばっているような、実に微笑ましい文字だと思う。

 

 


第43話 雲南旅行(3) 大理石のまち大理

2011-11-03 22:38:37 | その他の中国都市

大理へ行きたいなと思ったのは、白く輝く大理石でできた塔の写真を旅行案内で見た時からである。9世紀に崇聖寺という大きな寺が建てられたが、残っているのがこの3塔だけだという。実際に目のあたりしても、辺りを圧するような崇高な姿である。

 

 

 

 

 

大理のオールドタウンは1km余四方の城壁に囲まれた中にある。建物は昔の姿のままに保ち、きれいな川が町中を流れ、風情がある。

 

 
【左】オールドタウン:向こうに見える塔は城壁の大門。 
【右】石材屋さん:近くの山から切り出した石を大きなカッターで切る。天然大理石の出来上がり。

 


第42話 雲南旅行(2) 西山公園と昆明料理

2011-10-13 15:46:03 | その他の中国都市

1.西山公園

昆明のもう一つの名所、西山公園に行った。昆明の対岸の絶壁にある。ほとんど垂直に切り立った壁面に作られた細い道を上ると龍門がある。登龍門とは、ここから来たらしい。

 
【左】ほとんど垂直な絶壁に作られた登山道。昔、手掘りでよくも作ったものだと感心する。
【右】龍門。「龍門」と書かれた額の下にあるのは龍の玉で、これに触れると幸運に恵まれるという。

  
【左】横から見た龍門付近。やっぱり怖い。 【右】昆明ダック。蟹股にされ、何とも哀れな格好のダックちゃん。

2.昆明料理

ガイドさんのお勧めはこの昆明ダック。「北京ダックより美味しいですよ」と言われたが ・・・ コスト・パーフォーマンスから考えればそうかも知れない。ネギと岩塩を付けて頂く。

もう一つの昆明料理は、具を選べる麺。15元(180円)から65元(780円)まである。ものは試しと一番豪勢に65元のを注文したら、出て来たのが左下の写真。これで二人分。まさに具ダクサンだ。数えたら19種類ある。黄色のドンブリは熱湯スープで、器も熱くしてあり容易に冷めないように工夫されている。そこへ麺と生肉・野菜など全ての具を入れて、しばらく熱が通るのを待って頂く。
どういうダシなのか、実に美味かった。

 

 

 


第41話 雲南旅行(1) 昆明 石林(世界遺産)

2011-09-26 22:46:37 | その他の中国都市

中国の最南の地、雲南省へやって来た。ベトナム・ラオス・バングラディッシュに囲まれている。そんな南だったら暑いのでは ・・・・ と思われるかも知れないが、ここはヒマラヤ山系の東端に位置し3000m程度の地にあるので、夏でも最高温度20度くらいである。冬は15度くらい。春城と呼ばれる常春の地である。だから、真夏の8月に5泊6日で訪れた。 

まずは昆明。真夏の上海から来ると、涼しい風の心地良さをまず感じる。街を歩いて目についたのは、黄色とピンクの花が咲き誇る街路樹である。木の名前は何か? 地元の人に聞いても、良く分からない。街のシンボルにしても良さそうな花だが。

 
真っ黄色の花を付けた街路樹。エンドウ豆のような実がぶら下がっていた。

 
ピンクの花を付けた街路樹。

翌日、お目当ての世界遺産、石林へ行く。昆明から車で一時間半。カルストの石灰石地帯で、文字通り石の林である。

 
石林公園の入り口

 
[左]石の林の中を歩く           [右]岩の名は「危機一髪」

 
[左]少数民族サニ族の衣装を付けた娘さん   [左]頭に帽子を載せたような奇岩


 上海では見られない抜けるような青空に石灰岩が映える。
  

 


第40話 南京旅行(3) 明孝陵と中山陵

2011-08-28 23:34:49 | その他の中国都市

南京郊外には大きな陵が二つ並んでいる。明孝陵と中山陵である。

まず、明孝陵へ行った。ここは明王朝の元祖、洪武帝を祀ってある。14世紀に30年の年月と10万人の人手をかけて造築したそうだ。参道は石像道と呼ばれ、石獣12対が並んでいる。一つ一つの石獣は一つの石で出来ており、その大きさに驚かされる。

 

 
石像道           一個の石から作った石像。デッカイワア!!!!

