湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

横浜にて『氷川丸』との出会い

2019-03-20 16:46:48 | 日記
週末に
横浜に行ってきた

氷川丸の近くのホテル

そのホテルは偶然のように
予約が入れられた

ホテルから見る風景は
山下公園を中心にするかのように
向こう側には
赤レンガ倉庫が立ち並ぶ様子も
横浜の港湾の鼻先と呼ばれる大桟橋も
見渡せる場所に建っていた

横浜という町は
新しくオシャレだけれど
昔々の面影もちゃんと残してある町で
どこかノスタルジックな
こころがキュンとするような
海の磯の匂いが似合うのか
初めてきた町だけれど
いつかわからない時に
佇んでいたかもしれないと思うのは

あまりにも
歌やドラマに使われていたせいだろう


氷川丸
現在は日本郵船の船として停留されている。


うちの父が亡くなる一年半前
テレビに映った氷川丸をみて
ポツリと呟いたことがあった

『この船、ワシが和歌山の潜水夫をしていた時に、スクリューに巻き込んだロープを外してやったことがあったんや』と。

私が生まれる前の話である。


本当のことかどうか知りたくて
調べるだけ調べたけれど
そうした汚点ともいうべきことは
どこにも書いてはいなかった。


しかし
最後の航海を神戸港で終え
横浜の山下公園に停留されるまで一年
ちょうど父の言う時期と重なり
そして、おそらく
神戸港から横浜に行くのに
わざわざ遠回りはしまい


紀伊水道を通り太平洋に出て
横浜に向かったと推測される。


そうなれば
和歌山での出来事
金属会社の大きな貨物船が入る港に
曳航されてトラブルを回避するだろう


父が言ったことは
どこにも残っていないかもしれないが
頭もまだボケてない
いくら遊び人だった父でさえ
潜水夫と言う仕事に誇りを持っていた

間違いない事実だと
私は受け止めた


そして
横浜に来て
実際の氷川丸と対面することができた

父はかつて言っていた。
当時にしても、それはそれは大きな船で
スクリュー一つとっても
それが一回りするだけで
どれだけ推進力があることか、、。


そのスクリューに巻いてしまったロープを
時折スクリューを左右に回しながら
緩めていく
その時、体がスクリューにもっていかれてしまいそうになりながら
父は決してロープは離さなかったと。
鯉のぼりのように体が水平になりながらだったと言っていた。


私が小さいころ
分厚いゴムでできた宇宙服のような
潜水夫の服を中庭に干してあった
頭の部分は分厚いガラスと鉛のような金属でできたバケツのような被り物は
到底重くて大人が2人がけで持つような。

そして、そこにつながる酸素の管

毎日、毎日、干してあるのが
磯臭くて
ゴム臭くて
汗とタバコの息が混じったような匂い。


父の背中に乗ると
同じような匂いがしたのを覚えてる。


深い海で
水圧と何時間もの作業は
どれだけ体力を使ったのだろう
今なら少しは想像できる


そんなことを思い出しながら
色んなことの記憶を蘇らせながら
氷川丸の船内を歩いた


華やかな客船の時期
戦争の苦しい時期
病院船としての痛ましい時期


これほど数奇な運命を背負った船があっただろうか。


喜びと悲しみを背負いながら
その時代に沿って
任務を全うした船


重厚な船内には
きっと沢山の思いがしみ込んでいることだろう

その一端に
うちの父がいる

そして、私がいる

不思議な感覚
自分の親戚に出会ったかのような

誰かが作って
誰かが船に乗って
沢山の人を運んだけれど

最後の最後に
うちの父が誇らしげに見ているような。

私は氷川丸の見学を終えても
何度も何度も
振り返りながら見ていた

話しかけてくるかのようで
優しい笑みでこちらを見ているようで

思わず
会えて良かったよって呟いた。

















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする