武蔵野つれづれ   第3の生活を自由人として

中国での体験記を記して参りましたが2012年の秋に帰国しましたので、これからは武蔵野での生活を徒然なるままに書きます。

第十四段 サウジアラビア センチメンタル・ジャーニー 

2020-04-03 15:44:07 | その他の中国都市

 20202月、サウジアラビアに旅行した。実は筆者は40年前に5年間この地に駐在した
ことがある。当時はオイルショック直後で、サウジ市場は急拡大し、筆者の勤務した
機械メーカも全社売上の1割近くがサウジアラビア一国で占められるまでになった頃で
ある。

 その後、この国にもう一度行きたかったが、サウジは観光ビザを発行しない稀有な国
なので再訪は叶わないでいた。観光ビザを発行しないのは、潤沢な石油収入があるので
観光収入を当てにする必要は無いし、変に観光客が増えて
イスラムの風紀が乱れても
困るという、聖地メッカ・メディナの守護者を自任するこの国特有の事情のためで
あった。

 しかし近年、現皇太子が実権を握ってからは、開明的な政策が打ち出されており、
観光ビザ発給もその一環である。ビザは数年前に一度発給開始となったが、すぐに
中止された。昨秋再開されたので、今度も気が変わらぬうちにと団体ツアーに参加
した次第である。

 確かに変革が表れている。例えば、女性の権限拡張も顕著である。以前は、サウジ
女性は働く事を禁じられており、女性しかできない仕事(女子校の女教師、スチュ
ワーデスなど)には外国人女性を雇っていた。それが今回は、現地ガイドにもサウジ
女性がおり、にこやかに応対してくれたのには驚いた。

 また、かつてのサウジ人は、企業のオーナとして君臨し(オーナはサウジ人しかなれ
ない)、外国人に実務を任せて自分は金勘定だけに徹するというイメージが強かったが、
今回は仕事に精を出しているサウジ人が多く、驚いた。教育が行き届いて実務をこな
せる普通の国民になってきたという当たり前の事かも知れないが、隔世の感である。

 

サウジアラビアの観光の魅力は次の2点だと思う。

1、エジプト・メソポタミアに繫がる古代文明を観察する。
 交易で栄えた古代人の生活。(今回4か所の世界遺産を訪問)

2、砂漠という過酷な環境下で生き抜く悠久の自然観に触れる。
 ナツメヤシ、子羊肉、ラクダ乳の3つがあれば、人間の栄養は完璧という。
 砂漠でも生き抜けるという遊牧民のプライドが、特有のアラブ魂を作った。

 

ドバイ

直行便がないので、隣国のドバイを経由する。乗継ぎまで半日あるので、街周辺を観光する。

 
 (左)世界一高いビル・ブルジュハリファ、高さ828m 
 (右)リゾートホテル・アトランティス

一言でいうと「砂上の楼閣」。金があればこんな事ができるという見本のような国である。
超豪華だが、ひと気はほとんどなく「生活の匂いのしない」街である。それでも、建設
ラッシュは続く。買えば値上がりするので、買い手は後を絶たないそうである。

自転車操業しなければ生きてゆけない国もあれば、こんな国もある。同じ地球上で。

 

リヤド・ディルイーヤ (世界遺産)

1774年第一次サウード王国の建国から、1818年オスマン帝国に降伏するまでの首都。
宗教学者ワハーブを迎え、現在の国教ワハーブ派(スンニ派)がここで形成される。
ワジ(枯れ川)を挟む谷に、日干し煉瓦を重ねて建築。


ワジ沿いにはナツメヤシが生い茂る


先頭を歩くのは35歳の好青年サウジ人サルマン君  

 

ハイル・ジュッバの丘 (世界遺産)

かつては緑豊かで、湖があり、ネフド砂漠の人や動物の水源となっていた。一万年前
に描かれた岩絵や碑文があり、当時の生活がうかがえる。


岩絵を求めて坂道を行く

 
 
右下の絵では、王様に家臣が跪いている。人間の動作が描かれている珍しい絵。
その他の岩絵では、やはりラクダが多い。

アラブの食事


シャイ(紅茶)

 
(左)ずらりと並んだ料理 (右)ナツメヤシてんこ盛り(真ん中はラクダ乳のバター)

 
(左)歓迎の場で定番のガホア(アラビアコーヒー)(右)コーヒーの焙煎・ミリング実演


ラクダ駆動で井戸水の汲み上げ実演 (ラクダに生まれなくて良かった)