  


太祖を祀る本殿。この高さに圧倒される。

 

 

【左】本殿にある太祖(朱元)の肖像

【右】朱元をトレードマークにした酒のラベル。下顎が出て、眉毛が逆立った好漢。 

 

 

次に、中山陵。中国近代史上の人物としては孫中山の人気は絶大で、中山公園や中山広場など中山を冠したスポットが至る所に在る。日本では孫中山ではなく孫文と呼ばれている。逆に中国では孫文では通じない。

 

なぜ、孫文が孫中山になったかについては、面白いエピソードがある。孫文は清朝を倒す策略を日本で画策していたが、ある時旅館に泊まろうとしたら宿帳に名前を書くことになった。孫文は清朝から国際手配されていたので、本名を書くわけにはいかない。何という名前にしようかと思った時、日頃気に入っていた中山男爵の庭をとっさに思い出して孫中山という名前にした。その後、中山を雅号にし、中国では孫中山を名乗るようになったということである。三民主義を唱え辛亥革命を指揮し、中国民国を設立する立役者となり、中国で最も人気ある人物がかくも深く日本と関っているのに、今の中国では日本との関わりを積極的に認めようとしないのは、ちと寂しい気がする。

もっとも、「蒼穹の昴」では、孫文は理論派としては優れているものの、革命実行家としてはイマイチという風に描かれているが。歴史的評価は多様である。

  
中山陵正門。門の奥にある建物を越えて坂を登る。道は遙か。全ての白壁と青瓦で色が
統一されているのは清々しい。青天白日を表しているという。
一政治家である孫文の陵が隣の明朝皇帝陵と同じ大きさというのは、ちょっと驚く。

 
祭堂までは長い長い階段を上る。


孫文の棺。

 

 


第39話 南京旅行(2) 科挙と蒼穹の昴

2011-07-31 18:07:31 | その他の中国都市

南京には江南貢院という古い建物が残っている。これは中国最大の科挙試験場であり、最大時で2万人が受検したそうである。

 


2万人収容の科挙試験場の写真 (江南貢院 展示場にて)

  

 実は、日本文化の追求をライフワークとする自然院としては中国の科挙制度の大きな関心を持っている。そのわけは:

日本は中国から多くの文化・制度を学んだけれど、科挙制度と宦官制度だけは取り入れなかった。同じ中華文化圏でも、朝鮮やベトナムとはこの点で異なる。そしてこのことは、その後の日本文化を特長付ける大きな要因となった。宦官制度が無かったから、源氏物語のような王朝文化の花が開いたのだし、科挙制度が無かったから中国より早く封建社会から脱して近代化に成功したと思っているからである。

 科挙は身分に関係なく誰でも受検出来る。つまり有能な人材を登用する機会を遍く与えるという点では平等な制度と言える。しかし、その試験内容が問題である。四書五経など膨大な古典を丸暗記しなければ合格できない。経済や行政実務を行わなければならない高級官僚たちに、古典教養など何の役にたつのか?そんな丸暗記の秀才ばかりを集めたからこそ、中国は近代化に遅れを取ったと思う。 

 それはともかく、科挙は国家的大事業であった。どのくらい凄まじいものであったかは、最近愛読している浅田次郎の「蒼穹の昴」にも生々しく出ている。それによると、科挙を受ける者は先ず予備試験として、県試・府試・院試・歳試・科試を合格しなければならない。院試を合格しただけでも「生員・秀才」の称号と不逮捕特権が与えられたというから、かなりのものである。

次に本試験として各省で郷試が行われる。これは3年に一度行われ、100倍の競争率だったそうだ。合格すると挙人と呼ばれた。次の会試は首都で行われるが、皇帝の行事であるということから、挙人の旅費には公費が出たそうだ。

「蒼穹の昴」には、挙人が「挙人様会試ご受験」という旗を押し立てて数十人の一行が籠で首都に向かう話が出てくる。途中立ち寄る村々では、村長などがもてなしに出てくる。挙人様の御尊顔を仰ぎたいのと、将来本人が出世した時に覚えよくしておこうという下心からである。清朝時代の会試では2万人もの挙人が受験し、その中からの合格者は300名という厳しさだったそうだ。
今の日本で例えてみると、上級国家公務員試験と司法官試験と国会議員選挙に同時に受かるようなものといえようか。

 

