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武蔵野つれづれ   第3の生活を自由人として

中国での体験記を記して参りましたが2012年の秋に帰国しましたので、これからは武蔵野での生活を徒然なるままに書きます。

第29話 安徽古民居群 世界遺産

2011-01-11 20:45:47 | その他の中国都市

黄山近くの安徽省南部には、明清時代の古民家が残っている村落がいくつかある。その中でも世界遺産に登録されている宏村および西逓を訪ねた。


池に映った宏村。


西逓の入口に立つ胡文光勅使門(この村は胡氏一族の居住地だったという) 威厳がある。

  
【左】竹細工屋さん。作って販売している。【右】酒屋さん。壺や竹に入れた酒が飲める。

 
【左】旧家の門。ロバがよく似合う。  【右】旧家の祭壇。篆書が飾ってある。

  
路地を歩く。観光客が多い。昔は外人は入れなかったそうだが、今は入村料を払えば誰でも入れる。ただし、住民が普通に暮らしている。

 
左端は写生をしている学生。こういう路地は、何か懐かしい気がする。子供の頃、下駄の音が響いていたような。

 


第28話 黄山 (世界遺産) 後編

2010-12-23 21:45:04 | その他の中国都市

 早起きし、5時頃から真っ暗の中を懐中電灯で照らしながら歩き出す。少し霧雨が降っており、山歩きのベテランのK氏と同行でなければ、心細い思いだ。30分ほどすると少し白じんできて懐中電灯が要らなくなった。目指すは飛来石。実は来る前に、写真をみて「凄い!是非会いたい」と思ったのが、この石である。

  

 実物を見ると、やっぱり凄い、というか不思議な岩である。岩山の上に突き立ったように「存在」している。その様ロケットの如し。名前の通り、飛来したとしか思えないような形である。右の写真を見て頂くと分かるが、下の地面と点接触である。押せばクラっといきそうだが、さすがは巨岩、ビクともしない。
朝早く数人の観光客しかいなかったので、ゆっくり見ることが出来た。早起きは苦手の自然院であるが、この時ばかりは「早起きは三文の得」と思った。


この岩の周りは絶壁である。この岩の周辺を手摺りを頼りに歩くのは、かなり怖い。これで混み合っていたら、どうなるのだろう。

飛来石を後にして、奇岩を見ながら歩く。

 
【左】象岩            【右】チンポコ岩

 
妙義山のような岩山のある。

連続して歩くこと約6時間。段々人が増えてきた。昼頃に漸くロープウェイの駅に近づく。


最後の名所は、迎客松(左)と送客松(右)。送客松は手を振ってくれているように見える。

ロープウェイを降りると、そこは俗界だった。


第27話 黄山 山水画の世界(世界遺産) 前編

2010-12-11 16:52:25 | その他の中国都市

 中国では、「黄山を見ずして山を語るなかれ」と言うらしい。知人の中国人に聞いてみても「黄山が一番」と言う。それならばと、行ってみた。今年の8月の事なので、いささか旧聞に属するが、記憶は鮮烈だったので、以下紹介する。

 上海から午後2時発の飛行機に乗って約1時間で黄山空港に着く。それから車で、茶畑の中をドライブして麓のホテルに着いた。
夕食は近くのローカルな食堂で食べる。オバサンにメニューを見せられるが、よく分からない。こういう時は、台所に連れて行ってもらって、食材を確かめて注文する。(台所訪問って、中国ではよくあるんです。念のため。)
野生鶏のスープが名物ですよ」と教えられたので、注文したら丸ごとの死体が出て来た。(目は閉じていたが、耳の穴は開いてた。) でも美味だった。

 
【右】食堂の食材               【左】地鶏スープ(姿煮)

 翌朝、ロープウェイで登り、歩き始める。麓では、曇りだったが、山上は霧だった。黄山は晴れることは少なく、ほとんど年中雲海に覆われているらしい。それで山水画の世界を創り出すというのが、黄山の妙味だそうだ。