ウラ・ダダン

BC6~5世紀、紅海・キャラバン交易のオアシス都市として栄えた。岩絵・碑文が多い。

 


サハリリゾート・テント・ホテルに宿泊

 

ヒジャーズ鉄道駅


旧ヘジャーズ鉄道駅。アラビアのローレンスが破壊しまくった駅舎を復元。

マダインサーレ (世界遺産)

今回のハイライトの考古遺跡。BC1世紀からAD1世紀、ナバティア人が山岳信仰の
対象として建造した。ペトラの次に栄えた都市。


鷲の神ドゥシャラと休憩所と言われる巨大な洞穴

 


一つの岩に何人かの墓を共同で掘った所が多いが、巨岩一つを丸ごと一つの墓に使った
この有力者の墓は圧巻。上部から掘り進んでいったが、予算が尽きたのか下部の細工
には手抜きが見られる。



エレファント・ロック 文字通り象形、右は警備の騎兵隊。


トヨタ4輪駆動車6台に分乗して砂漠を跋渉する。砂塵を巻き上げての坂道疾走はかなり
迫力ある。


二人の踊り子岩

ウラ旧市街


旧ウラ市街 日干し煉瓦の住居跡

メディナ


聖地メディナ Start of Haram Area の標識。ここからは、我々異教徒は立ち入り禁止。

ジェッダ

聖地メッカ・メディナへの紅海の入り口として栄えたサウジアラビア最大の商都。
筆者も駐在していた。昔住んでいたアパートへ立ち寄ったら、当時の門番の息子
さんが門番をしていたので驚いた。


世界一高い噴水。海面260m。ファハッド元国王の寄贈。ジェッダの夜のシンボル。

 


旧市街バラド地域への入り口メディナ門




伝統的なアラブ家屋。珊瑚岩製ブロックを積み重ねて壁を作り、木製の装飾窓、
ベランダで風通しが良いように工夫されている。そして女性は外からは見られないが、
自分は内から見ることはできる工夫も。世界遺産


典型的なアラブ室内、絨毯を敷き詰め、社交の定番シャイ道具を置く

メッカ


高速道路から聖地メッカへの入り口の標識。非モスレムは直進せず迂回する
よう警告している。

以上です。

 


第十三段 南米最南端パタゴニア  

2019-05-01 22:12:03 | その他の中国都市

南米の最南端パタゴニアへ行きました。成田から2回乗り継ぎ、延べ30時間。見どころは、世界最大の氷河ペリト・モレノと山岳国立公園パイネです。ここから南極観光の砕氷船も出ています。実は、南極へ新造船で処女航海し野宿するツアー企画があり、昨夏に予約したのですが、船の完成が遅れ中止となりました。パタゴニアだけでも見どころ満載でした。

 ペリト・モレロ。世界最大の氷河(南極とグリーンランドを除く) 何万年もの間に降り積った雪が圧縮されて、面積は大阪市と同じくらい、高さは70mの巨大な氷河を形成し、湖へ落ち込んでゆく。雄大!!

 

 氷河は自重によって日進2mのペースで湖へ移動しています。崩壊する時は雷のような轟音が響き、湖へ水煙を立てて落ち込みます。真に豪快です。運よく崩壊の瞬間を捉えた写真です。 手前に展望台の観光客が見えますが、身長と比較して頂ければ氷河のスケールが感じられると思います。

 展望台に立つ筆者 

 

 船からも氷河を観ました。崩壊の瞬間です。

 これも船から崩壊の瞬間。氷河は雪が圧縮されて形成される過程で気泡が追い出され赤色光線を吸収するので、青く見えるのだそうです。(着色料は使っていません。)

 

 ここから下は、パイネ国立公園。写真の中の島にあるホテルに泊まりました。スーツケースを引きながら橋を渡ります。公園内にあるホテルは2軒のみ。車もほとんど通らない。聞こえるのは風の音のみ。空気が澄んで夢のような景色です。

 

 朝焼け。真ん中に見える尖った峰は、「パイネの角」 今日は周辺を山歩きします。

 マゼラン海峡近くのビーグル水道。世界最南端の町ウシュアイアから遊覧。ペンギンかと思いきや空を飛んだので、あれ?? ウミウ鵜でした。それにしても、この数は壮観!

