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武蔵野つれづれ   第3の生活を自由人として

中国での体験記を記して参りましたが2012年の秋に帰国しましたので、これからは武蔵野での生活を徒然なるままに書きます。

第十四段 サウジアラビア センチメンタル・ジャーニー 

2020-04-03 15:44:07 | その他の中国都市

 20202月、サウジアラビアに旅行した。実は筆者は40年前に5年間この地に駐在した
ことがある。当時はオイルショック直後で、サウジ市場は急拡大し、筆者の勤務した
機械メーカも全社売上の1割近くがサウジアラビア一国で占められるまでになった頃で
ある。

 その後、この国にもう一度行きたかったが、サウジは観光ビザを発行しない稀有な国
なので再訪は叶わないでいた。観光ビザを発行しないのは、潤沢な石油収入があるので
観光収入を当てにする必要は無いし、変に観光客が増えて
イスラムの風紀が乱れても
困るという、聖地メッカ・メディナの守護者を自任するこの国特有の事情のためで
あった。

 しかし近年、現皇太子が実権を握ってからは、開明的な政策が打ち出されており、
観光ビザ発給もその一環である。ビザは数年前に一度発給開始となったが、すぐに
中止された。昨秋再開されたので、今度も気が変わらぬうちにと団体ツアーに参加
した次第である。

 確かに変革が表れている。例えば、女性の権限拡張も顕著である。以前は、サウジ
女性は働く事を禁じられており、女性しかできない仕事(女子校の女教師、スチュ
ワーデスなど)には外国人女性を雇っていた。それが今回は、現地ガイドにもサウジ
女性がおり、にこやかに応対してくれたのには驚いた。

 また、かつてのサウジ人は、企業のオーナとして君臨し(オーナはサウジ人しかなれ
ない)、外国人に実務を任せて自分は金勘定だけに徹するというイメージが強かったが、
今回は仕事に精を出しているサウジ人が多く、驚いた。教育が行き届いて実務をこな
せる普通の国民になってきたという当たり前の事かも知れないが、隔世の感である。

 

サウジアラビアの観光の魅力は次の2点だと思う。

1、エジプト・メソポタミアに繫がる古代文明を観察する。
 交易で栄えた古代人の生活。(今回4か所の世界遺産を訪問)

2、砂漠という過酷な環境下で生き抜く悠久の自然観に触れる。
 ナツメヤシ、子羊肉、ラクダ乳の3つがあれば、人間の栄養は完璧という。
 砂漠でも生き抜けるという遊牧民のプライドが、特有のアラブ魂を作った。

 

ドバイ

直行便がないので、隣国のドバイを経由する。乗継ぎまで半日あるので、街周辺を観光する。

 
 (左)世界一高いビル・ブルジュハリファ、高さ828m 
 (右)リゾートホテル・アトランティス

一言でいうと「砂上の楼閣」。金があればこんな事ができるという見本のような国である。
超豪華だが、ひと気はほとんどなく「生活の匂いのしない」街である。それでも、建設
ラッシュは続く。買えば値上がりするので、買い手は後を絶たないそうである。

自転車操業しなければ生きてゆけない国もあれば、こんな国もある。同じ地球上で。

 

リヤド・ディルイーヤ (世界遺産)

1774年第一次サウード王国の建国から、1818年オスマン帝国に降伏するまでの首都。
宗教学者ワハーブを迎え、現在の国教ワハーブ派(スンニ派)がここで形成される。
ワジ(枯れ川)を挟む谷に、日干し煉瓦を重ねて建築。


ワジ沿いにはナツメヤシが生い茂る


先頭を歩くのは35歳の好青年サウジ人サルマン君  

 

ハイル・ジュッバの丘 (世界遺産)

かつては緑豊かで、湖があり、ネフド砂漠の人や動物の水源となっていた。一万年前
に描かれた岩絵や碑文があり、当時の生活がうかがえる。


岩絵を求めて坂道を行く

 
 
右下の絵では、王様に家臣が跪いている。人間の動作が描かれている珍しい絵。
その他の岩絵では、やはりラクダが多い。

アラブの食事


シャイ(紅茶)

 
(左)ずらりと並んだ料理 (右)ナツメヤシてんこ盛り(真ん中はラクダ乳のバター)

 
(左)歓迎の場で定番のガホア(アラビアコーヒー)(右)コーヒーの焙煎・ミリング実演


ラクダ駆動で井戸水の汲み上げ実演 (ラクダに生まれなくて良かった)

ウラ・ダダン

BC6~5世紀、紅海・キャラバン交易のオアシス都市として栄えた。岩絵・碑文が多い。

 


サハリリゾート・テント・ホテルに宿泊

 

ヒジャーズ鉄道駅


旧ヘジャーズ鉄道駅。アラビアのローレンスが破壊しまくった駅舎を復元。

マダインサーレ (世界遺産)

今回のハイライトの考古遺跡。BC1世紀からAD1世紀、ナバティア人が山岳信仰の
対象として建造した。ペトラの次に栄えた都市。


鷲の神ドゥシャラと休憩所と言われる巨大な洞穴

 


一つの岩に何人かの墓を共同で掘った所が多いが、巨岩一つを丸ごと一つの墓に使った
この有力者の墓は圧巻。上部から掘り進んでいったが、予算が尽きたのか下部の細工
には手抜きが見られる。



エレファント・ロック 文字通り象形、右は警備の騎兵隊。


トヨタ4輪駆動車6台に分乗して砂漠を跋渉する。砂塵を巻き上げての坂道疾走はかなり
迫力ある。


二人の踊り子岩

ウラ旧市街


旧ウラ市街 日干し煉瓦の住居跡

メディナ


聖地メディナ Start of Haram Area の標識。ここからは、我々異教徒は立ち入り禁止。

ジェッダ

聖地メッカ・メディナへの紅海の入り口として栄えたサウジアラビア最大の商都。
筆者も駐在していた。昔住んでいたアパートへ立ち寄ったら、当時の門番の息子
さんが門番をしていたので驚いた。


世界一高い噴水。海面260m。ファハッド元国王の寄贈。ジェッダの夜のシンボル。

 


旧市街バラド地域への入り口メディナ門




伝統的なアラブ家屋。珊瑚岩製ブロックを積み重ねて壁を作り、木製の装飾窓、
ベランダで風通しが良いように工夫されている。そして女性は外からは見られないが、
自分は内から見ることはできる工夫も。世界遺産


典型的なアラブ室内、絨毯を敷き詰め、社交の定番シャイ道具を置く

メッカ


高速道路から聖地メッカへの入り口の標識。非モスレムは直進せず迂回する
よう警告している。

以上です。

 


第十三段 南米最南端パタゴニア  

2019-05-01 22:12:03 | その他の中国都市

南米の最南端パタゴニアへ行きました。成田から2回乗り継ぎ、延べ30時間。見どころは、世界最大の氷河ペリト・モレノと山岳国立公園パイネです。ここから南極観光の砕氷船も出ています。実は、南極へ新造船で処女航海し野宿するツアー企画があり、昨夏に予約したのですが、船の完成が遅れ中止となりました。パタゴニアだけでも見どころ満載でした。

 ペリト・モレロ。世界最大の氷河(南極とグリーンランドを除く) 何万年もの間に降り積った雪が圧縮されて、面積は大阪市と同じくらい、高さは70mの巨大な氷河を形成し、湖へ落ち込んでゆく。雄大!!

 

 氷河は自重によって日進2mのペースで湖へ移動しています。崩壊する時は雷のような轟音が響き、湖へ水煙を立てて落ち込みます。真に豪快です。運よく崩壊の瞬間を捉えた写真です。 手前に展望台の観光客が見えますが、身長と比較して頂ければ氷河のスケールが感じられると思います。

 展望台に立つ筆者 

 

 船からも氷河を観ました。崩壊の瞬間です。

 これも船から崩壊の瞬間。氷河は雪が圧縮されて形成される過程で気泡が追い出され赤色光線を吸収するので、青く見えるのだそうです。(着色料は使っていません。)

 

 ここから下は、パイネ国立公園。写真の中の島にあるホテルに泊まりました。スーツケースを引きながら橋を渡ります。公園内にあるホテルは2軒のみ。車もほとんど通らない。聞こえるのは風の音のみ。空気が澄んで夢のような景色です。

 

 朝焼け。真ん中に見える尖った峰は、「パイネの角」 今日は周辺を山歩きします。

 マゼラン海峡近くのビーグル水道。世界最南端の町ウシュアイアから遊覧。ペンギンかと思いきや空を飛んだので、あれ?? ウミウ鵜でした。それにしても、この数は壮観!

 


第十段 紅葉をたずねて京都彷徨

2015-11-15 16:32:55 | その他の中国都市

 関西で同窓会があったので、その後2泊3日で京都をぶらつくことにしました。学生時代は京都は煩雑に訪れていましたが、還暦を過ぎて久し振りに気の向くままに歩いてみると、やはり京都は世界に類のない素晴らしい古都だという実感が改めて湧いてきました。木造の古い建物・庭園は落ち着きます。

 ただ昔はどこも閑散としていたのですが、今回は平日にもかかわらず中国人を中心に大賑わいだったのが、おおきな違いです。紅葉のピークはこれからだし、休日ならどうなるのでしょう。ぞっとします。

まずは嵯峨野で一泊。紅葉の色付き始めというのも風情があります。

 
常寂光寺多宝塔


常寂光寺参道 赤い花びらのように見えますが落ち葉です。


天龍寺庭園 絵のようでした。


天龍寺庭園 縁側から見るもよし、庭に出て見るもよし。


天龍寺霊庇廟 この一角だけは真っ盛りの紅葉でした。


祇王寺庭園。落ち葉に注目してみました。


孟宗竹の小径。鬱蒼としている。ガヤガヤと通りたい径ではない。もう少し人が少なければと思うが。


清涼寺弁天堂が夕日に映えていました。井の頭公園の弁天堂とも似てるような。


二尊院参道。赤と緑のコントラストを狙ってみました。 

  

嵯峨野の後は、東山を散策しました。

 
泉涌寺 庭園 今回お気に入りのショット


近くの東福寺は人が多いが、この泉涌寺は空いていて落ち着く。穴場です。


伏見稲荷の千本鳥居。外国人観光客2年連続のNO.1人気だそうな。確かに人が多い。頂上までは1時間。ちょとしたハイキングとなるが、そこまで登る人は少なかった。

 


第九段 奥の山道

2015-08-31 15:23:04 | その他の中国都市

「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず (奥の細道:旅立ち)」

 高校生の時に奥の細道を読んで以来、芭蕉の漂白の旅にずっと憧れていた。自分もいつかは漂白の旅に出ようと。男って皆そういう憧れをもつのではないかと思う ??
 しかし今はフルタイムの仕事は終えたとはいえ、大学の仕事をしているのでまとまった休みは夏休みしが取れない。7月の最後の授業が終わるのを待って、スイス彷徨の旅に出た。往復のエアチケットと初日のチューリッヒのホテルのみ予約して日本を出国。あとは現地で天候と体調と気分次第で行先を決めるという気ままな風来坊ひとり旅。どのホテルでもWI-FIが通じるので必要な情報入手も手続きも簡単にできる。便利な世の中になったもんだ。山歩きと温泉三昧で浩然の気を養う。題して「奥の山道」3週間。

 スイスはこれまで5回くらい来ているが、大体はレンタカーでまわっていた。今回は鉄道に徹することにした。飲めるので。ユングフラウ、ロイカーバード(温泉)、マッターホルンを経て氷河鉄道でサンモリッツ、さらにルッツェルンと廻った。どこへ行っても滞在中は快晴という幸運の連続。天気だけは運なので、天の采配に感謝。雄大な自然を心ゆくまで楽しむことができた。満足のゆく写真も撮れた。

 今回の旅で気がついたこと、3点。

 1.中国人が増えた。

 ざっと見たところ、アルプス銀座では、欧州人4割・中国人4割・インド人1割・その他(日本人を含む)1割という感じ。土産物店などでは客の9割が中国人、店員も半分が中国人。けたたましく中国語が飛び交うのを聞くと、一体ここはどこの国?と戸惑うような店もある。昔はグリンデルバルドなどは日本語の看板も多かったが、今は中国語に書き換えられている。
 中国人は団体ツアー中心で、トレッキングなどでは日本人の方がやや多い。日本と同じく、ツアーに飽き足らなくなった人がトレッキングなど体験型旅行に移行してゆく過程にあるのだろう。観光客は中国人は20~30代中心、日本人は60代中心なので、年齢を見れば中国人か日本人かの見分けはすぐにできる。

2.外国人を受け入れるシステムが完備されている。

 スイスカード一枚あれば鉄道もロープウェイもそのまま乗れる(もしくは半額で)し、ホテル宿泊客は温泉やバスが無料になるカードを発行してくれるので、切符購入の煩わしさが少ない。支払いもクレジットカード機の仕様が標準化されているので、不慣れな外国人としては大いに助かる。

 ただし物価が高い。(他の欧州国の2倍以上か?)完備された観光客受け入れシステムとホスピタリティの代償として受け入れるしかないが。

3.以前よりアルプスの雪が減った気がする。(感覚的な印象ではあるが。)

 
 グリンデルバルドからの眺望。そびえ立つ岩山群の右端はアイガー3970m。


ユングフラウヨッホへ向かう登山電車

 
ユングフラウ山麓のトレッキング


フィストでのトレッキング。高く見える山はシュレットホルン4078m。欧州人は犬を連れてのんびり歩く。


バッハアルプ湖2265m。碧い湖水が印象的。


アルメントフーベルから三山を望む。手前からユングフラウ、メンヒ、アイガー


ラウターブルンネンの谷。朝のみ右側の岩壁に陽が当たる。右の滝は305m。


ロイカーバード温泉。背後に屏風岩がそびえ立つ。


ゲンミ峠 岩の節理が美しい


マッターホルン山麓をトレッキング 山道を歩いているトレッカーが小さく見える。


逆さマッターホルン リッフェル湖にて


グレイシャーパラダイスへ向かうロープウェイから。マッターホルンと氷河。幻想的な世界。


ゴルナーグラートから見たブライトホルンとゴルナー氷河。今が一番雪の少ない季節。9月になると初雪が降り始める。


ペレス氷河とベルニナアルプス3751m。サンモリッツから一時間列車に乗り、ロープウェイで展望台へ。

 


第八段 知床流氷

2015-03-02 15:16:38 | その他の中国都市

 流氷を見たくなり、会社同期の3人で知床に行きました。尻軽に行けるところがフルタイムの仕事を卒業した特権です。写真はドライスーツを着て流氷の中に入った時の写真です。水が侵入してこないので全然寒くありません。ただ脱着が大変です。普通の服に着替えるとホットします。


第六段 「中国・光と影」市民講演会

2014-06-08 14:41:36 | その他の中国都市

先日、市教育委員会主催からの依頼で「変貌する中国・光と影」と題して市民対象の講演会を行いました。中国というテーマは関心が高いようで、入場者数176名となりました。会場の定員が180名で、関係者からは消防法の関係で定員以上の入場は厳禁と言われていたので、少しヒヤヒヤしました。

  中国企業において中国人の目線で経営に携わった体験から、中国人の生活観、社会観、労働観、世代観などを中心に現代中国が抱える問題について所見を述べました。講演時間は2時間。大学の講義とは異なり、関心の高い市民が自主的に参加されている講演なので、それなりの緊張感を味わう事ができたことは良い経験だったとおもいます。

配布したレジメを下記します。

 変貌する中国・光と影 レジメ

 日々のニュースの中に中国の話題が出ない日が無いほど、今の日本では中国の動向が注目の的になっている。しかしそのニュースのほとんどは政治または経済に関する内容であり、素顔の中国人の国民性、生活、考え方に基本をおいたアプローチは少ない。

講師は、中国において中国企業に採用され中国人の目線で経営を考える業務に携わった経験があり、今回は中国人の生活観、社会観、労働観、世代観などを中心に現代中国が抱える問題について述べてみたい。

 第1章    中国の国土と自然

中国人の国民性を知るためにはスケールの並外れた大きさを認識する必要があるので、まずは雄大な自然を紹介する。

 第2章    中国の文化・文明

四大文明の中でも5000年に亘って脈々と進化を遂げて来たのは中国文明だけである。その魅力を再認識する。

 第3章    街中生活

大都市は超モダンな高層ビルと貧民街が同居する二重構造の社会となっている。日本の高度成長期に共通する部分もあるが、異なる部分も多いことに注目したい。

路上商売、白タク、模倣品など健全とは言えないものもあるが、庶民がたくましく生活する実態を紹介する。中国人の基本的な国民性は、良きにつけ悪しきにつけ「超個人主義」である。

 第4章    会社生活の実例

建設機械メーカの日本代表のコマツ、中国代表の三一集団をとりあげ、両社に在籍した経験を基に、特徴を比較する。

経営戦略、組織と意思疎通(トップダウンとボトムアップ)、人事管理(人材育成、モチベーション、考課)、開発力、製品品質、製造能力、販売力、環境対応性、国際化などを考察し、将来の日中競争力を予測したい。

 「官進民退」と言われるように、中国では電力・石油・通信関連など収益性の高い産業は国営企業が独占し、民間と競合する分野においても国営企業は陰に陽に政府の手厚い保護を受けている。民間企業は不利な条件で生き残るためには合理化で対抗するしかないが、経営姿勢が教条的であり現場力が不足しており人材を含めた経営資源が有効に活用されているとは言い難い。

この中国独特の企業統治の特色は、国家統治の特色との共通するものがあり、興味深い。中国企業が国際企業として成長してゆくには、まだ相当の期間を要すると思われる。

 第5章    歴史的考察

遣隋使・遣唐使の時代から日本は中国から多くの文化を学んで来た。このため日本は中国から一方的に文化を輸入して来たように思われているが、明治初期の日本において欧州文化を吸収するために作られた多くの和製漢語が中国に逆輸入され中国の近代化に貢献したことはあまり知られていない。和製漢語は多くの中国人留学生によって中国に持ち込まれ、現在の中国の新聞に登場する単語の7割はこれら和製漢語と言われる。

また、中国近代化に貢献した孫文(革命の父)や魯迅(中国近代文学の父)は日本で学び、多くの日本人のサポートによって偉業を達成した。現在の日中関係は最悪期にあるが、嘗てはこのような友好関係があったという事実を再認識する時期だと思う。

戦後の中国は共産党の一党独裁制を敷いているが、その経緯を辿ってみると、整風運動、百家争鳴、大躍進運動、文化大革命、下放、天安門事件など壮絶なる党内抗争の連続であり、国民不在の歴史であると言える。

 第6章    中国発展の課題

中国がGDPで米国を抜いて世界一になる日が近づいているという見方があるが、最近は「中所得国の罠の初期段階」に入ってきており、米国を抜くのは難しいという説も出てきている。これまでの中国経済発展の原動力は、外資導入と官製「土地転がし」であったが、その手法は行き詰まりつつあり、リーマンショック時に採った経済刺激策の後遺症に悩んでいる。

さらに、国内問題が噴出しており、その元凶は、「選挙の洗礼を受けない共産党の独裁制を正当化し続ける」という論理に無理が生じているということにある。政治腐敗、人権問題、所得格差、就職難、少子高齢化、環境、社会保証など構造的な問題が山積している。

これらの問題を背景に表面化した社会現象として、08憲章起草、新公民運動、薄熙来事件、南方週末事件、新快報事件、烏坎村民主化事件、ウイグル民弾圧事件などがある。

 また世相を表す言葉として、「我父是李剛」「裸官」「官進民退」「先富論⇒未富先老」「蟻族」「影子銀行」「政左経右」などが象徴的である。

第7章    日本と中国その将来

 将来を予測するのは難しいが、ここでは国民性と潜在力の面から考察してみたい。個人プレイが優先する分野では中国が、協調性が優先する分野では日本が有利になってゆくものと思われる。

 以上


第70話 庶民生活(2)

2013-02-15 14:43:58 | その他の中国都市

中国の都市というとゴミゴミとしたイメージを持つ人が多いが、公園は立派である。地方都市でもロンドンのハイドパークに匹敵するくらいの公園がいくつもあることも珍しくない。しかも無料である。数年前に歴史上の施設以外の公営公園や博物館は全て無料になった。中国の国民はすべからくこれらの文化施設を共有する権利があるということを示そうという政府の意向だったといわれるが、とにかく英断だったと思う。中国は時々思い切って先進国の真似をすることがある。ハイドパークや大英博物館が無料であることをモデルにしたのだろうか?

庶民が手軽に楽しみを見出すうえで、公園は大きな意義を持つ。休日などでは、素朴な素人芸でも結構人が集まる。やって楽しむ、見て楽しむという感じである。

 
左:二胡の同好会かな?公園の一角を陣取って演奏していた。
右:日本の着物を模したパフォーマンスのような。ちぐはぐな余興という感じだが、とにかく楽しめれば良い。


ゆきずりの人たちが集まって大合唱。常連も多いのか歌声には随分迫力があった。


中国といえば、やはりこれ。太極拳はどこでも見られる。中年がほとんど。

 
水鉄砲を使って路上に字を書くおじさん。かなりの腕前で、人だかりも多い。さすが中国は文字の国。

 
公園の外では、路上販売。魚もビニールを引いて、その上でさばく。


第69話 中国の大気汚染 北京・上海 PM2.5

2013-02-05 11:58:49 | その他の中国都市

中国の大気汚染の酷さが報じられている。原因は暖房(中国は石炭を産出するので未だに石炭を多用する。)および工場・車両からの排気ガスの増加である。自然院の専門とする建設機械の面から、この問題について述べてみたい。

中国では排気ガスの規制基準が緩いし取締りも厳しくない。上図は、建設機械からの排気ガスに関する各国の規制の進化を示している。日米欧では1996年ごろから規制値の緩いTier1が始まった。その後規制が厳しいTier2、3と進み、現在では本当に技術的に達成可能か否か危ぶまれるほど厳しいTier4を目指す段階に入っている。
中国はTier2のままである。実は、この資料は中国の建機メーカを指導するために2010年作成したものであるが、当時はTier3への移行は2012年頃と言われていた。しかし、2013年の現在でも移行されず引き延ばされたままになっている。

なぜ中国政府は大気汚染規制に本腰を入れないのか。理由のひとつは国営の石油関連企業との癒着である。現在の低質燃料から良質な低硫黄燃料へ切り替えれば事態は好転するが、それには業界に多額の設備投資を強いることになる。環境保全基準を設定する機関のメンバーの7割は石油関連業界人で占められているので、石油業界(多くは国営)の収益を圧迫するような規制を設定しようとはしない。

排気ガスを改善するには、燃料のほかエンジンの改良も必要である。現在の中国のエンジンメーカでは対応できる技術は不十分である。聞いた話では、規制を強化するとエンジンは日欧米のメーカの独占になるので、ようやく芽生えた中国エンジンメーカを守るために政府は規制をしないのだという。

かくて、国営企業を中心とする産業界を保護し、政財の既得権益を守るために、国民の健康は犠牲にされている。朝日新聞も読売新聞も「中国の大気汚染を改善するために日本の環境技術を利用すべく日中政府が協力すべきだ」と書いてあった。確かにそれは理想であるが、中国の泥臭いこの権利構造が改善されなけばい限り、実現は難しいと思われる。