 山上は、舗装された遊歩道になっていて、標高1600mあたりを登ったり下ったりする。道はよく整備されているので、無意識に歩いてしまうが、よく見ると崖っぷちに取り付けたようになっていて、道の下は千尋の谷という箇所も多い。

 
【左】崖っぷちに取り付けられた遊歩道。下を意識せずに通ってしまうが。下は・・・・・
【右】谷へ張り出したベンチ。ここに座るのは相当の勇気がいる。

山道は、普段運動不足の身にとってはややきついかなとも思われる長い坂道であるが、何とかなる程度。それでも無理という人にはという手もある。山上には4軒ほどのホテルがある。車は通らないので、シーツなどの運搬は剛力達の人力に頼っている。 

  

黄山の見所の一つは、此の地独特の黄山松である。黄山松は土に生えずに岩に生える。根から岩を溶かす成分を出し、岩に喰い込むのだそうだ。

 
       岩に喰い込む黄山松の根

そして枝振りも独特である。ある高さまでは、太い幹があるが、途中でストンと幹がなくなり水平に枝が分かれる。このために独特の個性的な姿を形成しており、名木には名前がついている。以下、数例を紹介する。

  
【左】竪琴松  【右】団結松(中国らしい名前。5本の松が団結しているように見える)

   
【左】黒虎松                【右】龍爪松(根が爪の形)

  
【左】鎖に付けた南京錠。カップルで施錠した後、鍵を谷底に放り投げる。鍵が無ければ永遠に解錠できない。つまり永遠に離れない愛と言うわけだ。  
【右】二本の松がくっついたような形の連理の松。やはり、この松の付近が、鍵を付ける名所となっている。楊貴妃と玄宗皇帝にあやかって。

霧の中から現れる名松を訪ねながら歩くこと約4時間、早めに山上ホテルに着く。明日に備えて早寝する。

 


第24話 西安 是見飽きぬ古都也

2010-11-17 22:01:59 | その他の中国都市

西安は何処へ行っても見飽きぬ風情が感じられます。切りがないので、絞って紹介しましょう。

1. 城壁

 先ずは、街を囲む城壁です。欧州のオールドタウンにも街を囲む城壁はよく見られますが、この長安の城壁は真っ直ぐな長方形、しかも並外れてデッカイ。何せ城壁の上は自動車が悠々と走れる大きさ。万里の長城といい、この城壁と云い、昔の中国人はどうしてこんなに大きな物を作ってしまうのだろうか?
 この広い城壁の上をレンタ自転車で南門から西門まで、すなわち1/4周しました。これだけで十分大きさを堪能しました。

 
この階段から城壁に登る。           城壁の上はドデカイ。この上を自転車で走った。

2.碑林博物館

 西安には多くの博物館がありますが、自然院の一番行きたかった所がこの碑林博物舘です。「碑林」って変な名前ですが、字の通り石碑が林立しています。臨書をするには拓本の印刷物を手本に書く訳ですが、その元となった本物の石碑が惜しげもなく所狭しと並んでいるのですから、臨書を志す自然院としては感動せずにはおられません。


石に墨を塗り、その上に白い紙を置いて扇風機で乾かし、布で軽く叩いて拓本を取る。拓本を取る現場は初めて見た。

 
碑林博物舘の周りは文房四宝を売る店が並んでおり、自然院好みの落ち着きのあるたたずまいの街並みとなっていた。

3.下町

西安は沿海都市に比べて開発が遅れており、至る所に昔ながらの面影が色濃く残っています。特に下町は日暮れ頃から夜店・屋台が店開きし、独特の活気が見られます。 

  
左: ずう~と続く屋台。夕暮れ時から出店、人出も増える。 
右: 
骨董屋さん。並んでいるのは筆・仏像・毛さん人形等々。

 
左: 商品のほとんどは棗(ナツメ)商品。乾燥させたりお菓子にしたり、そのバリエーションの多さに驚く。中国人にとって棗は大切な食料なのだと改めて認識させられる。
右: クルミを煎る機械。