 


第十二段 奥の山道 チロル彷徨

2016-09-07 17:27:40 | その他

片雲の風に誘われて今年の夏もアルプスを彷徨することにしました。去年はスイスでしたが、今年は隣のオーストリア・チロルです。例によって、往復航空券と到着日のホテルのみ日本で予約して出発。あとは何処へ行くやら、風まかせの旅を2週間。


ザルツカンマーグート・クリッペンシュタインからハルシュタット湖を望む。左側の展望台は突き出ていて真下を覗くとかなり怖い。 

  
ハイリンゲンブルート。後方はオーストリー最高峰グルスグロックナー3798m。写真スポットだが、あまりに絵葉書的過ぎるかも。

 
シャーレック。ハイリンゲンブルートからゴンドラを乗り継いで、この峡谷を歩きます。

 
エッツタール・ティーフェンバッハ・コーゲルの頂上。雪渓を超えて登りました。

 

向こうに見えるのはロートムース氷河。雪の見える所までのんびり歩きます。

 
パステルッツェ氷河。氷河はいつ見ても雄大で大好き。これは朝撮った写真ですが、昼から豪雨となりました。女心と山の天気 !!!

 


第十一段 中東情勢についての講演会

2016-08-07 20:55:45 | その他

先日、私の住むM市の教育委員会主催で中東情勢についての講演して欲しいと依頼があり、180名の聴衆を対象に約2時間話をしました。今回は一般人対象なので、大学で定期的に行っている講義資料を少しアレンジして、なるべく平易に話すよう心がけました。「中東というととっつきにくいと思ったが、分かりやすかった」という評価が多かったのは嬉しいことです。
40年前にサウジアラビアに駐在していた頃に買った民族衣装で話したのも受けましたよ。


レジメは次の通りです。

素顔の中東情勢を語る(レジメ)
~生活習慣から政治情勢まで~

 1.プロローグ     中東とは?         

2.中東の特徴

3.イスラムとは ?  

4.生 活 習 慣  

5.王政について  

6.ビジネスに関する国民性について(アラビア商人と付き合うために)

7.中東の歴史的考察

8.シリア・イラク情勢をめぐる勢力相関図

 下図で説明しました。大学の教材として作成したものです。ややこしい相関関係を一枚で説明できる力作だと自負しているのですが。
    


第十段 紅葉をたずねて京都彷徨

2015-11-15 16:32:55 | その他の中国都市

 関西で同窓会があったので、その後2泊3日で京都をぶらつくことにしました。学生時代は京都は煩雑に訪れていましたが、還暦を過ぎて久し振りに気の向くままに歩いてみると、やはり京都は世界に類のない素晴らしい古都だという実感が改めて湧いてきました。木造の古い建物・庭園は落ち着きます。

 ただ昔はどこも閑散としていたのですが、今回は平日にもかかわらず中国人を中心に大賑わいだったのが、おおきな違いです。紅葉のピークはこれからだし、休日ならどうなるのでしょう。ぞっとします。

まずは嵯峨野で一泊。紅葉の色付き始めというのも風情があります。

 
常寂光寺多宝塔


常寂光寺参道 赤い花びらのように見えますが落ち葉です。


天龍寺庭園 絵のようでした。


天龍寺庭園 縁側から見るもよし、庭に出て見るもよし。


天龍寺霊庇廟 この一角だけは真っ盛りの紅葉でした。


祇王寺庭園。落ち葉に注目してみました。


孟宗竹の小径。鬱蒼としている。ガヤガヤと通りたい径ではない。もう少し人が少なければと思うが。


清涼寺弁天堂が夕日に映えていました。井の頭公園の弁天堂とも似てるような。


二尊院参道。赤と緑のコントラストを狙ってみました。 

  

嵯峨野の後は、東山を散策しました。

 
泉涌寺 庭園 今回お気に入りのショット


近くの東福寺は人が多いが、この泉涌寺は空いていて落ち着く。穴場です。


伏見稲荷の千本鳥居。外国人観光客2年連続のNO.1人気だそうな。確かに人が多い。頂上までは1時間。ちょとしたハイキングとなるが、そこまで登る人は少なかった。

 


第九段 奥の山道

2015-08-31 15:23:04 | その他の中国都市

「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず (奥の細道:旅立ち)」

 高校生の時に奥の細道を読んで以来、芭蕉の漂白の旅にずっと憧れていた。自分もいつかは漂白の旅に出ようと。男って皆そういう憧れをもつのではないかと思う ??
 しかし今はフルタイムの仕事は終えたとはいえ、大学の仕事をしているのでまとまった休みは夏休みしが取れない。7月の最後の授業が終わるのを待って、スイス彷徨の旅に出た。往復のエアチケットと初日のチューリッヒのホテルのみ予約して日本を出国。あとは現地で天候と体調と気分次第で行先を決めるという気ままな風来坊ひとり旅。どのホテルでもWI-FIが通じるので必要な情報入手も手続きも簡単にできる。便利な世の中になったもんだ。山歩きと温泉三昧で浩然の気を養う。題して「奥の山道」3週間。

