武蔵野つれづれ   第3の生活を自由人として

中国での体験記を記して参りましたが2012年の秋に帰国しましたので、これからは武蔵野での生活を徒然なるままに書きます。

第66話 中村勘三郎さんと海外公演

2012-12-06 23:21:35 | その他の中国都市

中村勘三郎さんが亡くなった。勘三郎さんは平成中村座を立ち上げ、ニューヨーク、ベルリン、シビウ(ルーマニア)で海外公演を行った。シビウ公演の2008年当時、自然院はたまたまルーマニア・ブラショフ市で市民交流促進のため駐在していた。ルーマニアに日本の人気歌舞伎役者が来る計画があるというのは大使館を通じて聞いていたが、本当にこんな辺鄙な地方都市シビウに来るなんて信じられなかった。ニューヨーク、ベルリンは分かるが、なぜ次がシビウなんだと。でも本当に来た。これは現地で文化交流を任務とするものにとって大事件である。ルーマニア人数人と車で3時間かけて観に行った。

大好評だった。勘三郎(当時は勘九郎)さんは舞台を走り回っての大熱演で、皆が感動して、最後はスタンディングオーベイションとなった。日本の古典芸能をルーマニア人にも楽しんでもらえることを証明してくれたことを自然院も素直に喜んだ。

(ルーマニアの歌舞伎の詳細は、既ブログ「ブラショフ便り」で紹介していますので参照下さい。  http://blog.goo.ne.jp/jinenin/e/c9a7518902f9733dfe83c8e40b03c38e )

 

一時期、毎月のように歌舞伎座へ通ったことがある。当時の勘九郎の舞台はいつも熱が入っていて楽しかった。

演劇は「生き物」だと思う。同じ台本・役者でも、その日その日で役者の乗りも観客の反応も全然違う。たとえば2004年5月大歌舞伎。海老蔵の襲名披露初日を観劇できる幸運に巡り合った。団十郎・海老蔵親子の初競演ということで当時の小泉総理や話題の恋人米倉涼子も来ていた。普段と熱の入り方が全然違う。それまで率直に言って団十郎は声が大きいだけの棒読み役者だと思っていたが、この日は人が違ったかのような懸命さが伝わる好演技で、観客も大満足だった。

勘三郎さんは「生き物」の舞台で感動を与え続けてくれた。有難う。冥福を祈ります。