 
西安にはイスラム街がある。此処では女性はスカーフを巻いて生活をしている。自然院は中東で駐在したこともあるのでスカーフ姿は見慣れているが、黄色人種のスカーフ姿にはちょっと目新しさを感じる

 4.大雁塔

三藏法師玄奘がインドから持ち帰った大量の経本を保管するために建てられたのが、この大雁塔。中国にはいろんな形の塔がありますが、この塔は素朴で力強い感じがして好(ハオ)。

 
左: 重量感のある大雁塔。 
右: 三藏法師玄奘象と大雁塔。玄奘は夏目雅子のような華奢なイメージがあるが、実際は頑丈な体格だったらしい。そうでなければ16年も掛かってインドへの長旅・留学には耐えられないよね。

 
ここの仏様たちは煌びやかでまことに綺麗。ありがたや。

 


第23話 楊貴妃と華清池

2010-11-01 00:01:19 | その他の中国都市

高校の漢文の授業で長恨歌を習った。まず出だしを読んで驚いた。「皇帝は女好きで、超美人を探していた。(君皇色を重んじ傾国を思う)」というのである。そして楊貴妃を見いだし大奥に入れる。「初の夜伽の前に入念に華清池温泉で玉の肌を磨かせた。(春寒くして浴を賜う華清池。温泉水滑らかにして玉脂を洗う。)」と来るからいよいと色っぽい。少し笑っただけで百の媚態が生まれる(瞳を巡らして一笑すれば百媚生ず。)という超美人の入浴シーンを、初老の先生が真面目な顔で教えるのだから、高校の授業は面白かった。
 長恨歌は音感が良く大好きで何度も音読みしたので、大方暗唱できるくらいになっていた。今回、此のブログを書くので改めて長恨歌を音読みしてみると、あの頃の感覚が蘇ってきた。

 

授業で色っぽいといえば、与謝野晶子の歌も情熱的で色っぽいのが多かった。確か副読本に載っていて読んで驚いた。


   柔肌に 熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君

   春短し 何に不滅の命ぞと 力ある乳を手にたぐらせぬ


「柔肌に」とか「乳を手にたぐらせぬ」とか、紅顔の高校生には衝撃的な表現だった。未だに覚えているのだから。



 話は横道に逸れたが、その華清池にやって来た。高校で習ったあの華清池を目の当たりに出来る嬉しさよ。

 
  驪山を背景に華清池宮                  華清池         
 

楊貴妃が入った風呂も見れた。1986年に発掘されたそうだ。と言うことは、自然院が長恨歌に身を焦がした頃から10年後ということになる。自分が生きている短い期間に歴史上の発見が次々に起こるなんて楽しい。昔の知識を常に更新しなくては。

 
左:楊貴妃専用のお風呂。少し小振り。ここで侍女たちに玉の肌を磨かせていたのだろうか?
右:玄宗皇帝専用のお風呂。後宮の華麗たちと一緒に入ったのだろうか?広いしね。

今でも湧き出てくる源泉。掛け捨てだったのだ。


第22話 兵馬俑

2010-10-19 22:31:58 | その他の中国都市
 秋晴れの日。見たかった兵馬俑博物館にやって来た。一目でその迫力に圧倒された。室内野球場ほどの広~い広~いドーム。一面に兵士や馬がこちらを向いている。2200年前に埋められたそのままの形で。これはすごい。





 兵馬俑の写真は以前から何度も見ていたが、ずっと疑問に思っていたことがある。兵馬の列と列の間にある大きな土手は何? ガイドに聞いてみた。あれは兵馬の列を守る壁だとのことである。すなわち、兵馬の前後左右をあの壁が囲み、その上に丸太を載せて兵馬列の空間を確保し、その上に土をかぶせて地上から隠したとのことである。(言われてよく見ると、土手の上には丸太で押しつけられてへこんでいる跡がハッキリと見える。)
 ところが、長い年月を経て上からの圧力で丸太はたわみ、兵馬俑が発見された時には中の兵馬はほとんど壊れ倒されていたとのことである。