 スイスはこれまで5回くらい来ているが、大体はレンタカーでまわっていた。今回は鉄道に徹することにした。飲めるので。ユングフラウ、ロイカーバード(温泉)、マッターホルンを経て氷河鉄道でサンモリッツ、さらにルッツェルンと廻った。どこへ行っても滞在中は快晴という幸運の連続。天気だけは運なので、天の采配に感謝。雄大な自然を心ゆくまで楽しむことができた。満足のゆく写真も撮れた。

 今回の旅で気がついたこと、3点。

 1.中国人が増えた。

 ざっと見たところ、アルプス銀座では、欧州人4割・中国人4割・インド人1割・その他(日本人を含む)1割という感じ。土産物店などでは客の9割が中国人、店員も半分が中国人。けたたましく中国語が飛び交うのを聞くと、一体ここはどこの国?と戸惑うような店もある。昔はグリンデルバルドなどは日本語の看板も多かったが、今は中国語に書き換えられている。
 中国人は団体ツアー中心で、トレッキングなどでは日本人の方がやや多い。日本と同じく、ツアーに飽き足らなくなった人がトレッキングなど体験型旅行に移行してゆく過程にあるのだろう。観光客は中国人は20~30代中心、日本人は60代中心なので、年齢を見れば中国人か日本人かの見分けはすぐにできる。

2.外国人を受け入れるシステムが完備されている。

 スイスカード一枚あれば鉄道もロープウェイもそのまま乗れる(もしくは半額で)し、ホテル宿泊客は温泉やバスが無料になるカードを発行してくれるので、切符購入の煩わしさが少ない。支払いもクレジットカード機の仕様が標準化されているので、不慣れな外国人としては大いに助かる。

 ただし物価が高い。(他の欧州国の2倍以上か?)完備された観光客受け入れシステムとホスピタリティの代償として受け入れるしかないが。

3.以前よりアルプスの雪が減った気がする。(感覚的な印象ではあるが。)

 
 グリンデルバルドからの眺望。そびえ立つ岩山群の右端はアイガー3970m。


ユングフラウヨッホへ向かう登山電車

 
ユングフラウ山麓のトレッキング


フィストでのトレッキング。高く見える山はシュレットホルン4078m。欧州人は犬を連れてのんびり歩く。


バッハアルプ湖2265m。碧い湖水が印象的。


アルメントフーベルから三山を望む。手前からユングフラウ、メンヒ、アイガー


ラウターブルンネンの谷。朝のみ右側の岩壁に陽が当たる。右の滝は305m。


ロイカーバード温泉。背後に屏風岩がそびえ立つ。


ゲンミ峠 岩の節理が美しい


マッターホルン山麓をトレッキング 山道を歩いているトレッカーが小さく見える。


逆さマッターホルン リッフェル湖にて


グレイシャーパラダイスへ向かうロープウェイから。マッターホルンと氷河。幻想的な世界。


ゴルナーグラートから見たブライトホルンとゴルナー氷河。今が一番雪の少ない季節。9月になると初雪が降り始める。


ペレス氷河とベルニナアルプス3751m。サンモリッツから一時間列車に乗り、ロープウェイで展望台へ。

 


第八段 知床流氷

2015-03-02 15:16:38 | その他の中国都市

 流氷を見たくなり、会社同期の3人で知床に行きました。尻軽に行けるところがフルタイムの仕事を卒業した特権です。写真はドライスーツを着て流氷の中に入った時の写真です。水が侵入してこないので全然寒くありません。ただ脱着が大変です。普通の服に着替えるとホットします。


第七段 黒川能

2014-11-29 15:46:47 | 東京以外の日本

黒川能新嘗祭を見学しようということで勤労感謝の日、能楽研究の仲間と山形県鶴岡市黒川を訪れました。

能は観阿弥・世阿弥によって大成された後、幕府の擁護を受けた五流(観世・宝生・金剛・金春・喜多)に受け継がれてきましたが、この五流とは別に誰かが(ここも大きな謎なのですが)黒川の里に演能技術・能面・能装束を伝え、脈々とこの地で継承され現在に至っています。五流は興行を目的とした専門職の役者さんが演じるのに対して、黒川能は氏神である春日神社の氏子さん達が神事として演じます。氏子さんの多くは農民(今ではほとんどが兼業農家)です。

盆踊りならともかく、能のような難解で高度な芸能を素人が演じられるものなのかどうか、しかも500年にわたって片田舎(失礼)において受け継がれてきたモーチベーションとは一体何なのか?

私は能の愛好者で、自分でも謡曲・仕舞を稽古し市の謡曲連盟会長を務めています。日本文化普及のために東欧に3年間駐在したこともあります。日本文化を理解し普及させることに微力を献げることをライフワークと思っています。しかし一方、現在の日本において能を一般に普及させるには障害が大き過ぎるとも思ってきました。だから黒川能が郷土芸能として根付き、国の重要無形民芸文化財に指定されているという事実には驚愕を覚えずにはいられません。その原動力を探りたいというのが今回の目的です。

今回の演目は、能「安宅」「小鍛冶」と狂言「柿山伏」でした。春日神社での演能が終わったあと地区の農家に宿泊し、夕食後当日の役者さんたちと懇談しました。「仕事の合間に能を稽古するのは並大抵のことではないでしょう。どうしてそんなしんどいことをするんですか?」と率直に聞いてみました。

 ●黒川に生まれたから。(黒川小学校では謡曲を教えるそうです。)
 ●神事だから
 ●能が好きだから

いろいろな答えを頂きました。本当のところは此処に住んで見なければ分からないことかも知れません。

 

 今回は撮影禁止なので演能の写真はありません。黒川周辺の羽黒山や最上川の写真を掲載します。


出羽富士と呼ばれる鳥海山 2、236m。 鶴岡から最上川へ向かう車窓から。左側のフェンスは雪から道路を守るための物。格子板は手動で閉じるとのこと。


最上川にて川下り。 「五月雨を集めて早し最上川」芭蕉の句は夏だが、紅葉の残照も美しい。

 
鶴岡は北前船で栄えた。豪商風間家。当地出身の藤沢周平作「蝉しぐれ」のロケもこの部屋で行われた。(宮沢りえ主演)

 
修験道の聖地羽黒山。国宝五重塔。色のとれた木肌むき出しの木組みが美しい。


冬季には出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の神々が降りて来るという三神合祭殿。中央部の茅葺きの厚さは2m以上という。

 黒川2泊後、仲間と離れて銀山温泉・米沢とレンタカーで「みちのくひとり旅」をやったので、その写真も載せます。

 
銀山温泉。大正時代にタイムリップしたような木造建物が川沿いに並ぶ。

 
米沢の旧上杉伯爵邸。明治の豪邸とはこういうものか。筑豊の石炭王加納邸も。


米沢の旧上杉伯爵邸。


第六段 「中国・光と影」市民講演会

2014-06-08 14:41:36 | その他の中国都市

先日、市教育委員会主催からの依頼で「変貌する中国・光と影」と題して市民対象の講演会を行いました。中国というテーマは関心が高いようで、入場者数176名となりました。会場の定員が180名で、関係者からは消防法の関係で定員以上の入場は厳禁と言われていたので、少しヒヤヒヤしました。

  中国企業において中国人の目線で経営に携わった体験から、中国人の生活観、社会観、労働観、世代観などを中心に現代中国が抱える問題について所見を述べました。講演時間は2時間。大学の講義とは異なり、関心の高い市民が自主的に参加されている講演なので、それなりの緊張感を味わう事ができたことは良い経験だったとおもいます。

配布したレジメを下記します。

 変貌する中国・光と影 レジメ

 日々のニュースの中に中国の話題が出ない日が無いほど、今の日本では中国の動向が注目の的になっている。しかしそのニュースのほとんどは政治または経済に関する内容であり、素顔の中国人の国民性、生活、考え方に基本をおいたアプローチは少ない。

講師は、中国において中国企業に採用され中国人の目線で経営を考える業務に携わった経験があり、今回は中国人の生活観、社会観、労働観、世代観などを中心に現代中国が抱える問題について述べてみたい。

 第1章    中国の国土と自然

中国人の国民性を知るためにはスケールの並外れた大きさを認識する必要があるので、まずは雄大な自然を紹介する。

 第2章    中国の文化・文明

四大文明の中でも5000年に亘って脈々と進化を遂げて来たのは中国文明だけである。その魅力を再認識する。

 第3章    街中生活

大都市は超モダンな高層ビルと貧民街が同居する二重構造の社会となっている。日本の高度成長期に共通する部分もあるが、異なる部分も多いことに注目したい。

路上商売、白タク、模倣品など健全とは言えないものもあるが、庶民がたくましく生活する実態を紹介する。中国人の基本的な国民性は、良きにつけ悪しきにつけ「超個人主義」である。

