プロ野球ロッテマリーンズの永野選手が
自らパニック障害の『広場恐怖症』であると発表した。
飛行機、バスが乗れない。
人が大勢集まるような場所で
逃げ場がないと感じられるようなところに
行った場合、恐怖、不安で
冷や汗や死んでしまうのではないか
頭の血管が切れて倒れてしまうのではないかと思うがゆえに
パニック発作に見舞われてしまい
その場にいても立ってもいられなくなり
汗をかいたり、気分が悪くなったり
その場を逃げ出しくなったりする不安症状をさす。
不安神経症とも言われる
神経の伝達物質が過剰に分泌されるからだとか、遺伝だとかも言われているが
症状をもつ本人しかわからず
突然に発作がきて
一度そんな発作がきてしまうと
次にまた来てしまうのではないかと
『予期不安』を生み
飽くなきループを呼ぶため
長い期間をこの発作に苦しむことになる。
症状は人様々で
混んでいるスーパーのレジに並べない
公共交通機関には乗れない
レストランにも入れない
長く続くトンネルに入ると発作がくるとおもってしまう
車での移動の際、長い橋の上で渋滞に会うと発作が起きてしまうのではないかとおもってしまう。
自分の車をサンドイッチのように、
前後を大型トラックに挟まれてしまうと
生汗が出てきて、飛び出していきたくなってしまう。
高速道路で一人での運転ができなくなる。
病院でMRIの検査の機械に恐怖ではいれなくなる。
仕切られた部屋が狭い場合、息苦しくなって逃げ出したくなったりする。
ライブ会場でどれだけ見たいアーティストであっても、人に挟まれた状態になると
苦しくなって逃げ出したくなるか
恐怖で倒れてしまうのではないかという不安にかられる。
最近、芸能界の人達の中で
この症状を開示してきた人が多い
元来、安易に助けてもらいたいと思う人より
だれかの迷惑になってはいけない。
自分がしっかりしなくては、、と
思う人の方がかえって罹患してしまうらしい。
だから、
そばにいる人に甘えてしまうわけではないが、分かってもらえてる安心感が
次期の予期不安を消してくれるケースもあるので、予め、自己開示しておくほうが
気持ちが楽になると言える。
私が
20年来、このパニック症候群の『広場恐怖症』と一緒に歩いてきた。
もう自分には、
1人ではどこにもいけないと落胆した日もあったし、今でも場所によっては1人ではいけない。
ある日、
唯一安全な家でパニックに襲われて
病院へ連れていかれても、病院に着いた途端に症状は消えてしまった。
テレビを見ていて、たった一言のセリフ
『家族はあなたがいなければダメなのよ』
そのたった一言だった。
当時、自分の親(同居)と 夫との橋渡し
子供と夫との橋渡し
夫は働くだけの企業戦士
私がいなければ、この家は回らない。
私が頑張らなければならない(ならない)
それを強く感じていた。
ものすごい恐怖と不安から
呼吸ができなくなり心臓はドキドキと
動悸が止まない。
生汗が手のひらから脇の下へ、滴り落ちるように。
もう死んでしまうという思いになった。
家族は、何も分からないまま
病院で何ごともないから大丈夫。
気のせい。
気を強く持てば大丈夫だと、とりあってくれなかった。
その後、病院の診察にも
雑踏の中、不安を紛らわし
なんとか一人で待合室でまった。
色んな検査をしても何も出てこない。
たった1人の戦い。
家族は理解はしてくれない。
何回も起こしていた後
家庭で、起こしたのが
一番大きな発作だったせいで
一番安全な家で起こしたことの自分のショック。
もはや、家庭にさえ安心安全はないと知った思い。
これを皮切りに
上に書いた羅列した状況になったときに
発作が始まりそうになる
恐怖が優先で、不安が2番目、3番目に誰かに迷惑がかかってしまう。
その3番目を強く思えば思うほど
いつまでも、症状は繰り返す
しかし
色んなものを調べて
やっと心療内科にたどり着いた。
自分の早めに始まった更年期と重なったこともあり、血圧も安定しない。
高い日が続く
上の数値と下の数値の差が20もない日々
シンドさと、恐怖の日々
誰にも言えない
理解してもらえないもどかしさ。
変な目で見られることを恐れ
友達との誘いを断り続けたあげく
数人の友達が離れていった。
おそらく、いまだに誤解したままだろう。
病院で処方されたもの
漢方薬と安定剤
数種類試したあと
比較的安全に飲め
穏やかな薬と出会った。
レストランにも
混み合ったスーパーのレジにも並べるようになった
ライブ会場にはいけなくても
バスには乗れなくても
日常生活は守れるようになった。
少し楽になってから
心配してくれていた友達に話をして
約束は、ドタキャン有りを承諾の上での
付き合いだと分かってもらえた。
家族には
いまだに理解はできないようだが
無理やりこちらが
気分悪くなったら退席するからと
あからさまに嫌な顔を自分がすることも
自分に許し、相手の嫌な顔は気にしないことにした。
あの恐怖は
発作を起こしたものしかわからない。
私のたまたま知った友人の悩みが
私と同じパニック症候群で
その友人は外出ができなくなり
しばらく、寝たきりになった。
そのおかげか、家族にはいたわってもらえ
数年かけて、外出できるようになったので
私は比較的軽いのだと言われたが
自分は自分しかないので
友人とて、私との温度差はあったことになる。
不安神経症の様々な症状を
それを理解してほしいと思うほうがいけないのだと。
自分から働きかけて
予期不安につながることを避け
家族に気分が悪いんだということだけでも
伝えようとすることを決めたこと。
随分と気持ちが楽になった。
抗不安剤は手放せないけど
生活はできる。
1人では遠出は、今はできないけれど
どうせ、変形性股関節症のおかげで
スポーツ、ウォーキングはドクターストップされているから
私は私の生活範囲の制限がある。
そうだ、制限は出ている
しかし、制限があるからこそ
その中での
ささやかな幸せを見つけることが出来、
思いを飛ばせることができるのだと思う。
この先、母の目の病気が遺伝して
私にきたとして
歩けない、見えない、不安でしかたない日が来るかもしれない。
だけれど、それまでは、
目は美しいものを追い
思いは、素敵なもので満たし続けていきたい。
ある日突然、私にとっての
何かしらの奇跡と遭遇することは
誰にで、どこの人であっても
与えられていることだと思ったら
少しは未来は明るく感じられることだろう
色んなものに制限が出て
狭められたからといって嘆くことは
たやすくできる。
だけど、違うものが見えてくる場合もある。
だからこそって、、、、。
少なくとも
私は何でも出来て
どこへでも行ける人よりも
沢山の幸せを見つけられる。
これは、感謝です。