 試験は23日がワンサイクルである。初日は入場作業だけで費やされる。2万人もの受験者を不正防止のため入念に身体検査し、ひとりひとりを号舎と呼ばれる独房に誘導するのだから1日仕事だったらしい。受験生は、筆記用具のほか3昼夜を過ごすための夜具や炊飯用具を此処へ持ち込む。鶏小屋のようなつくりだから、冬は暖を取る用具、夏は蚊対策が必要である。翌日早朝に問題が配られ、翌々日の夕方にかけて試験の答案を提出して引き上げる。このサイクルを連続3回、即ち合計9日で試験が終了する。

  

号舎の実物大の建物とマネキンが設置されており、当時の受験の様子が窺われる。

 

  

受験者は 2泊3日をこの中の独房で過ごす。寝たり、書いたり、食べたり ・・・・・・。

 

 

 その後の採点作業が、また大がかりだったようだ。全員の答案を係員たちが別紙に書き写し、受験者名の代わりに受験番号を付す。答案の解答者が誰であるかを筆跡から分からないようして、採点者達に情実が入る隙を作らないためである。この採点作業に一ヶ月半を要したらしい。

 

 

 

 随の時代から清王朝末期まで、この大がかりな科挙は1500年ほど続いた。試験は厳しいが、一度合格してしまえば賄賂に囲まれた安楽な一生を送ることができた。清朝末期に列強の侵略を受けると、さすがに皇帝もこの形式主義の弊害に気が付き廃止されたが、科挙を唯一の生涯目標にしていた若者達の中には自殺者が多く出たという。

とにかく、中国はやることが大袈裟である。

 

左下は、合格証(瀊尚志という人が98番目で郷試に合格したことを示している。) 右下は試験場にあった石碑。好きな字体なので掲載する。

 

 

 


第33話 巨大地震と福島原発と中国と

2011-04-17 17:45:35 | その他の中国都市

  このブログも一ヶ月ほど御無沙汰をしていた。実は地震のニュース映像を見る度に気が滅入っていたのと、海外出張も重なり目まぐるしい雑事にかまけて書く意欲が大幅に殺がれていたからである。
しかし、これだけの災害であるから、自然院は何を考え、どんな行動を取ったかを読者に対して明らかにしておく必要があると思う。

ただこのブログでは仕事の事はあまり書かないようにしてきた。(関係者に迷惑がかかるのを避けるため。)今回は若干触れざるを得ない部分があるのだが、差し障りの無い範囲で述べてみることにする。

 

 地震発生から一週間ほど経った頃、原発は「空炊き」状態で、緊急に「冷やす」ことが求められていた。ヘリで上空から散水したり消防車から放水する苦肉の策が講じられていたが、ニュースを見て「二階から目薬」という感がした人は多かったと思う。

 実は、自然院が勤める会社では
60mの高さまで生コンクリートを圧送できる機械を作っている。この機械を作っているのは、世界でも当社とドイツに1社しかない。「この機械ならピンポイントで原子炉に水を掛けられるのではないか」と当社の何人かが思った。


 これを行動に移したのは当社の東京駐在員(中国人)である。彼は
T電力本社をある朝訪問し機械の説明を行った。その日の午後、T電力から「機械を購入したい」との意向が示されたので、彼はその旨当社本部に伝えた。それを聞いた会長は「直ちに無償提供しよう」と即決を下した。工場では丁度1台在庫があったので、その日の内に日本向けに改造し翌日出荷した。
50tを超える巨大な自走式機械は湖南省の工場から上海までの陸路1000km超1昼夜かけてひた走り、翌日船に乗った。2日後大阪港に上陸後、簡易通関を経て2時間後にはパトカーに先導されて、名神・東名を走り出し、T電力に引き渡された。当社関係者もよくやったが、行政側の協力も異例で、驚くべきスピードで事が運んだ。

 

 

 長い首の先から放水する当社の機械はキリン作戦と名付けられ、新聞・TVでも広く報道された。また放水だけでなく、原子炉の撮影などにも役立っていると聞く。日本の危機を救うため、また日中友好のためにもいくらかでも貢献できたことは嬉しくもあり、誇りに思っている。

自然院はアメリカ出張中であったが、本件のため急遽東京に転進させられT電力との折衝に当たった。
それにしても、原発事故は早く収束して欲しいと心から願う。