 第4章    会社生活の実例

建設機械メーカの日本代表のコマツ、中国代表の三一集団をとりあげ、両社に在籍した経験を基に、特徴を比較する。

経営戦略、組織と意思疎通(トップダウンとボトムアップ)、人事管理(人材育成、モチベーション、考課)、開発力、製品品質、製造能力、販売力、環境対応性、国際化などを考察し、将来の日中競争力を予測したい。

 「官進民退」と言われるように、中国では電力・石油・通信関連など収益性の高い産業は国営企業が独占し、民間と競合する分野においても国営企業は陰に陽に政府の手厚い保護を受けている。民間企業は不利な条件で生き残るためには合理化で対抗するしかないが、経営姿勢が教条的であり現場力が不足しており人材を含めた経営資源が有効に活用されているとは言い難い。

この中国独特の企業統治の特色は、国家統治の特色との共通するものがあり、興味深い。中国企業が国際企業として成長してゆくには、まだ相当の期間を要すると思われる。

 第5章    歴史的考察

遣隋使・遣唐使の時代から日本は中国から多くの文化を学んで来た。このため日本は中国から一方的に文化を輸入して来たように思われているが、明治初期の日本において欧州文化を吸収するために作られた多くの和製漢語が中国に逆輸入され中国の近代化に貢献したことはあまり知られていない。和製漢語は多くの中国人留学生によって中国に持ち込まれ、現在の中国の新聞に登場する単語の7割はこれら和製漢語と言われる。

また、中国近代化に貢献した孫文(革命の父)や魯迅(中国近代文学の父)は日本で学び、多くの日本人のサポートによって偉業を達成した。現在の日中関係は最悪期にあるが、嘗てはこのような友好関係があったという事実を再認識する時期だと思う。

戦後の中国は共産党の一党独裁制を敷いているが、その経緯を辿ってみると、整風運動、百家争鳴、大躍進運動、文化大革命、下放、天安門事件など壮絶なる党内抗争の連続であり、国民不在の歴史であると言える。

 第6章    中国発展の課題

中国がGDPで米国を抜いて世界一になる日が近づいているという見方があるが、最近は「中所得国の罠の初期段階」に入ってきており、米国を抜くのは難しいという説も出てきている。これまでの中国経済発展の原動力は、外資導入と官製「土地転がし」であったが、その手法は行き詰まりつつあり、リーマンショック時に採った経済刺激策の後遺症に悩んでいる。

さらに、国内問題が噴出しており、その元凶は、「選挙の洗礼を受けない共産党の独裁制を正当化し続ける」という論理に無理が生じているということにある。政治腐敗、人権問題、所得格差、就職難、少子高齢化、環境、社会保証など構造的な問題が山積している。

これらの問題を背景に表面化した社会現象として、08憲章起草、新公民運動、薄熙来事件、南方週末事件、新快報事件、烏坎村民主化事件、ウイグル民弾圧事件などがある。

 また世相を表す言葉として、「我父是李剛」「裸官」「官進民退」「先富論⇒未富先老」「蟻族」「影子銀行」「政左経右」などが象徴的である。

第7章    日本と中国その将来

 将来を予測するのは難しいが、ここでは国民性と潜在力の面から考察してみたい。個人プレイが優先する分野では中国が、協調性が優先する分野では日本が有利になってゆくものと思われる。

 以上


第五段 天才バイオリニスト

2014-01-07 10:46:19 | 東京

オーディオルームで音質が良くなると新発見がある。
例えば、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が好きで3枚のCDを持っており、これまではあまり差を気にせずに聞いていたが、新スピーカで聞くと1枚のCDの演奏が突出しているのが分かった。素晴らしくしなやかなのである。よほど老練の弾き手かと思って調べてみたら、何と17歳の時のアンネ・ゾフィー・ムッターの演奏であった。
ムッターさんは天才少女としてカラヤンに引き立てられていたらしい。ドイツで天才と認定され一般義務教育を免除され英才教育に専念したとのこと。世の中を楽しませてくれる天才ってのは菩薩の権現のように有難い。それ以降ムッターさんのファンになり他のCDをアマゾンから取り寄せた。

        

自然院の音楽を聞く姿勢も変わってきたように思う。以前は自分の好きなメロディーが出て来る箇所を中心に意識的に聞いていたが、最近では演奏に身を任せて聞くようになってきた。「音」を快く「楽しむ」ような感じ。だから「音楽」と書くのかなと独りで合点したりしている。


