長沙市の湖南大学日本語学科からの依頼で、日本文化紹介の講演を行った。講演項目は次のとおり。
1.中国文化と日本文化の往来
2.日本文化の特徴
3.日本企業の特徴
前赴任地のルーマニアでは文化交流が目的だったので、ブカレスト大学やブラショフ市の日本武蔵野センターで日本語・書道の講義や文化紹介活動を行ってきたが、中国で教壇に立つのは初めてである。西洋人相手なら日本文化は西洋対東洋という比較的単純な構図で紹介できるが、中国相手の場合はルーツが共通なだけにやや複雑な面がある。一般に中国人は日本文化は中国文化の一変形と思っている。それは一面では正しいが、今回は次の点を強調する内容とした。
●8世紀頃日本は遣唐使等を通じて積極的に中国文化・文明を取り入れ、日本の文化水準は飛躍的に発展した。日本人はこのことに関して中国に恩義を感じている。
●しかし日本は中国文化を丸ごと取り入れたのではなく、取捨選択が働いたという点に注目したい。例えば、宦官制度や科挙は採用しなかった。これは朝鮮や越南などの周辺諸国が、中国制度をそっくり移入したこととは対照的である。このような取捨選択により、異文化をより高度に醸造してゆくことを日本は長年に渡って学んだ。
●このように異文化を取り入れる術を日本は会得していたので、黒船来港以降の西欧の圧力に対しても、短期間で近代国家に作り変えることに成功し、自立対抗することができた。
●一方中国は、古来から文化を輸出することはあっても、外来文化を取り入れる事はなかった。(欧州が産業革命を経て近代国家に発展するまではその必要が無かった。) この中華思想が災いし、アヘン戦争から辛亥革命に至るまで、封建制が崩壊して近代国家が誕生するまで、日本よりもずっと長い期間を要した。
●中国は遅れを取り戻すために、先行する日本の近代化ツールを利用した。例えば、大規模の官製留学生を送り込み、日本が近代化のために作った和製漢語や日本で翻訳された洋書(漢字で中国人には読みやすい)を大量に中国に持ち帰った。現在の中国で使われている科学用語・社会用語の大半がこの頃の和製漢語であるといわれている。
また、中国人が近代化の父として最も尊敬する孫文も魯迅も日本で学んだ。ここにおいて、日本は中国の近代化に文化貢献したことになり、遣唐使以来の恩返しをしたともいえる。今後も一衣帯水の関係を大切にしたい。
文化については以上のような趣旨で紹介し、あとは日本型ビジネスについて話した。それにしても、企業でのプリゼンと異なり、若者達相手の話は楽しい。雰囲気が陽気だし、ジョークにも反応が早い。
現在の中国では経済発展が著しい割には、大学新卒者の就職率は68%と悪い。しかし日本語学科の学生達は広東省を中心に需要が多く就職率は80-90%の高率であるとのことであった。そのせいか、教室での質疑応答は和気藹々とした雰囲気の中で行われた。しかし、講演後学生達が周りにやってきて、「最近の中日間の関係をどう思うか」とか「日系企業では中国人は幹部になれないという話があるが本当か」など、厳しい質問もあった。
長沙は旧陸軍の南進路にあたり反日感情が根強いと云われている。前週の週末にも、長沙でも反日デモが呼びかけられたが、小規模で終わったそうである。政治的には困難な事情がまだまだあるし、情報の偏りがそれに輪をかける事態もしょっちゅう発生するが、人と人の草の根的な関係を繋ぎ、誤解による関係悪化を防ぐことが大切だと思う。