第68話 庶民生活 1

2013-01-29 17:49:03 | その他の中国都市

これまで観光地の紹介が多かったので、今回は庶民生活について書こうと思う。

今は地方都市にも大規模マンション建設や地下鉄建設が進められており、古来の庶民生活は急速に変化しつつある。

 
左:北京の地下鉄建設現場。古い家屋は次々に更地へ。   右:上海の街改造。


古い家屋は次々と破壊されて、開発が進めれれている。

そんな急激な変化から取り残された下町では、昔ながらの生活が脈々と続いている。そんな風景は何故か見ていてもほっとする。


中国の都市は従来より、胡同と呼ばれる袋小路の長屋を単位として成り立っている。写真の奥が表通りへの入口。江戸時代の木戸番のようなもの。


リヤカーでの商売が主流。赤ん坊を抱いてフラッと出てきた感じのお母さん。飾らない姿。


車のボンネットに載せての衣料販売も。利用できる物は何でも利用する。


路上のカケツギ屋さん。ミシンひとつで行う。

  
公園は庶民の楽園。ハーモニカを吹くおじさんや、似顔絵を描くおばさんを取り囲む人たち。まだまだ素朴だ。


壁新聞に見入る人たち。新聞はまだまだ高いのか、老人たちが多い。

 

 


第67話 ボ-イングB787の事故に思う

2013-01-18 15:42:23 | その他の中国都市

先日B787に乗った。内装は全体にゆったりしているし、物入れなど細かいところにも工夫されていたし、トイレも快適だった。
特に驚いたのは窓ガラスの色が透明から濃紺までスイッチひとつで乗客が調整できるということだった。従って窓のシェードは要らない。ガラスの色が電気で自由に変えることができる技術があるとは知らなかった。


各乗客が自分の窓ガラスの濃さを調整する。

しかし、電気に頼り過ぎたのが、今回の種々のトラブルの原因だとも指摘されている。これからは、電池メーカと電気アッセンブリーメーカとボーイングの設計者で責任についての応酬が始まると思われる。日本の技術の評価が落ちない事を祈る。

 


第66話 中村勘三郎さんと海外公演

2012-12-06 23:21:35 | その他の中国都市

中村勘三郎さんが亡くなった。勘三郎さんは平成中村座を立ち上げ、ニューヨーク、ベルリン、シビウ(ルーマニア)で海外公演を行った。シビウ公演の2008年当時、自然院はたまたまルーマニア・ブラショフ市で市民交流促進のため駐在していた。ルーマニアに日本の人気歌舞伎役者が来る計画があるというのは大使館を通じて聞いていたが、本当にこんな辺鄙な地方都市シビウに来るなんて信じられなかった。ニューヨーク、ベルリンは分かるが、なぜ次がシビウなんだと。でも本当に来た。これは現地で文化交流を任務とするものにとって大事件である。ルーマニア人数人と車で3時間かけて観に行った。

大好評だった。勘三郎(当時は勘九郎)さんは舞台を走り回っての大熱演で、皆が感動して、最後はスタンディングオーベイションとなった。日本の古典芸能をルーマニア人にも楽しんでもらえることを証明してくれたことを自然院も素直に喜んだ。

(ルーマニアの歌舞伎の詳細は、既ブログ「ブラショフ便り」で紹介していますので参照下さい。  http://blog.goo.ne.jp/jinenin/e/c9a7518902f9733dfe83c8e40b03c38e )

 

一時期、毎月のように歌舞伎座へ通ったことがある。当時の勘九郎の舞台はいつも熱が入っていて楽しかった。

演劇は「生き物」だと思う。同じ台本・役者でも、その日その日で役者の乗りも観客の反応も全然違う。たとえば2004年5月大歌舞伎。海老蔵の襲名披露初日を観劇できる幸運に巡り合った。団十郎・海老蔵親子の初競演ということで当時の小泉総理や話題の恋人米倉涼子も来ていた。普段と熱の入り方が全然違う。それまで率直に言って団十郎は声が大きいだけの棒読み役者だと思っていたが、この日は人が違ったかのような懸命さが伝わる好演技で、観客も大満足だった。

勘三郎さんは「生き物」の舞台で感動を与え続けてくれた。有難う。冥福を祈ります。


第65話 習近平新体制

2012-11-19 23:46:07 | その他の中国都市

 共産党大会で習近平体制となった。今回の大会で驚いたのは、初日に江沢民が胡総書記と温家宝首相の二人を両脇に従える恰好でセンターポジションを取ったことである。こんなにも長老とは強いものかと、中国の保守体質に改めて驚いた。

 胡政権の10年で確かに経済は拡大した。しかし、これは中身的には前任者の朱熔基の敷いたレールに乗って外資が投入されただけで、胡の業績は何も無いとの評価もある。

 一方、政治・経済改革は全く進まなかった、というより悪化した。高級官僚は利権を貪って海外に蓄財し、格差は広がった。年収2~3百万円の地方書記クラスが数百億円の海外資産を持つことが珍しくないと報じられる有様である。人民の政治参加・三権分立(特に司法の独立)などの民主化は進んでいない。ただインターネットの普及により、人民の不満は無秩序ながら大きなうねりとなる可能性が出てきて、当局が民衆の不満を無視できなくなってきた。