第四段 オーディオルームが欲しい

2013-12-29 22:40:19 | 東京

オーディオルームで心ゆくまで音楽に浸りたい。・・・・これは現役時代ずっと夢見ていた事の一つである。やるなら「今でしょ!」ということで取り掛かった。

先ずは防音のため、窓ガラスの内側にアクリル板を貼り、内側をパテで固めた。手作りの二重ガラスであるが、何とか効果はあるようである。

次に、音響装置。アンプは10年前に買ったDENON製の出力400Wを引き続き使うことにした。大型トランスが入っており重量は30kgある。パワーは重量で決まるというし、その後は大幅モデルチェンジも行われていないので不満はない。

問題はスピーカ。30年前に買った物があるが、音質は劣化している。試聴のため秋葉原に何度か通った。日本製はほとんどが5chに移行しているので、ピュア・オーディオ用としては欧米製から選ぶことになる。結局、英B&W社のスピーカから最大サイズに決めた。部屋の大きさから考えれば、一回り小さい物を選ぶべきだったかも知れないが、試聴してみると音の拡がり・迫力などから妥協はできなかった。

だとしても、このスピーカは高さ1m、重量30kgもある。物が到着してから開梱・台座設置が大変だった。さらにアンプとの電線接続も簡単ではなかった。電線は純銅の針金を被覆したオーディオ専用線を使う。両端の被覆剥きは専門店にお願いした。電線はすべて双方向かと思っていたが、この銅線は違っていた。すなわち銅線の上流側をアンプに、下流側をスピーカに間違いなく繋がなくてはならない。たかが電線だが、アンプの出力変動にスピーカが絶妙に反応してもらうためには必要な処置なのだろう。(そんな微妙な違いが分かるかと言われれば自信はないが。)

なんとかセットアップした。素晴らしい音が我がサンクチュアリに響いた時、苦労が報われたと感動した。万歳。オーディオ趣味は初期投資は若干掛かるが、後はCD代と電気代だけで何時間でも何回でも楽しめる事を考えると安いもんだ。これで実りある老後が送れる。


第三段 秋の大和路 (武蔵野つれづれ)

2013-11-29 15:51:22 | 東京以外の日本

久し振りに奈良へ来た。自然院は奈良まで40分くらいで行ける大阪の地で育った。小中学校時代の遠足はほとんどが奈良の古社寺だったが、それは子供としては当然楽しい行先では無かった。それが、大人になってからは高い交通費を払っても行きたくなるのだから、子供の時のこういう遠足も意味があるのかも知れない。

今回の目的地は薬師寺。若い頃は何度か訪れたが、1981年に西塔が出来てからは初めてである。会社退職後、奈良のNPOでボランティアでガイドを務めている友人のN氏に案内をお願いした。

 
 ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲 (佐々木信綱)

 

初めて西塔を見た。惚れ惚れとするほど美しい。東塔は1300年前に建立され、数百年に一度改修が繰り返されて来た。現在もこの改修時期にあたり、解体して今後数百年持たせることを目標とした修理・再組が行われている。「1300年という長さは重いよ。今のビルは何年持つかね」とN氏。そういえば、今年6月に解体された最古の百貨店である銀座松坂屋ビルは88年で寿命を閉じたことを思い出した。
何度地震があったか知らないが、長年の天災・風雨に耐え抜ける大型木造構造物を、釘を使わずに木組みだけで作り上げた技術力。しかも体系化された力学や十分な素材がなかった時代に、大陸渡来の建築技術と経験だけを基に行ったと考えると、当時の技術者に感服するばかり。

奈良時代には数十の塔が建立されたという。技術者が何人いたのか分からないが、短期間にこれだけの事業をやり遂げたという事実にも、新しい驚きを感じた。

改修を機に塔の上にあった水煙が地上に降ろされ「水煙降臨展」が催されていた。天人が伸びやかに飛翔したり笛を吹く姿は以前に写真で見たことがあり、その躍動的な姿に感動を覚えた記憶があるが、それを目の高さで見られるなんて・・・なんという幸運。

    
 降臨した水煙                鉄製の防火壁を埋め込まれた金堂 

N氏によると、金堂建設に当たっては、設計を担当した大学教授陣と宮大工で激論があったという。教授達は中に安置してある仏像を守るために鉄製の防災壁を設置する計画を立てたが、宮大工は「何千年も持つ木造建造物の中に、百年しかもたない鉄をはめ込むなんて邪道だ。」と猛反対したという。結局防災壁は設置されたが、「檜の持つ力を知り、伝統技法を伝承しているのは自分たち宮大工である」とのプロ根性には鬼気迫るものを感じる。


