武蔵野つれづれ   第3の生活を自由人として

中国での体験記を記して参りましたが2012年の秋に帰国しましたので、これからは武蔵野での生活を徒然なるままに書きます。

第39話 南京旅行(2) 科挙と蒼穹の昴

2011-07-31 18:07:31 | その他の中国都市

南京には江南貢院という古い建物が残っている。これは中国最大の科挙試験場であり、最大時で2万人が受検したそうである。

 


2万人収容の科挙試験場の写真 (江南貢院 展示場にて)

  

 実は、日本文化の追求をライフワークとする自然院としては中国の科挙制度の大きな関心を持っている。そのわけは:

日本は中国から多くの文化・制度を学んだけれど、科挙制度と宦官制度だけは取り入れなかった。同じ中華文化圏でも、朝鮮やベトナムとはこの点で異なる。そしてこのことは、その後の日本文化を特長付ける大きな要因となった。宦官制度が無かったから、源氏物語のような王朝文化の花が開いたのだし、科挙制度が無かったから中国より早く封建社会から脱して近代化に成功したと思っているからである。

 科挙は身分に関係なく誰でも受検出来る。つまり有能な人材を登用する機会を遍く与えるという点では平等な制度と言える。しかし、その試験内容が問題である。四書五経など膨大な古典を丸暗記しなければ合格できない。経済や行政実務を行わなければならない高級官僚たちに、古典教養など何の役にたつのか?そんな丸暗記の秀才ばかりを集めたからこそ、中国は近代化に遅れを取ったと思う。 

 それはともかく、科挙は国家的大事業であった。どのくらい凄まじいものであったかは、最近愛読している浅田次郎の「蒼穹の昴」にも生々しく出ている。それによると、科挙を受ける者は先ず予備試験として、県試・府試・院試・歳試・科試を合格しなければならない。院試を合格しただけでも「生員・秀才」の称号と不逮捕特権が与えられたというから、かなりのものである。

次に本試験として各省で郷試が行われる。これは3年に一度行われ、100倍の競争率だったそうだ。合格すると挙人と呼ばれた。次の会試は首都で行われるが、皇帝の行事であるということから、挙人の旅費には公費が出たそうだ。

「蒼穹の昴」には、挙人が「挙人様会試ご受験」という旗を押し立てて数十人の一行が籠で首都に向かう話が出てくる。途中立ち寄る村々では、村長などがもてなしに出てくる。挙人様の御尊顔を仰ぎたいのと、将来本人が出世した時に覚えよくしておこうという下心からである。清朝時代の会試では2万人もの挙人が受験し、その中からの合格者は300名という厳しさだったそうだ。
今の日本で例えてみると、上級国家公務員試験と司法官試験と国会議員選挙に同時に受かるようなものといえようか。

 

 試験は23日がワンサイクルである。初日は入場作業だけで費やされる。2万人もの受験者を不正防止のため入念に身体検査し、ひとりひとりを号舎と呼ばれる独房に誘導するのだから1日仕事だったらしい。受験生は、筆記用具のほか3昼夜を過ごすための夜具や炊飯用具を此処へ持ち込む。鶏小屋のようなつくりだから、冬は暖を取る用具、夏は蚊対策が必要である。翌日早朝に問題が配られ、翌々日の夕方にかけて試験の答案を提出して引き上げる。このサイクルを連続3回、即ち合計9日で試験が終了する。

  

号舎の実物大の建物とマネキンが設置されており、当時の受験の様子が窺われる。

 

  

受験者は 2泊3日をこの中の独房で過ごす。寝たり、書いたり、食べたり ・・・・・・。

 

 

 その後の採点作業が、また大がかりだったようだ。全員の答案を係員たちが別紙に書き写し、受験者名の代わりに受験番号を付す。答案の解答者が誰であるかを筆跡から分からないようして、採点者達に情実が入る隙を作らないためである。この採点作業に一ヶ月半を要したらしい。

 

 

 

 随の時代から清王朝末期まで、この大がかりな科挙は1500年ほど続いた。試験は厳しいが、一度合格してしまえば賄賂に囲まれた安楽な一生を送ることができた。清朝末期に列強の侵略を受けると、さすがに皇帝もこの形式主義の弊害に気が付き廃止されたが、科挙を唯一の生涯目標にしていた若者達の中には自殺者が多く出たという。

とにかく、中国はやることが大袈裟である。

 

左下は、合格証(瀊尚志という人が98番目で郷試に合格したことを示している。) 右下は試験場にあった石碑。好きな字体なので掲載する。

 

 

 


第38話 南京旅行(1) 中国高速鉄道で

2011-07-24 23:12:24 | その他

 

 南京へ行ってきました。上海から中国版新幹線で。その報告を書こうと思ったら、本日、中国新幹線の脱線事故が報じられました。何というタイミング!?!?

 

 中国の新幹線は、確かに日本のハヤテそっくりの外観。中国は独自の技術として発展させたと主張しているが、コピー天国の国柄だから誰も信じないでしょう。街にはコピーのブランド品やコピーDVDがあふれています。そもそも中国人にはコピーすることに罪悪感が無い。かっこいい外国のマークを付けて何が悪いのって感じ。コピーするなって言われる事の方が不思議に思えるのでしょう。

 

 コピー問題のほか、安全に手抜きで開発を進めた罪は大きいです。だいたい中国では、新線着工から完成まで早すぎる。北京~上海1300kmを3年間で作ってしまったのだから。それもこれも現体制を維持するための国威発揚を目指して、実力以上の国力を内外に見せつけようと無理しているようにしか思えないのです。

 

 それはともかく、旅行は事故前だったので、安全性のことは何も気に掛けずに乗った新幹線は快適でした。新幹線は中国では「動車組」と呼ばれています。上海駅で動車組の乗客はエスカレータで動車組専用のロビーへ入ります。

 


エスカレータで動車組専用ロビーへ(上海駅で)

 


動車組専用のロビー。列車毎に待合室の番号が表示されている。周りは売店。



待合室では、列車毎に電気標示板があり、その下が当該列車の改札口。
 


発車の10分ほど前になると、ホームに案内されます。(端っこまでは、かなり距離がある。忙しい)

 

 

 座席は一等(軟座)と二等(硬座)があるが、設備も値段も大差はありません。南京まで約2時間でした。


最近読んでいる浅田次郎「蒼穹の昴」には、西太后が部下の将軍から贈られた蒸気機関車を初めて見て、「西洋の妖怪だ」と騒ぎ、地面に埋めてしまったという場面が出て来ます。
100年経っても、中国の為政者は、列車を地面に埋めてしまうのがお好きのようです。
もっとも、西太后は晩年には鉄道ファンになり、お召し列車を作らせるのですが。

なお、自然院は新幹線寝台車で上海から北京へ行ったことがあります。その時の見聞録は第14話に掲載しています。興味があれば、お読み下さい。

 第14話 世界唯一の新幹線寝台車に乗る。
 http://blog.goo.ne.jp/chansha/e/2332d4d0ca642db0944bb18590325a6c

 


第37話 中国の100円ショップ

2011-07-14 22:12:49 | 上海

中国にも100円ショップに相当するものがある。ここでは1元ショップまたは2元ショップである。1元は12円、2元なら25円に当たる。いくら物価が違うとは言え、そんな値段で何が買えるのだろうと思われる方は写真をご覧下さい。大体日本と同じような物を売っている。

 
  1元ショップ

 
 2元ショップ

日本の百円ショップもほとんどが中国から輸入しているようだから、ここが本場と言えるかも知れない。それにしても、やっぱり安い。雑記帳などは買い得だと思うよ。1