 不満は、政治腐敗が根源であり、派生して経済格差・民意無視・環境破壊に及ぶ。不満の主対象である、政治の腐敗を断ち切るには、社会構造の透明化が何より必要である。

 透明でない事例を体験から紹介する。私の指導する中国の某メーカでは、従業員の雇用契約上の給料は地方政府が定める最低賃金(地方によって異なるが月額1~1.6万円程度)ギリギリに設定されている。理由は、会社が負担する社会保険額は給与に比例するので、経費削減のために名目上の給与を低く申告するためである。もちろん実際は世間相場並みにもらっているので、生活上は大した問題はないが、失業保険を受け取る場合や将来の年金では不利になる。ほとんどの民間企業でも同じことをやっているらしい。別にここで暴露記事を書くつもりはない。中国人なら誰でも知っている公然たる不実記載の違反行為である。皆が知っていてもどうすることもできないこの種の不正義は山ほどある。そこに、この国の本質的な問題点がある。

  国民に普遍的な情報がゆきわたり、社会的不正義は憚られることなく告発できるように表現の自由が担保されるような「普通の国」に早くなってもらいたいと切に願う。


第62話 泰安 岱廟 

2012-09-16 23:30:31 | その他の中国都市

岱廟は泰山の麓の町、泰安にあり、歴代の皇帝が封善の儀を行った場所である。現在の建物は1000年前の北宋代に拡張されたものである。


岱廟坊。石獅子が迎えてくれる。

 
正門である正陽門から入る。中国らしくそそりたつ壁である。

 
中心的建物である天コウ殿。(コウは呪に貝ヘン) 規模と壮麗さから北京故宮の大和殿、曲阜の大成殿と並び中国三大宮殿となっているらしい。しかし、故宮とはスケールが違い過ぎるようにも思うが。

 
この柏の名前は漢柏。名前の通り、漢の武帝が封善の儀を行った記念に植えられたという。ということは、樹齢2000年。こういうところは、さすが中国。

このほかにも、面白い木が多かった。自然にこうなったのか?手を入れたのか?
   


第61話 泰山 中国最高の信仰の山 (世界複合遺産)

2012-09-07 22:59:01 | その他の中国都市

中国には信仰の対象の山として五岳がある。その中で最も重要とされるのが泰山である。皇帝は即位したとき、その正当性を示すために天地を祀る「封善の儀」を行うことが定められていた。その封善の儀が、この泰山と麓の岱廟で行われた。始皇帝以降72人の皇帝の儀が行われたというから、聖地である。

この泰山は、標高1545m。それほど高いわけではないが、麓からはほとんど直登の階段がついている。9km7412段というが、急勾配が途切れない。

   
[左]登山道の頂上。  [右]登山道。みんなしんどそう。

そんな霊験あらたかな山だから、是非登ろうと勇んでみたが、かなりしんどそう。「まあ外国人なのだから」と、自分で理屈をつけてロープウェイを利用することにした。


寺院はかなり絶壁の上にある。


碧霞祠

山上には山の神様の娘、碧霞を祀る碧霞祠があった。こんな山上にしては見事な建物である。
しかし、自然院の目的は、これではない。奥にある唐磨崖である。


唐磨崖。金色の碑が「紀泰山銘之碑」

書道史上、泰山は重要な意味を持つ。始皇帝は自らの功績を讃えた文章を石に刻ませて7つの名山に建立した。その一つが、ここ泰山刻石である。その後、いろいろな人が刻石した。字体も篆書・隷書・楷行草書さまざまである。その中で最も有名なものが玄宗皇帝(楊貴妃の亭主)が封善の儀を行った時に彫られた「紀泰山銘之碑」である。金色でひときわ目立つ。

中国は文字の国。いかにしてメッセージを多くの人に伝え、後世にも残るようにと腐心したのか。甲骨文、金文、帛書、木簡、竹簡 ・・・・ 紙が普及するまで、いろいろ工夫し材質に合せて字体も変化させてきた。自然院も書道を嗜む輩のはしくれであるからして、古人の思い入れを感じながら魅入った次第です。

 
[左] 「孔子小天下所」は、孔子が泰山に登った時に「泰山に登ると天下は何と小さいことか」と歎じたという故事を表す。
[右] 真ん中の石碑は無字碑と呼ばれ、何も書かれていない。あまりの眺めの美しさに言葉が出なかったからだという。ユーモアなのかマジなのか。2100年前、漢武帝時代の建立。
芭蕉の名句、「ああ松島や、松島や」にも通じるような。