第二段 紅葉  (武蔵野つれづれ)

2013-11-22 22:14:14 | 東京

今年は6年ぶりに日本の秋を楽しめる。紅葉の写真を撮ろうと紅葉情報を見ていたら、この1週間ばかりは抜けるような青空が拡がり、朝はめっきり冷え込んだので、綺麗な紅葉があちらこちらで観れるようになった。良い日を選んで出かけられるのはリタイリーの特権だろう。

先ずは、都内でいち早く紅葉する国営昭和記念公園から。
 


近場の深大寺から。

ススキの写真も少し。

  

 


初段 「中国便り」から「武蔵野つれづれ」に変更しました。

2013-09-06 15:35:11 | 東京

武蔵野つれづれ 序段

 これまで中国での体験記を書いてきましたが、昨年10月に中国から帰国しましたので、中国の話は終了します。代わりに、帰国後の体験談を書くことにし、ブログのタイトルも「中国便り」から「武蔵野つれづれ」に変更します。

帰国によりフルタイムの仕事は終了しました。今は、仕事2分、趣味8分の生活です。仕事は大学で国際経営学を非常勤講師として教えることです。アカデミズムからは縁遠い私ですが、大学は今就職率と上げるためにグローバル人材を育成することが求められており、海外マーケティングの実務経験者にということで自然院にもお声が掛かったという次第です。現在、4大学(国立2校、私立2校)で教鞭を取っています。

 一方、趣味の方は、謡曲・仕舞、ギター、テニスなど。書道も再開したいのですが、なかなか時間がなくて、手がまわりません。


観世流仕舞「田村」今年五月武蔵野芸能劇場にて

こんな毎日ですが、この年になるといろいろ考えることが多く、たまには頭に浮かぶことを纏めてみたいという欲望が高じてきました。若さを保つ秘訣として、京大の名誉教授が「汗をかけ、恥をかけ、文を書け」と言っておられました。確かに「文を書く」というのは頭の総合運動になると思います。兼好法師は、「つれづれなるままに、日くらし、硯に向かいて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と徒然草の初段に書いています。自然院もあやかって、そこはかとなく書いてみることにします。

つれづれなるブログに付き合うのはご迷惑かもしれませんが、たまには読んで頂き、共感したり反発して頂ければ大変嬉しいことです。


第72話 長江 途方もなくでっかい河口

2013-05-05 14:43:25 | 上海

長江(揚子江)の河口は上海にすぐ北にある。この川に2つの島がある。上海側から第一の島(長興島)まではトンネル、第2の島(崇明島)までは橋、更に対岸(啓東)までは橋である。このトンネルと2つの橋はそれぞれ約10kmあるので、合計30kmということになる。因みに東京駅から30kmというと、横浜本牧・相模原・立川・川口などの地点である。従い、東京駅から立川までが川幅ということになる。何とドデカイことか!!!!!


飛行機から見た長江の河口付近。真ん中に横たわっているのは二つの島。川の向こう岸は遥か遠くで、ほとんど見えない。


中国の水系図を見て驚いた。中国の中部および南部の川のほとんどが黄河か長江のいずれかに合流しているのである。特に長江およびその支流域は全土の3割以上を占める。中国の総面積は日本の25倍。つまり日本列島の8倍の地面に降った雨が、この長江の河口に流れ込んでいることになる。(蒸発分や地下に浸み込んだ分は除く)やっぱり河口は30km必要なのだ。

昔、日本に来た中国人が瀬戸内海を見て「日本にもこんな大きな川があるのか」と言って驚いたという話を聞いた。どうも作り話っぽいが、長江の大きさを表すには良くできた話とも思える。







ここでクイズです。

「川」と「河」と「江」の違いは何でしょう ?
どちらも river の意味ですが。



黄河水系のリバーを「○○河」と呼び、長江水系は「○○江」と名付けられています。例外的に東北部のリバーは「○○江」となっています。例えば「鴨緑江」など。
では、「川」はどうなのか? 「川」という字は水が流れる形から出来た象形文字で元々はリバーという意味もあったが、今の中国ではリバー周辺の平野を指したり意味が広くなっているようです。

外国のリバーは、例えばアマゾン川は「亜馬孫河」のように全て「○○河」と書きます。ただ日本のリバーは例外で、「鴨川」「桂川」のように書きます。中国人としては、「鴨河」「桂河」と書く方がピッタリ来るそうですが、一応日本の原住民の習慣を尊重しているそうです。