 ドームの後方にまわってみた。そこでは掘り出された俑たちの修復作業が行われていた。そうか、ここは博物館でもあるが、掘り出し現場なんだ。掘り出し現場を目のあたりに出来る場所なんて、ほかにはないぞ。散らばった1片いっぺんを繋ぎ合わせてゆくという、ジグソーパズルを大規模にしたような気が遠くなるような作業である。ご苦労様というよりほかはない。

 掘り出された俑は3日で色が取れてしまうという。(そう言えば、高松塚古墳だって随分色落ちしたと報道されているし。)だから、色を保存する技術が開発されるまでは、これ以上の発掘はしない方針とのことであった。まあ2200年も埋もれていたんだから、慌てることはないよ。



 
左の写真は掘り出された直後で彩色が残っている状態。(博物館資料から)
右の写真は復元された兵士の座像。


 次に向かったのは、始皇帝陵博物館。陵は現在試掘しか行われていないが、それでも数々の宝物が出土しており、それを展示している。


上の写真は石で作ったかぶと。重そうだけれど、実用に供されたのだろうか?


これは銅製の馬車。薄板で精巧に作られていることに驚く。御者だけで馬車の室内は空である。主人である始皇帝はもういないことを示唆しているのだという。


 始皇帝陵については史記に詳しい記述があり、その存在は昔から知られていた。 ・・・・・ 珍宝が墓室を満たしているとか、水銀が流れる川があるとか。だから中国政府はゆっくり試掘しては、展示している。
 しかし、兵馬俑については全く記述がなかった。 兵馬俑は1974年(自然院が学生の頃)、井戸を掘ろうとしていた農夫によって偶然発見された。場所は始皇帝陵の東1.5kmの地で、兵馬は全て東を向いていた。つまり東から来る敵に対して陵を守る形になっていた。ということは、陵の西・北・南にも同じような兵馬俑が存在する可能性がある。まだまだ楽しみである。

 因みに、兵馬俑を発見した農夫は現在博物館の職員として、観光客の求めに応じてサインをしたりして幸福な老後を送っているという。それくらいの手柄は十分にあるよね。

第21話 3000年の古都 長安

2010-10-01 00:02:56 | その他の中国都市

 日本は9月中旬になって漸く秋めいて来たとのことですが、中国も同じです。 中国では、旧暦8月15日は中秋節といって重要な祭事となっており、前後合わせて3日間 が休日となります。 その休みを利用して、長安(今の西安)へ行って来ました。

 下の写真は長安の中心地鐘楼にかかる名月です。 当夜は綺麗に晴れてくれました。昔から多くの日・中の人々が愛でて来た長安の月をこの目で見れるとは、思いの外の果報でした。

 

 遣唐使の阿部仲麻呂が長安の月を見て歌った「春日なる三笠の山にいでし月かも」には切々とした望郷の念が感じられます。事実仲麻呂は終生日本の土を踏むことが叶わなかったのだから、悲壮な思いだったのでしょう。
 3000年の間、長安でどれほどの人が月を見て何を思って来たのだろうか。今ここに立っている自分も、その歴史の一欠片。そうすると、何と小さい人間の存在。 変化の激しい現代だからこそ、とこしなえに変わらない月の影のようなものに憧れてしまうのか ・・・・・ などと、ガラにもなく哲学的な気分に浸ってしまいましたが、これも偉大な古都の魔力かも知れません。


左は望遠鏡で月を覗かせて使用料を取る商売。右は鐘楼のライトアップ。  
 
 
左は鼓楼のライトアップ。右は太鼓群。かっては時を知らせていたらしい。一斉に打ち鳴らしたら、すごい迫力だろう。  

 少し乱暴な比喩をすると、北京が東京で、上海が大阪、西安が京都ですかね。西安には、兵馬俑やシルクロード、楊貴妃の温泉など興味をそそる物が盛り沢山です。次回から順次紹介します。