この山の岩は泰山岩と呼ばれ、砂岩系(間違っていたらごめんなさい)で出来ている。表面に流紋を持ち風格があること、刻字のために表面を平らにするには丁度良い固さとを持っている。なるほど石刻場としては最適かなあと納得した。 

 
[左]ホテル入口に飾ってあった泰山石。この石ひとつで深山幽谷を思わせる風格がある。 
[右]「仙人橋」と呼ばれる石。自然の造形は時として面白いことをする。

 


第60話 清代の夏宮 承徳 世界遺産

2012-08-22 22:42:07 | その他の中国都市

夏は何処へ行こうか?案外これが難しい。というのは、満州など東北地方もかなり暑いのである。そこで承徳を選んだ。清代に皇帝が90年をかけて避暑山荘を建設し、夏の政務を行った場所だからである。皇帝が避暑をするぐらいのところだからさぞかし涼しいのではないか。軽井沢のような感じかなと、思い立った。
北京から特急で4時間半。着いたら北京と変わらないくらい暑かった。

夏季だけと言っても5月から9月までだから、一年の半分近くの政治をここで行うことになる。この大国を治めるには、大勢の官僚・宦官・兵士たちが必要である。それに大奥の女達の世話も相当なものになったはずである。(大奥は何人くらいいたのだろう?長恨歌では「後宮の佳麗3000人」とある。本当に3000人もいたら、毎晩一人を相手にしても9年かかる。おばさんになってしまう?? 白髪三千丈の世界かも。) 
紫禁城に比べると20分の1くらいの規模かと思われるが、こんな小さな離宮で政治が行えたのだろうか、という疑問がまず湧いてきた。

第2の疑問は、北京からの距離。特急で4時間半と書いたが、距離は230km。東京から浜松くらいだが、相当な山越えである。大勢の女も連れて年2回も移動するのは大ごとだったろうと思われる。

自然院の勝手な想像だが、皇帝たちは紫禁城の固苦しい生活から逃げるために、(さらに、仕事としての子作り圧力からも一時的に開放されるために)、このこじんまりした離宮にやってきたのではなかろうか?そう考えると、第1、第2の疑問も解ける。 

 
山荘の正殿である澹泊敬誠殿。中央の黄色の椅子が玉座でここで謁見・接見を行った。周りは精緻な彫刻がほどこされた黒檀。簡素な中にも豪華さを見る。
「澹泊敬誠」とは、諸葛孔明の「心が淡泊かつ無欲で、志が明瞭でなければ、遠い所まで国を治めることができない。」という言葉によるそうだ。昔の政治家は実に良いことを言ったと思う。


澹泊敬誠殿の外観。楠殿と呼ばれるようにすべて楠作り。黒ずんで重厚な威厳が感じられる。


宮殿の後ろは大きな湖景区となっている。杭州の西湖を模して造られた。 拙政園(江蘇省蘇州)・頤和園(北京)・留園(江蘇 省蘇州)とともに中国四名園の一つだそうだ。これで全部制覇したことになる。

 離宮の近くに外八廟と呼ばれる寺院群がある。漢代式の宮殿建築をベースに、モンゴル・チベット・ウィグルなど諸民族の建築芸術を融合した独特の風貌で面白かった。これらも世界遺産である。

まずはラサのポタラ宮を模して作られた譜陀宗乗之廟。遠くからでも威容を誇る。


五塔門。5個の円錐塔は、それぞれ火(紅)・地(緑)・水(黄)・風(白)・空(黒)という宇宙の五大元素を表す。またチベット仏教の五教派および五仏の五つの知恵も表すという。


瑠璃碑坊。


ポラタ宮のようにそそり立つ大紅台。いよいよここから階段を登る。

 
右写真は皇帝が休息した御座楼。ここでチベット劇を観劇したという。


大紅台のど真ん中は、なんと黄金の屋根だった。この屋根はここまで登らないと見えない。

次は、外八廟で最も霊験あらたかといわれる普寧寺。
 
普寧寺大乗之閣。屋根に宝塔があり、チベット寺院の様式が見られる。


屋根の造形美。


瑠璃瓦の屋根が美しい。緑色とのグラデーションに見えるが、実はペンペン草。額には漢字のほかチベット語、モンゴル語などが書かれている

 
高さ22mの千手・千眼観音。世界最大だそうだ。手の中に眼がある。

 

承徳を見下ろす山の一つにサターン5号のようにそそり立つ岩が目を引く。高さ59mの巨岩である。黄山の飛来石もそうだが、自然界には面白い造形があるものだとつくづく思う。ロープウェイで登ってみた。


ロープウェイで近くまでは行けるが、あとは急斜面を登らねばならない。

 
周りは絶壁。風が強ければ飛ばされそうで、ちょっと怖い。


その名は蝦蟇(ガマ)岩。納得できる。